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2009-05-08

〔コラム 机の上の空〕 アジアに響け、平和の鐘 円仁の中国旅行記を読む

 慈覚大師・円仁(794~864年)は、山寺(山形市)の立石(りっしゃく)寺、松島の瑞巌寺の開祖である。仙台の東西、山と海に名刹を開いた天台の高僧である。

 4月14日、山寺の立石寺で、大師の誕生祭が開かれ、「世界平和の鐘」が撞かれた。地元の新聞報道(山形新聞 ⇒ http://yamagata-np.jp/news/200904/14/kj_2009041400227.php )によれば、今回初めて、中国と韓国から参加者があった。僧侶や研究者だったという。

 なぜ、遠くわざわざ、中国や韓国から参列者があったか?

 それは円仁という日本人僧と中国人、朝鮮人の交流という史実による。円仁が遣唐使の船で中国に渡り、仏教の奥義を学ぶことができたのも、当時の唐の人々(僧ら)、新羅の人々(通訳ら)の手助けがあってのことだ。

 そんな円仁という人に興味を持ち、東洋文庫(平凡社)に収められた、円仁著『入唐(にっとう)求法巡礼行記』(ⅠとⅡ、全2巻)を読み出した。

 円仁が博多を出発、遂には10年に及ぶ旅を始めたのは、838年(承和5年)。円仁、46歳の初夏のことだった。

 1300年近い、時間の経過の後に読む、9世紀前半の中国旅行記は、驚きの連続で、読み飽きることを知らないが、上巻(Ⅰ)の「12月8日」の記述で、目が釘付けになった。

   新羅人王請来たって相看る。是本国弘仁十年〔八一九〕に出州国〔出羽(でわ)国〕に漂着する唐人張覚済等  と同船の人なり(後略)……

 円仁は渡海・入唐したその年、揚州(上海の近く)で足止めを食っていたその時、出羽、つまりいまの山形・秋田に船で流れ着いたことのある新羅人(朝鮮人)と会っているのだ。その新羅人王請は、「諸物を交易する」商人。「頗(すこぶ)る本国語(日本語)を解す」人だったそうだ。

 「本国」を、出羽の国を知る朝鮮人貿易者と、中国・揚州の寺で、日本語で語り合う円仁……その姿を想像すると、これが機縁となって、羽前(出羽国の南部)に、立石寺を開いたのかも、と思いたくもなる。

 が、『行記』のこのくだりを読んで――いや、遣唐使の通訳は新羅人だったといった『行記』のほかの部分も併せ読んで思うのは、当時の極東アジアの国際性――というより、各国人間の「交流」の気安さと「風通し」のよさである。

 当時の中国・朝鮮・日本を囲む海には、「国境」の壁はなかった。だからこそ、円仁は中国僧や新羅人と交流でき、それが歳月を超えて語り継がれて、21世紀、2009年のこの春の、立石寺での「顔合わせ」につながったのである。

 これはほんとうに凄いこと。
 こうしたつながりこそ、私たちは大切にしなければならない。

 円仁の『入唐求法巡礼行記』は、日本による朝鮮支配、中国侵略という20世紀の悲劇を、極東アジアの歴史的な原郷からとらえ返し、それを乗り越えてゆく視点を与えてくれる、なおも新鮮な旅行記である。

 円仁の日記を読み進むその先にあるのは、円仁の求法の足跡の先になければならないのは、各国の寺の鐘が鳴り響く「平和と友好のアジア」である。

〔注〕 このブログは仙台の出版社「本の森」の編集部ブログの記事を転載したものです。

 ⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/
 

 

Posted by 大沼安史 at 02:55 午後 3.コラム机の上の空 |

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