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2009-05-17

〔コラム 机の上の空〕  《不幸》から《愛》へ         『シモーヌ・ヴェイユの生涯』

 雨の日曜日、1冊の本を読んだ。
 仙台駅の東口、市立榴岡図書館から、土曜日に借り出した本だ。

 図書館の書架を眺めていて、目に飛び込んで来た。
 『シモーヌ・ヴェイユの生涯』(大木健著、新装版、勁草書房)。

 奥付で確かめると、やはりそうだった。
 初版は1964年、改訂版は1968年に出た、とある。
 学生の頃、本屋で買って、前の方を少し読みかじったような……記憶は、どうやら、ほんとうだった。 

 リセの哲学教師を1年間、休職、頭の割れるような慢性頭痛に苦しみながら、虚弱なからだに鞭打って、ルノーなどの工場で、労働者として働いたあと、スペイン市民戦争が始まるや否や、義勇兵として赴き、フランスに帰国後、アメリカに逃れ、最後は英国で亡くなった女性思想家の評伝。

 著者、大木健(たけし 東北大学教授、仏文、1990年に死去)氏の文章には、透徹した気品とでもいうべき趣があって、付箋を貼り付けるのも忘れ、いつの間にか、読み通してしまった。

 大木氏が描いた「シモーヌ・ヴェイユ」は、わたしが学生時代、単純に考えていた、エリートなのに、工場に身を投じ、工場労働の経験をもとに思索を続けた、「自己否定」のフランス人・インテリ女性……ではなかった。

 パリの高等師範学校を卒業して、リセの教師となったのは、1930年代の初め。経済恐慌、スペイン市民戦争、第二次世界大戦と続く、経済的・社会的な激動を生き抜き、苦闘の果てに、1943年、34歳の若さで短い生涯を閉じた人だった。行動し、思索し、師・アランの教えを守り、毎日、ノートに書き続けた人だった。

 いま、大木氏の評伝を読み終えて、救われたような気がしてならないのは、己の《不幸》の直視が《隣人愛》まで行く着き得る可能性を、ヴェイユの人生の軌跡が示していると、氏に教えていただいたからだ。

 大木氏はこう書いている。(〔 〕内は、大沼による注記)

  シモーヌ・ヴェイユが〔工場において〕その心身でとらえた《不幸》という現実、それと永遠に交わり続けるための《奴隷》という資格を身につけて把握した現実、しかもこの地上では全くかえりみられることなく、これを目標とすべき革命運動〔スペイン市民戦争〕までが無視し、忘れつくしている現実、これを認められなければ彼女が生きられなくなる現実、――この現実の有無を彼女は暗い夜々の中で問い続け、この現実を否定するものと妥協しなかったために、この苦悩を通して真実につながることができ、隣人を愛することが可能となった。《夢想》ではない真の《愛》を彼女は獲得した……(同書、195頁)

 大木氏が引用する彼女の自身の言葉で、つづめて言えば、こうなる。

   「私は、不幸というものを通して聖なる愛を愛することが可能であるとの理解を一層深めることができたのです」

 《不幸》をごまかしようのない絶対性として、身をもって苦しみ抜いた、その先に現れた《愛》、または《神》の絶対性……。

 大木氏によれば、生き急ぐように短い人生を終えた彼女は《死にそこなう》ことを恐れた人だったそうだが、34歳以降の人生を「生きそこない」はしたものの、死にそこなってはいない、と思う。

 「死にそこなわない」……40年前、学生時代に読みかじることしか出来なかった大木氏の本を、今、深い感動をもって読み終えることができたのは、わたしもまたこの言葉を、人生ホームストレッチの自戒の言葉として受けとめることができる年齢に達したからであろう。

 それもこれも大木健氏のおかげである。

 「シモーヌ・ヴェイユ」は―ーわたしが真剣に向き合いさえすれば、「リルケ」とともに、この先のわたしの、机上のガイドになってくれるかも知れない。

〔注〕 このブログは仙台の出版社「本の森」の編集部ブログの記事を転載したものです。

 ⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

Posted by 大沼安史 at 05:24 午後 3.コラム机の上の空 |

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