〔コラム 机の上の空〕 忌野清志郎さんの歌がきこえる
昼前、自転車に本を積んで納品に行った。
いい天気、気温もほどほど。
自転車を漕いでいるうち、気分がなぜか高揚し、青信号に向かって「まくり」を決めた。
と、忌野清志郎さんの、あの歌が鳴り出し、心の中で一緒に歌い始めた。
♪ Oh 何度でも 夢を見せてやる
Oh この世界が 平和だったころの
忌野さんの歌で一番何が好きか挙げろと言われたら、ぼくは「激しい雨」だと答える。
「トランジスタラジオ」や「雨あがりの夜空」ももちろん大好きだが、なんといっても「激しい雨」。
曲もいい。詩も素晴らしい。
とくに、
♪ お前は覚えているかい
世界がここにあるのを
世界はここにある……凄い! こんな凄いことを、忌野清志郎さんは全身で歌って、教えてくれたのだ。歌い遺してくれたのだ。
♪ Oh 何度でも 夢を見せてやる ……と。
後期の代表作と言われる「激しい雨」を出した時、忌野清志郎さんは、忍び寄る死を覚悟していたような気がする。
だから、こう続けたのだ。
♪ RCサクセッションがきこえる
RCサクセッションが流れてる
な、お前ら、聞こえるだろ。流れてるだろ。
そこに世界がある。平和だったころの。
これから何度でも夢を見せてやるぜ。
忌野清志郎さんとは2つ違いの同世代。
80年代から90年代にかけ、ぼくは「会社員・新聞記者」として「個人と組織」、「社会と会社」の相克に苦しみ、まさに忌野さんの歌う、あの「サラリーマンのドラマ」を演じて、のたうち回っていた。
この4月、「アラカン」として仙台に帰郷、忌野さんの愛車の、おそらくは100分の1以下の値段の「宮田」のママチャリ(それでも25000円くらい、した。新車です)を買い込み、仕事場(ボランティア先)の「本の森」に通い出した。
そして、あの、突然の訃報!
悲しいというより、悔しくて仕方なかった。
悔しさは怒りとなって、いまも胸の中でくすぶっている。
あの、ロックでぶちかました、発売中止の「君が代」、ヘルメットに黒メガネ姿で、「何いってんだ、ざけんじゃねえ……放射能なんかいらねえ」と、ヒロシマで歌った「ラブ・ミー・テンダー」……
くそっ、チクショウ、こんな骨のある、天才ミュージシャンが、何で58で死ななくちゃならないんだ、と叫びたいくらいだ。
「忌野清志郎」は芸名。「今わの際、しよう」のもじりではないか、と勝手に思っている。
日々、これ、今わ。今生の別れを常に覚悟し、懸命に何事かをなせ、とのメッセージではないかと。
ママチャリの前のカゴには、本が15冊ほど。書店から注文が来た本だ。ハンドルがけっこう重い。
納品書に判子をもらい、軽くなったペダルを踏んで帰路に就く。
元気を出して、心の中で歌う。
♪ RCサクセッションがきこえる
RCサクセッションが流れてる
くそっ、チクショウ、ざけんじゃねえぞ!
(注) このコラムは、小生がボランティア編集長をつとめる、仙台の市民出版社「本の森」の編集部ブログ「一番町日記」に加筆、転載したものです。
Posted by 大沼安史 at 09:33 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink