« 〔いんさいど世界〕 豚インフルエンザ 「対特定人種ウイルス(RSV)」(?)説 | トップページ | 〔いんさいど世界〕 ゴールをゲットだ! 人生でも! ニューヨーク ホームレス・サッカー・チームが大活躍 »

2009-05-04

〔コラム 机の上の空〕 辻邦生さんに教えてもらったリルケ

 坂を一人で下りて来たのは、作家の辻邦生さんだった。明るい色(ベージュ色だったろうか?)のブレザー姿で、陽射しを連れ歩いているような、まばゆいお姿だった。
 こちらは二人連れ。細い坂道なもので、視線を交わし、軽く会釈をして、おそばを通り過ぎた。

 妻と一緒に、横浜の「港の見える丘公園」の大仏次郎文学館を訪ねたときのこと。20年以上、前、東京で新聞記者をしていた時のことだ。

 私は駆け出し記者だった20代に、辻邦生さんの小説を熱読した。長編の『春の戴冠』『背教者ユリアヌス』。片端から読んだ。

 辻邦生さんの文体に、既定のものを、決まりきったものを粉砕しながら透過する、明るい光のようなものを感じ、魅了されたからだ。

 中でも『嵯峨野明月記』を読んだ時は、スリリングな戦慄さえ覚えたほどだ。

 新聞社を中途退社、仙台で「本の森」の創立に関わった頃、今はなき同志の小池平和さんと、「辻邦生さんに仙台に来てもらい、創立記念の講演をしてもらえたらいいな」などと夢を語り合ったことがある。

 辻邦生さんはそのころ、『西行花伝』を書き終えたばかり。西行の足跡を追って、仙台、平泉を旅してもらい、温泉で執筆の疲れを癒してもらいながら、ついでに話をしていただこう――などと、勝手な算段で盛り上がったものだ……。

 さて私が辻邦生さんを文体の革新者としてではなく、世界と格闘を続け、生死を超えた境地に生きる希望と覚悟を語った一人の作家として見るようになったのは、つい最近のことだ。

 片山敏彦訳の『リルケ詩集』(みずず書房刊)で、リルケのトルストイとの出会いを知り、その延長線上で、辻さんの『薔薇の沈黙 リルケ論の試み』(筑摩書房刊)を読み進めているうち、見方が変わった。

 実は、今朝、寝床の中で、その『薔薇の沈黙』の「終章」(13章)、「〈開かれた空間〉の声」と、佐保子夫人の「夢のなかのもう一つの部屋――あとがきにかえて――」を読み終えた。

 ほんとうは昨日、最後まで全部読み通すことができたのだが、「終章」を読む前に、私なりの、読者としての「結論」を確かめたくて、最近、自転車で通い出した、陸奥国分寺跡を訪ねた。いつもの樹下で自分なりの「結論」が出てから、読了することにしたのだ。

 国分寺跡の公園に薔薇はなかったが、木々の青葉が緑の光を散らしていた。梢の方から、小鳥たちの声が聞こえて来た。

 慌てるな、待てばいいだけだ、と自分に言い聞かせはしたが、私なりの「結論」はすぐさま、衒いもためらいもなく、頭上に落ちて来た。

 辻邦生さんは、ひとつ前の「12章」で、こう書いていた。リルケはもはや「戦争という苛酷な現実に対していささかもたじろぐことなく、天使たちの舞う世界空間を、フィクションの世界ではなく、人間にとっての深い実存の開示として描くことができるようになる」と。(164頁)

 これを読んでしまった以上、私の「結論」が、リルケの、そしてまた辻邦生さんの「結論」から逸脱するはずもなかったのだ。

 「終章」(13章)で、辻さんはこう書いている。リルケは「それについて語る人ではなく、それから語る人に」なったと。

 やや性急な結びの言葉はこうである。

 「〈薔薇空間〉となったリルケは甘美な陶酔の持続となって、時間を超え、生と死を超える。おそらくいまわれわれにとってなすべきこととは、〈見る〉ことの果てに出現した〈対象としての世界〉を、いかにして〈薔薇空間〉に変容するか、ということだろう。不毛と無感動と貨幣万能の現代世界のなかで、はたして至福に向かってのそんな転向が可能かどうか、われわれがある決意の時にたたされていることは事実だろう」

 辻邦生さんの最後の本、『薔薇の沈黙』は、実は「最終章」が、辻さんの中で構想はされながら、書かれずに終わったものだ。が、それだけに、「終章」(13章)の結びの言葉の余韻はなお一層、深い。

 それにしても、辻さんが急逝されずにおられたなら、「最終章」はどのような風に書かれたのだろう?

 国分寺跡の大木の下に立てば、坂道を下りてくる辻さんが現れ、教えてくれるかも知れない……そんな気がしてならない。 

【注】 このブログは、出版社「本の森」編集部ブログに掲載したものを転載したものです。

 ⇒  http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

Posted by 大沼安史 at 12:31 午後 3.コラム机の上の空 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 〔コラム 机の上の空〕 辻邦生さんに教えてもらったリルケ: