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2009-05-29

〔イラクから〕 「戦争も殺人も悪である。そのどちらの悪も私は犯してしまった」 終身刑のグリーン上等兵の謝罪声明

 イラクで民間人の一家4人をレイプ・殺害した罪で、陪審から終身刑の評決を受けた〔本ブログ既報〕スティーブン・グリーン元陸軍上等兵が28日、連邦裁判所の法廷で、イラク人遺族の見守る前で、「謝罪の声明文」を読み上げた。

 AP電で、グリーン元上等兵自身が書いた、その「声明文」のテキストを読んだ。

 読んで、ああ、26歳(犯行時、20歳)になる、この若者は苦しみ続けて来たのだなあ、と思った。

 「僕にはもう、取り返しはつかないんだ。僕の謝罪は不十分なものにしかならないが、これしかできないんだ……」

 軍隊に入るまで、「僕が人を殺すなんて、民間人を故意に殺せるなんて思いもよらなかった」。

 「それが、イラクで、ある時点から、イラクの人を、一人の人間として見れなくなってしまった。ひとまとめに、ひとつの悪として、人間以下のものと見るようになった」

 「僕は間違っていた」

 「戦争も殺人も悪である。そのどちらの悪も私は犯してしまった」 

 グリーン元上等兵が殺害した一家の男の子たちは生き残った。

 その男の子たちに対して、元上等兵はこう言った。

 「僕はただ、彼らが僕が犯した悪夢を乗り越え、よき未来に向かって進んで行ってほしいと望むだけだ」と。

 グリーン元上等兵は終身刑を終えた先に待つ、「神の審判」を恐れていると言った。

 そのくだりを読んで、「神の審判」をもっと恐れなければならないのは、ほかにいる、と思った。

 
 

⇒  http://wire.antiwar.com/2009/05/28/statement-of-ex-soldier-steven-dale-green/

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2009-05-28

〔NEWS〕 北朝鮮 「150日間働け・働け」運動 クライマッスの10月初め 最高人民会議で3男坊へ皇位継承

 ソウル発のAP電を読んでいたら、北朝鮮で「150日間働け・働け」運動が始まっていて、それがクライマックスを迎える10月初め、最高人民会議が開かれ、(3男の金正雲への)「皇位継承」が決まるという。

 正雲は26歳、大学の教え子が電話で「なかなかのイケ面」と言っていた。

 金正日はこの3男坊を「おれに似ている」と可愛がり、「若大将」などと周りに言わせているそうだ。

 この話を教え子にしたら、「全然似てない」とのこと。

 小泉純一郎氏も「ジュニア」に「皇位継承」したいそうだが、北朝鮮と考え合わせると、日本もなんだか凄い国だなあ。

 だいたい、「ヤクザ」の息子が「防衛大臣」になっている国ってアリだろうか?

 でも、結局、あの「核実験」って、5ヵ月間に及ぶ「国体護持」大キャンペーンの「打ち上げ」花火だったわけ。

 金正雲じゃなくて、金茸(キノコ)雲。

 こんなガキの即位のために、働け・働け、欲しがりません、勝つまでは、と働かされる北朝鮮の人民たちが気の毒だ。

⇒  http://www.msnbc.msn.com/id/30968580/

Posted by 大沼安史 at 07:20 午後 | | トラックバック (1)

2009-05-26

〔NEWS〕 金正日、「国体維持」に必死 3男正雲(ジョンウン)に「皇位継承」 「核爆発」の本当の狙いは「国内引き締め」 

 北朝鮮の金正日が「国体護持」に懸命なようだ。自分の目の黒いうちに、3男・正雲(ジョンウン)に「皇位継承」しようと、ファミリーの権力維持に躍起になっているようだ。

 北朝鮮の「皇位継承」については、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が、「核爆発」の2日前、今月の23日付けで、「金正日が政治的な移行を開始した、とオバマ政権が結論づけた。義弟の張成沢と3男の正雲がキープレーヤーとして浮上している」と報じていた。

 同紙はこの記事の中で、こうした政権の引渡しが北朝鮮の強硬路線として現れていると指摘、北朝鮮の2回目の核実験は今後数ヵ月のうちに行われると、米政府高官が公言していることも明らかにしていた。

 義弟を後見人につけ、息子の中で一番まともそうな3男坊に政権を渡す。そのための態勢固めとして、軍部強硬派とともに核実験、テポドンⅡ発射など、対外強硬路線を走り、国内の引き締めを図って、「国体を護持」し切る……25日の「核実験」はつまり、こうした意図のものに行われたことになる。

 WSJ紙の「先行スクープ」を、25日の「核実験」につなげると、こうした見方に落ち着かざるを得ない。この「ターゲットは国内」説は、英紙ガーディアンやニューヨーク・タイムズ紙の採るところでもあり、たぶん「正解」であろう。

 では、23日のWSJ報道から2日後に「核実験」のボタンを押したのはなぜか?

 それはおそらく、金総書記がWSJの報道を、ホワイトハウスのリークによる、オバマ政権の「3男政権移譲承認」のサインと読んだからだ。

 それで一気に国内の引き締めにかかり、「3代目」への皇位継承への動きを加速させた……もちろん、推測の域を出ない見方だが、どうもこんな流れのような気がしてならない。

 「国体護持」のためには、狭い国なのに、自国内で「核実験」を行うなど、平気で瀬戸際政策に走り、危機感を煽り立てる、金正日一派。

 まるで昭和20年の「神国・日本」を見ているようで、悲しい。

 当時の「日本の金正日」たちも、「国体護持」なんか言わずに、「和平」に進んでいたら、オキナワもヒロシマもナガサキもなかったのだ。

⇒  http://online.wsj.com/article/SB124304434715249127.html#printMode

Posted by 大沼安史 at 06:44 午後 | | トラックバック (1)

2009-05-24

〔コラム 机の上の空〕 深夜に片倉真由子さんのジャズピアノを聴く

 土曜の午後、CDでピアノのジャズを流しながら、一人掛のソファーで、久しぶりに寛いだ。横浜から仙台の連坊に引越し、その連坊の狭いアパートに、仙台の旭丘に置いていた書籍類など荷物を運び込んだせいで、DKは今、バリケード状態。でも、書斎にしている部屋はだいぶ片付き、仕事(読み書き)はできるようになった。

 ソファーに座って読み始めたのは、フィナンシャル・タイムズのジリアン・テット記者が最近出して評判の「阿呆金(フールズ・ゴールド)」。
 手ごわい本なので、ピアノジャズBGMで景気をつけて読み進めようと、大好きな「ティーチ・ミー・ツナイト」を、リピートで延々と流し続けた。

 夜、ダンボールを2個開けて、ちょっとだけ荷物を整理して、NHKのFMを聴き出したら、いきなりジャズ・ピアノだった。

 カタクラマユコさんの演奏。
 「仙台」出身の期待の新星だと聞いて、慌てて耳を澄ませた。
 初のCD(発売は秋。タイトルは「インスピレーション」になりそうだ、という)に収録される「シークレット・ラヴ」。
 
 とてもよかったので、ネットで調べたら、片倉真由子、29歳、バークレイ、ジュリアードで学び、昨年、日本に戻って活躍し始めたばかりの新進ピアニスト――だとわかった。

 2006年、ワシントンのケネディ・センターで開かれた、メアリー・ロウ・ウイリアムズ女性ジャスピアノ・コンペで優勝したことも。

 1980年の生まれ、ご両親もジャズ・ミュージシャンという彼女だが、ラジオで語る彼女の声にはエリート臭いさがどこにもなく(おまけに、仙台なまりが、うっすら残っていて)、好感を持った。

 好きになったらナントヤラ、シツコサだけが取りえ(?)の私は、早速、ネットで「おっかけ」を開始し、ユーチューブで、What a Wonderful World の演奏ビデオを見つけた。

 3度、聴いて、彼女の完璧なファンになった。
 凄い、繊細なところが、音の響きが――、音の結晶を粒粒に際立たせ、しかも水の幕のように、限界まで流れるように透明に歌い切るところが、凄くいい。

 私は昔、ニューヨークのビレッジ・ヴァンガードで、秋吉敏子さんの演奏を聴いたことがあるが、「片倉真由子」も負けちゃいないぜ。
 いまにきっと、世界を股にかけ、演奏活動をする逸材だ、と見た。

 仙台の出版屋としては、秋吉敏子さんが岩波新書で自伝を出したように、片倉真由子さんには、いずれ1冊、書き下してもらいたいところだか、そんなことより、今はピアノに専念し、世界デビューを果たしてもらうのが先決。

 とりあえずは、一人のファンとして――同郷、仙台のピアノ・ジャズ好きの一人として、片倉真由子さんの今後の活躍を祈ることにしよう。  

⇒  http://www.mayukokatakura.com/frame_basic/frameset.html

  http://www.youtube.com/watch?v=_Pn-J_yBSRg

〔注〕 本ブログは、大沼がボランティア編集長を務める仙台の市民出版社、「本の森」の編集部ブログ、「一番町日記」のコラムを転載・加筆したものです。

Posted by 大沼安史 at 01:57 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-05-23

〔NEWS〕 ワタダ中尉 再審まぬかれる 米当局が再訴追を断念

 イラクへの出征を拒否、軍事裁判にかけられ、裁判手続きの不備で処分保留を状態が続いていた日系の米陸軍、ワタダ中尉について、米司法省はこのほど再審を断念した。

 ワタダ中尉はほかに2件、イラク戦争を公然と批判したことで軍事裁判にかけられる可能性が残っているが、所属する陸軍基地の判断で決まるという。

 オバマ政権下、米司法省が常識的な判断をするようになった、ということか。

⇒  http://www.truthout.org/051409R

Posted by 大沼安史 at 07:34 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 荒地のアメリカ 「死のモール(Death Mall)」が続出 超大型ショッピングセンターがゴーストタウン化

  「死のモール(Death Mall)」――経済危機にあえぐアメリカで、こんな「言葉」が……「現象」が普通に使われる(見られる)ようになりました。

 「モール」とはアメリカの消費経済のシンボルだった、超大型ショッピングセンターのことです。
 それが経済不況のあおりを受け、旗艦店(キーテナント)であるチェーンの大型店の撤退などで、ガラガラになって店じまいに追い込まれている。

 ゴーストタウン化……「死のモール」は、アメリカ型消費文化の死をも物語っているようです。

 そんなアメリカの「モール」をめぐる現状を、22日付けのウォールストリート・ジャーナル紙(WSJ、電子版)が詳しく報道しました。

 アメリカのあとを追って来た、日本の消費文化の未来を予告することでもあるので、レポートに内容を少し詳しく紹介します。

 「死のモール」化をめぐるデータで、まず挙げなければならないのは、「グリーン・ストリート」という調査機関のものです。

 この機関は個人経営を除いた「モール」だけのウオッチしているので、そのデータには限界があるのですが、全米1032の「モール」のうち、84の「モール」が「死んだ」のだそうです。
 同機関によれば、アメリカの「モール」の平均年間売上高は、「30平方センチ」あたり381ドル。これが「250ドル」(ざっと、2万5000円)を下回ると、持たなくなるんだそうです。
 
 また、旗艦店の「シアーズ」はこの5月と6月の2ヵ月間だけで、「モール」内の23の店舗を閉鎖し、撤退するそう。

 「モール」というのは、四隅に「シアーズ」とか「メイシー」といったチェーンの超大型店(デパート)を置いているのが普通ですが、こうした「コーナーストーンの店」が抜けることで、「モール」の死への歩みが加速するわけです。

 「グリーン・ストリート」によれば、ことし2009年の「死のモール」数は、「100を超える」ものと予想されています。2006年は「40」でしたから、倍から3倍へ、激増するわけですね。

 WSJの記事はもちろん、こうした統計だけでなく、「死のモール」の具体例をいくつか紹介しています。
 その一つは、ノースカロライナ州シャーロットの東部にある「イーストランド・モール」
 
 この「モール」の30平方センチあたりの年間売上高は昨年210ドルまで落ち込んだんだそうです。で、旗艦店の「シアーズ」と「ディラーズ」が来月、いなくなってしまう。

 この「イーストランド」ができたのは約20年前。シャーロットの高所得層が街の北部、南部に住み始めることで、低所得地域の「モール」へと変わり、苦戦するようになったようです。
 (マイケル・ムーア監督の映画、『華氏911』でも、ミシガン州の低所得地域にある「モール」が出て来ますね。そこでないと、兵士としてイラクの戦場に送り込む、貧しい若者をリクルートできないのだそうです……)

 「イーストランド」のケースは、経済危機が低所得層を直撃し、それが「モールの死」にストレートにつながっていることを物語る事例のひとつ、といってよいように思われます。

 さて、次の問題は、こうした「死んだモール」をどうするか、という問題です。そこでしか営業できない地元の業者の方もいるわけですから、地元の自治体としても、そのまま、ゴーストタウン化を許すわけにもいかない。

 シャーロット市で「イーストランド」を、マンションや公園を含む新しい商業施設に再開発しようとしてはいるそうです。
 
 しようとはしているけれど、期待した民間からの出資がなく、計画しただけ、というのが現状だそうです。

 郊外型超大型ショッピングセンターの死……日本でも先行するアメリカから教訓を学び、早めに対策を考える必要があるようです。
 

⇒  http://online.wsj.com/article/SB124294047987244803.html#mod=rss_Today's_Most_Popular

Posted by 大沼安史 at 09:49 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (2)

2009-05-22

〔NEWS〕  ブルース・スプリングスティーンがフォスターの名曲、「きびしい時代はもうやってこない」をツアーで熱唱

 「夢づくり(“Working on a Dream” )」米国内ツアー中のブルース・スプリングスティーンが、「金髪のジェニー」や「峠の我が家」などの作曲者として、日本でも有名なステファン・フォスター(1826~64年)の「きびしい時代はもうやってこない」を熱唱している。

 ニューヨーク・タイムズで読み、ユーチューブでロス公演の模様を見た。

 ロジャー・ワーグナー合唱団のCDで聴いたものとはまた違う、雄叫びのような、すさまじい歌いぶりだった。

 ワーグナー合唱団のCDの解説では、1854年、フォスター、28歳の年に書かれた曲で、この年、イリノイ州では、リンカーンによる初めての奴隷制度反対演説が行われているという。

 ♪ 人生の喜びのなかで立ち止まり、流れた涙を数えようではないか
   われら皆、貧しき人々とともに悲しみの涙をのむ時
   耳に鳴り響いてやまない永遠の歌がある
   おお、きびしい時代は、もう来ない

 この歌は南北戦争でも敵味方を超えて、戦線の両側で歌われた歌だそう。

 ビデオで観る、ブルース・スプリングスティーンの熱唱には、苛酷な現実にめげない、アメリカの民衆の負けじ魂がこもっているようだ。

 ♪ 我が陋屋の扉の周りを、お前は何日も付き纏い続けたが
   おお、きびしい時代よ、お前はもう、来ない

        * * * * 

〔歌詞〕「きびしい時代はもうやってこない」 Hard Times Come Again No More
(Stephen Foster)

 (注: Tis とは It is のこと)

1. Let us pause in life's pleasures and count its many tears,
   While we all sup sorrow with the poor;
   There's a song that will linger forever in our ears;
   Oh Hard times come again no more.

Chorus:
   Tis the song, the sigh of the weary,
   Hard Times, hard times, come again no more
   Many days you have lingered around my cabin door;
   Oh hard times come again no more.

2. While we seek mirth and beauty and music light and gay,
   There are frail forms fainting at the door;
   Though their voices are silent, their pleading looks will say
   Oh hard times come again no more.

3. There's a pale drooping maiden who toils her life away,
   With a worn heart whose better days are o'er:
   Though her voice would be merry, 'tis sighing all the day,
   Oh hard times come again no more.

4. Tis a sigh that is wafted across the troubled wave,
   Tis a wail that is heard upon the shore
   Tis a dirge that is murmured around the lowly grave
   Oh hard times come again no more.

⇒ http://www.nytimes.com/2009/05/23/arts/music/23springsteen.html?hp 

  http://www.youtube.com/watch?v=5Jz5s-51-BA

Posted by 大沼安史 at 08:50 午後 | | トラックバック (0)

〔イラクから〕 グリーン上等兵 終身刑に 極限の状況での犯罪 同僚兵士が証言 評決に安堵した父

 イラクで民間人の一家4人(両親と娘2人)を虐殺した罪で、米国内で刑事訴追を受け、裁判にかけられていた

(本ブログ既報 ⇒ https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=57907964&blog_id=153575 )

スティーブン・グリーン元上等兵に対する陪審の評決が21日に言い渡された。

 グリーン元上等兵は死刑をまぬかれ、終身刑に服する。

 評決言い渡しの際、AP電によれば、父親がほっと息をついたそうだ。

 裁判で弁護団は14歳の長女に対するレイプを含む犯罪事実については争わず、グリーン元上等兵が置かれていたイラクの極限的な状況を強調、死刑回避に全力を挙げた。

 裁判では米兵が、元上等兵が直面した戦争の現実を証言した。
 

⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/americas/exsoldier-spared-death-sentence-for-iraq-murders-1689347.html

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2009-05-20

〔コラム 机の上の空〕 「再戦、御無用!」 「英霊」たちが教える「九条流」免許皆伝の極意  井上ひさしさんの『ムサシ』(台本)を読む

 文芸誌「すばる」5月号に、井上ひさしさんの新作戯曲、「ムサシ」の脚本が掲載されていた。
 埼玉の初演にも大阪での続演にも行けなかった私は、活字で芝居の流れを追い、机上のステージで評判の舞台を堪能した。

 素晴らしい劇だった。「武蔵」も「小次郎」もよかったけれど、何と言っても「亡霊九人」が――なかでも「舞阿弥」に扮した(?)「八幡宮の白拍子」が、「歴史的」とも言える……いや、日本の歴史を総括するような、最高のパフォーマンスを見せてくれた。

 「芝居」を観(読み)終わった余韻の中で、いつの間にか確信していた。鎌倉での、武蔵と小次郎の「再戦」を思いとどまらせた「亡霊九人」は、この国の歴史の中で無念の死を遂げた、無数の死者たちの代表選手たちに違いない、と。

 声なき声、姿なき姿の「亡霊」たちが、歴史の舞台に登場し、「武蔵VS小次郎」のリターンマッチに事寄せて、戦いの愚を、戦争の虚しさを、笑いの渦の中で、現代日本の私たちに教え諭してくれたのだ。

 死ではなく、生。戦ではなく、平和――すなわち日常のかけがえなさを、「亡霊九人」は、2009年の春舞台で、まるであの「第九」の合唱のように、口々に叫んだ。

 どんなに辛く、悲しく、淋しい一日でも、まばゆく、まぶしく輝いて見える、と。

 死んだ人間だからこそ、生きる素晴らしさがわかるというのは、ロジックでもなんでもなく、究極の真理である。そんな絶対的な定言が、極意の如く、舞台の上で示されたのだ。 

 ありがたいことである。なんまいだぶ、なんまいだぶ、なんまいだぶ……

 「生の歓喜」の肯定、「殺生」の否定の中で、「再戦」を踏みとどまらせた「ムサシ」の舞台の含意は、最早、明らかだろう。

 平和憲法を変えようとする動きがなおも執拗に続いている、2009年の「観客」である私たちにとって、「亡霊九人」とは、先の大戦の「英霊」たちの代表でもある。

 そして「亡霊九人」が「武蔵」と「小次郎」に伝えた、無用な殺生はやめる極意を、戦後日本において形になしたもの――それが、私たちの「九条」である。「英霊」たちが、その無念の死と引きかえに、私たちに贈ってくれた「九条」である。

 「亡霊九人」が消え、武蔵と小次郎が舞台から去って芝居は終わるが、幕が下りると同時に、私たちは最早、「観客」ではなくなる。
 私たちは、その瞬間、歴史の当事者になる。いや、「再戦」をやめさせる、歴史の主役にならねばならない。

 「ムサシ」の芝居のいよいよ決定的な場面で、「まい」こと「舞阿弥」の霊は、私たちの運命にもかかわる、大事な、大事な科白を吐く。

 「お二人が戦わないでくだされば、わたしたちの願いもかないます」――と。

 「まい」役は、白石加代子さん。
 この科白の一行に、彼女が込めた気合のようなものが、舞台を観てもいないのに、耳に響いてくるから、不思議である。

 空耳ついでに、余計なことをひとつ、付け加えさせていただこう。

 これは井上さんの脚本のどこにも書いていないことだが、ともに戦わずして勝ち、それぞれの人生を全うした武蔵と小次郎に、将軍家兵法指南、「柳生宗矩」に扮した「亡霊」の一人から、後日、二人に対し、新陰流あらため「九条流」、「無手勝の極意」の皆伝が授与されたそうである。

 また、これも脚本にないことだが、「まい」こと「舞阿弥」の名科白「お二人が戦わないでくだされば、私たちの願いもかないます」の「お二人」とは、もちろん、「私たち」のことだそうだ。

 さらには、「まい」ら「亡霊九人」組は、元和四年(1618年)の舞台から391年経った、ことし平成21年を生きる日本人全員分の「九条流」皆伝免許状を、すでに用意しており、いつでも手渡せる態勢にあるという。 

 さて、いま一度、「ムサシ」の脚本に戻れば、「舞阿弥」が「笹阿弥」(笹は笹かまぼこの笹)と名乗って猿楽を舞い、大好評を博した巡演の地は、井上ひさしさんが高校時代を過ごした、(今、私=大沼の住む)仙台である。
 
 井上さんの「青春の地」である仙台での「ムサシ」上演の早期実現を望む。

Posted by 大沼安史 at 08:43 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-19

〔いんさいど世界〕 「自分の真実を見つけるんだ。そしてソウルフルな人生を生きてくれ」 アメリカのソウル歌手、ジョン・レジェンドが母校、ペンステートの卒業式でスピーチ

 グラミー賞を受賞したアメリカのソウル歌手、ジョン・レジェンドさん(31歳)が17日、母校のペンシルバニア州立大学(ペンステート)の卒業式(学位授与式)で、「クラス・オブ・2009の」(2009年卒業組)の、人生の門出を祝うスピーチを行った。

 ジョン・レジェンドさんは名曲、「エブリバディー・ノウズ」などで知られる本格派の歌手だが、スピーチを聞いて、あの伝説のリフレーン、♪ One more try,try を聴いた時のように鳥肌が立った。

 ソウル歌手のソウルフルなスピーチのタイトルは、Finding Your Truth: Living a Soulful Life(「自分の真実を見つけるんだ。そしてソウルフルな人生を生きてくれ」)。

 10歳年下の同窓生への餞の演説は、虚言と欺瞞に充ちたアメリカの権力政治を厳しく非難。善悪二元論の思考停止から脱却し、自ら真実の探し求めながら、リアルでピュアなものを見出してゆく、ソウルフルな人生を送るように、と励ますものだった。

 ジョン・レジェンドさんはオハイオからペンステートへ出て来たばかりの頃を振り返り、当時の世界観を「善対悪、闇対光、天国対地獄、こちらの味方か、テロリストの味方か」という、「パーフェクトな二項対立」が用意された世界だった、と語り、このペンステートでの学生生活で、その呪縛から解放されるキッカケを掴んだ、と自らの精神の遍歴を明らかにした。

 呪縛を解く言葉は、たとえば黒人作家、トニ・モリソンの「何もかも振り払えば、風に乗れるかも」――だったという。

 単純明快、あれかこれかの二元論を超える道はどこにあるか?
 自らの経験を振り返るや否や、ジョン・レジェンドさんの演説は早速、核心に向かい、「国民として、世界として、ぼくらにはもっと真実が必要だ」と訴えかけた。

 何の「真実」か?

 みんなが自ら知らねばならないこと、それはたとえば「イラク戦争」の真実であり、「金融危機」の正体である、とジョン・レジェンドさんは言い切ったのだ。

 そしてその「真実」の追求を、「ソウル」の探求につなげて、人生を生きて行け、と。

 ♪「真実」を求めることも、「ソウル」を求めることも、同じだよな。
 (Searching for truth is in many ways the same as searching for your soul.)

 ♪「ソウル」って、まともなことだし、人生でリアル&ピュアなことを探すってことだろ。それって、ぼくたちのど真ん中にあることだよな。それ、やるために、この地球に生まれたんだよな。
 (Soul is about authenticity. Soul is about finding the things in your life that are real and pure. The things that are at your core. The things you know you were put on this earth to do.)

 まるでソウルを聴くような、シンプルな文句の連打が心を揺さぶる。

 演説の締め括りは、さらに凄かった。

 「真実はいつの日か、君を自由にしてくれるぜ」
 (The truth will set you free someday.)

 「2009年の卒業生諸君、君たちの“いつの日か”は今日、始まるんだ!」
 (Class of 2009, your someday begins today.)

 こういう先輩歌手がこういう演説をし、共感の叫び声をあげる大学の後輩たち……

 そう、それはもう、今や(間違いなく)レジェンド(伝説)と化した、と言っていい、稀に見る名演説だった!

⇒  http://www.johnlegend.com/us/news/%E2%80%9Cfinding-your-truth-living-soulful-life%E2%80%9D-john-legend-university-pennsylvania-commencement-speec

    http://www.youtube.com/user/johnlegend?blend=1&ob=4

Posted by 大沼安史 at 10:00 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 スーチー女史よ、「あなたは孤独ではない」 英首相が異例の連帯メッセージ

 英紙インディペンデント(電子版)によると、英国のブラウン首相は「ミャンマー」軍事政権によって訴追され、ヤンゴンの刑務所で裁判を受けている、ビルマ民主化運動指導者、スーチー女史に対して書簡を送り、「私はあなたに知ってほしい。あなたは孤独ではない」と励ました。

 ブラウン首相は「われわれは、あなたが自由で安全なビルマにおいて、当然の権利を行使できるようになるまで、手を拱いていてはならない」とも述べ、釈放に向け、全力を挙げる姿勢を示した。

 スーチー女史を刑務所に移管した「ミャンマー」軍事政権に対しては、ヨーロッパで制裁強化の動きが出ているが、このブラウン首相の書簡は、女史との連帯・共闘の姿勢を明確化した点できわめて異例のことだ。

 軍事政権に近い中国は静観の構えだが、英国の首相がこれだけ踏み込んだことをしているのだから、日本政府としても「遺憾・遺憾」とばかり言っていないで、軍事政権に対し、はっきりした警告を発すべきである。

  ブラウン首相は書簡の中で、軍事政権がこねあげた「ミャンマー」という新国家名ではなく、「ビルマ」と明記している。

 ビルマ民衆が求めているのは―ービルマの人々がスーチー女史に期待しているのは、「デモクラシーのビルマ」の実現である。

 戦時中の日本を再現するような、軍事独裁ファッショ政権の延命ではない。

⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/asia/brown-hails-suu-kyi-as-burmas-leader-1687195.html

Posted by 大沼安史 at 07:30 午後 | | トラックバック (0)

2009-05-18

〔NEWS〕 アメリカの市民よ、決起せよ! 歴史家のハワード・ジンが呼びかけ 「オバマは政治家 われわれは市民 われわれは彼を白紙委任したわけではない われわれ市民はヴィジョンを持ち、われわれの考えをオバマに告げなければならない」

 アメリカのリベラル派を代表する「プログレッシブ」誌(電子版)が、歴史家、ハワード・ジン氏の「オバマ論」を掲載した。

 拷問写真の開示撤回、軍事裁判の継続など、最近、「逆コース」が目立つオバマ大統領について、「アメリカの良心」というべきジン氏が率直な評価を下し、オバマをホワイトハウスに送り込んだリベラル派として今度、オバマに対してどんなスタンスを採るべきか、語ったものだ。

 この中でジン氏は、オバマはあくまでも「政治家」であり、「市民ではない」と指摘。「われわれ市民は彼に白紙委任状(白紙の小切手)を渡すのではなく、われわれ自身がヴィジョンを打ち出し、われわれの考えをオバマに告げなければならない」と述べ、オバマに政治軌道の修正を迫るため、市民運動を強化するよう呼びかけた。

 ハワード・ジン氏は「初めからオバマが好きだった」と告白する一方、2006年の上院予備選で、オバマが平和主義者の候補ではなく、タカ派のリーバーマンを支援したことを指摘し、「彼は政治家である」事実を見逃してはならないと強調した。
 
 ジン氏はさらに、オバマもまた歴代の大統領が党派を超えて陥った、「ナショナリズム」と「資本主義」の「二つの政治遺産」から逃れることができていないと語り、オバマに対して無条件に夢を託すのではなく、市民である「われわれこそが夢を抱き、まともな社会の実現を希求しなければならない」と訴えた。

 大統領ではなく、民衆の政治運動がアメリカを変えた(民衆の運動で、大統領が動いた)実例としてジン氏は、リンカーンの「奴隷解放」と、ルーズベルトの「ニューディール」のふたつの例を示し、「希望の光」はそこにある、と指摘した。

 ジン氏によれば、「ニューディール」政策では20万点もの芸術作品が制作され、そこで描かれた数千点もの「壁画」が今も残っているという。観劇料を格安にする政策もとられ、ふだん劇場にいけない人も演劇を楽しむことができたという。

 ジン氏はさらに、オバマが「軍事的使命感の思考様式」から脱していないと批判、「イラクからの撤退」公約を思い出させ、「オキナワだけで14もの米軍基地を置いている」現状を変えさせなければならない、と述べた。

 結びの言葉でジン氏は、アメリカ民衆の歴史を振り返り、「彼らはただ文句を言っているだけではなかった。彼らは働きかけ、活動し、組織し、必要なときには反乱さえした……それこそ今日、われわれがしなければならないことである」と述べ、アメリカの市民に対し決起を求めた。 

⇒  http://www.progressive.org/zinn0509.html

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2009-05-17

〔コラム 机の上の空〕  《不幸》から《愛》へ         『シモーヌ・ヴェイユの生涯』

 雨の日曜日、1冊の本を読んだ。
 仙台駅の東口、市立榴岡図書館から、土曜日に借り出した本だ。

 図書館の書架を眺めていて、目に飛び込んで来た。
 『シモーヌ・ヴェイユの生涯』(大木健著、新装版、勁草書房)。

 奥付で確かめると、やはりそうだった。
 初版は1964年、改訂版は1968年に出た、とある。
 学生の頃、本屋で買って、前の方を少し読みかじったような……記憶は、どうやら、ほんとうだった。 

 リセの哲学教師を1年間、休職、頭の割れるような慢性頭痛に苦しみながら、虚弱なからだに鞭打って、ルノーなどの工場で、労働者として働いたあと、スペイン市民戦争が始まるや否や、義勇兵として赴き、フランスに帰国後、アメリカに逃れ、最後は英国で亡くなった女性思想家の評伝。

 著者、大木健(たけし 東北大学教授、仏文、1990年に死去)氏の文章には、透徹した気品とでもいうべき趣があって、付箋を貼り付けるのも忘れ、いつの間にか、読み通してしまった。

 大木氏が描いた「シモーヌ・ヴェイユ」は、わたしが学生時代、単純に考えていた、エリートなのに、工場に身を投じ、工場労働の経験をもとに思索を続けた、「自己否定」のフランス人・インテリ女性……ではなかった。

 パリの高等師範学校を卒業して、リセの教師となったのは、1930年代の初め。経済恐慌、スペイン市民戦争、第二次世界大戦と続く、経済的・社会的な激動を生き抜き、苦闘の果てに、1943年、34歳の若さで短い生涯を閉じた人だった。行動し、思索し、師・アランの教えを守り、毎日、ノートに書き続けた人だった。

 いま、大木氏の評伝を読み終えて、救われたような気がしてならないのは、己の《不幸》の直視が《隣人愛》まで行く着き得る可能性を、ヴェイユの人生の軌跡が示していると、氏に教えていただいたからだ。

 大木氏はこう書いている。(〔 〕内は、大沼による注記)

  シモーヌ・ヴェイユが〔工場において〕その心身でとらえた《不幸》という現実、それと永遠に交わり続けるための《奴隷》という資格を身につけて把握した現実、しかもこの地上では全くかえりみられることなく、これを目標とすべき革命運動〔スペイン市民戦争〕までが無視し、忘れつくしている現実、これを認められなければ彼女が生きられなくなる現実、――この現実の有無を彼女は暗い夜々の中で問い続け、この現実を否定するものと妥協しなかったために、この苦悩を通して真実につながることができ、隣人を愛することが可能となった。《夢想》ではない真の《愛》を彼女は獲得した……(同書、195頁)

 大木氏が引用する彼女の自身の言葉で、つづめて言えば、こうなる。

   「私は、不幸というものを通して聖なる愛を愛することが可能であるとの理解を一層深めることができたのです」

 《不幸》をごまかしようのない絶対性として、身をもって苦しみ抜いた、その先に現れた《愛》、または《神》の絶対性……。

 大木氏によれば、生き急ぐように短い人生を終えた彼女は《死にそこなう》ことを恐れた人だったそうだが、34歳以降の人生を「生きそこない」はしたものの、死にそこなってはいない、と思う。

 「死にそこなわない」……40年前、学生時代に読みかじることしか出来なかった大木氏の本を、今、深い感動をもって読み終えることができたのは、わたしもまたこの言葉を、人生ホームストレッチの自戒の言葉として受けとめることができる年齢に達したからであろう。

 それもこれも大木健氏のおかげである。

 「シモーヌ・ヴェイユ」は―ーわたしが真剣に向き合いさえすれば、「リルケ」とともに、この先のわたしの、机上のガイドになってくれるかも知れない。

〔注〕 このブログは仙台の出版社「本の森」の編集部ブログの記事を転載したものです。

 ⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

Posted by 大沼安史 at 05:24 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-16

〔NEWS〕 初の「気象難民」は南太平洋・カルテレット島から 水没の危機 住民 ブーゲンビリア島への移住を開始

 遂に、地球温暖化による「気象難民」(Climate refugees)が出現――パプア・ニューギニアの東、南太平洋に浮かぶカルテレット諸島の住民が、海面上昇に伴う水没の危機の現実化の中で、近くのブーゲンビリア島に「移住」を開始したそうだ。

 英国のジャナーリスト、ジョージ・モンビオ氏が、「ガーディアン」紙に書いたコラムで知った。
 氏は氏で、ジョン・フリーマンという人物の通報で、この事実を知ったという。

 モンビオ氏が引用する「ソロモン・タイムズ」(電子版)の記事などによると、6日(5月)に、最初の5つの家族の家長が、南西80キロにあるブーゲンビリア島テインプツ地区に渡り、移住の準備を始めた。

 島(環礁)の最高地点は海抜1.7メートル(1.5メートルという説も)。
 
 春になると高潮が押し寄せて、野菜、果物を育てる農園を破壊するようになったそうだ。

 島の人口は、2600人。

 「全人口」が気象異変で、ふるさとを放棄し、移住を強いられるのは、史上初めて、という。

  

⇒   http://solomontimes.com/news.aspx?nwID=3964

     http://www.guardian.co.uk/environment/georgemonbiot/2009/may/07/monbiot-climate-change-evacuation
 
     http://en.wikipedia.org/wiki/Carteret_Islands

  〔地図〕http://en.wikipedia.org/wiki/File:Bvdistricts.svg

  〔CNN報道〕http://www.cnn.com/CNN/Programs/anderson.cooper.360/blog/2007/07/pacific-swallowing-remote-island-chain.html

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2009-05-15

〔コラム 机の上の空〕 「独裁」を脱ぎ捨てる時      1984 in 2009 in ミャンマー

 英紙ガーディアンに、作家、ジョージ・オーウェルが、最後の力を振り絞って『1984年』を書き上げ、力尽き果てて46歳で死亡するまでの経過を再現する記事が載っていた。

 それによると、前年、1945年3月、愛妻のエイリーンを失ったオーウェルが、「オブザーバー」紙の編集人、デイヴィッド・アスターの勧めで、アスターがスコットランドの孤島、ジュラ島に所有する別荘、「バーンヒル」へ、列車でロンドンから向かったのは、翌46年5月のことだった。

 「バーンヒル」は寝室4つに広々とした台所のある建物で、海を眺めることができた。電気もない、孤島のこの家で、オーウェルは最後の執筆活動に全力を挙げる。

 一時、『ヨーロッパ、最後の人間』というタイトルになりかけた世紀の傑作、『1984年』は、その一室で書き上げられた。

 結核を患う病身で、タイプを打ち続けるオーウェル。書き上げた原稿の3分の2を完全に書き直す(タイプし直す)、それはそれは苦しい執筆作業だったという。

 養子の息子らと海にボートで出て、溺れかかったことも。アメリカから届いた結核の新薬、ストレプトマイシンは最終的に効果を上げたが、健康を回復するには至らず、歩くこともできなくなったオーウェルは、自室にこもってタイプを打ち続けた。

 最終稿の完成は、死の1年2ヵ月前、1948年11月30日のことだったそうだ。

 ガーディアン紙の記事を読んで、ジョージ・オーウェルの作家としての凄みをあらためて感じた。
 1948年に書かれた「1984年」は、ソルジェニーツィンら生き証人の出現を予告し、現代における「フレンドリーなファシズム」の核心にあるものさえも、予言したのである。

 ジョージ・オーウェルが作家活動を始める前に、イギリス帝国主義の手先(警察官)を務めたのは、現在のミャンマー、1920年代の植民地、ビルマだった。

 そのミャンマーが今、2009年における「1984年」となっている。

 軍事独裁政権による全体主義が、南アジアのこの国を、戦時中の日本同様の苛烈さで、窒息させているのである。

 ラングーンの湖の畔に建つ自宅で軟禁生活を強いられる、ビルマ民主主義のシンボル、スーチー女史のもとに先日、若いアメリカ人が湖を泳いで辿り着き、数日、滞在したあと、再び湖を泳いで渡ったことがあったらしく、スーチーさんは「外国人」をかくまった疑いで身柄を拘束されたという。

 湖を泳いで会いに来た、遠来の客を泊めただけで、それが罪になり、逮捕されてしまう、ミャンマーという国!

 そこは独裁者の軍人らが「ビッグブラザー」として君臨する、「自由が奴隷化された」国なのだ。

 つまり、オーウェルは1948年においてすでに、2009年における「ビルマの1984年」を予見していたことになる。

 新首都、ネピトーに群れる肥満した将軍たちは、さしずめ、ミャンマー版『動物農場』の支配者であろう。

 オーウェルの『1984年』の最初の方に、主人公、ウィンストン・スミスが繰り返し見る「夢」の描写が出て来る。

 
   黒髪のその少女は原っぱを彼の方に歩いて来た。まるで一振りで着衣を破くと、汚ら しげに、横へ放り投げた。彼女の裸身は白く、滑らかだった。しかし、彼に何の欲望も起きず、ただただ彼女を眺めるだけ。その時、彼を圧倒したもの、それは少女が着衣を放り投げるその動作だった……

 このくだりを読んだ時、この少女とはスーチー女史のことではないか、と一瞬、錯覚を覚えたほどだ。

 抑圧の着衣を脱ぎ捨てるのは、ウィンストン・スミスの夢であり、オーウェルの夢であり、スーチー女史の夢であり、ビルマ民衆の夢であるだろう。

 スーチー女史の即時釈放を要求し、「夢」が、この2009年に実現することを切に願う。

⇒ http://www.guardian.co.uk/books/2009/may/10/1984-george-orwell

Posted by 大沼安史 at 06:54 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-05-14

〔イラクから〕 「私は一人の人間。二人にはなれない」……拷問に抗議し、自殺した通訳兵、アリッサ・ピーターソンさんを悼む

 グアンタナモでの「水責め」拷問が問題視される中、イラクで「囚人」の尋問補助に当たっていた米陸軍の女性通訳兵、アリッサ・ピーターソンさんが尋問テクニックに抗議し、自殺(2003年9月、当時、27歳)した悲劇が明るみに出、関心が集まっている。

 敬虔なモルモン教徒だった彼女はなぜ、自殺しなければならなかたのか?

 米英の報道によると、アラビア語の通訳として訓練を受けたアリッサさんは、イラク北部のタール・アファール米空軍基地に、陸軍第101空挺師団の情報部門のスタッフとして2003年8月、配置についた。

 アリッサさんの任務は、尋問の通訳。
 尋問は基地内の、通称「檻」(ケージ)の中で、夜間、行われ、アリッサさんは2度目の任務を終えたところで、通訳を拒否。基地の検問所勤務に回された。

 そして、自分のライフル銃で自殺。
 同年年9月15日のことだった。イラクで任務に就いてから3週間しか経っていなかった。

 現地米軍の発表は、「非戦闘中の銃の暴発」だった。それが、どうして「自殺」と分かったか?

 それは、アリッサの出身地、アリゾナ州のひとりの地方ジャーナリスト、ケヴィン・エリストンさん(新聞&ラジオの記者)の粘り強い取材の成果だった。

 アリッサさんの死に疑問を抱いたケヴィンさんは米軍当局に「何百回も」電話で問い合わせたが、埒が明かず、情報自由法を使って、軍の調査記録の公開を求めた。

 入手した文書に驚くべき記載があった。

 「ピーターソン(アリッサさん)は囚人に対する尋問方法に反対した。ケージの部隊でたった2晩、任務に就いただけで、参加を拒否した。部隊の陸軍スポークスマンはアリッサが反対した尋問テクニックがどんなものだったか、説明を拒否している。それらのテクニックを記録したものは今や、すべて破壊されている」

 軍の調査記録には、さらに驚くべき箇所があった。

 囚人に対して「同情」して「叱責」を受けた彼女は、こう語ったという。

 「私は(一人の人間だから)二人にどうしたらなれるか、分からない……ケージの中と鉄条網の外で別々の人間にはなれない」

 軍の調査記録にはまた、アリッサさんが日記をつけていたと記載されていたが、公開された文書には日記の記述が消されていた。

 アリッサさんの死は銃の暴発ではなかったのだ。尋問方法に抗議しての自死……。
 その事実をケヴィンさんは、アリッサさんの自殺から3年後の2006年秋に、白日の下に引き出して見せた。

 アリッサさんは、敬虔なモルモン教徒。その彼女が自殺に追い込まれたのは、よほどのことがあったのだろう

 では、イラク国内において、米軍はどんな尋問方法を採っていたか?

 北部の都市、モスルで同じ任務にあたっていた女性通訳兵のカイラ・ウイリアムズさんは、CNNに対してこう証言しているという。

 「火のついたタバコで焼かれていた。目隠しした囚人を集めて裸にし、目隠しをとらせて辱めることもしていた」と。

 尋問というより拷問。もしかしたら、グアンタナモのような、「水責め」もあったかも知れない。

 オバマ政権は先にグアンタナモの「水責め拷問」の事実を公式に認めてみせたが、イラク国内が「グアンタナモ化」していた可能性は高い、と言わねばならない。

 写真で見る、軍服姿のアリッサさんは、やさしい目で微笑んでいる。
 
 彼女を悼み、イラク戦争を――戦争という残虐行為を憎む。 

⇒  http://www.democracynow.org/2006/11/7/soldier_killed_herself_after_objecting_to

    http://www.azcentral.com/members/Blog/EJMontini/52699

    http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/us-interpreter-who-witnessed-torture-in-iraq-shot-herself-with-service-rifle-1674399.html

    http://www.huffingtonpost.com/greg-mitchell/us-soldier-killed-herself_b_190517.html

    http://www.huffingtonpost.com/greg-mitchell/patt-ii-soldier-who-kille_b_191148.html

    http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/torture-it-probably-killed-more-americans-than-911-1674396.html

Posted by 大沼安史 at 07:31 午後 | | トラックバック (0)

2009-05-12

〔NEWS〕 「イワン雷帝」再拘留でドイツへ送還 ユダヤ人29万人を殺害 

 戦時中、ポーランド東部のソビボル絶滅収容所の看守としてユダヤ人29万人の殺害に関与したとされるイワン・デムヤンユク容疑者(89歳)が11日、米国オハイオ州から、ドイツのミュンヘンに送還された。
 ニューヨーク・タイムズなどが報じた。

 同容疑者は「イワン雷帝」として恐れらていた人物で、23年前、いったんイスラエルで裁判にかけられ、死刑を求刑されたが、同容疑者に有利な新証拠が現れ、身柄の拘束を解かれ、米国に帰っていた。

 ドイツの検察当局は、今度こそ、訴追するに足る十分な証拠が揃っていると自信を深めている。
  
 デムヤンユク容疑者は高齢で病気を抱えており、裁判になったとしても、尋問に耐えれるかどうかは不明。

               *  *

 「アジア戦争記録文学邦訳プロジェクト」を提案する

 「イワン雷帝」に対する今回の再拘留は、ニュルンベルク裁判以来続いて来たナチス戦犯に対する追及の最終章の幕開けである。

 戦後64年、89歳のナチス戦犯を、法の裁きの下に立たせようとする、ドイツという国……。

 同じ「元ファシズム国家」なのに、日本とはずいぶん違うものだ。

 岸信介のような「A級戦犯」が生き延び、「総理大臣」となって自ら恥じることのない国だから、その孫が調子に乗って、この国は「美しい国」だ、「従軍慰安婦は客観的な事実でない」などと抜かすのも当然である。 

 ニューヨーク・タイムズで「イワン雷帝」のニュースを知り、ミュンヘンの「南ドイツ新聞」のサイトに入ったら、タイムズ紙以上の、力のこもった報道ぶりだった。電子版の本記には「ビデオ」クリップまでついている。

 そこまでやる……なんたる違い!

 ドイツではエリ・ヴィーゼルやプリモ・レヴィら絶滅収容所経験のあるユダヤ人たちの記録文学がドイツ語訳で出版されている。
 
 同様に、われわれ日本人が日本語訳で読まねばならない、中国、朝鮮半島などの文献で、未訳のものは、ドイツ以上に多いはずだ。

 生存する当事者がほとんどいなくなった現在、日本政府としてできることは――少なくともそのひとつは、遅まきながら、中国など、侵略された側に残る、記録文学など「歴史の証言」の邦訳作業だろう。

 過去を直視する「アジア戦争記録文学邦訳プロジェクト」を提案する。  

⇒  http://www.nytimes.com/2009/05/13/world/europe/13german.html?hp

     http://www.sueddeutsche.de/,tt4m1/politik/604/468171/text/

Posted by 大沼安史 at 09:52 午後 | | トラックバック (4)

2009-05-11

〔コラム 机の上の空〕 忌野清志郎さんの歌がきこえる

 昼前、自転車に本を積んで納品に行った。
 いい天気、気温もほどほど。

 自転車を漕いでいるうち、気分がなぜか高揚し、青信号に向かって「まくり」を決めた。

  と、忌野清志郎さんの、あの歌が鳴り出し、心の中で一緒に歌い始めた。

   ♪ Oh 何度でも 夢を見せてやる
    Oh この世界が 平和だったころの

 忌野さんの歌で一番何が好きか挙げろと言われたら、ぼくは「激しい雨」だと答える。
 「トランジスタラジオ」や「雨あがりの夜空」ももちろん大好きだが、なんといっても「激しい雨」。

 曲もいい。詩も素晴らしい。

 とくに、
 
   ♪ お前は覚えているかい
    世界がここにあるのを

 世界はここにある……凄い! こんな凄いことを、忌野清志郎さんは全身で歌って、教えてくれたのだ。歌い遺してくれたのだ。

   ♪ Oh 何度でも 夢を見せてやる ……と。

 後期の代表作と言われる「激しい雨」を出した時、忌野清志郎さんは、忍び寄る死を覚悟していたような気がする。
 だから、こう続けたのだ。

   ♪ RCサクセッションがきこえる
    RCサクセッションが流れてる

 な、お前ら、聞こえるだろ。流れてるだろ。
 そこに世界がある。平和だったころの。
 これから何度でも夢を見せてやるぜ。

 
 忌野清志郎さんとは2つ違いの同世代。

 80年代から90年代にかけ、ぼくは「会社員・新聞記者」として「個人と組織」、「社会と会社」の相克に苦しみ、まさに忌野さんの歌う、あの「サラリーマンのドラマ」を演じて、のたうち回っていた。
 
 この4月、「アラカン」として仙台に帰郷、忌野さんの愛車の、おそらくは100分の1以下の値段の「宮田」のママチャリ(それでも25000円くらい、した。新車です)を買い込み、仕事場(ボランティア先)の「本の森」に通い出した。

 そして、あの、突然の訃報!
 
 悲しいというより、悔しくて仕方なかった。
 悔しさは怒りとなって、いまも胸の中でくすぶっている。

 あの、ロックでぶちかました、発売中止の「君が代」、ヘルメットに黒メガネ姿で、「何いってんだ、ざけんじゃねえ……放射能なんかいらねえ」と、ヒロシマで歌った「ラブ・ミー・テンダー」……

 くそっ、チクショウ、こんな骨のある、天才ミュージシャンが、何で58で死ななくちゃならないんだ、と叫びたいくらいだ。

 
 「忌野清志郎」は芸名。「今わの際、しよう」のもじりではないか、と勝手に思っている。
  日々、これ、今わ。今生の別れを常に覚悟し、懸命に何事かをなせ、とのメッセージではないかと。

 ママチャリの前のカゴには、本が15冊ほど。書店から注文が来た本だ。ハンドルがけっこう重い。

 納品書に判子をもらい、軽くなったペダルを踏んで帰路に就く。

 元気を出して、心の中で歌う。

   ♪ RCサクセッションがきこえる
    RCサクセッションが流れてる

 くそっ、チクショウ、ざけんじゃねえぞ!
 

(注) このコラムは、小生がボランティア編集長をつとめる、仙台の市民出版社「本の森」の編集部ブログ「一番町日記」に加筆、転載したものです。

⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

Posted by 大沼安史 at 09:33 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-10

〔NEWS〕 元カミカゼ(特攻隊員) Seimei (生命)の画家 吉田堅治氏 パリに死す 英紙が追悼記事

 英紙インディペンデントとガーディアンの死亡記事で、パリ・モンパルナスのアトリエを拠点に、「生命 Seimei」の絵を描き続けていた日本人画家、吉田堅治氏のことを初めて知った。

 死亡記事で吉田氏のことを初めて知るとは……これはもうわが不明を恥じるほかない。

 お亡くなりになったのは、ことし2月24日。84歳だったそうだ。
 
 その死を遅ればせながら聞いた、インディペンデントとガーディアンの美術記者が、それぞれ長文の追悼記事を載せた。
 
 吉田堅治氏は、なぜか日本で、個展を一度も開かなかった人だが、英国ではロンドンの「オクトーバー・ギャラリー」や大英博物館(美術館)の「個展」開催を求めるなど、評価が高かった。

 追悼文を書いた記者たちは、吉田堅治氏の絵に心を動かされた人たちだ。両紙の記事を読んで分かった。

 両紙の記事によれば、吉田氏は大阪・池田の生まれ。美術学校の教師見習いをしていた1943年、帝国海軍に召集され、カミカゼのパイロットとなった。

 敗戦が若い画家の「生命」を救ったわけだが、恩師のフクドメ・マサル氏(平和主義者で戦時中、獄死)から「銃ととるのでなく絵筆を持て」と教えられたことを忘れず、戦後一貫して、「生命」の尊さを描き続けて来た。

 パリに出たのは、1964年。恩師と同窓生の生命を奪った「東・西」二つの伝統の敵対を超える、和解による融合を、絵画的に表現しようとして、モンパルナスのアトリエで仕事を始めた。

 作品には、全て「生命 Seimei」と名づけた。エジプトやメキシコなどに足をのばすなど、世界の舞台に絵を描き続けたが、描くテーマは、ひとつ――「生命 Seimei」だった。

 日本の画壇、美術ジャーナリズムからは無視されたが、1993年には大英博物館の求めで個展を開いた。皮肉にも、同博物館の「日本ギャラリー」のオープン記念だった。

 2007年には「オクトーバー・ギャラリー」で、「Inochi To Heiwa」というタイトルの個展を開いた。

 その展示作品を、下記の同ギャラリーの「サイト」で見て、

 「見る者を、敬虔な沈黙、あるいは涙に誘う」

 と書いた、ガーディアン紙記者の批評を納得できる気がした。

 神戸とパリを行ったり来たりして仕事をしている、画家の松野真理さんのブログに、亡くなる少し前の、吉田堅治氏の写真が載っていた。

 「パリの孤独」に耐え、絵筆一筋に生きて来た人の、生涯を終える直前の、食卓でのスナップ写真だった。

 「生命 Seimei(あるいはInochi)」を描き続け、遂には「平和 Heiwa」〈に(To)〉繋ぎ切った吉田堅治氏の画業は、日本でも広く、知られるべきであろう。 

⇒  http://www.independent.co.uk/news/obituaries/kenji-yoshida-artist-whose-work-was-shaped-by-his-wartime-experiences-1681851.html

  http://www.guardian.co.uk/world/2009/mar/16/kenji-yoshida-obituary

  〈松野真理さんのブログ〉 http://d.hatena.ne.jp/marimatsuno/20090119

  〈ロンドンのオクトーバー・ギャラリー〉         http://www.octobergallery.co.uk/artists/yoshida/index.shtml

Posted by 大沼安史 at 09:26 午後 | | トラックバック (0)

2009-05-09

〔いんさいど世界〕 映画 「南京!南京!」、中国で制作・上映 「南京虐殺」を映像化 監督がBBCのインタビューで「日本人も人間である」と発言 

 「南京虐殺」事件を描いた中国映画、「南京!南京!」(英語名は、City of Life and Death、「生と死の街」)が、中国各地で上映され、反響を呼んでいるそうだ。

 英国BBCが報じた。
 
 監督は陸川(ルー・チュアン)氏(38歳)。白黒映画で、日本人の俳優も出演している。

 中国国内で反響を呼んでいるのは、中国側に「同情的な日本兵」(最終的に自殺する)が登場するなど、客観的な視点が採用されているからだ。

 このため、ルー監督のもとには、映画を観た中国人から「死の脅迫状」が届くなど、反発も出ているという。

 この点についてルー監督は、BBCのインタビューで、

 「この映画は南京虐殺を扱った他の映画と違う。この映画は日本人の目で戦争を見つめようとしたものだ」

 「日本人も人間であって、獣ではない。このことを中国の人々に知らせることは非常に重要だ」

 ――と語った。

 日本での公開も予定されているが、ルー監督はBBCに対し、ふつうの日本人になぜ中国人がなお彼らを憎んでいるか見てもらいたい、と語っている。

〔大沼 注〕

 日中新時代は、歴史の過去を直視する未来志向のものでなければならない。

 映画「南京!南京!」の日本公開の実現と、それを契機として民衆レベルにおける相互理解、信頼関係の構築が本格的に始まることを望む。

 またぞろ、「日中和解」にブレーキをかけようとする(「親日」の仮面をかぶった親方?)「外国勢力」が、日本の自称「右翼」「愛国者」たちを使って、「南京虐殺はなかった! 反中キャンペーン」に乗り出す恐れ、なきにしもあらずだが、ルー監督の考えに習えば、われわれ日本人もまた、そろそろ「中国人の目」で「南京虐殺」事件を見るべきときだろう。

 この映画が「日中」の隔たりに架橋するものになることを切に祈る。  
 

⇒  http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8039832.stm

  http://twitchfilm.net/site/view/full-trailer-for-lu-chuans-nanking-massacre-film-city-of-life-and-death/

  http://www.recordchina.co.jp/group/g31189.html

  

Posted by 大沼安史 at 08:35 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2009-05-08

〔イラクから〕 戦争犯罪者 グリーン上等兵  20歳の若者がイラクで民家に押し入り、14歳の少女を暴行 5歳の妹を含む家族4人を殺すまで

 米ケンタッキー州パディカの連邦地区裁判所は7日、元米陸軍兵士(上等兵)、スティーブン・グリーン被告を有罪と認定。12人の陪審が11日、死刑を含む量刑判断を行うことになった。

 グリーン元上等兵は、24歳になったばかりの若者。被告弁護士は「認定事実は争わない。死刑回避に全力を挙げる」としている。

 若者はどんな「罪」を犯して、裁判にかけられたか?

 グリーン元上等兵の「犯罪」は2006年3月12日、イラクの首都、バグダッドの南32キロ、マムーディヤの町で行われた。

 当時、20歳と10ヵ月のグリーン上等兵は、同じブラヴォー中隊に属する仲間4人とともに、夜、黒装束に着替え、民家に侵入。

 グリーン上等兵は民間人であるその家の主人と妻、14歳と5歳の娘の計4人を銃殺。14歳の長女に対しては、殺害する前、暴行を加えた。

 上等兵はことし4月に精神的なトラブルで除隊になり、その後、イラクでの犯行が発覚、訴追され、裁判を受けていた。

 スティーブン・グリーンとはどんな若者だったのか?

 ニューヨーク・タイムズ紙の、イラクで犯罪を犯すまでの軌跡を辿る記事を読むと、苦しい少年時代を送った若者であることが分かる。

 両親の離婚、母親との不和、高校中退、ドラッグとアルコール、無職……

 そんな若者が陸軍のリクルートに応募したのは、2005年2月、19歳のとき。刑務所を出て、数日後のことだった。

 陸軍のチャペルで洗礼を受け、イラクの戦場に。
 ブラヴォー中隊が展開したバグダッド南部地区は激戦地で、4ヵ月の間に8人の戦死者が出た。狙撃されたり、路肩爆弾に殺られたり。同じ中隊かはハッキリしないが、拉致され(おそらくは首を)切断される同僚もいたそうだ。

 なぜ、グリーン上等兵がイラクの民間人一家を殺したか、動機はいまひとつ、ハッキリしない。しかし、家に押し入り、銃を発射、少女をレイプしたことは事実だ。

 しかし、それが復讐心であれ、恐怖心の裏返しであれ、正気の沙汰ではなかったことは疑い得ないことだ。

 グリーン上等兵は、してはならないことをしてしまった。

 でも、だからといって、今回の事件を、家庭的な問題、非行歴を抱えた若者が罪もない家族を強姦・殺害しただけのこと、ふつうの殺人事件と変わりないから、他の殺人者同様、連邦裁判所において連邦法に則り、裁けばいいだけのことだ……といった視点で見てはならない。

 グリーン上等兵は、れっきとした「戦争犯罪者」なのである。
 イラク戦争という「戦争」の中で行われた「戦争犯罪」として裁かれなければならない。

 本来なら、イラクの現地において、イラク側のイニシアチブで、裁かれなければならないことなのだ。
 
 ブッシュやラムズフェルドらを証人席に立たせて行うべき、「戦争裁判」で裁かれるべきことなのだ。

 「A級戦犯」を見逃し、下位の兵士(あるいは指揮官)「個人」に責めを負わせるだけでは済まない。 

⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/americas/us-exsoldier-convicted-of-iraq-rape-and-killings-1681208.html

  http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/05/08/AR2009050800377.html

   http://www.nytimes.com/2006/07/14/us/14private.html?_r=1&sq=Steven%20Dale%20Green%20&st=cse&scp=1&pagewanted=all

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〔コラム 机の上の空〕 アジアに響け、平和の鐘 円仁の中国旅行記を読む

 慈覚大師・円仁(794~864年)は、山寺(山形市)の立石(りっしゃく)寺、松島の瑞巌寺の開祖である。仙台の東西、山と海に名刹を開いた天台の高僧である。

 4月14日、山寺の立石寺で、大師の誕生祭が開かれ、「世界平和の鐘」が撞かれた。地元の新聞報道(山形新聞 ⇒ http://yamagata-np.jp/news/200904/14/kj_2009041400227.php )によれば、今回初めて、中国と韓国から参加者があった。僧侶や研究者だったという。

 なぜ、遠くわざわざ、中国や韓国から参列者があったか?

 それは円仁という日本人僧と中国人、朝鮮人の交流という史実による。円仁が遣唐使の船で中国に渡り、仏教の奥義を学ぶことができたのも、当時の唐の人々(僧ら)、新羅の人々(通訳ら)の手助けがあってのことだ。

 そんな円仁という人に興味を持ち、東洋文庫(平凡社)に収められた、円仁著『入唐(にっとう)求法巡礼行記』(ⅠとⅡ、全2巻)を読み出した。

 円仁が博多を出発、遂には10年に及ぶ旅を始めたのは、838年(承和5年)。円仁、46歳の初夏のことだった。

 1300年近い、時間の経過の後に読む、9世紀前半の中国旅行記は、驚きの連続で、読み飽きることを知らないが、上巻(Ⅰ)の「12月8日」の記述で、目が釘付けになった。

   新羅人王請来たって相看る。是本国弘仁十年〔八一九〕に出州国〔出羽(でわ)国〕に漂着する唐人張覚済等  と同船の人なり(後略)……

 円仁は渡海・入唐したその年、揚州(上海の近く)で足止めを食っていたその時、出羽、つまりいまの山形・秋田に船で流れ着いたことのある新羅人(朝鮮人)と会っているのだ。その新羅人王請は、「諸物を交易する」商人。「頗(すこぶ)る本国語(日本語)を解す」人だったそうだ。

 「本国」を、出羽の国を知る朝鮮人貿易者と、中国・揚州の寺で、日本語で語り合う円仁……その姿を想像すると、これが機縁となって、羽前(出羽国の南部)に、立石寺を開いたのかも、と思いたくもなる。

 が、『行記』のこのくだりを読んで――いや、遣唐使の通訳は新羅人だったといった『行記』のほかの部分も併せ読んで思うのは、当時の極東アジアの国際性――というより、各国人間の「交流」の気安さと「風通し」のよさである。

 当時の中国・朝鮮・日本を囲む海には、「国境」の壁はなかった。だからこそ、円仁は中国僧や新羅人と交流でき、それが歳月を超えて語り継がれて、21世紀、2009年のこの春の、立石寺での「顔合わせ」につながったのである。

 これはほんとうに凄いこと。
 こうしたつながりこそ、私たちは大切にしなければならない。

 円仁の『入唐求法巡礼行記』は、日本による朝鮮支配、中国侵略という20世紀の悲劇を、極東アジアの歴史的な原郷からとらえ返し、それを乗り越えてゆく視点を与えてくれる、なおも新鮮な旅行記である。

 円仁の日記を読み進むその先にあるのは、円仁の求法の足跡の先になければならないのは、各国の寺の鐘が鳴り響く「平和と友好のアジア」である。

〔注〕 このブログは仙台の出版社「本の森」の編集部ブログの記事を転載したものです。

 ⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/
 

 

Posted by 大沼安史 at 02:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-07

〔コラム 机の上の空〕  ピート・さん 90歳記念コンサート

 米国の反戦放送局「デモクラシーNOW」のキャスター、エイミー・グッドマンさんが書いたコラムで、アメリカ草の根フォークの最長老、ピート・さんの「祝90歳」記念コンサートが3日の日曜日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開かれたことを知った。

 5月3日はピート・さん(1919年生まれ)の誕生日。フォークじいさん(?)の「卒寿」を祝う誕生記念コンサイートは、気楽なガーデン・パーティーのような雰囲気で、なんと1万8000人ものファンが詰めかけたそうだ。

 コラムの中で、ピート・さんのこれまでの人生を、エイミー・グッドマンさんは、こんなふうに要約してみせた。

 「この伝説のフォーク歌手は、20世紀における、労働者の権利、公民権、環境と平和を求めて続いた、草の根の闘争を標す生きた歴史である」

 コンサートでは、「ボス」こと、ブルース・スプリングスティーンさんが、一緒にワシントンのステージに立ったオバマ就任式の日のことを、こう語った。

 「その日(就任式の日)、みんなで“This Land is Your Land”を歌った時、俺、ピートの方を見たんだ。そしたら、最初の黒人大統領(オバマのこと)が、ピートの右に座っているじゃないか。俺はね、その時、思ったんだ。ピートは信じられないような旅をして来たんだな、ってね……あの日、ピートは、ほんとうに幸せだったと思う。ピートよ、あんた、あのクズ野郎(バスタード)どもがくたばったあとも、長生きしているよな。な、そうだろ、ザマミロだよな」

 エイミー・グッドマンさんはコラムの中で、“This Land is Your Land”に元々、含まれていた、あまり知られていない「幻の一節」を、「記録に残すために」紹介してもいた。

  "In the squares of the city, under shadow of the steeple,       
   at the relief office, I saw my people.         
     As they stood there hungry, I stood there whistling,         
     this land was made for you and me.

      街の広場の教会の尖塔の影
    その救民事務所で ぼくは同胞を見た
    飢えながら立ち続ける姿を ぼくはそこで口笛を吹き続けたのさ
    この国は君とぼくのためにつくられものだよね  

     A great high wall there tried to stop me.         
     A great big sign there said private property,         
     but on the other side it didn't say nothing.         
     That side was made for you and me."

    大きな壁が高く聳えてさ ぼくを押しとどめようとするんだ
       大きな看板がそこにあって 私有財産だと言っていた
       でも看板の裏側には 何にも書いてない
       この裏側は君とぼくのためにつくられたものだよね

 歌詞のこの部分が、よく「放送禁止」になったのは、貧困と富の簒奪を告発するものだったからだそうだ。

 もう、ひとつ、エイミー・グッドマンさんのコラムで教えられたのは、ピート・さんの“Waist deep in the Big Muddy”という歌が、いったんテレビ局の検閲で「削除」されながら、ショーのホストたちの粘りで「放映」された、というエピソードである。

 1967年~68年の出来事。「泥沼に腰までつかる」とはもちろん、ベトナム戦争のメタファーである。

 エイミー・グッドマンさんは、コラムをこんなふうに結んでいた。

 「真実に権力を、と歌い続けて70年、その声は今や弱くなっていたが……(その声に応えて)18000人の(歌)声が湧き上がった。これこそ、ピート伝説である、私たちはそれを引き継いでいかなければならない」

 そう、それがどの国であれ、「この国はわれらの国」、クズ野郎=権力者どもの国ではない。

 「この国はわれらの国」……これはアメリカだけでなく、この日本でも歌われるべき、真実の歌である。  
 

⇒ http://www.truthdig.com/report/item/20090505_pete_seeger_carries_us_on/

  http://www.youtube.com/watch?v=3YlLtmMV8zs

    http://www.woodyguthrie.org/Lyrics/This_Land.htm

  http://www.youtube.com/watch?v=uXnJVkEX8O4

    http://history.sandiego.edu/gen/snd/waistdeep.html
  

Posted by 大沼安史 at 07:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-05-06

〔いんさいど世界〕 ゴールをゲットだ! 人生でも! ニューヨーク ホームレス・サッカー・チームが大活躍

 ホームレスたちのサッカー・チームが、ニューヨークで大活躍しているそうだ。
 ニューヨーク・タイムズが報じた。

 不況の直撃にも負けず、キックバックして自立の道を探る、プレーヤーたち。
 彼らにとって、チームとはホームであり、ピッチはまさに人生の夢を甦らす「フィールド・オブ・ドリームズ」であるのだろう。

 電子版の記事は、ビデオ付き。見て、読んで、ブログに書かずにはおれなくなった。

 レンガ色のユニフォーム、セコハン(お古)シューズ姿の「ストリート・サッカー・NY(ニューヨーク)」の面々が、4月28日、「チェルシー・ピアーズ」という室内サッカー競技場で対戦した相手は、カナダの「ロイヤル銀行」チーム、「ガナーズ」だった。

 真新しいユニホーム姿のバンカー・チームは、学位(デグリー)持ちのエリート。
 バンカーとホームレスの対戦は、まさに金融不況の加害者と被害者、リッチ対無一文、マンション対ストリート(路上)との対決。現代を一枚の縮図として見せるゲームとなった。

 結果は、10対4で――ホームレスの勝ち。ホームレス・チーム(ビデオで見ると、全員が黒人のようだ)が、余裕のバンカー(銀行家)チームを破ったのだ。

 「ストリート・サッカー・NY」の本拠は、マンハッタン島に沿って流れる「イースト・リバー」の中島、「ワーズ島」のホームレス・シェルター。

 昨年秋、ノースカロライナからニューヨークに引っ越して来た、ローレンス・カンさん(白人、31歳)という元学生サッカーのスター選手が、シェルター内の、埃だらけの体育館を練習場に、チームづくりに取りかかった。

 サッカーなどしたこともないホームレスたちが集まったが、最初の練習で大半が脱落、2回目の練習に顔を出したのは6人だけだった。

 英語も満足に話せない移民ホームレスが中心で、お互い、名前も知らない状態。パスを出す時、相手を名前で呼ぶところから始めたそうだ。

 ナイキ社からジャージーの寄付を受けるなどして練習を続けるうちに、サッカー以外の面でも進歩の兆しが現れた。ケースワーカーに会うのを拒否していたメンバーが話し合いをするようになり、ほかにシェルターを出て家族のもとに帰る者も現れた。

 チームのセンターバックを務めるクリスさんは25歳。まだ、シェルターをねぐらにしているが、デパートのカフェで働き始めた。そのクリスさんの弁が、なかなかいい。

 「(サッカーとして)ノーマルなところに戻ったと言うつもりはないけど、自分を取り戻したような気がする」

 みんなサッカー通じ、自分と自信を掴んでいるのだ。クリスさんらにとって、サッカーは「自分の足で立つための道具」になっている……。

 バンカー・チームの「ガナーズ」に勝つまでは、負けてばかりだった。

 待望の初勝利は「流れるようなパス」で勝ち取ったもの。その見事なチームプレーぶりに、隣のフィールドから観戦していた人の中から、感嘆の声が上がった。

 「パスの出し方さえ知らなかったんだ。お互いを信じることができないところから始めたんだ」と、監督のカンさん。

 信頼のパスワークはピッチの上に限らず、ホームレス・プレーヤー一人ひとりが自立を目指す面でも、大きな支えとなるものだろう。

 タイムズ紙の記事によれば、アメリカでは2005年に、「ストリート・サッカーUSA」という競技団体が発足、現在、ニューヨークを含む16都市でチームが活動しているそうだ。

 また、ホームレスのサッカーはアメリカに限ったことではなく、世界各国に広がっており、ことし9月には「ホームレス・ワールド・カップ」がイタリアのミラノで開かれるそう。(日本からも出場するチームがあるのかしら……)

 ストリートから巻き返し、人生のゴールを決めようとするホームレス・プレーヤーたちに、みんなで熱い声援を贈ろう!

⇒  http://www.nytimes.com/2009/05/03/nyregion/03homeless.html?_r=6&hp

Posted by 大沼安史 at 05:17 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2009-05-04

〔コラム 机の上の空〕 辻邦生さんに教えてもらったリルケ

 坂を一人で下りて来たのは、作家の辻邦生さんだった。明るい色(ベージュ色だったろうか?)のブレザー姿で、陽射しを連れ歩いているような、まばゆいお姿だった。
 こちらは二人連れ。細い坂道なもので、視線を交わし、軽く会釈をして、おそばを通り過ぎた。

 妻と一緒に、横浜の「港の見える丘公園」の大仏次郎文学館を訪ねたときのこと。20年以上、前、東京で新聞記者をしていた時のことだ。

 私は駆け出し記者だった20代に、辻邦生さんの小説を熱読した。長編の『春の戴冠』『背教者ユリアヌス』。片端から読んだ。

 辻邦生さんの文体に、既定のものを、決まりきったものを粉砕しながら透過する、明るい光のようなものを感じ、魅了されたからだ。

 中でも『嵯峨野明月記』を読んだ時は、スリリングな戦慄さえ覚えたほどだ。

 新聞社を中途退社、仙台で「本の森」の創立に関わった頃、今はなき同志の小池平和さんと、「辻邦生さんに仙台に来てもらい、創立記念の講演をしてもらえたらいいな」などと夢を語り合ったことがある。

 辻邦生さんはそのころ、『西行花伝』を書き終えたばかり。西行の足跡を追って、仙台、平泉を旅してもらい、温泉で執筆の疲れを癒してもらいながら、ついでに話をしていただこう――などと、勝手な算段で盛り上がったものだ……。

 さて私が辻邦生さんを文体の革新者としてではなく、世界と格闘を続け、生死を超えた境地に生きる希望と覚悟を語った一人の作家として見るようになったのは、つい最近のことだ。

 片山敏彦訳の『リルケ詩集』(みずず書房刊)で、リルケのトルストイとの出会いを知り、その延長線上で、辻さんの『薔薇の沈黙 リルケ論の試み』(筑摩書房刊)を読み進めているうち、見方が変わった。

 実は、今朝、寝床の中で、その『薔薇の沈黙』の「終章」(13章)、「〈開かれた空間〉の声」と、佐保子夫人の「夢のなかのもう一つの部屋――あとがきにかえて――」を読み終えた。

 ほんとうは昨日、最後まで全部読み通すことができたのだが、「終章」を読む前に、私なりの、読者としての「結論」を確かめたくて、最近、自転車で通い出した、陸奥国分寺跡を訪ねた。いつもの樹下で自分なりの「結論」が出てから、読了することにしたのだ。

 国分寺跡の公園に薔薇はなかったが、木々の青葉が緑の光を散らしていた。梢の方から、小鳥たちの声が聞こえて来た。

 慌てるな、待てばいいだけだ、と自分に言い聞かせはしたが、私なりの「結論」はすぐさま、衒いもためらいもなく、頭上に落ちて来た。

 辻邦生さんは、ひとつ前の「12章」で、こう書いていた。リルケはもはや「戦争という苛酷な現実に対していささかもたじろぐことなく、天使たちの舞う世界空間を、フィクションの世界ではなく、人間にとっての深い実存の開示として描くことができるようになる」と。(164頁)

 これを読んでしまった以上、私の「結論」が、リルケの、そしてまた辻邦生さんの「結論」から逸脱するはずもなかったのだ。

 「終章」(13章)で、辻さんはこう書いている。リルケは「それについて語る人ではなく、それから語る人に」なったと。

 やや性急な結びの言葉はこうである。

 「〈薔薇空間〉となったリルケは甘美な陶酔の持続となって、時間を超え、生と死を超える。おそらくいまわれわれにとってなすべきこととは、〈見る〉ことの果てに出現した〈対象としての世界〉を、いかにして〈薔薇空間〉に変容するか、ということだろう。不毛と無感動と貨幣万能の現代世界のなかで、はたして至福に向かってのそんな転向が可能かどうか、われわれがある決意の時にたたされていることは事実だろう」

 辻邦生さんの最後の本、『薔薇の沈黙』は、実は「最終章」が、辻さんの中で構想はされながら、書かれずに終わったものだ。が、それだけに、「終章」(13章)の結びの言葉の余韻はなお一層、深い。

 それにしても、辻さんが急逝されずにおられたなら、「最終章」はどのような風に書かれたのだろう?

 国分寺跡の大木の下に立てば、坂道を下りてくる辻さんが現れ、教えてくれるかも知れない……そんな気がしてならない。 

【注】 このブログは、出版社「本の森」編集部ブログに掲載したものを転載したものです。

 ⇒  http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

Posted by 大沼安史 at 12:31 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-03

〔いんさいど世界〕 豚インフルエンザ 「対特定人種ウイルス(RSV)」(?)説

 豚インフルエンザをめぐって「対特定人種ウイルス」ではないか、との観測が出ています。

 英語でいうと、Race-Specific Virus(RSV)。ある特定の(スペシフィックな)人種(レース)に対して威力を発揮するウイルス……の意味です。

 どうして、こんなことが言われているか、というと、豚インフルエンザで世界各国に「感染者」は広がっているのですが、お亡くなりになった方は、(今のところ?)メキシコ(系)の方々。
 
 つまり、今回、突如出現した豚インフルエンザのウイルスは、メキシコ系の方々に対して(のみ)、致死的な作用を発揮している。

 だから、RSVの可能性がある!――というわけです。

 実際のところ、メキシコ以外では、米国でメキシコ人の赤ちゃんが死亡しているだけ。
 確かに、他の国では感染はするけれど、メキシコのように、爆発的な死者の発生はない……何か変だな、って気はしますね。

 問題は、その「おかしい?」が、どうして「RSV」説にまで行き着くのか?

 考えてみれば、「RSV」って「用語」があること自体、おかしな話ですが、これって実は、アメリカの軍産複合体がかねがね、しゃべくって来たことなんです。

 この問題を追及しているアメリカのジャーナリスト、ポール・ワトソンさんによれば、ブッシュ政権の好戦性を支えた、ネオコンのシンクタンク、「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト」が、2000年9月に出した、「アメリカ防衛の再建」という報告書の中で、こう言っています。

 「特定のゲノタイプ(遺伝子型)をターゲットにし得る、生物戦争(バイオロジカル・ウォーフェア)の高度化した形は、テロの領域から政治的に有益な道具へと生物戦争を変化できるかも知れない」

 特定のゲノタイプ(を持った人間集団)に狙いをつけた生物兵器……なんと恐ろしい! ヒトラーが生きていたら、大喜びしそうな話ですね。

 いずれにせよ、ブッシュ政権の「頭脳」たちって、本気でこんなことまで考えていたわけですね(ついでにいえば、「第二の真珠湾」を待望するかのようなことを言っていた――つまり、「9・11」のようなものに期待感を示していたのも、このネオコン・シンクタンクの連中です)。

 ポール・ワトソンさんは、ほかにもいろんな「公表された文書」を引用しているのですが、もうひとつだけ、紹介すると、1999年に英国の協会医学協会が、「RSV」が5年以内に実用化されるかもしれない、と報告書で警告を発しているそうです。

 今は2009年。ということは「5年」どころか、「10年」も経っているわけですね。

 ポール・ワトソンにばかり頼りきるのは何なので、ぼくもひとつ、補強材料を挙げることにしましょう。

 アメリカの国防長官(当時)、ウイリアム・コーエン氏が1997年4月28日、ジョージア大学での講演で、未来学者のアルヴィン・トフラーさん(例の『第三の波』の著者です)の著作を引用する形で、こう言っています。

 「何人かの科学者が実験室で、人種を特定し、ある民族集団や人種を絶滅させる病原体を開発しようとしている」と。

 なぜ、コーエン氏に、ここで出てもらったかというと、このコーエンさんって、正直な人で、国防長官になった自分のことを、『白鯨』の「エイハブ船長」だと言った人だからです。ペンタゴン(国防総省)に代表されるアメリカの軍産複合体は、暴れまくる白鯨、船長の私にも手のつけようのないものだ、と告白している人だからです。

 (このコーエンさんの告白は、ぼくが最近、訳出した、ジェームズ・キャロル氏の『戦争の家』〔上巻〕に出て来ます。是非、お読みになって下さい)

 では、仮に(もちろん、単なる仮定の話に過ぎませんが)、今回の豚インフルエンザが、メキシコ人ばかり狙ったRSVであるとして、その開発の狙いは何か? 
 
 考えられるのは、ヒスパニックの方々の人口爆発による政治的な影響力の拡大の抑止ですね。

 アメリカの人口に占める、メキシコ系を中心としたヒスパニックの割合は、黒人を抜いて2位に浮上。カリフォルニアなどではマジョリティーをうかがう勢いを示しているそうです。

 このRSVについては、イスラエルがアラブ系対策で開発したとか、いろんな噂が飛び交っていますが、事実としたら、ひどい話ですよね。

 オバマ大統領は「核兵器のない世界」について語っていますが、憲法の「9条」を持つ私たちとしては、RSVなど、生物兵器のない世界もまた、希求したい。

 1976年、豚インフルエンザがフォート・デイックスという米軍基地で、なぜか「最初に(デ・ノヴォ)」発生した事実経過を含め、今回のRSV疑惑もまた真相を究明すべきでしょう。

⇒  http://www.prisonplanet.com/is-swine-flu-a-race-specific-virus.html

Posted by 大沼安史 at 10:25 午前 | | トラックバック (4)