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2009-04-30

〔NEWS〕 「米国よ、私の国から手を引け」 ポーランドのピアニスト、クリスチャン・ツィマーマンがロサンゼルスでのリサイタルで抗議

 日本でもファンの多い、ポーランドのピアニスト、クリスチャン・ツィマーマン氏が4月26日、ロサンゼルスのウォルト・ディズニー・ホールでのリサイタルで、最後の曲を演奏する前、聴衆に対し、「米国は私の国から手を引け」と呼びかけた。ロサンゼルス・タイムズが報じた。

 この発言に30~40人が席を立ったが、同意の歓声も湧き上がった。

 ブッシュ政権下で進んだ米国=米軍による、ポーランド「属国化」を批判したもののようだ。
 同氏はまた、グアンタナモ強制収容所についても言及した。

 
⇒ http://latimesblogs.latimes.com/culturemonster/2009/04/krystian-zimermans-shocking-walt-disney-concert-hall-debut.html

Posted by 大沼安史 at 04:36 午後 | | トラックバック (0)

2009-04-29

〔コラム 机の上の空〕 オレンジは希望の色  日向康さんの最後の小説を読む

 雨の週末、これまで読もう読もうと思いつつ、読まずにいた日向康さんの小説、『オレンジ色の斜光』を読み通した。400字詰め原稿用紙換算で、ざっと1200枚もの大長編だが、一気に引きずり込まれた。

 冤罪事件に端を発した誘拐事件を軸に、戦後日本の歴史的な現実を、小説的現実に交差させて見事に描き切った、推理小説仕立ての、素晴らしい物語だった。

 この小説(毎日新聞社刊)が出たのは、2000年。20世紀の最後の年。

 日向康(ひなた・やすし:一九二五~二〇〇六年)さんは、栃木県の生まれ、終戦の年の8月に陸軍士官学校を卒業、戦後、仙台で林竹二氏(元宮城教育大学学長)に師事し、宮城学院大学の教授を務めた作家。足尾鉱毒事件の田中正造を追った『果てなき旅』で大仏次郎賞を受賞した人でもある。

 私は日向さんがお亡くなりになる10年ほど前、仙台市内の自宅を訪ね、お会いしたことがある。その時、『オレンジ色の斜光』という小説を書いているとはおっしゃられたが、それがどのような物語なのかは、お話しにならなかった。

 その『オレンジ色の斜光』を読み上げた今、それが私たちの生きる「戦後日本」の「希望の物語」であることが、ようやく分かった。

 今の日本にどれだけ「戦前・戦中」的なものが居座り、「過去」がこの国の「現在」をどれだけ支配していようとも、歴史は動いている。街は今日もオレンジ色の光に包まれながら暮れ、またも夜明けに向かおうとする……そんな日向さんのメッセージが、圧倒的な読後感となって伝わった来た。

 この長編の中でその「街」は、二度、オレンジ色の斜光に包まれる。一度は、事件解決に執念を燃やす下積みの刑事、「竹仲義次郎」の前で(306頁)輝き、二度目は、物語の終わりに、もう一人の主人公、似顔絵画きの「庫谷志郎」と竹仲刑事の二人が語り合う、夕べの窓辺に溢れ返る(637頁)。

 希望の瞬間、街はオレンジ色に輝く。

 オレンジ色の斜光――それはフランス人の言う「グラン・スワール」の光でもある。人々が、圧制が遂に倒れたその日に、晴れて迎える「大いなる夕べ」の光である。

 歴史の欺瞞を鋭く切り裂く光は、どんな場所でも、キリリとあたたかく、オレンジ色に輝くものである。

 そのことを日向さんは私たちに告げるために……私たちを励ますために、この大長編を書き、完成させたのだ。 
 
 没後3年。日向康さんに、そしてそのお仕事に、ここであらためて敬意を表する。 

〔注〕 このコラムは、小生がボランティア編集長を務める仙台の市民出版社、「本の森」の編集部ブログ、「一番町日記」を転載したものです。

⇒  http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

Posted by 大沼安史 at 08:28 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-04-28

〔重要NEWS〕 豚インフル 生物兵器が起源か? 1976年に米軍基地で発生     オバマ、メキシコで感染まぬかれる 博物館ツアーでガイドの学者が翌日、死亡

 世界的な流行が懸念される「豚インフルエンザ」が1976年2月、米国ニュージャージー州の米陸軍基地、フォート・ディックスで発生、兵士12人が感染し、1人が死亡していたことを、米紙ニューヨーク・タイムズ紙が2005年10月に報じていたことが分かった。

 これを受け、フォード大統領(当時)は米国民に対するワクチン投与を決定、投与が開始されたが、投与された500人が麻痺症状を起こし、30人以上が死亡する事態となった。

 この事実より、今回の「豚インフルエンザ」ウイルスもまた、米軍の生物兵器起源のものとの疑いが出て来るが、テキサス州ダラス郡の医療責任者は記者会見で、「実験室でつくられたもの」と言明した。

 一方、英紙インディペンデントが27日に報じたところによると、メキシコを訪問したアメリカのオバマ大統領は17日、メキシコ・シティーの博物館を視察したが、このとき、館内を案内した考古学者のソリス博士が、翌18日、「風邪のような症状」で急死していたことが明らかになった。

 直接の死因は肺炎、「豚インフル」に感染したものではない、とメキシコ政府は言っている。

 ホワイトハウスは、メキシコで接触した考古学者が風邪のような症状で死亡した事実をオバマ大統領に告知。健康チェックを行なったが、感染は免れた、としている。 

 CIA拷問、核、キューバとの関係改善……オバマに対する「豚インフル」テロではなかったことを祈る……。

⇒ http://www.nytimes.com/2005/10/23/weekinreview/23pollack.html?_r=1

 http://www.independent.co.uk/news/world/americas/obamas-host-dies-from-flulike-symptoms-1674743.html

  http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=13353

  http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=13376

Posted by 大沼安史 at 09:50 午前 | | トラックバック (0)

2009-04-25

〔NEWS〕 中国 ドル離れ 金(ゴールド)を買い増し 1000トンの大台に 産金国としては世界トップに

 フィナンシャル・タイムズ紙によると、中国政府は金の買い増しを続けた結果、1054トンを保有するまでになった。これは2003年の600トンから4割もの増加で、現在、世界第5位の金保有国だという。

 「ドル離れ」を進める中国は、昨年、南アフリカを抜いて、世界1の産金国となったそうだ。

 アメリカのクズ国債、ボロ債券を抱え込むだけの日本との何たる違いか?

 
⇒  http://www.ft.com/cms/s/0/1d23f80c-30aa-11de-bc38-00144feabdc0,dwp_uuid=413b4c2e-b9f8-11dc-abcb-0000779fd2ac.html?nclick_check=1

Posted by 大沼安史 at 05:15 午後 | | トラックバック (0)

2009-04-24

〔NEWS〕 パトリック・コバーン記者 「オーウェル賞」を受賞

 イラク報道の第一人者、英紙インディペンデントのバグダッド特派員、パトリック・コバーン記者が、英国の最も権威ある報道大賞の、2009年「オーウェル賞」を受賞した。

 授賞理由はコバーン記者について、「現場から報道することが、よきジャーナリズムの礎石であることを、あらためて思い知らせてくれた」と、高く評価している。

 〔大沼・註〕コバーン記者の著書、『イラク占領-戦争と占領』(緑風出版)を訳出させていただいたものとして、非常に嬉しいことである。

 コバーン記者くらい、ブッシュ政権のプロパガンダに抗し、「イラク戦争」の真実を告げた西側ジャーナリストを、私はほかに知らない。
  

⇒ http://www.independent.co.uk/news/media/press/cockburn-wins-top-journalism-award-1673482.html

Posted by 大沼安史 at 05:10 午後 | | トラックバック (0)

2009-04-23

〔いんさいど世界〕 窓ぎわのダニィ(Dani)ちゃん

 ことし、2009年のピュリツァー賞が4月20日に発表された。同賞のサイトで受賞者、受賞作のリストをざっと眺めているうち、「特集記事」部門のところで、釘付けになった。

 受賞者、フロリダ州の地方紙、「セントピ-ターズバーグ・タイムズ」紙の女性記者、レイン・デグレゴリー氏の受賞作、「窓際の少女(The girl in the window)」から目を離すことが出来ず、その長文(A4用紙へのダウンロードで、14頁分)の特集記事(フィーチャー)を最後まで読み通してしまった。

 シングルマザーに6歳までネグレクト(育児放棄)され、8歳まで、言葉を覚えず、おむつもとれなかったた少女、ダニィをめぐる物語である。

 痛みにも反応せず、視線を結び合うこともできない彼女を引き取り、自分たちの娘として育て始めた、共稼ぎの夫婦と、その息子、ダニィより一歳年上の兄の、つましい家族の、愛の物語である。

 少女の不幸を包み込み、絶望を希望に変えた、奇跡の物語。
 読んでしまったからには、どうしても紹介せずにはいられない、魂を揺すぶられる実話――久しぶりに、涙で心が洗われる気がした。 
  
 デグレゴリー記者の受賞記事(2008年7月31日付)は、借家のボロ家の、たったひとつの窓のシーンから始まる。

 ガラスが割れ、カーテン代わりに毛布を垂らせた窓の奥から少女が顔を覗かせているのを、近所の人が見たのだ。

 その家には中年の女性が、すでに成人した息子2人と、自分のボーイフレンドとともに、3年前から住んでいたが、その家に、やせ細った少女がいるとは、近所の人もそれまで気付かなかった。

 少女は陽の光を見て、家の奥に消えた。

 それから数ヵ月が過ぎた2005年7月13日、通報で警察官2人が、そのあばら家に駆けつけた。一足早く到着した州政府の保護担当者(女性)が、車の中ですすり泣いていた。「信じられない。こんなの初めて」と。

 警察官らが中に入ると、部屋は犬猫、人間の排泄物で汚れ、ゴキブリの巣と化していた。ゴキブリは冷蔵庫の中にも住み着いていた。

 ドアを開けると、暗闇の中で足元に何かを感じた。少女が床のマットレスに体をまるめて転がっていた。裸で、汚れたおむつをつけたきり。そばに使用済みのおむつの山ができていた。

 警察官が最初に見たのは、少女の両目だった。黒い瞳を大きく見開いたまま、まばたきもせず、焦点を合わせようともしない。「黒髪」には虱がたかり、皮膚は虫に食われた痕だらけ。警察官が抱き上げようとすると、少女は子羊のような鳴き声を上げた。

 「名前は?」と聞いても無反応。
 警察官がその場にいた母親に詰め寄ると、「わたしには、これしか、できない」という弁解が返って来た。

 少女の名前はダニエルだと母親は言った。もうすぐ、7歳になると。

 タンパ総合病院に収容された少女の体重を量ると、17.2キロしかなかった。食事を与えようとしたが、噛むこともできない。いないいないバーにも、アイコンタクトにも、栄養注射の針の痛みも無反応、泣くことさえ知らない様子だった。おしゃぶりを続け、歩行はカニのように横歩きするだけ。

 脳をスキャンするなど異常がないか調べたが、何の問題も見つからなかった。目に光がなく、人やモノに対して関心を示すこともない。診察した精神科医らは、「私が診た最悪のネグレクト」「一生涯、正常に戻ることはないだろう」と語った。

 タンパ総合病院で1ヵ月半、過ごした少女は、退院後、養護施設(グループホーム)に入った。依然として、おむつのとれない状態。

 2005年10月、7歳になったばかり少女は小学校の特殊学級に通うことになったが、喚いたり、クローゼットに逃げ込んだりの毎日で、なんとかなだめることができるようになったのは、それから1年経った後のことだった。

 2007年の春分の日が過ぎた復活祭の週末、少女は住宅の改装業を営むバーニーさんと、ハウスクリーニングをして共稼ぎするダイアナさん夫妻に引き取られ、ひとつ年上の9歳になるウイリアムちゃんの妹として、新しい生活を始めた。

 「最悪の新生活だった」(バーニーさん)。

 人形を引き裂き、包み紙ごとチョコレート・エッグを食べ、髪の毛をブラッシングすると、暴れて抵抗した。
 おむつもとれず、ベッドで眠ろうともしない。それでも、やがてバーニーさんに歯を磨かせるようになった。
 その年の10月、少女は正式に一家の養子となり、「ダニィ」の愛称で呼ばれるようになった。

 それから1年近く。
 ダニィは背が伸びて、体重も保護された当時の倍になった。黒かった髪は、ほんとうはブロンドだと分かった。ブラッシングには叫び声を上げて抵抗するが、してよいことと悪いことをだんだんと区別できるようになった。

 乗馬セラピーとスピーチ・セラピーを受けている。
 まだ、言葉を言えるところまで行かないが、兄のウイリアム君は、ダニィが「ストップ」と「ノー」と言うのを聞いたと証言している。「自分の名前も言ったような気がする」と。

 おむつはとれたが、まだ高いベッドで眠ることはできない。

 でも、今、彼女はハムを噛むことができるし、周りの人と視線を交わすこともできるようになった。泳ぐこともできる。

 そして何より、自分の名前が「ダニィ」であることも、ちゃんと知っている。

 デグレゴリー記者の記事の結びは、書き出し同様、窓辺のシーンで終わる。
 新しい家の窓。外を見ることができる窓。
 デグレゴリー記者は、こう書いている。

 「彼女が外を眺めたいと思ったら、両手を伸ばすだけでいい。すぐ後ろにはお父さんがいて、抱き上げようと待ち構えている」と。

 父親のバーニーさんはいつかダニィが「パパ(ダディー)」と呼んでくれる日が来ると信じている……。

 バーニーさんは、養子紹介機関のあっせんで、ダニィと小学校で初めて会った日のことを覚えている。他の人は拒絶するのに、黙ってブランコを揺らさせてくれたのだそうだ。

 その夜、バーニーさんはこんな夢を見たそうだ。
 寝室の天井に、両手が伸びて指を絡ませ、その指でつくったブランコに、ダニィちゃんが乗って揺れている夢を。

 その夢を見たとき、バーニーさんの決意はすでに固まっていたのだろう。
 バーニーさんの決意が固まった時、ダニィちゃんの人生に、心の窓が開いたのである。

 一家にますます幸せが訪れることを祈る。

 また、ダニィちゃんをめぐる物語を書いてくれたデグレゴリー記者には、敬意と感謝の気持ちを届けたい。

 デグレゴリー記者はドラマーの旦那さんとの間に、11歳と10歳の2人の息子をもうけたママさん記者。

 受賞記事の中では、ダニィちゃんをネグレクトしたシングルマザーにも取材し、枯葉剤を浴びた後遺症で、ベトナム帰りの夫を亡した女性であることも紹介している。

 調べ上げた事実を過不足なく淡々と記述し、事実をして語らせた、見事な筆。
 ピュリツァー賞、受賞、おめでとうございます。

⇒  http://www.pulitzer.org/

  http://www.tampabay.com/specials/2008/reports/danielle/

Posted by 大沼安史 at 11:15 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (1)

〔NEWS〕 CIAの拘束下、35人が消息不明

 米国の公益ネット・ジャナーリズム、「プロパブリカ」が報じたところによると、CIAによって拉致・拘束された、アルカイダのメンバーとされる35人が「消息不明」のままだ。

 「プロパブリカ」が行方不明者のリストを公表、CIA側に確認を求めているが、回答は返っていない。 
 
 拷問問題が明るみに出たあと、ブッシュ政権の無法ぶりがまたも表面化した。

 それにしても、ブッシュ政権はなぜ、拘束したアルカイダ関係者を「闇」の中に置こうとしたのか?
 それは何のための「口封じ」??

⇒  http://www.propublica.org/article/dozens-of-prisoners-held-by-cia-still-missing-fates-unknown-422

  http://www.propublica.org/article/list-of-likely-cia-prisoners-who-are-still-missing-422

Posted by 大沼安史 at 06:48 午後 | | トラックバック (0)

2009-04-20

〔NEWS〕 オバマ大統領 予算の無駄遣退治へ 「「90日以内に1億ドルをカットせよ」 閣僚に厳命

 ワシントン・ポスト紙は、オバマ大統領が閣僚に対して、「90日以内に1億ドルをカットせよ」と厳命、予算の無駄遣い退治に乗り出した。コレ、ホント。

 日本の新聞各紙によると、日本の麻生首相は閣僚に対し、「90日以内に100億円、カットせよ」と指示した……というのはウソ。

 天下り先の整理すれば、こんなの簡単にできるはずなのにね。

⇒  http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/20/AR2009042000641.html?hpid=topnews

Posted by 大沼安史 at 08:50 午後 | | トラックバック (0)

〔お知らせ〕 「本の森」でもブログ、始めました! 

 ボランティア編集長として復帰した、仙台の出版社、「本の森」のHPで、「出版&ふるさと宮城」をテーマに、ブログを始めています。
 共用ブログで、わたし(大沼)の分は「編集長」の署名付きです。

  4本目、本日、アップしたのは、「新井奥邃の墓を仙台に!」。

 覗いてみてください。⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

 なお、出版のご用命は、ぜひ、私たちの「本の森」に!
 「本の森」は、出版をソーシャル・ビジネスと考える、有志で創った出版社です。
 よろしく。

Posted by 大沼安史 at 04:43 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 CIA アルカイダ容疑者2人に水責め拷問、計266回

 ニューヨーク。タイムズによると、CIAがアルカイダ容疑者2人に対し、ウォーターボーディングという水責めの拷問を計266回も加えていたことが明るみに出た。

 2005年の米司法省のメモによれば、CIAはそのうちの1人に対し、同年8月の1ヵ月間だけで、なんと83回も「波乗り」を繰り返していたという。

 CIAはまた、別の容疑者に対し、2003年の3月1ヵ月間だけで、実に183回も水責め拷問を加えていた。
 つまり、1日に6回も。
 
 ブッシュのアメリカの無法ぶりが明るみ出た。

⇒ http://www.nytimes.com/2009/04/20/world/20detain.html?partner=rss&emc=rss

Posted by 大沼安史 at 04:13 午後 | | トラックバック (0)

2009-04-19

〔NEWS〕 サルコジ オバマを愚弄発言 「お前さん、CO2のこと、分かっちゃいないな」「俺はね、オバマに、海の上、歩きな、というつもりさ。やっこさん、歩くぜ、きっと」

 フランス政界の「ラカイユ」(屑)、サルコジが15日、国会議員との昼食会で行った、オバマ大統領に対する愚弄発言が波紋を呼んでいる。

 仏紙リベラシオンの16日の暴露報道で明るみに出た。

 サルコジはオバマ大統領を「繊細なエスプリの持ち主、とても知性的でとてもカリスマ的だ」と、いったんは持ち上げたあと、「就任して2ヵ月。大臣の経験もない。いろんな点で自分の考え(ポジシオン)を持っていない」と指摘(まあ、ここまでは許せるとして……)、さらに「俺はね、あいつに言ったんだよ。お前さん、CO2で俺たちしていること、理解してないな、俺はそう信じている」って言い放った。

 サルコジ直言居士?(一応、韻を踏んでます!)

 この発言、一見、的を衝いたもののようにもとれるが、昼食会の席でサルコジは、ほかにもドイツのメルケル首相を「俺の路線についてくるしかなかった」女と言うなど、「ナニサマ」発言を連発していたから、この「オバマ評」も、そうした流れの一環とみるのが自然だ。

 仏誌レクスプレス(16日付け)によれば、サルコジは「俺が言ったんで、オバマのやつ、6月6日のノルマンディー上陸記念日に来るって約束したんだぜ。俺はね、オバマに英仏海峡の上を歩いて渡りな、って言うつもりさ。やっこさん、俺の言うこと聞いて、〔キリストのような救世主気取りで……〕歩こうとするぜ」と、オバマのことをバカにしたそうだ。

 ブッシュ(マケイン)の引きで大統領になった、フランス社会の屑が何を言うか!

⇒  http://www.liberation.fr/politiques/0101562718-sarkozy-et-les-glands-de-ce-monde

  http://www.lexpress.fr/outils/imprimer.asp?id=754246

Posted by 大沼安史 at 07:59 午後 | | トラックバック (1)

〔NEWS〕  英紙がアドバルーン・スクープ 「イスラエル イラン攻撃態勢整える」

 英紙タイムズが18日、報じたところによると、イスラエル軍はイラン核施設に対する攻撃態勢を整えた、そうだ。

 「イスラエル、イラン攻撃か?」は、タイムズ紙の「十八番」。

 イスラエルが強硬姿勢を見せた時は、舞台裏で何かが起きている時。

 中東和平、一大ブレークスルーの前兆か?…… 

⇒  http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/middle_east/article6115903.ece

Posted by 大沼安史 at 05:05 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 オバマ大統領 ニカラグアのオルテガ氏とも握手 チャベス氏、「ブッシュと違い、知性がある」

 カリブの島国トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペインで開かれていた米州サミットで18日、アメリカのオバマ大統領が、ベネズエラのチャベス大統領と通算3度目の握手を交わしたそうだ。

 チャベス大統領はオバマ氏について、「前任者と違って知性がある」と語ったという。

 オバマ大統領はまた、レーガン政権によって政権を座を追われて、2007年に復帰したニカラグアのオルテガ大統領とも握手を交わした。

 サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を率い、1979年、「歌う革命」に成功、「コントラ事件」など米国主導の「反革命」で追われ、2年前、返り咲いたオルテガ氏が、合衆国の大統領と「握手」とは……。

 時代の風向きは大きく変わった。 

⇒  http://wire.antiwar.com/2009/04/18/obama-extends-hands-to-chavez-ortega-at-summit-2/

Posted by 大沼安史 at 04:52 午後 | | トラックバック (0)

2009-04-18

〔NEWS〕 フランス 怒れる労働者 交渉拒否の経営者を吊るし上げ

 ワシントンポスト紙が18日に報じたところによると、フランスで、怒れる労働者らが、レイオフを一方的に通告した経営者らを吊るし上げる事態が相次いでいる。

 同紙によれば、労働者が経営者のオフォスに雪崩れ込み、交渉を求める事態は、米系のキャタピラー社やソニーなど6社で起きている。

 グルノーブルにあるキャタピラー社では、約40人の労働者が経営トップ5人を閉じ込め、レイオフ通告を巡り交渉を求めているという。 

 経営不振の責任は、まずもって経営者が負うべきこと。労働者にしわ寄せするのではなく、自らを「合理化」(解雇?)するのが先決だ……。役員報酬も自主返還する――これは当然のことだ。

 身奇麗な経営者は、フランスにも、いない?!

⇒  http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/17/AR2009041703181.html?hpid=topnews

Posted by 大沼安史 at 05:56 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 イスラエルが言明 「イラン核施設を攻撃せず」 

 英紙インディペンデントによると、イスラエルのペレス大統領はイスラエルとしてイランの核施設を攻撃しないと言明、「オバマ外交」が解決になる、との考えを示した。

 中東「熱戦」が沈静化し、和平の兆しが見えている、といったら楽観的過ぎるか?!

⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/peres-says-israel-wont-hit-irans-nuclear-sites-1669973.html

Posted by 大沼安史 at 12:10 午後 | | トラックバック (0)

2009-04-04

〔いんさいど世界〕 金融崩壊のニューヨークに花咲く、草の根融資の希望

 春が来ました。2009年の4月。

 金の亡者、マネーのドラゴンどものやりたい放題で、荒地と化した、世界のECO。危機の震源のひとつ、「円キャリ」の供給源となった日本にも、春が来ました。

 経済危機の真っ只中、どこもかしこも寒々とした春……。
 今日は、そんな世界大不況の最大の震源地、ニューヨークで、ウォールストリートの強欲さとは対極にある、ヒューマンな、希望あふれる、草の根融資の花が開いている――という話題をお届けしたいと思います。

 場所は同じニューヨークでも、摩天楼の高層ビル群が空を衝く、マンハッタンではなくて、中心部から外れたクイーンズ。

 移民も多い、庶民的なこの街に、1昨年(2007年)11月にオープンした、「グラミン・アメリカ銀行」1号店、クイーンズ支店が大健闘、経済不況の直撃を受けた、地元の貧しい女性たちの「ビジネス」を支援し、大成功を収めているそうです。

 「グラミン銀行」といえば、ご承知の通り、2006年のノーベル平和賞を受賞した、モハマド・ユヌス博士が、世界の最貧国のひとつ、バングラデシュで立ち上げた、担保もない貧しい人々を助ける、あの「貧者の銀行」。

 それが「世界1の経済大国」(といっても、金満ドラゴンどもが富を簒奪しているわけですが……)、アメリカの、それもニューヨークに進出して、ウォールストリートの大銀行が貸し渋りに走る中、融資機関として。見事に社会的責任を果たしているっていうんです。

 本家バングラデシュの、貧しい人が貧しいからこそ、お金を貸して自立を援助するという方式を、ニューヨークでも断固崩さず、この1年半というもの、銀行業務を立派に続けて来た!

 これって凄いことですよね。

 地元紙のニューヨーク・タイムズ(3月13日付)が伝えたABCテレビのニュースによると、クィーンズのコロナ地区を地盤とする、この「グラミン・アメリカ」銀行、営業開始後、これまで13ヵ月間に、500人を超える地元の人たち(全員、女性。女性は男性よりも責任感があるので、女性に貸すのだそうです)に、累計120万ドルを貸し付て来たそうです。

 1人あたりの貸付は500ドルから2000ドル程度。日本円で言えば5万円から20万円といったところ。貸付先は自立自営の志を持った女性たちで、その多くが移民の女性たちだそうです。

 そんな1人の女性を、タイムズ紙は紹介しているのですが、彼女の名はヴィヴィアン、4ヵ月前、コロナ地区のナショナル・ストリートに小さな店を出し、がんばっているんだそうです。

 シングルマザーのヴィヴィアンさんは娘たちの将来も考え、自分でビジネスを起そうと、地元の商業銀行を訪ね、融資を申し込み、断られました。

 担保もないヴィヴィアンさんにお金を貸すのは、フツー(?)の銀行家からすれば、お金をどぶに捨てるようなもの、断るのは当然ですが、幸いなことに彼女の前に、「断らない」銀行が現れた。それが、「グラミン・アメリカ」だったわけです。

 2000ドルの融資を得て店を出したヴィヴィアンさんは、服や財布、装身具(トリンケット)、帽子、スカーフなどを売っているのですが、食料品も売ることがある。つめり、売れるものは何でも……といった、下町のよろず屋さん、なんですね。

 経営もうまくいっていて、グラミンから借りたお金も毎週毎週、ちゃんと返している。
 そう、ちゃんと、やれてるんですね。

 ヴィヴィアンさんの場合は、よろず屋ですが、他の人たちはどんなビジネスに乗り出しているか?
 老人の介護、ハウスクリーニング、フラワー・アレンジメント、保育といった仕事をしてるんだそうです。

 で、気になるのはやはり、貧しい人にお金を貸して、ちゃんと回収できてるの?……ですが、「グラミン・アメリカ」によると、返済率はなんと99・5%。
 バングラの本家並みの、高率なんだそうです。

 これまた、ユヌス博士が信じる、「貧しい人こそ、責任ある起業家になれる」――の証明じゃないでしょうか?(あるいは、富める者ほど踏み倒し、政府に肩代わりを求める逆証明……???)

 では、なぜ、ヴィヴィアンさんのような貧しい女性たちが、ビジネスに成功し、借りたお金をちゃんと返済できているか?

 それが、本家バングラで培われた「5人組」の知恵なんです。
 借り手が5人でチームを組み、その中の最も貧しい人からお金を借りてゆく。他の4人は最初の仲間の起業をサポートし、それが返済を含め軌道に乗ったところで、次に貧しい人が融資を受ける……といった、借り手の側の「同志的な連帯」があるからです。
 (グラミンはどうしても責任が拡散する、「グループ」への〔個人ではなく〕貸し出しはしていません)

 「経済大国」のアメリカは、「貧困大国」でもあり、貧困にあえぐ女性は2000万人を突破しており、その4割、980万人がシングル・マザーだそうです。

 クィーンズでの「グラミン」の成功は、こうした女性たちに希望の灯をともしたわけです。

 「グラミン・アメリカ」では、ニューヨークの、ブルックリンやブロンクスのほか、マンハッタンへの進出を計画しています。ボストンにも出る準備も始まっているそうです。

 あぶく銭儲けに狂奔するのではなく、地域の貧しい人たちを助け、その支えとなる……「グラミン・アメリカ」の活動で、銀行とは本来、何のための、誰のためのものか、そのほんとうの姿が見えて来たような気がします。

 日本にも、宮城にも、仙台にも、「グラミン」を!

 見果てぬ「春の夢」ではあります……。

⇒  http://abclocal.go.com/wabc/story?section=news/consumer&id=6707353&pt=print

  http://www.grameenamerica.com/

Posted by 大沼安史 at 03:05 午後 | | トラックバック (0)

2009-04-01

仙台へ帰郷しました ソーシャル・ビジネスの地方出版社「本の森」 ボランティア復帰の弁

 復帰初日の朝は小雨だった。傘をさして歩き出したが、ぽつりぽつりと来るだけの4月の春雨。濡れて行こうと、傘を閉じ、一番町一丁目の「本の森」まで歩き通した。

 東京の大学を「勇退」して仙台に帰郷、専任(?)ボランティアとして、復社を果した。これまでも時々、東京から戻って手伝いをしていたが、今日からは完全復帰。大内代表の下で、電話番等、「本の森」のお手伝いをさせていただく。

 昔、「本の森」創立の頃――そう、かれこれ12年前に――、使っていた机に座って、仕事始め。
 創業の頃を思い出し、懐かしさが募る。
 仙台生まれの私にとって「本の森」は、第二のふるさとである。

 横浜のアパートを引き払い、仙台へ向かう新幹線の中で、私は隣の席の若者に聞こえないように、小さく、「小池さん、帰るからね」と、何度か口の中で呟いた。

 小池さん――小池平和(ひらかず)氏は、岩手・一関在住の元毎日新聞記者。出版活動を通じた郷土文化づくりに第二の人生を賭けた、「本の森」創立の同志であり、初代の代表だった人。「本の森」の育ての親で、小池さんなしに「本の森」はあり得なかった。

 家族の事情で「中途退社」し、東京あたりで大学教員を始めた私の分まで仕事をかぶり、激務を続ける中、体をこわして亡くなった。

 今なお、申し訳なさで胸が疼く。
 恩返しは、「本の森」でのお手伝いでするほかはない、と痛切に思う。

 大内代表の好意で、完全ボランティアながら、「編集長」という肩書きをいただいた。1997年2月の創業当時の立場への完全復帰である。

 有志で始め、有志で続けて来たソーシャル・ビジネスとしての「本の森」。
 私もまた、小池平和さんの志を継ぐ一人として、一番町一丁目のこの「本の森」の事務所で、人に役立つ仕事を続けたいと思う。

 学生の頃、片平のキャンパスに通った、古本屋が並び、銭湯もある界隈で毎日を過ごし、日々、人生のグラン・スワール(大いなる夕べ)を迎えることができる幸せは、私にとって、金銭には替えられない、大いなる喜びである。

 帰郷・帰社の弁の最後に、もう一度、こう言って、誓いの言葉としよう。

 「小池さん、帰って来たからね」

Posted by 大沼安史 at 08:26 午後 | | トラックバック (0)