〔いんさいど世界〕 窓ぎわのダニィ(Dani)ちゃん
ことし、2009年のピュリツァー賞が4月20日に発表された。同賞のサイトで受賞者、受賞作のリストをざっと眺めているうち、「特集記事」部門のところで、釘付けになった。
受賞者、フロリダ州の地方紙、「セントピ-ターズバーグ・タイムズ」紙の女性記者、レイン・デグレゴリー氏の受賞作、「窓際の少女(The girl in the window)」から目を離すことが出来ず、その長文(A4用紙へのダウンロードで、14頁分)の特集記事(フィーチャー)を最後まで読み通してしまった。
シングルマザーに6歳までネグレクト(育児放棄)され、8歳まで、言葉を覚えず、おむつもとれなかったた少女、ダニィをめぐる物語である。
痛みにも反応せず、視線を結び合うこともできない彼女を引き取り、自分たちの娘として育て始めた、共稼ぎの夫婦と、その息子、ダニィより一歳年上の兄の、つましい家族の、愛の物語である。
少女の不幸を包み込み、絶望を希望に変えた、奇跡の物語。
読んでしまったからには、どうしても紹介せずにはいられない、魂を揺すぶられる実話――久しぶりに、涙で心が洗われる気がした。
デグレゴリー記者の受賞記事(2008年7月31日付)は、借家のボロ家の、たったひとつの窓のシーンから始まる。
ガラスが割れ、カーテン代わりに毛布を垂らせた窓の奥から少女が顔を覗かせているのを、近所の人が見たのだ。
その家には中年の女性が、すでに成人した息子2人と、自分のボーイフレンドとともに、3年前から住んでいたが、その家に、やせ細った少女がいるとは、近所の人もそれまで気付かなかった。
少女は陽の光を見て、家の奥に消えた。
それから数ヵ月が過ぎた2005年7月13日、通報で警察官2人が、そのあばら家に駆けつけた。一足早く到着した州政府の保護担当者(女性)が、車の中ですすり泣いていた。「信じられない。こんなの初めて」と。
警察官らが中に入ると、部屋は犬猫、人間の排泄物で汚れ、ゴキブリの巣と化していた。ゴキブリは冷蔵庫の中にも住み着いていた。
ドアを開けると、暗闇の中で足元に何かを感じた。少女が床のマットレスに体をまるめて転がっていた。裸で、汚れたおむつをつけたきり。そばに使用済みのおむつの山ができていた。
警察官が最初に見たのは、少女の両目だった。黒い瞳を大きく見開いたまま、まばたきもせず、焦点を合わせようともしない。「黒髪」には虱がたかり、皮膚は虫に食われた痕だらけ。警察官が抱き上げようとすると、少女は子羊のような鳴き声を上げた。
「名前は?」と聞いても無反応。
警察官がその場にいた母親に詰め寄ると、「わたしには、これしか、できない」という弁解が返って来た。
少女の名前はダニエルだと母親は言った。もうすぐ、7歳になると。
タンパ総合病院に収容された少女の体重を量ると、17.2キロしかなかった。食事を与えようとしたが、噛むこともできない。いないいないバーにも、アイコンタクトにも、栄養注射の針の痛みも無反応、泣くことさえ知らない様子だった。おしゃぶりを続け、歩行はカニのように横歩きするだけ。
脳をスキャンするなど異常がないか調べたが、何の問題も見つからなかった。目に光がなく、人やモノに対して関心を示すこともない。診察した精神科医らは、「私が診た最悪のネグレクト」「一生涯、正常に戻ることはないだろう」と語った。
タンパ総合病院で1ヵ月半、過ごした少女は、退院後、養護施設(グループホーム)に入った。依然として、おむつのとれない状態。
2005年10月、7歳になったばかり少女は小学校の特殊学級に通うことになったが、喚いたり、クローゼットに逃げ込んだりの毎日で、なんとかなだめることができるようになったのは、それから1年経った後のことだった。
2007年の春分の日が過ぎた復活祭の週末、少女は住宅の改装業を営むバーニーさんと、ハウスクリーニングをして共稼ぎするダイアナさん夫妻に引き取られ、ひとつ年上の9歳になるウイリアムちゃんの妹として、新しい生活を始めた。
「最悪の新生活だった」(バーニーさん)。
人形を引き裂き、包み紙ごとチョコレート・エッグを食べ、髪の毛をブラッシングすると、暴れて抵抗した。
おむつもとれず、ベッドで眠ろうともしない。それでも、やがてバーニーさんに歯を磨かせるようになった。
その年の10月、少女は正式に一家の養子となり、「ダニィ」の愛称で呼ばれるようになった。
それから1年近く。
ダニィは背が伸びて、体重も保護された当時の倍になった。黒かった髪は、ほんとうはブロンドだと分かった。ブラッシングには叫び声を上げて抵抗するが、してよいことと悪いことをだんだんと区別できるようになった。
乗馬セラピーとスピーチ・セラピーを受けている。
まだ、言葉を言えるところまで行かないが、兄のウイリアム君は、ダニィが「ストップ」と「ノー」と言うのを聞いたと証言している。「自分の名前も言ったような気がする」と。
おむつはとれたが、まだ高いベッドで眠ることはできない。
でも、今、彼女はハムを噛むことができるし、周りの人と視線を交わすこともできるようになった。泳ぐこともできる。
そして何より、自分の名前が「ダニィ」であることも、ちゃんと知っている。
デグレゴリー記者の記事の結びは、書き出し同様、窓辺のシーンで終わる。
新しい家の窓。外を見ることができる窓。
デグレゴリー記者は、こう書いている。
「彼女が外を眺めたいと思ったら、両手を伸ばすだけでいい。すぐ後ろにはお父さんがいて、抱き上げようと待ち構えている」と。
父親のバーニーさんはいつかダニィが「パパ(ダディー)」と呼んでくれる日が来ると信じている……。
バーニーさんは、養子紹介機関のあっせんで、ダニィと小学校で初めて会った日のことを覚えている。他の人は拒絶するのに、黙ってブランコを揺らさせてくれたのだそうだ。
その夜、バーニーさんはこんな夢を見たそうだ。
寝室の天井に、両手が伸びて指を絡ませ、その指でつくったブランコに、ダニィちゃんが乗って揺れている夢を。
その夢を見たとき、バーニーさんの決意はすでに固まっていたのだろう。
バーニーさんの決意が固まった時、ダニィちゃんの人生に、心の窓が開いたのである。
一家にますます幸せが訪れることを祈る。
また、ダニィちゃんをめぐる物語を書いてくれたデグレゴリー記者には、敬意と感謝の気持ちを届けたい。
デグレゴリー記者はドラマーの旦那さんとの間に、11歳と10歳の2人の息子をもうけたママさん記者。
受賞記事の中では、ダニィちゃんをネグレクトしたシングルマザーにも取材し、枯葉剤を浴びた後遺症で、ベトナム帰りの夫を亡した女性であることも紹介している。
調べ上げた事実を過不足なく淡々と記述し、事実をして語らせた、見事な筆。
ピュリツァー賞、受賞、おめでとうございます。