〔コラム 机の上の空〕 「靴」とともに「ブッシュ」に投げつけられたもの
バグダッドの会見場で、イラク人記者がジョージ・ブッシュ目がけ、「靴」を投げた。
「靴」を投げつける……イラクの人びとにとってそれは、相手を最も辱める行為だという。
「別れのキスだ、さあ、受け取れ」と言って、履いていた靴を投げたのは、Muntadar al-Zaidi氏。カイロのベースを置くal-Baghdadiaテレビネットワークの記者だそうだ(ワシントン・ポスト紙)。
このザイディ記者、同僚の話では昨年、シーア派武装組織に誘拐されたこともあるジャーナリスト。命がけの報道に従事して来た人らしい、肝の据わったプロテストだった。
ザイディ記者は二つ目の靴を投げたところで拘束されたが、最後まで「この犬めが、この犬めが」と叫び続けたそうだ。
「靴投げ」に込められた怒りの意味を、ブッシュは「10サイズの靴」に矮小化して片付けようとした。
「10サイズ」のザイディ氏の「靴」に、イラク人の呪いが――100万人近い死者たちの恨みがこもっていることを無視した、「余裕のジョーク」だった。
「冗談」で済むことではない。その「10サイズ」には、4000人を超す、戦死した米兵の無念も、込められているのだから。
イラクの人びとにとって、「靴」を投げつける行為は「最大の侮蔑」を浴びせかけるものだが、アメリカ人にとってもそれは、戦死者の思いをぶつけるシンボリズムである。
「靴」――「軍靴」。地上に遺された一足の靴は、戦死した米兵がこの世に遺した、戦争の無残を告発する刻印である。
その靴を履いて、命の最後の瞬間まで、その戦死者は生きていたのだ。イラクにさえ送り込まれなければ、その先の未来を歩き続けるはずのものだった。
もう、主とともに大地を踏みしめることのない「靴」は、だからこそ、アメリカでの反戦プロテストのシンボルになって来た。死体になって帰って来た者の「靴」を並べるのは、戦争に動員され、死んだ者たちの怒りや悲しみを、それが何より、代弁するものであるからだ。
ザイディ氏は多分、そのことを知っていて、ブッシュに向って「靴」を投げたのではないか。
ザイディ氏の記者会見の場でのプロテストを知って、11月の下旬、イラクで戦死した、ある米兵のことを思い出した。「靴」という言葉が、その米兵の死を伝える記事を読んだことを、思い出させてくれた。
バージニア州出身の陸軍一等曹長、アンソニー・デイヴィス氏(43歳)が、イラクのビアジに撃たれて死んだのは、11月25日のこと。食糧や救援物資を届ける任務の途中、イラク治安部隊の服装をした男に射殺された。
デイヴィス氏は、お嬢さんのダイアナさん(高校生。女子サッカーの選手)とともに父子で、イラクの子どもたちにサッカーのボールを贈るプロジェクトを続けていた人だそうだ。
そういう人が銃弾を浴び、死ななければならない不条理。
「靴」を投げつけられたブッシュが、「10サイズ」だったと軽口を叩き、そそくさとバグダッドを後にし、アフガンでの戦争見物を済ませたあと、数日後にはアメリカに戻って、ジョギングに爽快な汗を流すであろう不条理。
ザイディ氏の投げた一足の靴には、イラクの人びとの恨みと、デイヴィス氏をはじめとする戦死した米兵らの無念がこもっていたように思う。
それは、ビデオに記録された、あの「靴投げ」の真っ直ぐな軌跡を見れば分かることだ。一の矢、そして二の矢。
三の矢、四の矢は、きっとアメリカ人たちが始めることだろう。
ブッシュのホワイトハイスに向って、テキサスにあるブッシュの牧場に向って、今度は「生卵」ではなく「靴」が投げこまれるに違いない、
Posted by 大沼安史 at 01:21 午前 3.コラム机の上の空 | Permalink
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 〔コラム 机の上の空〕 「靴」とともに「ブッシュ」に投げつけられたもの:
» 私たちは別格です。バカにしないで下さい トラックバック AGEL
11月18日にスタートしました。
AGELビジネスです。
そこいらのネットワークビジネスと一緒にしないで下さい。
よそさんとは、格が違うし規模が違うしシステムが違うし
メンバーが違います。
あの脇○さんが本気になった会社です。
ネットワークビジネスで失敗した方もAGELなら大丈夫です。
脇○さんのもとであなたの可能性を発揮してみませんか?... 続きを読む
受信: 2008/12/16 9:47:11
» ムンタザル・アル-ザイディは我々ジャーリストが、ずっと前にすべきだったことをした トラックバック マスコミに載らない海外記事
Dave Lindorff 2008年12月15日 Information Cl 続きを読む
受信: 2008/12/26 17:17:51