〔コラム 机の上の空〕 帰りなん、星空の下へ
高校生の時だったと思う。梶井基次郎の『闇の絵巻』という短編を読んだのは。
何が書かれていたかは、忘れてしまった。
が、その絢爛たる読後感だけは今も残っている。
おかげですっかり梶井基次郎の虜になってしまったわたしは、受験勉強そっちのけで、一巻ものの「梶井基次郎集」を読み耽ったものだ。
そう、『Kの昇天』という短編も、凄かったなあ。たしかあれも、「夜空」へと続く海岸の闇が舞台だった……
☆
横浜に住んで東京に通う毎日を続けて10年近く。
首都圏の生活は「闇」も「夜空」も「1日」の中から消し去り、照明の輝きにまかせて「真昼」を翌朝まで引き伸ばしてゆく。
そういえば、この10年というもの、星など見上げたこともなかった。ときたま、大きな満月に驚くくらい。
☆
若い頃、北海道の根釧原野の真っ只中で「夜空」を見上げたことがある。梶井基次郎の小説と同じくらいスリリングで、圧倒的な星空だった。
「宇宙」が、そこにあった。怖いくらいの星たちのきらめき……。
夜の原野は見渡す限り、暗い沈黙に包まれ、牧場の灯りも、車のライトの探照灯のような光の放射も見えない。
道端に車を止めて、夜空として広がる宇宙の絵巻を陶然と見上げたものだ。
40年近く前、20代の初め、新聞記者になりたてのころである。
☆
「梶井基次郎」の小説を思い出し、真っ暗な根釧原野の夜を思い起したのはほかでもない。
新年、2009年は、国連が決めた「世界天文年」。
新春の2月に満60歳の年男になるものだから、人並みに越し方を振り返る中、自然と湧き上がって来た「夜」や「闇」の記憶に心を委ねただけだ。
☆
「世界天文年(インターナショナル・イヤー・オブ・アストロノミー)」の西暦2009年は、ガリレオが望遠鏡で宇宙の深部をのぞいてから、「400周年」なのだそうだ。
国連総会での決議を受け、パリに本部を置く国連の文化機関、「ユネスコ」はインターネット・サイト(下記リンク参照)を立ち上げた。「ガリレオの望遠鏡」の写真など「世界天文年」にふさわしい史(資)料を掲載する一方、年明けを前に世界各地のさまざま取り組みを紹介している。
当面のスケジュールとしては、新年、1月10日、「天文学のメッカ」といわれるカナダのトロントで、「世界天文年」のキックオフ行事が行われ、それを合図に世界各地で記念のイベント等が行われる。
スペインでは「世界天文年」を同国として公式のものとするため、特別法を定めて取り組むそうだ。
ウクライナでは、天文学者たちが「インターネット望遠鏡」なるサイトを立ち上げ、世界の人びとにウェブを通じて宇宙の神秘を目の当たりにしてもらう。
英国では学校に望遠鏡を貸し出し、子どもたちに宇宙への夢を広げてもらう計画だ。
オーストラリアでは「記念硬貨」を発行するという。
米国のNASAや日本のJAXAをはじめ、世界各国の宇宙機関の科学者らによる記念のブログ、「宇宙礎石ダイアリー」は元日から始まるそうだ。
☆
英国の新聞、「ガーディアン」に、「世界天文年」にちなんだ、面白い記事が載っていた。
スコットランド南部のギャロウェー森林公園に、ヨーロッパ初の「暗い夜空パーク(dark sky park)」が開設される、という。
「暗い夜空(ダーク・スカイ)」とは、人工の光で汚染されない、純然たる夜空、裸の天空のことである。
英国北部、スコットランドに、わたしが根釧原野の農道上で、ただ一度、偶然見上げた、梶井基次郎にでも言葉でスケッチしてもらいたくなるような、「宇宙の劇場」が「常設」される!
なんと贅沢なことか。
宮沢賢治が現代に生きていたなら、早速、「銀河鉄道」に乗って、スコットランドまで見物に出かけることだろう。
☆
この「暗い夜空(ダーク・スカイ)パーク」、実はスコットランドに限らず、全世界的で開設運動が静かに広がっているという。
音頭をとっているのは、米国のユタ州に本拠を置く「国際ダーク・スカイ協会(IDA)」。
全世界の都市部に住み、本当の夜空を失った33億人の人びとに、偽りの光に穢されない、宇宙光りの夜を見上げてもらう運動を続けている。
都市部の照明を一斉に消したり、街路灯の光を下向き照明に変えるなどの啓蒙活動に従事する国際組織である。
夜空の「光汚染」は、渡り鳥たちにとっても良くないことだと、IDAのサイトに出ていた。
「暗い夜空(ダーク・スカイ)」の回復は、環境破壊を食い止めることにもつながるわけだ。
☆
「世界天文年」の来年、日本でどんな行事、プログラムが行われるか、東京の「国連広報センター」サイトの「お知らせ」には何も書かれていなかった。
ガリレオの「ガ」の字もない、そっけないアナウンスが載っているだけである。
日本の塾帰りの子どもたちは夜、ケータイの画面を見ながら、家路につき、日本の大人たちはホームレスになることを恐れながら、生活防衛に必死だから、星空を眺めるどころではないのだろう。
わたしもまた、そういう一人だから、その気持ちは当然、理解できる。
理解はできるが、その一方で、いや、だからこそ、星空を見上げたい、という気持ちも離れない。
☆
そういえば思い出した。
子どもの頃、大失敗したり、大失恋したら、星空を見上げろと、担任の先生か誰かに諭されたことを。
今風に言えば、宇宙の彼方から届く星の光は、人間の苦しさを極小化してくれる「癒しの光」である、と。
また、もうひとつ、思い出した。
中学校で習った『冬の星座』って、あれっていい歌だったなあ~
☆
還暦を機に、来春、わたしは郷里の仙台に帰る。
帰りなん、いざ。七夕のふるさとへ。
人生は風、人生は夢――
できれば、なるべく人工の光のない、郊外の一軒家にでも住み、星への旅に備えたいものである。
⇒ http://www.astronomy2009.org/
http://www.darksky.org/mc/page.do?sitePageId=55060&orgId=idsa
http://www.guardian.co.uk/science/2008/dec/23/astronomy-galloway-dark-sky-park
Posted by 大沼安史 at 07:32 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink