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2008-05-24

〔NEWS〕 乾くスペイン 大旱魃 バルセロナへ フランスから「水船」 異常気象が地中海・カタロニア地方を襲う

 スペインの地中海側、バルセロナを中心としたカタロニア地方が大旱魃に喘いでいる。冬の雨は昨シーズンも降らず、水不足が深刻化している。

 異常気象がもたらした「乾くバルセロナ」。お隣、フランスのマルセイユからの、タンカーによる飲料水の緊急輸入も始まっている。

 スペイン気象協会はこのほど、旱魃警報を発した。同協会が日照りの警報を出したのは、なんと史上、初めて。カタロニアは水不足の危機に瀕している。

 連続18ヵ月、降雨がない。おかげでダムの貯水量は19%のレベルへと低下した。15%を切ると、水底の沈殿物が浮いてくるので取水できないという。

 つい最近、雨が2日、降ったが、干天の慈雨にはならなかった。まさに焼け石に水。

 公園の噴水も止まり、ビーチのシャワーも止まった。

 カタロニア地方のサンタ・ロマでは、人造湖の水が完全に干上がり、乾いて罅割れた湖底から、11世紀のキリスト教会の石造建築が姿を見せ、日光の直射を浴びている。

 今月(5月)13日には、バルセロナの南80キロの海辺の町、タランゴラからタンカーで水が運び込まれた。2000万リットル。18万人分の生活水。バルセロナだけで、人口160万人、あっという間に蛇口から流れ出た。

 22日にはマルセイユから3600万リットルの飲料水を積んだタンカーが、バロセロナに向け出発した。名づけて、海を渡る「水道橋」。

 マルセイユからの「補給」はとりあえず、今後3ヵ月、続けられるが、まとまった降雨がなければ水飢饉は解消されない。

 アンダルシア地方のアルメリアの海水蒸留プラントから「真水」の供給も受けているが、「恵みの水」としては当てにならない。

 そこで抜本的な対策として浮かびあがっているのが、ピレネー山脈から流れ出る川を「我田引水」する巨大プロジェクトだが、水路を変えれば、こんどは流域が水不足に陥るので、実現の見通しは立っていないという。

 もうひとつ、これは実現に向け、急ピッチで建設工事が進められているのが、バルセロナにヨーローッパ最大級の海水蒸留プラントを設置する計画。

 来年、完成する予定だが、これができてもバルセロナな人口の20%しか給水できないそうだ。

 間もなく夏。
 バルセロナにとって、晴れ上がった地中海の青空は、いまや脅威でしかない。 
 

⇒   http://www.independent.co.uk/news/europe/spains-drought-a-glimpse-of-our-future-833587.html
http://news.ninemsn.com.au/article.aspx?id=563042

  http://www.terradaily.com/reports/Severe_Spanish_drought_sparks_regional_fights_over_water_999.html
 

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Posted by 大沼安史 at 08:35 午後 | | トラックバック (0)

2008-05-22

〔この人に、忘れな草を!〕 黄色いリンゴは希望の色 ロズリン・ジンさん 死去

 歴史家、ハワード・ジン氏の奥さん、ロズリン・ジンさんが5月14日、亡くなった。85歳。
 ベトナム戦争、イラク戦争に反対し、発言を続けて来た歴史家の妻は、腕を組んでデモ行進する同志であり、静謐さと希望をキャンバスに描く画家でもあった。

 ボストン・グローブ紙の訃報によると、彼女がハワード氏に出会ったのは、ニューヨークでの高校生の時。
 結婚したのは1944年10月、ヨーロッパ戦線で爆撃機に搭乗していたハワード氏の最初の休暇中、ゴールインした。

 戦後、ニューヨークで子育てしながら出版社に勤務、大学院で勉強する夫を支えた。

 ハワード氏がアトランタのスペルマン・カレッジで教え始めると、ロズリンさんも地元の黒人劇団に唯一の白人として参加した。

 夫がボストン大学に移ると、そこでソーシャル・ワークを学び、ソーシャル・ワーカーとして活動、ボストンの貧民区、ロクスベリーで子どもたちを支援するなど、社会活動に従事した。

 絵を描き出したのは、20年前、現役を引退してから。死の直前まで、自分で階段を登り切り、アトリエにこもっていた。

 昨年夏、卵巣がんと診断された。ニュートンの自宅から、ウイルフィートにある海辺の別荘に移り、1日に2度、泳ぐなど、最後の夏を楽しんだ。「人生、最高の夏だった」。

 最後に描いた絵の一枚に、黄色いリンゴが描かれていた。友人に「リンゴを一個、どうしても描かなくちゃ、と思った。このきれいな黄色いリンゴを」と語った。

 昨年、「ペインティング・ライフ」という画集を出した。その序文に、こう書いた。

 「こんなにも苦難に満ち、それでいて自然と人間の形象において美しいこの世界で、わたしが見るもの――それがわたしに、希望の可能性を与えるイメージの造形に向かうよう迫るのです」と。

 黄色いリンゴの色とは、ロズリンさんにとって、希望の可能性の色だったわけだ。

 アメリカ史を民衆の視点から見つめ直し、反戦運動の先頭に立って歩き続けて来たハワード氏と、アメリカの希望を一個の黄色いリンゴに託し、キャンバスに描き遺して逝ったロズリンさん。

 その、最後の一枚の中のリンゴの輝きは、夫に肩を抱かれて微笑む、記事に添えられた写真の中の彼女の笑顔と、きっと同じだけ、静かな光を放っているに違いない。

 ご冥福をお祈りする。  

⇒  http://www.commondreams.org/archive/2008/05/21/9095/print/

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Posted by 大沼安史 at 09:58 午後 | | トラックバック (3)

 〔観る! ビデオ この映像  〕 「燃える槍」 オバマ オレゴン(ポートランド)7万5000人大集会 演説

 オバマ氏が5月18日(日)、オレゴン州ポートランドの河畔で開いた大集会(7万5000人)のビデオを観た。

 この選挙は、オバマひとりの選挙ではない。みなさん一人ひとりの選挙なのだ。一人ひとりの「物語(ストーリー)」をひとつにつなごう!

 「オバマ」とは、ケニアのルオ族の言葉で「燃える槍」を意味する。

 オバマの言葉は人びとの心を貫き、希望の泉を探り当てる……。

 またしても、シンプルで胸を打つ演説だった。

 オバマよ、燃えろ、希望の灯をともせ!

⇒ http://my.barackobama.com/page/content/portlandrallyvideo

Posted by 大沼安史 at 11:33 午前 | | トラックバック (0)

2008-05-20

〔NEWS〕オバマ氏 アイオワでの「勝利宣言」、回避の見通し

 英紙インディペンデントによると、オバマ氏が予定していたアイオワでの「勝利宣言」は回避される見通しとなった。

 ヒラリー陣営に配慮したもの。

 オバマ氏は予備選における攻勢の基点となったアイオワに20日夜に「帰り」、キャンペーンのサイクルが完結したことだけは有権者に示す。

⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/obama-to-complete-circle-in-iowa-as-final-votes-loom-831032.html

Posted by 大沼安史 at 11:50 午前 | | トラックバック (1)

2008-05-19

〔NEWS〕 オレゴンのオバマ氏の集会 7万5千人もの規模(マルチチュード)に 火曜日(20日)、アイオワで「勝利宣言」へ

 ニューヨーク・タイムズが報じたところによると、オバマ氏が18日(日)、オレゴン州ポートランドのウィラメット河畔で開いた集会に、なんと7万5千人が詰めかけた。

 天候にも恵まれ、川面にはカヤックなどのボートも浮かんだ。

 予備選を戦うオバマ氏の集会としては空前の規模。

 オバマ氏は20日、ことし1月、初戦を飾ったアイオワ州で「勝利宣言」する見通しだ。

⇒  http://www.nytimes.com/2008/05/19/us/politics/19campaign.html

Posted by 大沼安史 at 03:57 午後 | | トラックバック (0)

2008-05-18

〔いんさいど世界〕 ミーハー的オバマ論 大統領になってほしい5つの理由

 何を隠そう、僕は(ONUMA)は、「オバマ(OBAMA)」のファンである。いわゆる「オバマ・マニア」の一人。名前のローマ字を2文字、入れ替えれば、すぐ「オバマ」になれる(?)ほど、根っからの支持者である。

 そう、「NU]と「BA]は、交換可能(?)な運命の星の下に、生まれて来た!?……

 「BA」氏が「次のアメリカ大統領」へ向け、王手をかけた。そこで、「NU」としては、59歳、チョー晩生な「ミーハー」ぶりを発揮、なぜ「BA」を「NU」が支持するか、ここでその理由を明らかにしたい。

                ◇ 

 まず、オバマ氏の「言葉力」である。「言葉力」……変な言葉(「KY」よりはまとも)だが、話す力、書く力を指す。この言葉力が彼にはある。それもハンパじゃないレベルの言葉力が……。

 「文藝春秋」6月号の「座談会」で、作家の井上ひさしさんが、オバマ氏の「言葉力」について、こんな発言をしていた。

 「この記事を読んで、オバマさんの演説はとても演劇的、物語的だと感心しました」
 「簡単な言葉を使っているといっても、小泉純一郎さんの『ワンフレーズ・ポリティックス』とは違います。小泉さんの言葉は暴力的でうしろ向きすぎます。小泉さんの『ぶっ壊す』は、今わたしたちの歩いている道を『ぶっ壊す』という感じですが、オバマさんの『チェンジ』は、歩いている道の少し先に明かりを灯して、そこまで行きたいを思わせます……」

 井上ひさしさんの指摘の通りだ。
 たとえば、オバマ氏が3月18日、「独立宣言」の地、フィラデルフィアで行った、あの名演説、「よりパーフェクトな団結を目指して(A More Perfct Union)」。

 演説は、「かの独立宣言が行われたホールは、いまわれわれがいるこの場所のすぐそば、通りの向うに立っている」と切り出し、聴衆を一気に「アメリカ史」の「物語」の中の「舞台」に引き入れて、自分たち一人ひとりが、「物語」の当事者であることに気付かせることから始まる。

 「わたしたちの前に立ちはだかる挑戦を、わたしたちは解決できないだろう……もし、わたしたちが力を合わせ、一緒に問題解決に取り組まなければ……」
 「わたしが歴史の中のこの瞬間、大統領選挙に出ようと決めたのは、そのためである……」

 演説のビデオを見て確認したが、オバマ氏は原稿を「見ないで」語り切った。原稿の文章が目の前に浮き出る装置に頼らず、最後まで言い切った。事前の発表された演説テキストとの「違い」(といっても微細なものだが)は2ヵ所だけ、1回、言い淀んだだけだった。

 演説テキストはたぶん、オバマ陣営のスピーチライターによるものだろうが(オバマ氏が自分で書いたものでないかもしれない……わたし(大沼)は、オバマ氏自身が書いた可能性が高いを見ている)、中身はオバマ氏自身が「すでに書いた」ものの集成である。

 オバマ氏は「自伝」を含め、本を2冊、それもかなりの分量のものを、政治家には珍しく、ゴーストライターなしに書き上げ、出版しているが、そこに書かれた言い回しが演説の随所に見られるのだ。

 オバマ氏の演説の力(語りかける力)は、その「書く力」によって裏打ちされている。その演説が人の心を動かすのは、その「言葉力」にある。

                ◇ 

 僕の「オバマ・ミーハー」の第2の理由は、「あれか、これか」の「2項対立」を超える柔軟な発想力である。対立しているだけでは、何の解決も生まれないし、結果として「勝者がすべてを分捕る」だけである。

 そんな「2項対立」の間に道を通していく。これはすでに紹介したことだが、オバマ氏はイリノイ州の上院議員時代、死刑制度賛成・反対派、双方から批判を浴びながら、死刑になりうる犯罪容疑者の取り調べについて、「自白」場面だけでなく、取り調べの全過程のビデオ撮影を捜査当局に義務付ける法案(捜査当局は、これに抵抗したという。日本ではこの抵抗に屈し、「自白」場面のみのビデオ撮影になった)を上程、結果的に死刑賛成・反対の両派から支持を取り付け、成立させてしまった。

 無実の人を処刑する、取り返しのつかないことだけは、とにかく避けようという現実的な知恵。
 オバマ氏は、「自白」の信憑性を裏付けるためには、取り調べの全過程に「強制」や「誘導」がなかったことを証明しなければならない、そのためには全過程をビデオに記録する必要がある、と訴え、州議会の全会一致の賛成を取り付けたのだ。

 イリノイ州では当時、地元・ノースウェスタン大学ジャーナリズム大学院のプロテス教授のチームが、「無実プロジェクト」という、冤罪の死刑囚を救出する再捜査プロジェクトに取り組み、ある年老いた黒人死刑囚のケースでは、なんと執行48時間前に救い出される、といった劇的な事態が続いていた。(この点については、宣伝めくが、拙著、『緑の日の丸』(仙台「本の森」刊、109頁以下、参照)

 このオバマ氏の「2項対立」を超えてゆくスタンスは、その先の「大所高所」からものを見、政策を構想する力(アドバテージ)を、この人に与えているようだ。

 たとえば、オバマ氏は連邦議会の上院議員として、「ハイブリッドでヘルスケアを」という法案を提出したことがある。

 この法案は、ガソリンと電気で動く「ハイブリッド車」の開発に取り組む米国の自動車メーカー(ビッグ3)に対し、連邦政府がそれを立て替える形で補助金を投入、その代わりメーカー側に退職社員への健保の維持を義務付ける法案だ。

 自動車産業の育成、環境対策、エネルギー対策に医療保障を加味する「合わせ技」。

 黒人(ケニア人=ルオ族)を父に、白人(カンサス出身)を母に持つ、いかにもオバマ氏らしい、「ハイブリッド」な発想ではある。オバマ氏はハワイの生まれだが、カリブ海の「クレオール」的な資質の持ち主らしい。

                ◇ 

 オバマ氏に対する僕の「ミーハー」支持の第3の理由は、その草の根でのコミュニティー活動の実践歴である。

 オバマ氏はコロンビア大学を卒業後、ニューヨークで、短い「エリート・サラリーマン」生活を過ごしたあと、あっさり「キャリア」を投げ捨て、シカゴのスラム、サウス・サイドに入り、下水終末処理場のあるアルトガード(ドイツ語で「古い金」)という地区を中心に、「貧困・地域崩壊」と闘うコミュニティー運動に邁進した人である。

 シカゴのスラムでオバマ氏は、さまざまな人と会話し、さまざまことを学ぶ。そして、こんな確信を深める。

 人にはそれぞれ「物語(ストーリー)」があり、それぞれの思いがある。そうした「物語」の「ユーモア」と「悲嘆」と「希望」をベースに、「われわれの家庭は、われわれのコミュニティーは、われわれの経済は」再建されなければならない、と。

 オバマ氏は、アメリカの貧困、底辺の中から生まれて来た「大統領候補」なのだ。

                ◇ 

 僕がオバマ氏を支持する第4の理由は、その「視界」の「広さ」と「高さ」である。
 子どもの頃、オバマ氏はインドネシア人と再婚した母に連れられ、一時、ジャカルタで生活したこともあるが、そうした異文化体験(後年、父親の出身地、ケニアも訪ね、親族と交流してもいる)を経ているせいか、テリトリーを自由に超えてゆく、身軽な自由さがある。

 たぶん、彼はいい意味で、恐れを知らぬ「風来坊」なのだ。あるいは、自分の中にだけ「定住」する「ノマド(遊牧の民)」。

 シカゴのスラムに「ストレンジャー(異人)」として入ったオバマ氏は、その根を下ろしつつ、東海岸、ボストンに近いハーバード大学のロースクールへ、またも「異人」として入り、法律を学ぶ。 その「最高学府」ハーバードで、有色人種初の「ジャーナル」編集長になり、アメリカのエリート層と対等の付き合いをしてゆく。
 そして、シカゴに戻って政治家となり、その傍ら、シカゴ大学ロースクールで憲法を講じる。

 越境者=オバマ氏は「分裂国家・アメリカ」の、「上」から「下」までのすべてを、知っているのである。

 この鳥瞰するような視野の広さ・高さは凄い。しかも、それが、単に「見下ろす」ものではなく、草の根の中の視点でもって、担保されている点は重要なことである。

 オバマ氏はその著書の中で、自家用ジェット機の客となって、カリフォルニアの「グーグル」本社を訪ねたときの経験を書いているが、そのあと、すぐ続けて、イリノイ西部へドライブし、閉鎖される工場の人びととの対話集会に臨んだ時の思い出を書いている。

 オバマ氏は、地上の現実(錆びた地帯)に、その上空を飛翔する、もう一つのアメリカの現実(シリコンバレー)を架橋しようとしているのだ。

 そこから彼の、「シヴィル・リバタリアン」(ニューヨーク・タイムズ)としての立場が、上記のさまざま要素と綯い交ぜになって生まれて来る。

 官僚制に頼り切る「保守的なリベラル」ではなく、あくまで「リベラル」な立場を貫きながら、制度的な改革に取り組む「革新的なリベラル」……

 「ネオ・リベ」を装った「ネオ・コン」(市場原理主義で統治の土台まで「ぶっ壊す」、右翼リバタリアン)とは違った次元で、社会経済のイノベーション(革新)に挑戦し、アメリカに新たなシヴィル・ソサエティー(市民社会)を創ってゆく「革新的なリベラル」……

 それが、たぶん、ニューヨーク。タイムズの言う「シヴィル・リバタリアン」の意味の内実であろう。

                ◇ 
 
 ぼくの「ミーハー」的支持理由の5番目、リストの最後に来るのが、オバマ氏と日本との縁である。

 ハワイでの少年時代、近くの日系人から「SASHIMI」のいいところを分けてもらった思い出。

 ケニア人の父親のアメリカの大学生時代のことを、電話で教えてくれた同窓の日系人の思い出。

 母親に連れられ、インドネシアに向かう途中、日本の鎌倉で「大仏」を訪ね、箱根の湖で「緑茶アイス」を食べた思い出……。

 オバマ氏には、日本、日本人に関する「いい思い出」が、けっこうあるのだ。

                ◇ 
 

 ぼくはオバマ氏がきっと、次の「大統領」になると確信している。

 アメリカにようやく、改革者が現れた!

 O・B・A・M・Aの5文字はぼくにとって、ミーハー的に並べ立てた、5つの「支持理由」の頭文字である。
  

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Posted by 大沼安史 at 11:26 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (3)

2008-05-16

〔ビルマから〕 軍政 スーチー女史宅の隔離を強化 

 英紙インディペンデントによると、ビルマの軍事独裁政権はヤンゴン市内のスーチー女史宅の周囲の警備を強化した。
 スーチー女史を隔離、ビルマ民衆との接触を禁じる措置と見られる。

〔大沼・注〕 ビルマの民衆の間に「決起」のマグマが蓄積しているのだろう。軍政はそれを恐れている。

⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/asia/paranoid-burmese-junta-steps-up-security-around-suu-kyi-829322.html

Posted by 大沼安史 at 03:31 午後 | | トラックバック (0)

2008-05-11

〔ビルマから〕 死者150万人にも 軍事独裁政権 二次災害を拡大

 英紙インディペンデントは、国際的支援団体、「オックスファム」の見方として、ビルマのサンロンによる犠牲者が150万人に達する恐れがある、と報じた。

 軍事政権の無策による、疫病の蔓延などによる二次災害が本災害の規模を上回る。

 救援団体へのビザ発給を拒む軍事政権に、国際的な非難が高まっている。

〔大沼・注〕 北朝鮮もそうだが、ビルマ(ミャンマー)の軍事独裁政権も、戦時中の、わが日本の権力者たち、そっくりだ。

 ミャンマー軍事政権も、その「国体護持」に汲々として、民衆の命など二の次と思っている。

 文芸誌「すばる」5月号に、井上ひさしさんのヒロシマ朗読劇、「少年口伝隊1945」の脚本が掲載されていた。

 「リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン」を改題したもので、広島の国民学校6年生、3人組が主人公だ。

 そのうちの一人、「勝利」は戦後間もない「九月十七日」に「行方不明」となる。

 アメリカが「おちんちん(原爆)」を炸裂させたヒロシマを、こんどは強烈な台風(ビッグ・タイフーン)が襲い、山津波、高潮などで、「勝利」を含む、被爆者ら多数の命が奪われた。

 日本の権力者も、ミャンマーの同類同様、手を拱いて、被災者を見捨てたのである。

 一方で、「これこそわが県の子女の純潔を守る防波堤として」、早速「占領軍兵士のための性的慰安施設」を広島県内の尾道など3ヵ所に設置する……といった、アメリカへの迎合、ポチぶりを如何なく発揮しておきながら、台風被害を予防する「防波堤」づくりを怠った、日本のファシスト権力者たち。
 
 そうした「ゾンビの正統なる後継」である日本の現政権に、ミャンマー軍事政権を非難する資格は、元からない、と言わねばならない。
 
 
⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/asia/burma-death-toll-could-reach-15-million-825911.html

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Posted by 大沼安史 at 08:51 午後 | | トラックバック (1)

〔コラム 机の上の空〕  ツバメが飛ぶ「母の日」

 昼過ぎ、雨が上がったので、散歩に出た。川沿いの道を歩き出すと、糸のように繊細な雨が降り出した。

 川面をツバメが飛んでいる。
  到着間もないツバメたち。夏場を過ごす「別荘」を確保して、よほど嬉しいのだろう。斜めに降り続ける春雨の中、曲芸飛行を演じている。

               ◇

 ツバメを見て、思い出した。
 新聞記者をしていたころ、中学校の軒下に巣作りしたツバメの一家を取材したときのことを。
 カメラマンのNさんを肩車したときのずっしりした重みを、肩と腰の感覚で覚えている。
 Nさんの撮った写真は、巣の中の子ツバメたちを守ろうと、翼を広げて威嚇するお母さんツバメの姿だった。

               ◇

 Nさんは優しい人だった。苦しみの中で記者活動をしていた当時のわたしを気遣い、励ましてくれたNさんだった。

 取材ヘリの事故で死んだNさんの葬儀に出て、優しさのわけ(少なくともそのひとつ)を知った。Nさんもまた別の意味で、苦しい日々を過ごしていた。

 遺された母子の姿が痛々しかった。

               ◇

 橋にかかったところで、雨脚が強くなった。まるで北斎の構図で、中学生くらいの男子3人組が自転車を連ね、勢いよく橋を渡って、坂を登って行った。

 そのまま上流へ少し行くと、右手の水田に一羽の白鷺がいた。雨の中、身じろぎもしないで、白磁のように佇んでいる。

 白鷺は舎利子。わたしの守り神。
 白鷺はむろん、あくまで白鷺であり、守り神そのものではないが、守り神になり得る何か、ではある。

 わたしはこの川沿いの道で、白鷺に何度、救われたか知れない。

               ◇

 川沿いの道は住宅街に入り、買い物帰りの女性とすれ違った。

 ふと、死んだ母を思い出した。

 わたしの、宝物のような、幼い子どもの頃の記憶がひとつ。
 100メートルほど離れた農家からもらい水した母親が、肩に天秤を通し、水桶を二つ下げて、白い道をこちらに歩いて来る……。
 川のそばの借家には水道はもちろん、井戸もなかった。風呂桶の水を張るのに、母は何度、その道を往復したことだろう。

               ◇

 隣駅まで歩き、蕎麦屋に入り、スーパーで買い物をして電車で帰って来た。そして、ライティングデスクの上のラップトップPCに向かった。

 ワープロ代わりに使って来た古いパソコンで、修理に出していたのがようやく戻って来た。
 独り暮らしのわたしの、大切な「話し相手」だ。

 こんどの木曜日の朝、「遅ればせながら」と前置きし、ラジオできっと話すであろう「母の日」にちなんだ話題を書き始める。

               ◇

 いま、パソコンの左にあるのは、一冊の詩集。
 フランシス・リッチイさん(57歳)という、ニューヨークに住む一人の母親が書いた、「戦士(ザ・ワリアー)」である。 

 フランシスさんの一人息子、ベンさんは陸軍士官学校を出て、特殊部隊に加わり、秘密の任務を帯びてイラクに送り込まれた。

 出征した息子を思い、シングルマザーの母親は詩を書き続けた。

               ◇

  そこには何かが……
  あのヘルメット、塊の中に
  暖炉のそばの装備の山。前に
  見知らぬ兵士がかぶり、いま息子のものに
  死に行く人びとのように私に語り掛けるヘルメット
  最早、語ることもできないのに
  抵抗できないほどの引く力、重力のように
  あるいは愛のように
     私はふれてみたかった
   (「出征の一週間前に」より)

               ◇

          幽霊の
  ような月が、息子の雨具に半分、かかっている
  もう何人、死んだの
  まだ足りないから?
  他の世界に飛んで行けないから?
  私はあなたをつかんでいたい
  でも、あなたは私のものじゃない あなただけの
  国 手の感触
  生まれたばかりのあなたの頭に触れた
  眠っていたのよ
  頭の骨のできあがる前のあなたは
  (同)

               ◇

  ……髭の、クリシュナ神のように
  ローブの下に隠れて 
  どこにでも
  誰にでもなれる
  そうなるわ 
  あなたが死んだら
  どこにでもいるの
  幽霊……いや神さまに
  (「交信不能」より)

               ◇

 詩集の最初の方に、「ツバメ」という詩がある。

 息子のベンさんが士官学校を卒業した日、卒業式が行われたグラウンドをツバメが飛んでいたという。

 どこからともなく、突然、会場に現れたツバメたちに誰も気づいていないようだ。
 卒業とともに、突然、兵士に変わる息子のベンさんのように、唐突に出現したツバメたち。

 そのツバメにベンさんを重ね合わせて、フランシスさんはこう綴った。

  いま、私は信じている 翼のまなざしを
  ツバメの一羽一羽に 色彩のきらめき
  届かない祈りの伝言を乗せて
  貸してもらった双眼鏡をのぞくと
  そこにあるのは整列 
  私は彼の顔を探す

               ◇

 フランシスさんのベンさんは、イラクから無事生還し、カリフォルニアの大学に進学したという。

 母親のもとへツバメは帰り、こんどは大学へと飛び立った。

               ◇

 今日、「母の日」。横浜は夕方から晴れ間がのぞき、いま、西の窓のすりガラスは光り輝いている。壊れそうだけれど、静かで平和な、日本の夕暮れ。

 5月の第2土曜日を「母の日」とする決まりは、息子を戦場に出すまいと決心した、あるアメリカの母の訴えから始まったものだという。  

Posted by 大沼安史 at 05:49 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-05-09

〔NEWS〕 ルモンド紙 「パリ5月革命」回顧特集

 1968年5月のパリ……。あの「5月革命」から、もう40年、経ったのだ。

 ルモンド紙が、電子版で回顧特集を組んでいる。

 当時の記事が無料で読める。写真もまた無料で見ることができる。

 ついでに「プラハの春」の記事も。

 史料としてダウンロードを!

 日本の新聞にも、60年安保、70年安保を、電子版で特集してもらいたいものだ。
 ルモンドに見習うべきである。

⇒  http://www.lemonde.fr/web/vi/0,47-0@2-1004868,54-1039949,0.html

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Posted by 大沼安史 at 11:39 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 中東に平和を 願いをペダルに込め 世界の女性たち300人が自転車ツアー

 中東に、一筋の平和の流れが……。世界各国から集まった女性サイクリストたち300人が、中東和平を求めてサイクリング・ツアーを始めたそうだ。

 ダマスカス(シリア)発、AP電(5月6日付け)を遅ればせながら読んで、すっかり嬉しくなった。

 レバノンからシリア、ヨルダンを経て、ヨルダン川西岸のパレスチナに入る12日間、銀輪の旅。

 名づけて「ペダル・フォー・ピース2008」。平和の願いをペダルに込めてひた走る女性たちの中には、われらが「大和撫子サイクリスト」も含まれているそうだ。

 英国に本拠を置く、「女性に続け(フォロー・ザ・ウイメン、FTW)」の主催。
 FTWは元航空管制官で、錯綜した状況の中で冷静さを失わず、空のトラフィックをさばいた経験のある英国人女性、デッタ・レガンさんが結成した市民団体で、この「中東和平サイクリング」を、2004年から毎年、続けて来た。

 ことしのツアーには、日本を含む世界28ヵ国から女性サイクリストが集まった。レバノンのベイルートに集合、5月3日に出発し、同14日まで、300キロを走破する。

 すでにゴラン高原などシリアを回り、今日9日はヨルダンのアンマン周辺を走っている(FTWの日程表による)。

 アンマンは丘と谷の坂の街。大変だろうなぁ~。

 AP電によれば、300人のサイクリストは、アメリカ人あり、南アフリカ人あり、トルコ人あり、イラン人ありと国際色も豊か。アラブ各国からも、もちろん参加しており、世界のさまざまな国の人びとの平和の願いが、それぞれの国の女性たちによって中東に集結、自転車の長い流れとなって、連帯と励ましの軌跡を残している。

 うーん、凄いなぁ~。凄い女性たちだなぁ~。強い女性たちだなぁ~。
 現地の人たちも、きっと勇気づけられているだろうなぁ~。

 中東和平は自転車に乗って! 
 パレスチナ、忘れまじ!

 パレスチナ問題が平和裏に解決すれば、中東を震源とする世界の混乱も収まる。そのためにも、だからこそ、平和へのペダルは、こぎ続けなければならない……

 そのことを、女性たちは、日本の私たちにも告げながら、いま中東の大地を走っている。

 アンマンから西岸のジェリコに入るのは、日曜日、11日の予定だ。
 

⇒  http://www.iht.com/articles/ap/2008/05/06/africa/ME-GEN-Syria-Cycling-for-Peace.php

 http://www.followthewomen.com/activities/pedalforpeace/2008/

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Posted by 大沼安史 at 10:35 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2008-05-08

〔ビルマから〕 救援に動いたのは軍事政権の兵士ではなく僧たちだった!

 豪紙、ヘラルド・サンが報じたところによると、サイクロンで壊滅的な被害に遭ったビルマで、僧たちが救援活動に動いている。

 軍事政権の兵士は、といえば、「ラングーンのどこにも見当たらない」(目撃者)状況。

〔大沼・注〕 独裁者が大事なのは、自分たちの権力であり、民衆の生活でも命でもないことが、ここビルマでも立証された。

 
⇒ http://www.news.com.au/heraldsun/story/0,21985,23659550-5005961,00.html

Posted by 大沼安史 at 04:25 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 「ヒラリーよ、降りなさい」 マクガバン氏が勧告

 英紙ガーディアンによると、ヒラリー・クリントン陣営の長老、ジョージ・マクガバン氏が、彼女に指名争いから降りるよう勧告した。

〔大沼・注〕 民主党左派のかつてのリーダーで、元大統領候補のマクガバン氏がヒラリー陣営にいたとは知らなかった。

 その彼が、ヒラリーを斬って捨てた。

 流れは「オバマ」に向かっている。 

⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2008/may/08/hillaryclinton.barackobama

Posted by 大沼安史 at 03:50 午後 | | トラックバック (0)

2008-05-05

〔コラム 机の上の空〕 戦争と娯楽による子殺し

 5月1日、バグダッドの貧民区、サドル・シティーで、米軍が破壊した家の瓦礫の下から、2歳になる男の子が遺体で見つかった。

 アリ・フセインちゃん。

 そのいたいけな、何枚かの写真は、通信社の手で全世界に流れた。死んでなお、あどけない顔。小さなスニーカーを履いた、歩き出したばかりの細い足。

 このイラクの男の子の命を奪ったのは、米軍が放った「200ポンド誘導ロケット弾」だった。

               ◇

 アリちゃんの父親は、米国ABCテレビの取材に対して、こう言った。

 「アリはわたしの足にすがって、父ちゃん、父ちゃんと言って、いつも外に出たがっていた。戦闘が続いていたから、表へ出せなかった」

 アリちゃんはこの1ヵ月半、家の玄関で、外に出て遊びたいと言い続けて来た。スニーカーを履いていたのは、すぐにでも外に飛び出したかったからに違いない。

               ◇

 そんな矢先、こんどはさらに気持ちの悪い「ニュース」が届き、吐き気を催しそうになった。アリちゃんの悲劇とはまた別の意味で、胸に重苦しい衝撃を受けた。

 「ディズニーランド」を設計したデザイン会社、「ライド&ショー・エンジニアリング」の手で、米軍、傀儡政府機関の立て篭もる、バグダッドの「グリーンゾーン」隣接地に、アメリカ式の「アミューズメント・パーク」をつくる計画が進んでいるのだそうだ。

 英紙「タイムズ」などが報じた。

               ◇

 事業主体は、ロサンゼルスの「C3」という企業。
「イラク政府」から50年リースで、「バグダッド動物園」(イラク戦争開戦時に壊滅した!)を中心としたアル・ザウア公園の一帯、20ヘクタールを借り受け、そこに「バグダッド動物園とエンターテイメント・エクスピリアンス(娯楽の体験)」というアミューズメント・パークを建設するのだそうだ。

 その第一弾として、ことし7月にお目見えするのは、スケボー場。
 アメリカから20万台分の部品を輸入、現地で組み立てて、ヘルメット、ヒザあてと一緒に無料で配るという。

               ◇

 このプロジェクトについて、カナダの「グローバル・リサーチ」研究所代表のマイケル・チョスドフスキーさんが、「戦争のプロパガンダ:ディズニーランドが戦火のイラクへ」という論文で、手厳しく批判している。

 イラクの文化を破壊しておいて、何がアミューズメント。
 子ども心につけこむ、米軍お得意の「心理戦」、「イメージニアリング(イメージ+エンジニアリング)」のプロパガンダであり、悪質だ……と批判している。

 まさに、然り。チョスドフスキー教授(オタワ大学)の言う通り。

               ◇

 お外で遊ぶことも出来ないイラクにしておいて、何がアミューズメント(娯楽)だと、ぼくもまた声を大にして叫びたい。

 「グリーンゾーン」も、その周辺も、武装抵抗勢力の砲撃が続き、とっくに「安全地帯」でなくなっているのに、そこでスケボーをさせる?……

 プラスチックのヘルメットで、ロケット弾を防げるとでも?

 それとも、スケボーで釣って呼び込んだイラクの子どもたちを、「人間の盾」代わりに使おうとでもいうつもり?……

               ◇

 東京湾の最深部、浦安に「東京ディズニーランド」が出来たのは、四半世紀前、1983年。アメリカが「帝都」を「東京大空襲」のファイアーストームで焼き払ってから、38年後のことだった。

 「5月5日」の「子どもの日」のある日本にも、「死ぬまで遊ばせる(Amused to Death)」(アメリカの教育・メディア学者、ニール・ポストマンの表現)時代が来た!

               ◇
 

 が、バグダッドではなお「戦争」が続き、戦闘が、街の破壊と人間の死が日常化している。
 
 バグダッドのみならず、イラクの全土で、日常が破壊され、生活が死んだ!

 それはイラクの子どもたちにとって、未来がすでに奪われてしまったことを意味する。

 米軍が破壊しきったファルージャを記録したビデオ(「クロスファイア」)に、忘れられないシーンがある。

 自転車のわきで呆然とたたずむ、生き残った男の子の虚ろな顔……。

               ◇

 アメリカよ、ふざけるな、と言いたい。  

 アミューズメント・パークよりも先に、歩き出した子どもが元気いっぱい、スニーカーをはいて外に飛び出せる「通り」の復興が先決だ。

 バグダッドに平和を、イラクに平安な日々を! 

 「戦死」したわが子の柩に、「ミッキーマウス」を入れる親は、イラクにはいない。  
 
⇒ 
 http://www.abcnews.go.com/International/story?id=4775808&page=1

 http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article3802051.ece

 http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=8837

  http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article882037.ece

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Posted by 大沼安史 at 03:45 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

〔ビルマから〕 サイクロン直撃

 英紙インディペンデントが報じたところによると、ビルマを4日夜、サンクロン「ナルジス」が直撃、壊滅的な被害をもたらしたようだ。

 国営メディアによると、死者はすでに350人に達し、数千人がホームレスになるなど被害は拡大している。

 民衆の間から、軍事独裁政権が「ナルジス」の脅威に対する警戒を国民に十分、知らせていなかったとする批判も出ているという。
  

⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/asia/burma-under-pressure-to-let-outside-world-help-after-cyclone-kills-hundreds-821130.html

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Posted by 大沼安史 at 01:41 午後 | | トラックバック (1)

2008-05-01

〔教育コラム 夢の一枝〕 「コペンハーゲン合意」

 1984年5月、わたしはニューヨーク・マンハッタンの安宿を根城に、1ヵ月、この街を歩いた。週決め料金の安宿のロビーには、いつも登山靴をはいた白人の娼婦がいて、そのうち挨拶を交わすようになった。

 運動靴を履いたわたしは1ヵ月間、ニューヨークの下町を歩き回った。ウェストサイドの公立オルタナティブ校、「ドーム・プロジェクト」、イースト・ハーレムの第4学区(SD4)の新しい公立学校の群れ……。

 そんなある日、コロンビア大学の近くに行ったので、キャンパスを覗いてみようと思って立ち寄ったところ、セキュリテー・ガードに構内立ち入りを阻まれた。
 コロンビア大学の卒業式の日だった。

                 ◇

 アメリカの改革者、バラク・オバマの自伝を読んで、次の大統領になろうとする彼が、その年、コロンビア大学を卒業したことを知り、少し変な気がした。
 あの日、オバマは、コロンビア大学の卒業式に出ていた(はず)! それもイースト・ハレームの外れの、自宅アパートから出て!

 オバマとわたしはもちろん、会ったこともないが、イースト・ハーレムに通い込んだわたしとしては、勝手な親近感を感じざるを得ない。

 「2項対立」の不毛を「コモン」(共通項)を足場に乗り越えようとするオバマは、あの、「イースト・ハレームの奇跡」を身近に感じて(知って)、学生時代を過ごした男なのだ。

                 ◇

 ニューヨーク第4学区(SD4)、イースト・ハーレム。この学区で1970年代の終わりから、どんな学校改革が行われたか、は今さら言うまでもなかろう。

 ニューヨークの公立学校の教師の誰もが転勤したがらないこのスラムで、そこに踏ん張る教師たちが、さまざまなタイプの新しい公立学校群を産み出したことは、アメリカの教育史に燦然として残る、歴史的な偉業である。

 中でも有名なのは、デボラ・マイヤー女史が創設したCPE(セントラル・パーク・イースト)。

 そのほか、演劇学校、海洋学校、理数学校など、さまざまな公立校が、新校舎のいらない「学校内学校」形式でどんどん開校し、文字通り、百花繚乱の季節を迎えていた。

                 ◇

 このイースト・ハーレム、SD4のように、公教育システムそのものが、官僚制の統制・画一主義を打破し、教師たちのイニシアチブで、多様な、新しい公立学校群が生まれるのは、たしかにひとつの理想ではある。

 が、公教育の官僚制が、それを認めようとしないのは、アメリカにおいても、アメリカでなくても、フツーのことである。統制&支配……新たな学校の創出を、公教育に巣食うエデュクラシー(教育官僚制)は、阻もうとする。

 教育官僚制と化した公教育が、新規参入を認めない惰性態と成り果てているのだ。

                 ◇

 そういう硬直化した教育官僚制の統制に対し、公教育の枠組みの中で、どのようにして、フレッシュな新しい、公的な学びの場を生み出していくか?……そんな問題意識の中で生まれたのが、アメリカの「チャータースクール」である。

 生徒1人あたり、公校教育費の7割ほどを交付する「チャータースクール」とは、公立学校の教師集団により、ニューヨークのスラム学区、SD4で生まれた、子どもたちのための新しい公立学校群を、SD4のような奇跡の学区ではない、フツーの学区で創設する仕組みを指す。

                 ◇

 その「チャータースクール」に対して、日本の「進歩主義者」たちから悪罵が浴びせかけられているのは、残念かつ淋しい限りのことである。

 公教育の破壊、市場原理の導入、公教育を圧殺する「ネオリベラリズム」による総攻撃……

 ならば、彼らに、こう問うてみたい。

 過疎化して統廃合され、廃校が決まった地域の公立校を、チャータースクールとして守り抜こうとしている、ミネソタのド田舎の元公立学校教師集団は、「ネオリベ」なのか?

 自分たちで「学校共同組合」を創り、チャータースクールという、もう一つの公立学校群を生み出し、自ら運営している教師たちは、「市場原理主義者」なのか?

                 ◇

 あきれ果て、開いた口がふさがらなかったことがある。

 「チャータースクール」を、「階層化ですよ(笑い)」と嘲笑った(としか、わたしには思えなかった……)、ある日本の高名な教育学者が、その一方で、CPEのデボラ・マイヤーがマサチューセッツで始めた学校のことを、これこそ「学びの共同体」と称賛していたことだ。

 マイヤー女史が、マサチューセッツで開いた学校がチャータースクールであることを、知ってから知らずか……。

                 ◇

 同じことは、「教育バウチャー」についても言える。

 「教育バウチャー」は、あの市場原理主義者、ミルトン・フリードマンが提唱したことだから、絶対に認めめらいない、という議論である。

 たしかに、フリードマンの議論は、バウチャーの全面導入による公教育の全面解体を促す(市場原理に曝す)もので、それに対しは強烈な反駁を加えなければならないが、だからと言って、フリードマンのクソ親父と一緒に、バウチャーの理念まで廃棄処分にしていいものではない。

 アメリカの大都市、ミルウォーキー、クリーブランドで導入されたバウチャーの推進者は、民主党の黒人女性・州議会議員であることを忘れてはならならないし、スウェーデンでの幼児教育バウチャーの実施例まで、「ネオリベ」の一言で、その意義を否定し去ってはならない。

                 ◇

 先日、米国の雑誌、「フォリーン・アフェアーズ」(2008年3・4月号)を読んでいて、日本の「ネオリベ」批判者たちに聞かせてやりたい一文に出くわした。

 ロバート・カトナー氏の「コペンハーゲン合意」なる論文である。

 この論文は、デンマークの雇用の「安全」と「柔軟性」を、二項対立として考えるのではなく、両立可能にしているデンマークの経済的な秘密((「フレセキュリティ」ー」=「フレキシビリティー」+「セキュリティー」)を検証したものだが、そこにこんな一節がある。

   (デンマークでは)私立校、宗教学校がその運営費の85%を政府からの補助金で得ることができる。アメリカでは、右翼によって推進されている「学校バウチャー」だが、デンマークでは  政府によって財政支援されている私立学校が、社会的な安全弁として左翼よって受け容れられている。(P82参照)

 カトナー氏はバウチャー的公的援助を、デンマークでは左翼が容認している、と驚いているのだ。これは経済を専門とする氏の「初めて知った」驚きだが、ついでに一言付け加えれば、アメリカでもバウチャー導入論は右派のみならず、左派からも出ているのである。

                 ◇

 横道に逸れかかった話を元に戻すと、もちろんわたしもまた、「ネオリベ」批判者の「善意」を疑うものではない。公教育を破壊してはならない、という彼らの主張に、わたしもまた大賛成である。

 が、問題は、守るべき・創るべき「公教育」のあり方なのだ。

 日本の文科省による「公教育」は、戦前から続く「国家教育」であり、「ファシズムの教育」である。

 それに対して、どんなレジスタンスで立ち向かい、どんな新しい教育の場を築いていくか……それがわたしたちに求められていることである。

                 ◇

 最後にもう一度言おう。

 日本の「ネオリベ」批判派は、たとえば世界がいま注目する「基礎所得(ベーシック・インカム)」について、どんな見解をお持ちなのか?

 「基礎所得」の分配は、フリードマン一派とは一線を画する、アメリカのエガリテアリアン(格差是正主義者)たちが求める「バウチャー」と、その本質においてどこが違うのか、と。

                 ◇

 昔、新聞記者をしていたころ、コペンハーゲンを訪ねたとき、デンマークの文部省からもらった英語のパンフレットに、「デンマークには、子どもしか資源がない」と書かれてあった。デンマークはだからこそ、教育を、子どもを大事にすると。

 そのデンマークについてキリスト者、内村鑑三は明治の末、ドイツとの戦いに敗れ、国の南部を失ったこの小国が、植林を通じて「己の国を改造」「さらに新たによき国を得た」ことを、日本は学ぶべきである、と講演で語った。(岩波文庫、『デンマルク国の話』)。

 そして、21世紀初めの今、そのデンマークを、経済破綻と社会崩壊の最中にある、アメリカの経済学者(カトナー氏)が、再生のモデルにしようと呼びかけている。 

                 ◇

 内村鑑三は上記講演の中で 日本の「軽重浮薄な経世家」を批判し、そんな「愚かなる智者」ばかりでは国を滅ぼしかねないと、述べているが、「ネオリベ」批判の「一つ覚え」で創造の芽を摘み取ることは、まさに亡国の大罪であろう。

 デボラ・マイヤー女史に見習い、日本の教育に、子どもたちが硫化水素で「集団自決」せず、自由に安心して学べる、多様な、希望のフレセキュリティーを! 

 不毛な嘲笑と悪罵の2項対立の平行線を超える、オバマ的「第三の道」の柔軟さを!

 日本の教育にも、柔軟(脱官僚主義)と安全(脱市場原理主義)が共存する「コペンハーゲン合意」が、この国の死活の問題として求められている。

  

                 ■ 

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Posted by 大沼安史 at 10:29 午後 2.教育改革情報 | | トラックバック (0)