ダニエル・グリーンバーグ氏のレクチャー集、『自由な学びが見えてきた』を、拙訳(大沼訳)で緑風出版から出版しました。
かねがね翻訳作業を続けていたもので、またも出版社(緑風出版)のご理解と励ましにより、出版にこぎつけました。
訳者として……「日本にサドベリー校を」と願うひとりとして、是非、読んでいただきたいと思います。
とくに「会話」の重要性を「語りおろした」部分は圧巻です。
目からウロコがおちました。こどもたちの「私語」の意味、それを抑圧する無理解……小生もまた、いわゆる「自由教育」について20年近く、学んできたものですが、教えられることばかりでした。
「ポスト産業社会」に入った斜陽・日の丸=日本における「教育再生」の道は、戦前・戦中型の「統制教育」の復活ではなく、サドベリー流の「デモクラティックな教育」にある……そのことをいっそうクリアに見せてくれる一冊です。
広げていただければ、幸いです。「解題」は下記(6行ほど下)参照。
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○○○○ 以下は、『自由な学びが見えてきた』の「訳者あとがき」です。
★ 訳者あとがき 解説・解題に代えて
本書は「サドベリー・バレー校」の創始者で、その中心的指導者であるダニエル・グリーバーグ氏による、同校の創立三十周年を記念した連続講話をまとめた原著、A Clearer View : New Insights into the Sudbury School Model (二〇〇〇年、サドベリー・バレー校出版会)の全訳である。
原著のタイトルが示すように、この本は、サドベリーの一九六八年以来の歩みを、三十年後の時点で振り返り、「デモクラシーの学校」であるサドベリーの基本理念を再検討し、経験の広がりと奥行きの中でその本質に焦点をあて、「サドベリー教育」の本質をより鮮明な視野(クリアラー・ビュー)の中でとらえ返したものだ。
三十年という時間は長く、その経験は重い。それは「歴史の単位」といってよいほどの時間の流れである。その三十年に及ぶ実践の積み重ねの中で、「サドベリーの教育」の基本理念は、当事者(子ども、スタッフ、親)によってどのように「生きられ」、どう深まって行ったか?
その再検証の結果を、包み隠さず、あますところなく語ったものが、本書に収録されたグリーンバーグ氏による、この全六回の三十周年記念連続講話(レクチャー)である。
第一講の「遊びの意味」が語られたのは、一九九七年十月二十八日。最終の第六講、「サドベリーが全員のためのものではない理由」が行われたのは、翌九八年三月二十五日。
つまり、グリーンバーグ氏による連続講話は、半年間近い時間の流れの中で、月一、二回のゆったりしたペースで、じっくり語られたものなのだ。
それは二十世紀の教育改革運動のひとつの頂点を自ら築き、新たな学校モデルとして全世界に広がり出した「サドベリー」の、最初の熟成と言っても構わない、完成度の高いものである。
自画自賛ではない、徹底した自問自答。
教育的な「言説」にありがちな、現実を隠蔽する美辞麗句を見事に排した、平易で透明な言葉づかい。
それは元々、コロンビア大学で教えていた物理学者で科学史家でもある、グリーンバーグ氏の真骨頂を示すものである。
第一講は「遊び」の意味を縦横に論じたものだが、訳者が感心させられたのは、「遊び」と「革新(イノベーション)」の相似を指摘した部分である。
「遊び」と「革新(イノベーション)」をともに「広い枠組」と「狭い枠組」の二つに分け、それぞれが対応し合っていることを、科学史を振り返ることで明確に指摘したところなど、「サドベリー」で子どもたちの「遊び」を目の当たりにして来た科学史家、グリーンバーグ氏ならでは見事なものだ。
各自の創意工夫による「革新」が経済の主エンジンになるべき「後(ポスト)・産業期」を迎えた今、日本にも「自由な遊び」を基調とする「サドベリー教育」が必要な理由はここにあると言える。
第二講は「会話」の死活的な重要性を指摘したものだが、ここでも目のうろこが落ちる思いがした。
子どもたちの「会話」(おしゃべり、話し合い)の「起源」を、古代ギリシャのアリステレスの学園に求め、二〇世紀理論物理学の砦であったコペンハーゲンの「ニールス・ボーア研究所」の逸話で補強しながら、その教育的な意味を開示してみせたあたり、古代ギリシャ哲学に関する著作を持つ、グリーンバーグ氏ならでは力技である。
これを読めば、わが国の教育現場における「私語」に対する見方も一新されることだろう。
第三講は「親」の役割について述べたものだ。
グリーンバーグ氏はサドベリーのスタッフ(教師)であると同時に、子どもをサドベリーに通わせる親であった経験を元に、家族の転居といった「大きな決断」は親が、それ以外の「小さな決断」は、サドベリーにおける日々の決断を含め、すべて子どもに任せ、その子どもの「決断」を親として守り抜く必要性を指摘している。
それこそが、子どもに「干渉」しながら、子どもの「独立」を促す、「親」の矛盾した立場を解決する現実的な道だ、と。
このくだりを読んで、なるほど、子どもに「干渉しない保護」というのもあるのか、と気づかされるのは、訳者であるわたし一人ではないだろう。
第四講は、サドベリーの中心的な指導者(創設者、当事者)であるグリーンバーグ氏が、「デモクラシーの学校」理論を全面的に語り下ろしたもので、連続講話の山場とも言うべき部分だ。
グリーンバーグ氏は「サドベリー教育」の素地を「アメリカのデモクラシー」に求め、その核心的コンセプトである、「個人に対する権利の付与(インディヴィジュアル・エンパワーメント)」を現実化するものこそ、サドベリー的な「デモクラシーの学校」であると主張する。
つまり、サドベリーにはアメリカのデモクラシーが息づき、子どもたちにパワーが与えられているということだ。言い換えれば、サドベリーのデモクラシーとは、アメリカのデモクラシーの理想の「小宇宙」であるのだ。
その点で言うと、「日本の学校」には子どもに対するエンパワーメントを軸とした「デモクラシー」の「デ」の字もない。
ということは、学校の現実を拡大した「日本社会」にも実は「デモクラシーがない(あるいは不足している)」ということか?……
さて、第五講は「子どもの自立」と「役割モデル」の関係に焦点を合わせたものだ。
「サドベリー教育」のひとつの特長は、四歳から十八歳までの子どもが入り混じり、群れのようになって育つ「年齢ミックス」教育だが、この「年齢ミックス」が子どもたちの「役割モデル」としてどのような役割を果たしているか、具体的な事例をもとに詳しく分析されている。
子どもの群れを「学年」「学級」に分割・隔離し、「教室」の枠内に閉じ込めておくことが、果たして「正気の沙汰」なのか、日本人のわれわれにも鋭く反省を迫るくだりだ。
最終講の第六講は、全体を締め括るクライマックスの部分である。
ここでは「サドベリー教育」の根幹にある「自由な学び」を阻害しているものの正体が明らかにされる。「時代」はいまや「後(ポスト)・産業期」入りしているにもかかわらず、子どもの主体性を奪い、子どもを無力化する「産業期」の学校教育の弊害が「学習障害」としてなお居座り、子どもが「自由な学び」という「自然状態」に帰るのを阻んでいると、グリーンバーグ氏は指摘するのだ。
これを日本にあてはめれば、わが国の「後(ポスト)・産業社会」化を阻んでいるのは、文部科学省の「統制教育」である、ということになる。
文科省とはすなわち、子どもの主体的な学びを破壊する「学習障害」の総元締めであり、速やかな「後(ポスト)・産業期」への移行を図らなければならないわが国の「国益」さえも損う「元凶」、というわけだ。
グリーンバーグ氏の「連続講話」が行われたのは、サドベリーの「納屋(バーン)」校舎(といっても昔、納屋として使われていた棟を改築しただけのことだが)である。
ここは卒業式など「全校集会」が行われる場所だが、訳者であるわたしは、本書を翻訳中、アリストテレスやプラトンの時代の古代ギリシャの「学園」(アカデミヤ)とは、もしかしたらこの「納屋」のような雰囲気のものだったのではなかったか、との空想に何度もとらわれた。
話者が自ら問いかけて真理に迫り、聞き手が質問して「対話」が生まれる、あの「アカデミア」の雰囲気を勝手に想像したのである。
そう、「サドベリー」とはまさに、現代の「学園(アカデミア)」であると。
こんな「サドベリー」を日本にも欲しい。「管理と統制のゾンビ」が「再生」するのではなく、「子どもの学びが再生する」学校が欲しい。
そう願うのは、訳者一人に限ったことではないだろう。これは、本書を読み終えた読者諸氏に共通する切実な思いではないか。
本書は、緑風出版から二〇〇六年四月に出た、ダニエル・グリーンバーグ著、『世界一素敵な学校』の続編である。併せて読んでいただければ幸いである。
なお、本書(日本語版)では、一九九九年に来日し、全国各地で講演を行ったダニエル・グリーンバーグ氏による「日本訪問記」と、サドベリーの卒業者の証言をいくつかまとめた、訳者による「サドベリー素描」なる一文を付録として添えた。
とくにグリーンバーグ氏による「日本訪問記」は、日本における教育改革の方向を指し示すもので、ぜひ読んでいただきたいものである。
最後に訳者の特権(?)として、私的なことに触れることをお許しいただきたい。
本書の第六講に、「太陽」を「緑」色に描いた女の子の話が出て来る。
このくだりを読んで触発されたわたしは、「自由が丘サドベリースクール」という架空の「学校」を舞台にした、『緑の日の丸』という小説を書き、二〇〇七年一月、仙台市の出版社、「本の森」から刊行した。
このときも実は、書きながら何度も思った。
日本にもサドベリーを!
これが間もなく還暦を迎えようとする「七〇年世代」の訳者の、見果てぬ最後の夢である。
二〇〇七年十一月 横浜で
訳者 大沼 安史