〔いんさいど世界〕 守れ、アンネの木 広がれ、希望の葉
オランダ・アムステルダムの運河に沿った一画に、「アンネの日記」のアンネ・フランクが家族とともに潜んでいた隠れ家が、記念館として保存されています。
「アンネ・フランクの家」。
三角屋根の建物はもともと倉庫として使われていたもので、戦後、1950年代になって、所有権が民間企業に渡り、解体の危機に立たされました。
それを救ったのは、当時の「アンネの家を守れ」という世界の人びとのアピールでした。その訴えに応え、アムステルダム市が介入して「家」は救われたのです。
いま、その「アンネの家」をめぐり、新たな存続運動が始まっているそうです。
裏庭にある、一本の栗の木。アンネが窓の隙間からのぞき見た一本の栗の木を守る運動が広がっています。
ニューヨーク・タイムズの記事(電子版、9月28日付け)で教えてもらいました。
アンネの一家が密告で捕まる3ヵ月ほど前の「1944年5月13日」。
あと1ヵ月で15歳の誕生日(6月12日)を迎えようとするその日の日記に、アンネはこう書いているそうです。
「わたしたちの栗の木は満開です。葉で覆われ、去年のよりもきれいです」
時はうるわしき5月。栗の白い花と葉の緑は青空の下、輝くばかりだったことでしょう。
アンネがナチスの絶滅収容所(ベルゲン・ベルゼン)でチフスで亡くなってから(1945年3月12日)から60年以上が過ぎ、裏庭の栗の木も樹齢150年に達しました。
大木だそうです(タイムズ紙は「象の足が何本か集まった幹の太さ」と書いています)。でも、10年前、裏庭が油で汚染される事故に見舞われたせいか、害虫や病気に蝕まれ、アンネの時代のみずみずしさを失っているそうです。
このため、アムステルダム当局はこれは切り倒すしかないと昨年、結論を出すのですが、世界の人びとから早速、「反対」の声が湧きあがり、「アンネの家」を運営する財団を中心に、現在「延命」措置の検討に入っているそうです。
現状は幹が虫に食べられたり、葉も黄色く病変したり、かなりキビシイ状況。
現地の専門家の世話でぜひ立ち直ってほしいところですが、もしオランダの人たちの手にあまるなら、桜の老木を延命させている日本の「樹木医」たちが出て行ったって、かまいませんよね。
とにかく、全世界の知恵と熱意で、なんとか昔の緑を取り戻してほしいと思います。
それはそうと、蘇生措置とともに、もうひとつ、「アンネ・フランク財団」が進めようとしている、「アンネの木」プロジェクトがあります。
それは、裏庭の栗の木から接木した若木を世界各地に植えて行こうという計画です。
日本にも「アンネの若木」が届き、しばらくしてアンネの栗の実がなる日がきっと来るはず。
いまから楽しみですね。
こんなふうに、守るだけでなく、増やす運動が広がり始めた「アンネの木」ですが、どうしてこんなに人びとの思いをかきたてているかというと、アンネが2年間、隠れ家の窓からのぞいて見ていた(ときには双眼鏡で!)裏庭の栗の木が、アンネにとっても大事だった(そして、いまを生きるわたちたちにも大事な)あるなにものかを象徴するものだからだそうです。
その大事なものとは何か?
それは、「慰めであり、いたわりであり、自由であり、自由への希求である」と、「アンネの家」を守る、アネマリー・ベッカーさんという女性が語っています。
ひとことで言えば「平和」、あるいは「希望」。
それはアンネの時代だけでなく、いまのわれわれの時代でも大切なことですね。
「アンネの木」をめぐっては、実はもうひとつ、プロジェクトが進められています。
去年から始まっているもので、「アンネの家」のウェブ・サイトで、「アンネの木」の緑の繁りのなかに、自分だけの「一枚の葉」を加えるプロジェクトです。
だれでもできます。「アンネの木」に思いを寄せ、願いをかけたい人なら、だれでも「一枚の葉」を添えることができます。
パソコンがあれば、もちろん、いますぐ、あなたにも。
それも、メッセージつきで。
世界中の「祈り」や「希望」が集まる「アンネの木」。
イラク戦争など戦乱が絶えない今、現実の「アンネの木」が蘇生措置でみずみずしさを取り戻す一方、ネットの世界の「アンネの木」が、世界の人びとの平和の願いをつないでいく。
それもこれも、あのアンネがあの一冊の「日記」を残してくれたからですね。
ほんとうはアンネが、お父さんのオットーのようにあの戦争の狂気を生き延び、「家」に再び戻って、栗の木の葉陰で「日記」の続きを書くことができればよかったのですが……。
でも、それは望んでもできなかったこと。
しかし、わたしたちは、彼女の代わりに「一枚の葉」になって、「アンネの木」から平和を願う心を広げることができる……。
それだけは、いますぐ確実にできる。
あなたも「アンネの木」の緑の中に、自分の「一枚の葉」を、つけてみませんか?