〔コラム 机の上の空〕 5年前にイラクで死んだ父親を想う8歳の少女のまなざし
ニューヨーク・タイムズ(電子版、10月21日付け)に、8歳の少女の写真が載っていた。
5年前、3歳のとき、海兵隊員の父親をイラクで亡くした、キャメリンリーさん。
彼女がいま、見ているのは、家の窓の外の、たぶん空だ。いや、空ではなく、父親を見ようとしている。
ものごころのついた彼女は、父親のエリックがどんな人だったか、知りたくて仕方ない。
ホッケー、してた? ファニーだった?
急に母親のニコルさんに、質問を浴びせるようになった。
そんなキャメリンリーを、窓からの光が包み込む。遅れて届いた悲しみとなって、少女を抱きしめる。
彼女の、見開かれた大きな瞳は、われわれの世界の惨さを映し出す水晶の球だ。
窓の外には、父親の命を奪った「世界」がある。
これから、死んだ父親とともに生きてゆく「世界」がある。
不条理なまでに透明な空を、彼女は見詰める。
少女はたぶん、いま、対話を始めている。
父親との、生涯にわたって続く対話を。
その対話を、われわれはわれわれの自問自答としなければならない。
彼女の問いはわれわれの問いでもある。
イラク戦争遺児の一枚の写真を見て、そう思った。
⇒
http://www.nytimes.com/2007/10/21/us/21parent.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=all
Posted by 大沼安史 at 06:04 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink