〔いんさいど世界〕 シリアの「核」施設をイスラエルが空爆 北朝鮮の「原子炉」 ブッシュ政権「幕引き」工作
10月21日のニューヨーク・タイムズ(電子版)に、シリアのダマスカス発のAP電が載っていました。その日、北朝鮮の最高人民議会議長、チョエ・タエ・ボクがシリアのオタリ首相を会談した、という短い記事です。
シリア国営通信(SNA)も、この首脳会談を、「相互協力」について話し合ったと報じ、北朝鮮の代表のシリア入りを確認しました。
いまどき、なぜ、北朝鮮の有力者が、シリアに……?
このニュースを聞いて、「北朝鮮」問題に関心のある世界の関係筋は「やはり、そうだったのか」という思いにとらわれました。
「北」の代表のシリア入りを、「情報収集」と「事態収拾」のための「反応」ととらえたのです。
「北」としては、シリア側の「状況分析」を聞き、「口裏合わせ」をする必要があった……。だから、ダマスカスにボク議長を急遽、派遣した……。
こんな見方が一気に広がりました。
それでは、ボク議長とオタリ首相の会談の、ほんとうの中身は何をめぐるものだったか?
それは、シリアが北朝鮮からの技術供与で、イラク国境の近い、ユーフラテス川沿いに密かに建設していた黒鉛型「原子炉」の「破壊」問題です。
「破壊」??……そう、実は日本ではあまり知られていないことですが、9月6日にイスラエル空軍機がこの原子炉に対して越境空爆を行い、破壊していた……。
そういう、とんでもない「事実」があったからです。
「原子炉」から出るプルトニウムは、「核」の材料です。シリアは北朝鮮から「輸入」した原子炉で、プルトニウム爆弾を製造する第一歩に踏み出した……イスラエルはこんな危機感から、空爆を決行した。
イラクの「オシラク炉」に対する、1981年の越境空爆の対シリア版を、イスラエルは実行したわけです。
これだけの事件が、どうして世界の「大ニュース」になっていなのか?
それは、イスラエルがたぶん、アメリカのごり押しで、「蓋をした」からです。ブッシュ政権が慌しく、「もみ消し」に入った。
イスラエルでは全マスコミに「緘口令」が敷かれ、アメリカもダンマリを決め込みました。
そんな「幕引き」工作が成功しつつあった、9月半ば、アメリカのAP通信が嗅ぎ付け、「北朝鮮がシリアの核開発を支援」とスクープ報道を行いました。
この段階では、「イスラエルの空爆」のクの字もなかったのですが、10月10日に、ニューヨーク・タイムズ紙が「イスラエルの(シリア)攻撃が米政府部内で議論に」とすっぱ抜き、14日はついに「分析家が確認:イスラエルがシリアの核プロジェクトを攻撃」と、決め打ちの特ダネをかっとばしましたのです。
タイムズの報道によると、アメリカがシリアでの原子炉建設を衛星警察写真で確認したのは、ことしになってから。
北朝鮮はヨンビョンで、5メガワットの黒鉛炉を稼動しているのですが、シリアはこれと同じタイプのものを建設していた、というのが、アメリカ、イスラエル当局の見方だそうです。
この原子炉攻撃をめぐっては、アメリカが自制を求めたのに、イスラエルがこれを蹴って決行したといいます。
イスラエルという国は「国の存続(サバイバル)」にとても神経質な国で、イランの「核施設」に対して攻撃計画を練っているといわれています。だから、同盟国のアメリカが何と言おうと、やるときにはやってしまうのですね。
しかし、イラクの「オシラク炉」攻撃のときと同様、やってしまったあと、口をつぐんでしまった。
アメリカもひたすら「沈黙」(15日付け、タイムズ紙)を守っている。
なぜ、ブッシュ政権が「幕引き・沈静化」に動いているかというと、この問題に突っ込んで行くと、「北朝鮮」を追い詰めることになり、せっかくの「核(開発の)放棄」、朝鮮半島の「非核化」構想が台無しになってしまうからです。
その一方で、イラクで泥沼にはまり込んだブッシュ政権は、「イラン攻撃」で事態を「一点突破」したいと考えている。
そこに「イスラエル」を絡ませるのは、中東・アラブ世界の対米感情をますます悪化させることになるので、なんとしても避けたい……こんな思惑があるからです。
それにしても、「国際政治」って何といい加減で、ムシのいいものなんでしょう。
「現実政治」といえば聞こえはいいが、結局は「ご都合主義」。
アメリカは「イランの核」を問題にし、イラクのサダムの「大量破壊兵器」を問題にしましたが、同国のイスラエルの「核武装」は認めている。
この「シリアの北朝鮮原子炉」問題について、「唯一の被爆国」である日本政府もまた沈黙を守っています。
事実とすれば、「北朝鮮による核の輸出」問題なわけですから、日本政府として、事実関係を究明するなり、北朝鮮、シリア側に説明を求めるなり、少しは何とかするのは当然のことです。
でも、日本もまたアメリカの顔色をうかがって、首を縮こませているばかり。
日本の「非核外交」はどこに行ったのか、と、情けない限りです。