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2007-09-29

〔ジャック天野の目が点丼〕 長井健司氏の死を悼む 「ヤッパリ カエルワケニハイカナイ」

 畏友・ジャック天野氏より、久々に「便り」があった。ベトナムの旅から帰って来たばかりだそうだ。ベトナム麺の「フォー」も食べ飽き、好物の天丼をかき込みたくなって帰国したという。

 以下は氏の帰国第一報。例によって、怒り爆発のメールだが、後半は追悼の文になっていて、それがこれまでの便りと違うところだ。

             ○▲○ ⇒ ・▲・ ⇒ ×▲×

 おい、大沼、生きてるか? 

 お前のブログ、ベトナムでも見ていたぞ。お前が紹介していた、岸信介がCIAのエージェントだったって話、「週刊文春」が後追いしていたな。

 でも、どうして、日本の大マスコミは書かないんだ? 新聞やテレビは報じないんだ?

 岸信介のことを、さ。
 日本の戦後政治史の真実にふれる大問題だろうが……。

 ま、それはそれとして、今日はそれよりも、ヤンゴンでのあのザマは何なんだ、といいたい。

 そう、あのカメラマンの長井健司さんが撃たれて死んだことだよ。

 撃たれたこと自体は、もう取り返しはつかない。でも、その後の日本政府の対応はどうなんだ?

 現地の日本大使館は、長井さんの遺体を引き取りに行ったのか?

 ミャンマー政府に「こら。謝れ!」って抗議のひとつでもしたのか?
  

 今朝の新聞読んで、またまた「目が点」だぜ。

 「射殺した兵士の処分要請を検討」だとさ。開いた目が塞がらないぜ。

 兵隊の問題じゃないだろうが。命令したミャンマーの軍政トップの問題だろうが。

 そんな政府・外務省のアホなホザキを、1面に載せている大新聞の気が知れないぜ。

 そもそも、日本政府は、ミャンマー民衆弾圧の「共犯」じゃないのか? 軍政を支援して来たのは、日本の政府、日本の外務省だぜ。

 ミャンマーの民衆に「ごめんなさい」って謝らなくちゃならない。それが国際社会のスジって言うものだろう。

 岸信介はアメリカの言いなりになって、あの「南ベトナム」の軍事政権を「援助」をしたけど、それとこれと、どこが違うっていうんだ?

 いいか、大沼、お前に教えてやるけど、ミャンマーはな、CIAの麻薬ルートの拠点国なんだよ。アメリカが「軍政」をつぶさない理由はそこにある。

 日本だって戦時中、「ビルマの阿片」でうまい汁を吸っていた。
 だからだぜ、あの辻政信がビルマに身を隠すことができたのは……。

 そしていまも、アメリカの言うなりにミャンマー軍政を支え続けている。
 アメリカはな、「人権蹂躙」の手前、表に出れないんだよ。

 日本はな、インド洋で「給油」をさせられ、ミャンマーで「援助」をさせられているんだ。

 日本のマスコミは、そこを衝かなくちゃならない。
 長井さんの遺体を取り戻すこともできない背景を、きちんと報じなくちゃならない。

 大沼よ、おれはな、ベトナムに行って、「真人間」になって帰って来たぜ。

 ホーチミン市のベトナム戦争博物館を見てな、おれは呆然とした。
 「歴史の流れ」というものを、「歴史の方向」というものを、博物館のコーナーで実感したんだよ。

 日本人カメラマン、沢田教二さんの、クリークを泳いで逃げる母と子の写真が大きく引き伸ばされ飾ってあったぜ。

 べ平連がワシントン・ポスト紙に出した「殺すな!」の意見広告も展示されていた。
 先日亡くなった、小田実氏の著書もな。

 なあ、大沼、おれたち「70年世代」は、ベトナム戦争に反対したよな。デモも、したよな。

 あれって、無意味なことじゃなかったんだぜ。
 それを戦争博物館で確かめることができた。

 おれたちの小さな叫びは、ちゃんと届いていたんだ!

 でもなぁ、おれらより後の世代だが、長井ってカメラマン、いい根性してたよな。 

 至近距離で撃たれたってことは、現場を至近距離で「見てた」ってことだ。

 世界でいちばん、ミャンマーの「現場」に近いところへ、体を張って出ていたのが長井健司って日本人だ。

 凄いこと、してくれたじゃないか!

 ミャンマーの民衆は、このことを、忘れないと思うぜ。
 ベトナムの人びとが「SAWADA」を、「べ平連」を忘れないように。

 おれは敢えて言うぜ。長井ってカメラマンの、あのジャーナリスト魂は、日本人の「大和魂」だと。

 そう、それはあの『ビルマの竪琴』の、「水島上等兵」とどこか通じるものだ。

 長井カメラマンもヤンゴンの路上で、たぶん、なんどもしり込みしたはずだ。
 でも、それでも引き下がらなかった。

 「ヤッパリジブンハ カエルワケニハイカナイ」と。

 軍政の暴虐にビデオのファインダーを向けた長井カメラマンがいたおかげで、無様な「政府」を持つ、おれたち「日本人」全体が救われたことを忘れてはならない。
 

Posted by 大沼安史 at 09:58 午前 |

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