〔コラム 机の上の空〕 ミャンマー 仏教の非暴力と軍事独裁の暴力 「サフラン革命」は、ひとりの兵がひとりの僧と連帯するとき、成就する
英紙オブザーバー(電子版、9月30日付け)に、ミャンマー問題の専門家、エマ・ラーキンさんのコメントが掲載されていた。
ラーキンさんは、『秘められた歴史―喫茶店でジョージ・オーウェルを探す』という本の著者で、ミャンマーに2年間滞在。現在はバンコクを拠点に活動している人だそうだ。
そんな彼女のコメントを一読して、なるほどと思った。教わるものが多かった。
そのふとつは、ミャンマーというところが、一方に2500年の仏教による「非暴力」の原則があり、他方、45年続いた「残虐な権力の支配」がある、対称的な国である、という指摘だ。
僧の数、40万から50万人。兵士の数、約40万人。
僧と兵は1対1のバランス。この点も、非常に対称的だ。
さて、その「僧」のサイドが今回、動いたわけだが、こんどの僧の決起は、その一週間前まで「不可能」、ありえないと考えられていたものだったという。
実際、「ありえないもの」が起きたのだけれど、「驚き」でもなんでもなかった。
地下に潜って活動していた「全ミャンマー仏教僧連合」が、監視と弾圧をかいくぐってデモに打って出た。
そういう素地があったからだ。
ところで、その僧たちのデモは信仰上、「非暴力」なものにならざると得ない。
とすると、現在の軍政を打倒する「力」は、「暴力」において非対称的で、「頭数」では対称的な「兵士」たちの中から生まれて来ざると得ない。
僧に対する暴力的な弾圧は、兵士たちの中に、悪しき「業(カルマ)」を蓄積し、それに彼らが耐えられなくなったとき、「兵」は「僧」と合流するだろう。
ラーキンさんの友人の僧は、「ミャンマーでは何でも起こる」と言ったそうだ。
軍政の手先をさせられた兵士が反乱を起すという意味だそうだ。
ひとりの兵士がひとりの僧と手をつなぐとき、ミャンマーは変わる。
Posted by 大沼安史 at 06:41 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink
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