〔いんさいど世界〕 天才ランナー、それとも児童虐待 スラム生まれ それでも走る5歳の少年 インドのマラソン・ボーイ ブディア・シン君 2016年の「インド(?)五輪」に照準
インドに5歳のマラソン・ランナーがいます。スラムに生まれたブディア・シン君。
昨年(2006年)5月、「70キロマラソン」に挑戦したことで一躍、スターダムに躍り出ました。
いま、インドで最も有名なアスリートといえば、このマラソン・ボーイ、ブディア・シン君のことです。卓球の愛ちゃんのインド版といったところでしょうか?
しかし、この「天才ランナー」、シン君をめぐって、目下、インド国内で激論を交わされています。早期英才スポーツ教育のモデルとして認めるか、児童虐待の事例として出走を禁止するかで、裁判にまでなっています。
スラムの育ったシン君を行商人から買い戻して引き取り、天分を発揮してスター・アスリートに育てた専属コーチを務める養父の柔道家、ダスさんは、9年後、2016年の五輪を目指したいとしていますが、シン君がそれまで「順調」に育つかどうか、先行きは微妙になっています。
シン君は1昨年、3歳の年からマラソン・ランナーとして走り出しました。
有名になったのは、昨年(2006年)5月2日、地元、オリッサ州(インド東北部、コルコタ〔旧名カルカッタ〕の南西に位置する、ベンガル湾に面したところです)で、州都ブバネスワルから、沿岸の町、プリを目指す「70キロ」マラソンに挑戦、地元の軍警察官ランナーたちを打ち負かしたときのことです。
気温37度近い暑さのなか、シン君はひたすら走り続け、数百人もの警官ランナーたちのほとんどを振り切り、脱落せずに残った数人の警官ランナーとともに、ゴールまであと5キロというところで、ドクターストップにかかり、レースを中止させられました。
ドクターストップがなければ、「優勝」もありえたわけです。
「70キロ」のマラソンを、「残るところ、あと5キロ」まで走ったということは、65キロを走り抜いたわけ。
それも猛暑の最中に。
時間は「7時間2分」だったといいますが、これって、マジ、ものすごいことですね。
この「激走」で「時の人」になったシン君、インドのギネス・ブックの「リムカ・ブック」に載るなど、一躍、スーパー・スターに。インド各地で行われるマラソン大会などスポーツ行事に呼ばれるなど、「インドで最も有名なアスリート」の座へと一気に登りつめました。
その人気を支えたのは、オリッサ州の州都、ブバネスワルのスラム(貧民窟)出身というシン君の生い立ち。スラム生まれの小さな、最強アスリートということで、拍手を喝采を浴びたわけです。
たしかに、シン君は厳しい環境のなかに生まれ落ちた。
物乞いをしていた父親はシン君が生後10月のとき亡くなり、皿洗いをしていた母親は生活に困窮し、シン君のことを行商人に、800ルピー(2000円)で売り渡しました。
そんなシン君に目をとめたのが、シン君をランナーとして育て上げた、スラムの近くでタクシー業を営む、柔道家のダスさん。
シン君を行商人から買い戻し、自分の道場に住まわせ、稽古をつけ始めました。
そんなダスさんがシン君に「走り」の才能があることを発見したのは、偶然のことです。近くのホステル(簡易旅館)で、同じ年頃の子どもに悪罵を投げつけた罰に「走って来い」と命じたところ、その走りっぷりが凄いので、柔道ではなくランニングのトレーニングを始めたそうです。
1日に48キロも走り込む、厳しいトレーニングをしたこともあるそうですが、いまは1日おきに早朝、5キロから20キロ走り、午後に1時間、水泳し、その後、夕方まで昼寝するのが日課。
チキンカレーやマトンのカレー、バナナ、パンアップルジュース、山羊の脚のスープで体をつくって来たそうです。
さて、そんなスラム生まれのシン君とダスさんの「父子鷹(?)」コンビは今、地元オリッサ州から活動拠点を旧都デリーに移し、ホステルに暮らしながらトレーニングを積んでいますが、ふたりの行く手に「人権の壁」が立ちはだかり、こんごの選手生活が危ぶまれています。
人権団体が「児童虐待」だと非難する一方、地元オリッサ州の当局も、シン君を身体検査するなど調査に乗り出し、今月、シン君が挑戦する予定だった、オリッサ州からコルコタまで、500キロの「マラソン・ウォーク」では、「出場禁止」処分を言い渡す騒ぎになっています。
州政府の処分に対して、シン君サイド、つまりダスさんは、裁判所にその取り消しを訴える裁判を起こし、現在係争中。
敗訴の可能性もあり、シン君の今後のマラソン人生に暗雲が漂っているかたちです。
現在、5歳のシン君の(というよりダスさんの?)「夢」は、2016年のオリッピックに、インド代表で出場すること。
北京、シカゴのその次、2016年の五輪はインドで開催されることも大ありですから、シン君が出場するようなことになれば、東京五輪の円谷選手並みの注目度のなるはずです。
シン君もまた、ダスさんに教え込まれたのか、「インドの誇りのために走ります」などと、五輪を意識した発言をしている。
けなげ、というか、いじらしい、というか……。
シン君がいま暮らすデリーのホステルの近く、旧デリー駅の一帯はスラムで、同じ年頃の子どもたちが路上生活をするなど、厳しいサバイバルの毎日を送っているそうです。
シン君も「走る」才能がなかったら、そういうスラムで、おそらくは短い一生を終えざるを得なかった!!……
経済大国に離陸しはじめたインドの現実を映し出すような、マラソン・ボーイ、シン君の話ではあります。
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http://www.hindu.com/2007/06/07/stories/2007060702842200.htm
Posted by 大沼安史 at 01:14 午後 1.いんさいど世界 | Permalink
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