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2007-03-27

〔いんさいど世界〕 仏レジスタンスの英雄 同名の「息子」と再会 母はナチスの強制収容所で出産、父と同じ名前を名づけていた!

 フランスのレジスタンス運動。ご存知ですよね。ナチス・ドイツに対する地下抵抗運動です。
 第2次世界大戦が終わって……ヒトラーの支配から解放されて60年。フランスではいま、レジスタンスの英雄とその同名の息子さんの再会劇に注目が集まっています。

 父親の元レジスタンスの闘士は、ロベール・ナンさん(82歳)。その「息子」のロベール・ナンさんは(62歳)。現在、DNA鑑定で最終確認中ですが、父親のロベールさんが20歳のときにもうけた子が息子のロベールさんだったわけです。

 息子のロベールさんが生まれたのは1945年3月のことでした。場所は「ブッヘンヴァルト収容所」。そうナチスの悪名高き絶滅収容所が、出生地だったわけです。
 生んだ女性は名前も分かっていません。ただ、ロベールさんを生んで間もなく収容所内で死亡したことはわかっています。

 その女性にとって、おなかの赤ちゃんを産み落とすことは、人生の最後を賭けるにふさわしい、大事なことだったに違いありません。 
 男の赤ちゃんを産んだあと、彼女はどうしたか?
 赤ちゃんの名前を「ロベール・ナン」と登録したのです。

 勲章ももらったレジスタンスの英雄、父親のロベールさんには、こんな思い出があります。ノルマンディー上陸作戦が続いている1944年6月の終わり、ナチスの協力者たちの追っ手を逃れて、ヴッルフランシェという街の地下室の潜伏していました。ナチス軍の制服を着て逃亡を続けていたそうです。

 そしてその地下室にレジスタンスの同志の長い金髪の若い女性がいた。名前はたしか、ポーレット、あるいはジョーゼット。ふたりは若い情熱をぶつけ合い、一夜をともしたのだそうです。

 そして彼女は、翌朝、地下室のアジトを出ていった……。
 父親のロベールさんが、彼女がナチスに捕まり、ブッヘンヴァルトへ送られて死んだと聞かされたのは、戦争が終わったあとのことでした。

 息子のロベールさんは戦後、リヨンの近くに里子に出され、苦難の少年時代を過ごすことになります。
 その息子のロベール・ジュニアが自分の出生の秘密を知ったのは1963年、18歳のとき。母親がレジスタンスの活動家で、自分がその母から、ブッヘンヴァルトで生まれたことを。
 それから、息子ロベールの父親探しが始まるわけですが、12年後、30歳の秋(1975年10月)、父親のレジスタンス活動のことを記事で読んで、同じ名前だから、もしかしたら、叔父さんか従兄弟か、血のつながりがあるかも知れないと、手紙を書きました。
 そして、ホテルで面会を約束をする。
 ところがそのときの約束は、父親の到着が遅れたことで結局家、すれ違いに終わり、その数日後、息子がかけた電話も、父親の奥さんにブロックされてつながらない。
 運命の神はそのとき、父と子の再会を赦さなかったのですね。

 それから30年……。息子との再会を阻んだ前の奥さんと離婚した父親ロベールさんは私立探偵を頼んで、ついに東部のナンシーで清掃員として働く息子さんを探し出し、DNA鑑定に漕ぎ着けたわけです。

 結果ができるのは4月初め。再婚した妻と二人の娘さんが認知に反対していて、ちょっと心配ですが、父親としては「認知」する気でいるそうです。
 うまくいってくれるといいですね。

 ブッヘンヴァルトで死んだお母さんも、こうなる日を夢見て、息子に地下室のアジトで一夜をともにした同志の名前をつけたんだと思います。

 父親はこう言っています。「これは名誉の問題だ。わたしは常に息子を望んでいた。それが叶って素晴らしいと思っている。それが人生のとても遅い時点でのことではあっても」

 父子再会の日が来ることを、祈りたいと思います。

Posted by 大沼安史 at 12:29 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2007-03-19

〔いんさいど世界〕 「イレーナのリスト」明るみに ワルシャワ・ゲットーから ユダヤ人の乳幼児2500人を救いだしたポーランド人女性 イレーナ・センドレローワさん(97歳)ノーベル平和賞候補にノミネート

 「イレーナのリスト」が明るみに!――最近、こんな驚くべきニュースが世界を駆け巡りました。あの「シンドラーのリスト」のドイツ人実業家、オスカー・シンドラー氏を同じように、ユダヤ人の子どもたちの命を救った、ポーランド人女性がいたことが、わかったでのす。

 ワルシャワの養老院で余生を送る、イレーナ・センドレローワさん(97歳)が、その人。ことしの「ノーベル平和賞」の候補にノミネートされ、彼女の命がけの救出活動が世界の人びとの知るところとなったのです。

 イレーナさんはナチス・ドイツ占領下のワルシャワで、市役所の衛生局の保健婦として働いていました。彼女の担当は、ナチスがユダヤ人らを囲い込んだ「ワルシャワ・ゲットー」。そこへ仕事で出かけるかたわら、幼い子どもや赤ちゃんを脱出させる危険な任務を果たしたのです。

 40万人のユダヤ人が家畜のように追い込まれたワルシャワ・ゲットーが設置されたのは、1940年11月のことでした。高さ3メートルの壁に囲まれたゲットー内ではチフスや結核も蔓延し、ユダヤ人家族は強制収容所行きを前に、苦難の生活を強いられていました。

 イレーナさんの手で、そんなゲットーの塀の中から救い出された幼い子どもたちは、あかちゃんを含めて2500人近く。

 そのひとり、エルズビエタさんの脱出は、こんな風だったといいます。

 エルズビエタさんは当時、生後5ヵ月の赤ちゃんでした。母親は外出の際、新生児の彼女を布袋に入れてあやしていました。あるとき、ナチスの兵士が怪しんで、布袋を銃剣で刺したそうです。エルズビエタさんは奇跡的に刃先を逃れ、助かりましたが、母親はもうゲットーにおいてはおけないと、彼女を手放すことにしました。

 そのとき、母親の願いを聞き入れ、エルズビエタさんを脱出させたのが、当時、30歳のイレーナさんでした。
 イレーナさんはエルズビエタさんを道具箱に隠し、レンガを運ぶ四輪馬車に乗せて、塀の外へ送り出しました。見つかれば死刑になる危険なことでした。

 脱出法はさまざまでした。袋に入れたり、下水本管を通したり、救急車の担架の下に隠したりもしたそうです。

 カーテンを引いた窓の外に子どもを隠し、その子のからだを必死で支えて、ゲシュタポの魔手を逃れたこともあったそうです。

 こうしてゲットーを逃れた幼い子どもたちは身元を隠して、ポーランド人の家庭に引き取られ、ポーランド人として育てられたのです。

 イレーナさんは戦争が終わって実の親子が再会できる日のために、子どもたちひとりひとりの記録をつけていました。タバコの巻紙に書き込んでいたのです。

 そんな「イレーナのリスト」は、万が一に備え、同じものがふたつ、つくられました。それぞれ別のガラスの瓶に入れられ、イレーナさんの職場の同僚の庭に埋められていたのです。

 そんな彼女がナチスのゲシュタポに捕まったのは、1943年10月のことでした。夜明けに自宅に踏み込まれ、家宅捜索の末、彼女はゲシュタポの本部に連行されたのです。

 拷問が待ち構えていました。イレーナさんは手足を折られましたが、口を割りませんでした。
 死刑を宣告された彼女は、ある日、牢屋から連れ出されました。処刑場に向かうのだと覚悟しましたが、違いました。

 イレーナさんの知らないところで救出活動が続いており、ナチスの係に米ドル札の賄賂をつかませ、監獄からの脱出に成功したのです。

 実はカトリックの信者でもあるイレーナさんは、ロンドンのポーランド亡命政府の秘密組織、「ゼゴタ」のメンバーで、人道的な立場から、この危険な救出活動に従事していたのです。

 ナチスの手を逃れた彼女はそのまま、地下に潜伏、母親の葬儀にも出ることができませんでした。

 この「ゼコタ」(架空の男性の名前です)は、カトリックの作家、ゾフィア・コザックさんと、ワンダ・クラエルスカヤ・フィリポウィッツさんという社会主義者が組織した抵抗組織で、ポーランドでも10年ほど前までは、一般には知られていませんでした。そしてイレーナさんの活動もまた、戦後、長い間、知られずにいたのです。

 イレーナさんにわが子を託したユダヤ人の家族は、ワルシャワ・ゲットーから、ナチスの絶滅収容所に送られ、ガス室に消えて行きました。「イレーナのリスト」は、親子の再会には役立ちませんでしたが、脱出した子どもたちに、親の分も生きる、それぞれの「人生」をプレゼントしたわけです。

 養老院にいるイレーナさんは拷問の後遺症で、松葉杖をついているそうです。
 その彼女が、インタビューに来た記者たちにこう言いました。「わたしは英雄ではありません。その正反対です。わたしは、どうしてもっと助けられなかったんだろうと思い、胸が痛いのです」と。

 ことしのノーベル平和賞の候補にノミネートされたイレーナさんは、高齢のため、候補指名のセレモニーに出席できず、代わりにこんなメッセージを寄せたそうです。

 「いまは亡き秘密のメッセンジャーたち全員と、わたしが助けた子どもたちひとりひとりは、この地上におけるわたしという存在の証(あかし)であります。栄誉のタイトルではありません。ホロコーストの地獄から半世紀が過ぎていますが、その妖怪はいまだ世界を覆っており、わたしたちに悲劇の忘却を許していません」

 日本にも「日本のシンドラー」と呼ばれる、杉原千畝さんというリトアニア領事の外交官(6000人に査証を発給して救った)がいますが、イレーナおばあちゃんもまた、世界の誇りです。

 イレーナ・センドレローワさん。
 2500人のユダヤの子どもたちを救ったこのポーランド人女性のことを、わたしたちもまた、わたしたちの「忘却しないリスト」に記録しなければなりません。 

 

Posted by 大沼安史 at 03:11 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2007-03-18

〔NEWS〕 寒風をついて「3・17イラク反戦」デモ 2万人がワシントンに結集 40年前のベトナム反戦マーチを再現 ペンタゴン(国防総省)に抗議 「ブッシュを戦争犯罪人として逮捕せよ」 S・シーハンさん 叫ぶ 

 ブッシュ政権によるイラク侵攻4周年を前に、「イラク戦争」に抗議する反戦デモが3月17日(土曜日)、首都ワシントンで行われた。

 「社会主義解放党」と関係する「ANSWER(「戦争と人種差別をやめさせるため、いますぐ行動を!」)」という団体が呼びかけたもので、全米各地から、学生、労働者、市民、復員兵ら、主催者側発表で「1万5000人から3万人」(警察の非公式推定で1万人から2万人。ここではロサンゼルス・タイムズの「2万人」説を採用する)が参加した。

 デモは、「メモリアル橋」からアーリントン墓地、ペンタゴンに向かうコース。40年前の1967年、ベトナム戦争に抗議して行われ、戦争終結に向かう流れをつくったデモと同じルートを歩いた。

 デモ行進開始を前に、「メモリアル橋」前では決起集会が開かれ、「平和の母」こと、シンディー・シーハンさんが、ブッシュ大統領とその軍事アドバイザーたちを「戦争犯罪人」と呼ぶ、非難演説を行った。「わたしたちはホワイトハウスにいる輩を追い出し、人道に対する犯罪の罪で逮捕することを望む」と。

 寒風をついて動き出したデモ隊の長さは2.4キロに達した。
 
 バージニア州メルファからやってきたモウリーン・ドゥーレイさん(58歳)は40年前、18歳のとき、「ベトナム戦争反対」叫び、同じ道を歩いた。「わたしはこの戦争(イラク戦争)に反対する人びとのひとりに数えられるために、今日ここにやって来た」と語った。

 ミシガン州からは、ジュディー・クレヴィルさんら、おばばちゃん3姉妹が参加した。3人とも初めての反戦活動。みな、お孫さんたちの写真を持ってデモ行進した。

 ニューヨークのコロンビア大学の女性研究者(37歳)は学生たちとともにバスでワシントン入りした。

 シアトルから空路、ワシントン入りした女性(41歳)は、航空券を母親から誕生日のお祝いでもらったという。

 西海岸、カリフォルニア州スットクトンから来たラリー・イェペズさん(58歳)は、東海岸、メイン州ピッツトンに住む、ベトナム戦の戦友、ジャック・フィッツジェラルドさん(58歳)と、この反戦デモで、40年ぶりに再会した。
 負傷したラリーさんを、衛生兵だったジャックさんが助けた。ラリーさんの背中には「わたしたちの兵士を支えよ。彼らを帰還させよ」のスローガンが縫い付けられていた。

 同じカリフォルニからは、海兵隊員として朝鮮戦争を戦ったポール・ミラーさん(72歳)はもうひとりの兄弟と空路、やって来た。「嘘をつかれるのは御免だ。若い海兵隊員らが足を吹き飛ばされ、命を落としているをみて辛い気持ちだ」と語った。

 中部のアイオワ州からは農民たちが抗議に駆けつけた。クリスティンさんという50歳の女性は、今日中に帰れば、日曜日の豚の出荷ができると時間を気にしていた。

 デモ行進開始1時間後の午前2時ごろ、学生、労働者とみられる約200人の若者がペンタゴンに突入を図り、警官隊ともみあいになり、5人が逮捕された。若者たちは「アナーキスト」を名乗っていたという。
 デモ隊は総じて、警官や警備の兵士に対して礼を尽くしていた(リスペクトしていた)。

 前日の16日の金曜日には、「イラクの平和の証人となるキリスト者」の約100人が、ホワイトハウス前で抗議集会をして、警官隊に追い払われた。

 17日の「イラク反戦」デモに対しては、戦争を支持する復員兵ら数千人がワシントンに集まり、デモ隊に向かって「裏切り者」「アメリカを出て行け」と叫んだ。
 インターネットで、反戦デモ隊が「ベトナム戦没者慰霊碑」を糞尿やペンキで汚す、というデマが流れ、慰霊碑を守るために集まった人も多かった。

 この日の反戦デモは、サンフランシスコやロサンゼルスなど全米各地で行われたほか、6000人が参加したトルコのイスタンブールをはじめ、コペンハーゲン、プラハ、アテネなど世界の各都市でも行われた。


http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/17/AR2007031700539.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/17/AR2007031701280.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/17/AR2007031701379.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/17/AR2007031700950.html

http://www.nytimes.com/2007/03/18/us/18protest.html?_r=1&oref=slogin

http://www.latimes.com/news/la-na-protest18mar18,1,7841277.story

http://news.yahoo.com/s/afp/20070318/wl_afp/usiraqwaranniversaryprotest

http://www.dailycomet.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070317/APN/703173255

http://www.dailybreeze.com/news/regstate/articles/6556042.html

http://www.prnewswire.com/cgi-bin/stories.pl?ACCT=THEHILLPOL.story&STORY=/www/story/03-15-2007/0004547334&EDATE=THU%2BMar%2B15%2B2007,%2B05:56%2BPM

http://www.unitedforpeace.org/article.php?id=3524

Posted by 大沼安史 at 06:54 午後 | | トラックバック (0)

2007-03-17

〔NEWS〕 従軍慰安婦 「強制連行」の証拠(記述)なし 安部政権が閣議決定 駐日アメリカ大使 「彼女たちは日本軍にレイプされた」と発言

 安部政権は3月16日、慰安婦問題で反省と謝罪を表明した1993年の河野洋平官房長官談話に関し、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定した。

 社民党の辻元清美衆院議員の質問主意書に答えた。
 (質問主意書と答弁書は、下記⇒の辻元議員のHP参照)

 これについてニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は、オオニシ東京支局長による、「日本、第二次大戦の性奴隷における役割の否定を繰り返す」との見出しの記事を掲載した。

 このなかでオオニシ支局長は、シーファー駐日大使の

「わたしは(連邦議会下院小委で)証言した(元慰安婦の)女性たちの証言と信じる」
「わたしは彼女たちが、売春に従事するよう強制されたと思う。それはつまり、彼女たちが当時、日本軍にレイプされたということだ。それがあったとわたしは思う。それは遺憾なことであり、ひどいことだと、思う。それが、あった。事実それ自体がすべてを語っている」

 との発言を引いている。

(大沼・注)
 NHKを通じて「謝った」と思ったら、こんどは「否定」の閣議決定。
 辻元議員への答弁書は、東京発のニュースになって、全世界に流れた(AP通信も速報している)。

 問題は軍や官憲による直接的な「強制連行」の「記述」の有無ではなく、慰安所で朝鮮、台湾などの女性たちが軍用性奴隷としてて「強制性交」を強いられたかどうか、である。

 「ナントカ還元水」レベルのいい加減な答弁は、「国会」内では通用しても、国際社会では通用しない。

 「慰安婦」問題が事実無根の言いがかり、でっち上げ、というなら、シーファー大使を呼びつけて厳重に抗議すべきだろう。
 

http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2007/03/16-1215.html

http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070316/ssk070316003.htm

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20070316&j=0023&k=200703163091

http://www.nytimes.com/2007/03/17/world/asia/17japan.html?_r=1&oref=slogin&ref=asia&pagewanted=print

Posted by 大沼安史 at 07:31 午後 | | トラックバック (0)

〔緊急アピール〕 悲しみを背負い また走り出した男 都知事選出馬 浅野史郎氏へのオマージュ

 都知事選に立候補した浅野史郎さんは、わたしの学校の先輩である。高校(仙台二高)の1期先輩で、高校時代の制服姿の彼を、後輩のぼくはまだ、よく覚えている。

 彼は東大法学部に進み、ひとつ年下のわたしは地元の東北大学法学部に進んだ。

 大学を出たわたしは、60年安保の新聞各社「共同宣言」(「よってきたる所以は別として」もうデモはやめよう!)に、当時、ただ1社、与しなかった「北海道新聞社」に憧れ(「道新」の須田禎一論説主幹に憧れ)、同社を受験して、北海道で記者生活を始めた。(須田さんは「朝日」の出身。上海特派員などを務め、戦後、自ら報道責任を引き受けて退社、道新に入社し、リベラルな健筆をふるった)

 浅野先輩は東大を出たあと、厚生省に入り、北海道庁に出向して福祉課長を務めた。
 当時、札幌にいたわたしは、特にこちらから挨拶する理由もなかったで、彼が同じ札幌にいることはわかっていても、会いに行かなかった。

 あれは1986年の春のことだった。わたしは当時、道新の東京支社にいて、国鉄の分割民営化を取材したあと、厚生省(厚生記者会)詰めになっていた。そこへ浅野さんが北海道から戻って来た。本省(厚生省)の障害福祉課長として。

 ある日、厚生省の広報課の若い職員が、厚生記者会(記者クラブ)のわたしのところへ、メモも持って来た。「浅野課長」のメモだった。「会いに来い」というメモだった。

 わたしは彼のメッセージを無視した。会いに行かなかった。
 なぜか?
 当時のわたしは、「エイズ問題」で責任を回避し、「血液製剤」ではなく「同性愛」が問題と言い張る「厚生省」が許せなかった。その役所のキャリア公務員である浅野さんをもまた、ついでに許せなかった。

 そんな浅野さんに対するわたしの評価が変わったのは、彼が厚生省を辞め、文字通り無手勝流で、「宮城県知事選」に立候補したときのことだった。
 厚生省の「キャリア」を投げ捨て、からだひとつで立ち向かった浅野さん。

 わたしは彼を見直したのだ。再評価したのだ。仙台二高の同窓として、ひとりの人間として、浅野さんを見くびり、密かに蔑んでいた自分自身を自己批判したのである。

 都知事選への「出馬」が取り沙汰されていたころ、わたしは「出るんじゃない」と、浅野さんを説得したい思いに駆られた。
 宮城県知事としての「重責」を終え、ようやく家族そろった平安な日々に戻れたんじゃないですか、もう務めは果たしたでしょう、と。

 しかし、浅野さんは、にもかかわらず「家族と話しあって出馬を決めた」。
 それは、なぜか?

 それは、障害者福祉を人生のテーマとする浅野さんの義侠心のせいである。正義の心のせいである。
 浅野さんは真っ直ぐな人。意気に感じ、不正義に立ち向かう人なのだ。

 彼が宮城県知事選に名乗りを上げたのは、「宮城県知事」と「仙台市長」が「汚職」で同時逮捕される、ふるさとの汚辱を見過ごすことができなかったからだ。
 だから、無手勝つ流で、無謀な立候補を企てた。

 勝てるとわかっていたから出た……というのは、後だしジャンケンのアト知恵に過ぎない。
 浅野さんは「勝てない選挙に出て、勝った」のだ。

 週刊誌に早くも「浅野バッシング」が出ていると聞いて、さっそく目を通した。
 わたしが知る「事実」とは、違ったことが出ていた。悲しくなった。県知事と政令都市市長がダブルで逮捕される土地柄で、「政官の情報公開」に挑むことがどれほど大変なことか、週刊誌の編集部は、まったく知らない(知りたくもない)様子だった。

 週刊誌の記事のなかで浅野さんは「怒っています」とだけコメントしていた。
 ネガティブ・キャンペーンに対する、彼らしい、潔い「怒りのコメント」だった。

 わたしは仙台にいたころ、浅野さんの周辺を取材して、県知事に再選された彼の悲しみを知った。その事実をわたしは結局、活字にしなかった。

 浅野さんがそれを語らない以上、わたしのようなものに語る資格はないと思い定め、記事にしなかった。彼自身の悲しみであり、人生であり、他人の口出しすることではない。

 都知事選へ、浅野さんはまたも、真剣に考えた末、出馬を決心した。
 
 その彼に、権力への欲もなければ、傲慢さのカケラもないことは、彼を知る誰もが、肯くところである。

 わたしはたまたま、「浅野」さんを、「新しい日本の首相」と想定して、『緑の日の丸』という小説を書いた。 
 「浅野」さんなら、「浅野」先輩なら、自己犠牲を乗り越え、困難な政治課題に、無私の心で立ち向かってくれると期待したからだ。

 「都知事」はある意味で、「首相」よりもストレートな力を行使できるポストである。

 わたしは「浅野都知事」に期待する。
 ブログ読者にもサポートをお願いしたい。

 もう一度、言おう。浅野さんは自らの悲しみを知るゆえ、他者の悲しみを理解できる人である。わが子に国会議員のバッヂをつけさせ、恬として恥じない、どこかの傲慢な男とは違うのだ。 
 
 わたしは東京都民ではないが、浅野さんへの支持をここに表明する。

 浅野さんよ、走れ!
 メロスのように、走り抜いてくれ!

 悲しみを糧に、怒りを胸に、「都知事選」に勝利せよ!

 

Posted by 大沼安史 at 12:05 午前 | | トラックバック (4)

2007-03-14

〔いんさいど世界〕 ミツバチが消えた 異常現象 全米に広がる 「蜂群崩壊症候群」と命名 原因不明 農作物の受粉に影響

 ミツバチの群れが突然消えたり、巣箱で大量死しているのが見つかる異常現象が全米規模で起きています。昨年11月、東部ペンシルバニア州などで確認された謎の現象は、年が明け、春3月になっても収まらず、西海岸のカリフォルニアなど全米規模に拡大して、深刻な問題になっています。

 養蜂家の巣箱を「我が家」に、トラックで全米を歩き回る(?)アメリカのミツバチ(honeybee)たちは、ハチミツをつくるだけでなく、農産物の受粉に重要な役割を果たしているそうです。
 その壊滅は、アメリカの農産業にも大きな打撃となります。
 ミツバチたちにいったい、何が起きているのでしょう?

 異変は昨年秋、フロリダ、ジョージアなど東部、南部の3州で初めて確認されました。養蜂家が巣箱を開けると、もぬけの空、という事態が相次ぎ、ミチバチたちの集団失踪事件として騒ぎになりました。

 東海岸に限定された地域的なものと思われたミステリーは、その後、全米に拡大、春を迎え、野山に花が咲き出した今になっても続いています。どこかへ飛んでいってしまうケースのほか、巣箱内で大量死している例も確認され、集団失踪はどうやら集団死と関連しているのではないか、と見られるようになりました。

 アメリカでは1980年代などに地域限定で同じような現象が小規模に起きたことがあるそうですが、全米規模は史上初の出来事。
 あまりの異常事態に、「蜂群崩壊症候群(CCD=Colony Collapse Disorder)」という、病名のような名前で呼ばれるようになりました。
 (この問題を3月1日付け夕刊で報じた朝日新聞は、「いないいない病」と命名された、としています)

 デンバー・ポスト紙が3月4日、伝えたところによると、コロラド州では30万コロニー(ミツバチの群れ)が、このCCDにやられてしまったそうです。
 同紙によれば、養蜂家のジェフさんは「ひとつの巣箱で4000匹から5000匹が死んでいる。もぬけの空になったものもある。どこかへ消えてしまった」

 コロラド州の場合、ミツバチたちの、冬のオフシーズンの間の減損率は2%から、せいぜい多くて10%ですが、ことしは40%に達しているそうです。

 こうした状況は現在、全米24州に広がっていますが、世界一のアーモンド産地であるカルフォルニア州でも被害が深刻化しています。

 ニューヨーク・タイムズ紙が2月23日付けで報じたところによると、同州ヴィサリアの養蜂家、デービッドさんは1月になって、そろそろアーモンドの受粉の準備をしようと巣箱を開けたところ、彼の飼っている1億匹のミツバチの半分が蒸発していました。50歳んあるデービッドさんにとって、こんなことはもちろん、初めてのことだと言います。

 原因についてはいくつかの説がありますが、どれも推測の域を出ていないそうです。
 その第一は、働き過ぎによるストレスで免疫が低下し、感染症に弱くなっているのではないか、との見方です。
 アメリカの養蜂家は最近、中国やアルゼンチンからの輸入ハチミツなどで収益が低下し、年から年中、あちこちにトラックで出かけていっては、ミツバチたちに働かせないと利益が出ない状況に追い込まれているそうです。
 ミツバチがまさに「働きバチ」になって過労を強いられているのですね。

 とくに問題なのは品種改良でアーモンドが2月から開花するようになり、その受粉に駆り出されるようになったこと。
 春が来るまで、のんびりしよう、ってことができなくなり、それがストレスを呼んで、ウイルスにやられやすくなっている、という説です。

 もうひとつは、ヨーロッパで禁止されている殺虫剤が養蜂に使われていることです。
 ミツバチたちってダニに弱いんだそうです。で、ダニ退治に殺虫剤を使っている。

 ところが、これがミツバチの群れにとってはあまりよいことではないらしく、働きバチたちの帰巣能力を損なっているのではないか、と見る研究者もいるそうです。
 女王蜂も殺虫剤の影響で、数年前と比べ、寿命が半減している、という説もあります。

 ミツバチというと、すぐハチミツを連想して、どうもそっちのことばかり心配してしまいますが、そんなことより、もっと心配されるのが、農作物への影響です。
 アメリカのミツバチたちって、受粉作業員としても駆り出され、その方の稼ぎがミツを集める本業の数倍にもなっているのだそうです。
 アボカドもキウイも、ミツバチが受粉を助けていると、ニューヨーク・タイムズには出ていました。
 (余談になりますが、まさか、ミツバチまで花粉症になっているのじゃないですよね?!)

 ミツバチたちが花粉まみれになって農作物(植物)受粉をしてくれないと、どうなるのか?

 どうも大変なことになるようです。
 
 米農務省によれば、わたしたちが食べている食物(植物)の3分の1はミツバチによって受粉しているものだそうです。
 そのミツバチが、このままCCDによる被害拡大で壊滅状態に陥ってしまえば、農産業に赤信号が点り、食料危機さえ招きかねないことになってしまう……。
 これはもう、聞き捨てならない、由々しき事態になってしまうわけです。

 アメリカではモンタナ大学と連係する「ハチ警報テクノロジー」という民間団体が中心になって、被害拡大を防ぐため、被害にあった巣箱の隔離など、さまざまな「対策」を呼びかけていますが、いずれも「当面の試験的予防策」に過ぎず、決め手なし、が実情のようです。

 日本にも養蜂家がいます。もちろん、宮城県にも。
 いまのところ「対岸の火事」ではありますが、なにごともグローバル化した現在、鳥インフルエンザのように、いつなんどき、飛び火しないとも限りません。

 県庁などの関係機関には、注意深いウオッチをお願いしたいところですね。 


http://beealert.blackfoot.net/~beealert/index.php

Posted by 大沼安史 at 10:46 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2007-03-10

〔For the Record〕「わたしを犯さず、やさしくしてくれた特攻隊員が一人いた。彼はわたしに何度もいった。『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きなければならない』」 元「従軍慰安婦」、イ・ヨンスさんが証言 ルモンド東京支局長、フィリップ・ポンス氏が取材し報道 

 フランスのルモンド紙の東京支局長で、日本の歴史文化に明るいフィリップ・ポンス記者が3月5日、先にワシントンの連邦議会下院小委で証言したイ・ヨンス(李容洙)さん(78歳)と都内の韓国レストランで会い、彼女の話を聞いて記事にした。

 その記事を読んで驚いた。彼女はなんと14歳で、軍用性奴隷の地獄へ連れ込まれていたのだ!
 しかも、自宅から、日本軍の兵の手で!

 ポンス記者はこう書いている。
 
 「現在の韓国南東部、大邸で生まれたイさん(マダム・イ)が14歳のときだった。『1944年の秋のある朝のことです。寝ていると、わたしを呼ぶ女の声がします。出て行きました。日本兵がひとりいて、わたしを捕まえ、力ずくでわたしを連行したのです』。汽車は彼女をピョンヤンから中国の大連へと運んだ。大連で彼女は台湾行きの船に乗せられ、自殺パイロット(カミカゼ)の基地の軍用売春宿に配備された」

 台湾の特攻機地の慰安所での体験を、イさんはポンス記者にこう語っている。

 「(慰安所になった)船上で、わたしたち5人は300人の兵にあてがわれました。年上のお姉さんがわたしを隠してくれました。その基地で、わたしは殴られ、犯され、死ぬまで放置されました。わたしの手は針金で縛れていました」

 そんな地獄の日々のなかで、イさんはひとりの特攻隊員(パイロット)に会った。
 「ひとりのパイロットがわたしにやさしくしてくれました。彼はわたしに何度も言いました。『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きねばならない』と。その人だけが、わたしを犯しませんでした」

 哀切きわまる証言ではないか!
 台湾の特攻機地の慰安所で、こういうことがあったのだ!
 ぼくは死ねけど、君は生きろ、と励ます特攻隊員がいたとは!

 上記、「やさしくしてくれた」という拙訳は、字義通りに訳せば、「世話をしてくれた」となる。
 その特攻隊員はもしかしたら、イさんを妹のようにも思い、気遣ったのではなかったか?!

 イさんの証言は続く。
 「何ヶ月かが過ぎていきました。わたしがあてがわれた小さな船室には毎日、10人の兵士がやって来ました。船室には寝床と布団と消毒液がありました。最後の任務(自殺攻撃)に出て行った彼らは、(わたしの部屋に)長居していました。(特攻隊員の)彼らもまた犠牲者だったのです」

 イさんは自分を奪った特攻隊員たちを、同じ犠牲者だと言っているのだ。彼女自身と特攻隊員を、台湾の慰安船の一室に押し込め、一方で「生き地獄」を強い、他方で「散華」を迫ったものを憎み、告発しているのだ。

 そして、ついに光復の日が……。
 「ある朝、日本兵が突然、いなくなりました。街の方から中国語の叫び声が湧き上がりました。『戦争は終わった』と」

 ポンス記者は、1992年、日本の歴史学者(吉見教授)の手で日本軍の「参謀本部の関与」を示す旧軍の資料が発見され、それが翌年、宮沢政権下、河野官房長官による「談話」につながった経緯について紹介するとともに、旧軍が配下の「人買い」を「下請け」にして、騙したり、まったくの奴隷として女性を慰安所に供給していたことも多かったとも指摘。そのことを口実に、軍の全面直営ではなかったとして「河野談話」を否定する、日本の「右寄りへの回帰」の動きを批判している。

 そう、その通り、すべてを「下請け」の「業者」のせいにすることはできないのだ。「業者」に下請けに出した「軍部」こそ、責任を取らねばならない。

 安部首相よ、あなたの祖父、岸信介氏が手を結んだ日本の軍部こそ、14歳の少女、イさんらを性の地獄へ突き落とし、若い特攻隊員を「散華」に追い込んだ輩であることを、あなたは認めるべきである。

  
 

http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3216,36-879493@51-875240,0.html

Posted by 大沼安史 at 01:44 午後 | | トラックバック (2)

2007-03-09

〔For the Record〕 「15歳でわたしの心は死んだ」「世界に向かって叫びたかった……」 元「従軍慰安婦」3人が豪シドニーで「生き証人」として「客観的事実」を証言  ニューヨーク・タイムズ紙のオオニシ東京支局長が現地取材で報道

 日系カナダ人のニューヨーク・タイムズ紙東京支局長、ノリミツ・オオニシ記者が、豪シドニーに飛び、3月7日、国際会議に出席していた3人の元「従軍慰安婦」から直接、話を聞いた。

 以下に紹介するのは、8日付け、同紙(電子版)に掲載されたオオニシ記者のレポートの抄録である。

 オオニシ記者は、米議会下院小委に「従軍慰安婦」問題に関する決議を提案した、同じ日系のマイク・ホンダ議員(民主党、カリフォルニア選出。イラク出征を拒否したワタダ中尉を支援)にも取材、こんなコメントを引き出している。

 「安部首相は事実上、(元従軍慰安婦の)この女性たちは嘘つきだと言っているに等しい」

 オオニシ氏もホンダ氏も「美しい国」の首相の愚かで醜い「客観的事実ではありません」発言を残念に思っているのだろう。

 安部首相よ、中山議員よ、以下の「生き証人=客観的事実」たちの胸のうちに思いを馳せよ。
 
 そして「従軍慰安婦アウトソーシング論」をこねまわす自らの醜悪さを反省し、この3人の元へ行って懺悔したまえ!

                   *
 

● 台湾人女性、ウ・シュウメイさん(当時23歳 現在90歳)の証言

 メードとしてホテルで働くウ・シュウメイさん(当時23歳)が、台湾人のボスの手で日本官憲引き渡されたのは1940年のことだった。
 彼女とほかの約15人の女性は、中国南部に、性奴隷となるため送られた。
 「慰安所」と呼ばれる現地の「ホテル」は台湾人によって経営されていたが、日本軍専用だった。1日20人以上の兵士と、連日、1年近く、セックスを強いられた。堕胎も数回、繰り返し、子どもを産めない体になった。
 慰安婦だった過去を隠して2回、結婚した。2回とも夫に気付かれ、不幸は結末になった。女の子を養子に迎えた。
 その娘がいま、彼女に腹を立てているという。公の場で過去を話す母に怒っているのだ。

 ● 朝鮮人女性、ジル・ウォンオクさん(当時15歳、現在78歳 韓国在住)

 ジルさんはピヨンヤンの日本軍基地前で、求職の列のなかにいた。朝鮮人男性が近づいてきて、工場で仕事があるといった。連れて行かれた先が中国北部の慰安所だった。梅毒にかかり、腫れ物ができた。
 「わたしの心は15歳のときから死んでいるのです」と、彼女は言った。
 子どもを産めないからだになった。結婚もできなかった。男の子を養子として育てた。

 ● オランダ人女性、ジャン・ラフ・オヘルンさん(現在 84歳。オーストラリア在住。オオニシ記者は彼女の娘のキャロルさん宅でインタビューした。なお、彼女の米連邦議会下院小委での証言は当ブログに収録)

 「慰安所」から解放され、日本軍の「駐屯地刑務所」からジャワ島に戻った彼女に、両親は「沈黙」を誓わせた。尼僧になろうと考えた彼女に、神父が言った。「尼僧にならない方が賢いことだ」と。
 戦後、彼女が将来の夫の英軍兵士、トム・ラフさんに会ったのは、駐屯地でのことだった。結婚するまで一度だけ、トムさんに身の上話をしたことがあった。

 「わたしはそのことについて(本当のことを詳しく)言わなければなりませでした・でも、わたしは言えませんでした。わたしはトムを愛し、結婚をしたかったし、家に住みたかった。わたしは家族がほしかった。子どもたちもほしかった。でも、セックスをしたくありませんでした。彼はとても辛抱強くならなければなりませんでした。彼は良き夫でした。そのことを話し合うことができなかったので、すべてがとても大変でした」

 「言えません……これがわたしが夫に言い続けたことでした。わたしは彼に(結婚前)一度だけ話したことがあっただけで、そのあと二度と話したことはありません。当時の世代にとって、大きすぎる話だったのです。母も向き合うことができませんでした。父も、わたしも、トムも。みんなそれを終わりにした。いまの時代なら、すぐにカウンセリングを受けることができるけれど」

 「こんな途方もない重荷を自分のなかで引きずることがどれだけ苦しいことか、みなさんにはわかりますまい。世界に向かって叫びたいけれど、それが出来ない……。わたしは以前、娘のキャロルにこう言ったことを覚えています。『いつか、わたしの物語を話してあげるわね。そのときはみんな聞いてくれると思う』と」


http://www.nytimes.com/2007/03/08/world/asia/08japan.html?hp

Posted by 大沼安史 at 10:32 午前 | | トラックバック (0)

2007-03-08

〔For the Record〕 「慰めにもならない」 ニューヨーク・タイムズ 「従軍慰安婦」問題で社説

 ニューヨーク・タイムズ紙は3月6日、「No Comfort(慰めにもならない)」との見出しで、安部首相の「従軍慰安婦」問題発言に対する社説を掲げた。

 本日(8日)付け朝日新聞(朝刊)によれば、外務省はニューヨーク・タイムズ紙に「ニューヨーク総領事による反論文の掲載を求める」という。

 ニューヨーク・タイムズ紙は「安部首相」に対してコメントしているのだから、外務省の出先の小役人の出る幕ではあるまい。

 ほんとうにその気なら、首相自ら、堂々と「反論文」を突きつけるべきだ。
 首相名の反論文であれば、ニューヨーク・タイムズ紙としても掲載を検討するだろう。

 1993年の「河野談話」を白紙に戻したい自民党の議員連盟は、ニューヨーク・タイムズ紙に全面意見広告でも出したらどうか!
 

 ともあれ、以下に、タイムズ紙の「社説」全文を非公式訳(拙訳)で紹介する。
              
                  *

                     慰めにもならない

 「日本軍性奴隷」という言葉のそのどこが、日本の首相、安部晋三をして、理解と謝罪をそれほどまでに困難なものにしているのだろう?

 そこに横たわる諸事実はかねがね、真剣な議論を超えた(疑う余地のない)ものになっている。第二次世界大戦中、日本の軍隊は、朝鮮のような植民地から駆り出した女性たちが、日本兵に性的なサービスをすることを期待する場所を開設していた。

 それらは商業的な売春宿ではなかった。女性たちのリクルートには、むき出しのものであれ、暗黙のものであれ、力(フォース)が行使された。その場所で続いたことは、売春ではなく連綿たるレイプだった。それに対する日本軍の関与は、ほかならぬ政府自身の防衛史料ファイルのなかに記録されている。東京のある高官(訳注:河野官房長官)は1993年に、この恐るべき犯罪に対し、多少なりとも謝罪している。犠牲者たちを補償金を出す(そのとき設立された)非公式の基金(訳注:アジア女性基金)は、今月末をもって終了することになっている。

 そして安部氏は、もうこれで、この問題を終わらせてしまいたい、と思っている。先週、彼は犠牲者たちが強制された証拠はないと主張した。昨日、彼は渋々、1993年の、謝罪もどきを追認したが、それはあくまで、現在、連邦政府下院にかかっている公式謝罪を求める呼びかけを日本政府が拒絶する、先制攻撃の一部として、である。アメリカだけが、日本が遅ればせながら全責任を引き受ける姿を見たいと思っている国ではない。韓国も中国も長年にわたって、この問題に関する日本のあいまいな言い方(エキヴォケーション)に怒りを覚えて来た。

 安部氏は日本の傷ついた国際的な評判を修復することよりも、この恥ずべきエピソードのすべては、健康的な(ヘルシーな)民間事業の一事例であるとする自民党内右翼大派閥にアピールすることに気を遣っているようだ。政権党のひとりの議員は日本軍の罪を晴らそうとするお門違いの熱情に駆られ、大学が学生食堂(カフェテリア)を民間企業にアウトソーシングしているとの、とんでもないアナロジー(類同)を示唆さえしている。

 日本は、真実を歪めようとすれば、不名誉をこうむるだけである。

 1993年の声明は削ぎ落とすのではなく、拡大すべきである。日本の議会は率直な謝罪を表明し、生存する犠牲者に対し寛大な公式補償を行うべきだ。日本の政治家たちは、安部首相自ら率先して、恥ずべきを過去を克服する最初の一歩は、まず事実を承けいれることであると、認めるときである。

                    *

 米下院の「従軍慰安婦問題」決議(案)にしても、1993年の河野談話を否定する動きが出ていることに対する怒りと反発がその背景にある。そしてそれは決議案のなかに明示されている。

 「拉致」問題を「解決済み」と言い張る北朝鮮と、「慰安婦」問題は「もう謝らない」と言い張る安部政権。
 
 まるで鏡に映し出したような似たもの同士ではないか!                


http://www.nytimes.com/2007/03/06/opinion/06tues3.html?_r=1&oref=slogin
 

Posted by 大沼安史 at 09:10 午前 | | トラックバック (1)

2007-03-03

〔NEWS〕 波紋広げる従軍慰安婦「証拠なし」の安部首相発言  日本政府 1993年「河野官房長官談話」否定を準備 ニューヨーク・タイムズ紙が報道 中山〔訂正〕議員が「業者運営の大学の学食」衝撃発言

 米ニューヨーク・タイムズ(電子版)は3月2日、ノリミツ・オオニシ特派員による東京発特電を掲載し、安部首相が1日、旧日本軍の「従軍慰安婦(軍用性奴隷)」問題で「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と、従来の政府公式見解に反する言明を行ったと報じた。

 他の有力な米紙では、ワシントン・ポスト(電子版)が2日、東京発のAP電を掲載して首相の言明を報じ、「過去の日本政府の謝罪に疑問を投げかけ、アジアの近隣諸国との脆弱な緊張緩和(デタント)を危うくしている」と指摘した。

 また、日系アメリカ人が多い西海岸の有力紙、ロサンゼルス・タイムズ(電子版)も、ブルース・ワレス特派員による、「第二次大戦の性奴隷問題で、日本で新たな論争の火花」との東京発特電を載せた。

 韓国紙の中央日報、朝鮮日報の両紙も電子版でそれぞれ、報道・論評を行った。

 このなかで、ニューヨーク・タイムズ紙は、日本政府が1993年の「河野官房長官談話」を「否認(reject))する準備を進めていると報じた。
 
 同紙とAP電は、ナリアキ・ナカヤマ〔訂正:ナカムラではなくナカヤマでした。最近、老人力がついてきて……。おわびして訂正します〕氏ら自民党の国会議員120人が1993年の河野官房長官談話の「公式改訂(official revision)」を推進しているとも指摘した。
(この事実を、日本のメディアは伝えているのだろうか?)

 ニューヨーク・タイムズ紙はさらに、AP電を引用するかたちでナカムラ氏の以下のような「衝撃的発言」を報じた。

 「(従軍慰安婦問題を)民間の企業によって運営される大学の学食(カフェテリア)と比較して言う人たちもいる」

 「需要があるところ、商売は生まれる。しかし、女性たちが日本軍によってサービスを強いられたとは的外れの言い方だ。この問題は事実に基づき、日本の名誉のために再考されるべきだ」

 一方、ロサンゼルス・タイムズ紙は、安部首相が1993年談話を改訂もしくは論議再開を行うつもりはないとの発言も併せて紹介している。

(大沼・注)

 米国の連邦議会下院の従軍慰安婦に関する公聴会の資料をウェブサイトからダウンロードし、ざっと目を通して驚いたことがある。

 米国の「対中国」の輸出と「対日本」の輸出推移を比較したグラフが目に飛び込んで来た。

 日本よりも中国……これは先の「アーミテージ・ナイ報告」の基調ともなっている米国のスタンスである。
 アーミテージ氏とハーバードのナイ教授はこれを「超党派(共和・民主)」の姿勢だと言い切っている。

 麻生外相はさきの衆議院予算委員会の質疑で、現在、決議案が上程されている米連邦議会下院小委での従軍慰安婦公聴会について、「(決議に)反対している(共和党の)議員も傍聴している」から心配ない、というような暢気な答弁を(たぶん、外務省の役人の気休め報告で)しているが、事態は楽観を許されない。

 本ブログでもいずれふれるつもりだが、さきごろ「公開」されたCIA機密文書で、元大本営参謀(ノモンハン事件、バターン・死の行進、ガダルカナ作戦などに関与)の辻政信(戦後、自民党の国会議員)がCIAのスパイであったことが判明した。

 米国では戦後、「戦犯」から一転、「免責」された旧体制指導者の責任を改めて追及する動きが出ているのである。

 安部首相は自身が元A級戦犯で、児玉誉士夫(この人もCIAのスパイだった)と一緒に巣鴨から「釈放」された岸信介元首相の「孫」である立場を(そして、国際連盟を脱退した松岡洋右の甥」である「戦前・戦後レジーム」の申し子であることを)、一時も忘れてはならない。

 アジアは、そして世界は、安部首相を「歴史のレンズ」を通して見守っているのである。

 あのヨーロッパ知識人に影響力を持つ、仏高級誌「ルモンド・ディプロマテーク」も、安部首相の登場を「硫黄の過去」が復活した、と衝撃を持って受け止めていたではないか?

 安部首相は軽率な発言を慎み、「政府公式見解」を拒否する、蒙昧な自民党議員らを厳しく叱責すべきである。

 「美しい国のナショナリズム」は正直で、潔いものでなければならない。

                        *

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                    *   
 
 

http://www.nytimes.com/2007/03/02/world/asia/02japan.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/01/AR2007030101498_pf.html

http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-japan2mar02,1,2332050.story

http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-briefs3.2mar03,1,7859959.story

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=85111&servcode=100&sectcode=110

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/03/20070303000007.html

http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070303/usa070303001.htm

Posted by 大沼安史 at 09:42 午後 | | トラックバック (3)

2007-03-02

〔NEWS〕 ワタダ中尉 軍事裁判 7月16日に開廷

 Yahooニューズが伝えたAP電(2月28日付け)によると、イラク出征を拒否した日系アメリカ人、アーレン・ワタダ中尉に対する軍事裁判が7月16日に開廷することになった。

 ワタダ中尉の弁護人は「一事不再理」の憲法条項の適用と求めていく考えを明らかにした。

(大沼・注)
 米陸軍当局の意向通り、かりに「7月」に開廷するとしても、まだ先のことで、支援運動を強化する時間はある。
 減刑を含むワタダ中尉「救済」で最も有効なのは、もちろん、米国、世界における反戦運動の高まりである。

 ■ イラク・イラン情勢の今後(私見)

 ここで、こんごのイラク情勢・イラン情勢がどう推移するか、現代段階での私見を述べておきたい。

 ① ブッシュ政権は今月(3月)10日、バグダッドで開かれる、イラン、シリア参加の会議に出席することを表明したことで、柔軟な方針に転換したとの観測も流れているが、それは草案が固まった「イラク新石油法」の国会通過・成立(イラク石油資源の「確保」の合法化)を図る、一時的な融和的環境づくりのためである。

 ② 新石油法が通過したあと、ブッシュ政権が対イラン攻撃に乗り出す可能性が強い。「シーア派=イラン、ヒズボラ」退治・封じ込めのためには、なんとしてもイラン核武装化を未然に阻止しなければならないと、判断しているからだ。

 ③ イランを軍事的に徹底に叩いたあと、「イラク占領」を永続化し、石油資源の収奪を続ける。

 ……こうした流れになるものと考えている。  


http://news.yahoo.com/s/ap/20070228/ap_on_re_us/war_objector

Posted by 大沼安史 at 10:48 午前 | | トラックバック (0)