〔イラクから〕 米軍 バグダッド・ハイファ地区掃討 ヘクター・ライジャ軍曹の死 NYT紙が現場取材で報道 「殺られた! 一発の銃弾がすべてを変えた」
米軍がイラク政府軍とともにバグダッド市街の制圧に乗り出している。武装抵抗勢力を一掃する狙いだが、激しい抵抗に遭遇しているらしい。そんな市街戦の現場にニューヨーク・タイムズ紙の記者とカメラマンが入り、1月29日の電子版で臨場感あふれる報道を行った。
ダミヤン・ケイブ記者のルポルタージュ、「殺られた! 一発の銃弾がすべてを変えた」。
イラク戦争の戦場の実態を再現する、緊迫感あふれる記事である。
1月24日(水曜日)午前9時15分。
継続中の米陸軍ストライカー旅団に属する小隊が、ハイファ地区のアパートで掃討作戦に従事していた。
叫び声が上がった。「助けろ! 誰か殺られた」「ライジャ軍曹が頭を撃たれた」
テキサス州出身のヘクター・ライジャ2等軍曹(27歳)が、台所で撃たれたのだった。北向きの台所の窓ガラスに銃痕があった。
小隊長のマルク・ビレッツキ1等軍曹が「みんな、落ち着け」と言った。一等軍曹は肩まで震えていた。彼自身、落ち着いていなかった。
小隊の衛生兵がライジャ軍曹の防弾チョッキをグイと引いて、楽にしてあげようとしていた。
2分後、3人の兵士が居間から台所へ突進し、ライジャ軍曹を引きずり出した、軍曹は担架に乗って階下に運ばれた。9時20分ごろだった。
小隊のメンバーは居間に残っていた。ショックに凍りついていた。
小隊の仲間は言った。スナイパーが撃ったかも知れないし、イラク政府軍が撃った弾が当たったかも知れないと。
一緒に行動するはずだったイラク政府軍は勝手に進軍し、小隊は彼らとコミュニケートできなくなっていた。
台所にライジャ軍曹のヘルメットが残されていた。誰かが取りにいかなければならなかった。小隊長のビレッキー1等軍曹が言った。「また死んでほしくない。オレの指揮が間違っていたんだ」
「間違ってはいなかったと思います」と小隊の誰かが言った。
衛生兵が台所のヘルメットを回収する役を引き受けた。銃撃の危険に身を晒しながら、血だらけのヘルメットを抱いて、居間に持ち帰った。
小隊に待機の指示が出た。460メートル先の建物を空爆で破壊するので、それまで待て、とのことだった。
小隊は14時間の間に、ハイファ通りに面した8つの建物の掃討を終えていた。あと10棟、残っていた。
数時間後、小隊にライジャ軍曹の死が伝えられた。
(大沼・注)
NYT紙のこうした報道に対し、米軍は今後、ケイブ記者たちの同行取材を認めない方針を伝えた。
報道管制が強まっている。バグダッド制圧の戦いは苦戦を強いられているのだろう。
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http://www.nytimes.com/2007/01/29/world/middleeast/29haifa.html?_r=1&oref=slogin
Posted by 大沼安史 at 11:34 午後 | Permalink
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