〔イラクから〕 P・コバーン著、 『イラク占領』(仮題) 翻訳を終えて
バグダッドのホテルに陣取り、イラクの内側から報道を続ける英紙「インディペンデント」のイラク特派員、パトリック・コーバン氏の『イラク占領-戦争と抵抗』(仮題)の翻訳作業を終えました。
編集作業のあと、近く「緑風出版」(⇒ http://www.ryokufu.com/ryokufu-home.htm )から出る予定です。
以下はその翻訳稿(未定稿)の「訳者あとがき」部分です。
訳者あとがき
ぼくは、「イラク戦争」に関心があるので、ネットで毎日、情勢の推移をチェックしている。新聞の電子版にアクセスして、どんな事態になっているか、大筋をつかむ。おもしろいニュースが出ていれば、さらに探りを入れる。
そんな日課の手始めは、英紙「インディペンデント」のサイト(http://news.independent.co.uk)にアクセスすることだ。「インディペンデント」を読んだら、「ガーディアン」に移り、「フィナンシャル・タイムズ」を眺めて、「タイムズ」で終える。
最初に、英国の新聞四紙をチェックするのは、理由がある。時差の関係で、その日の「朝刊」が、米国の各紙より早く、ネットに掲載されるからだ。日本時間の昼にはもう、その日の「電子版紙面」が出ているので、お昼を食べ終わったら、パソコンに向かう。
ではなぜ、英紙四紙のうち、「インディペンデント」から見ていくのか?
アイコンが画面のクリックしやすい位置に出ることもあるが、それだけではない。この新聞を、ぼくは好きなのだ。「ガーディアン」もいいが、やはり「インディペンデント」を先に見る。
この新聞が好きな理由は、その進歩的な論調もさることながら、なんといっても「中東問題に強い」からだ。たぶん、ぼくの知る限り、現在、世界ナンバーワン。ルモンドもニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストもさすがだが、こと中東報道では「インディペンデント」が首の差ひとつ抜け出ている。
なぜか? 「インディペンデント」には、本書の著者、パトリック・コバーン(Patrick Cockburn)記者がいて、その「バクダッド発」特電がほぼ毎日、載るからだ。
コバーン記者は、ベイルート駐在のロバート・フィスク記者と並ぶ、同紙中東報道の二枚看板である。
フィスク記者はオサマ・ビンラディンと三回も会見した、中東報道の重鎮とも言うべき存在だが、コバーン記者も、湾岸戦争(一九九一年)後におけるイラク・シーア派反乱を徹底取材して報じるなど、イラク報道の第一人者である。こんどの「イラク戦争」でも、イラク国内に踏みとどまり、バグダッドのハムラ・ホテルを拠点に、危険極まりない取材活動を続行している。
だからぼくは「インディペンデント」の電子版にアクセスして、コバーン記者の記事が出ていると、ホッとする。たいへん失礼な言い方になるが、まだ「健在」だとわかり、安心するのだ。
本書にも出て来ることだが、実際、コバーン記者はイラク北部で銃撃を受けて負傷、あわや失明という目にも遭っている。米軍などの保護を受けていないコバーン記者のような独立独歩の西側ジャーナリストにとって、バグダッドでの取材活動は、まさに危険と隣り合わせ。とにかく無事を祈るほかない。
本書(The Occupation)は二〇〇六年十月に出版された。「インディペンデント」の電子版にもその抜粋が掲載されて、本が出たことを知った。ロンドンの出版社から出た原著を取り寄せ、即座に翻訳を決意した。
版権はコバーン記者本人が持っており、十二月の初め、翻訳エージェンシーを通じ、「OK」の返事が返って来た。日本語版出版承諾のメールは、コバーン記者の「バグダッド発」の一連の記事同様、たぶん市内のハムラ・ホテルの一室から発信されたものである。
本書を翻訳しようと思ったのは、蜃気楼のようにつかみがたい、「イラク戦争」「イラク占領」の実態を見事に結晶化させ、描き出しているからだ。「イラク戦争」「イラク戦争」の現実を、内側から「活写」しているからだ。
ぼくは湾岸戦争直前のバグダッドに、新聞社の特派員として二度入り、カイロにも駐在して、その後もそれなりに「中東ウォッチ」を続け、生意気にも「ちょい中東通」を自認していた。が、本書はそんなぼくの「過信」を粉々に打ち砕いてくれた。ぼくはほんとうに何も知らなかった。バグダッドもイラクも、「戦争」も「占領」も。
本書の内容紹介は重複になるので省くが、読み終えた読者はたぶん、コバーン記者の歴史的なパースペクティブの深さに感心させられたことだろう。イラク戦争を歴史のなかに位置づけ、過去の出来事と比較することで、その特殊性を浮き彫りにする(たとえば、一九四五年のベルリンと二〇〇三年のバグダッドの比較、アメリカのイラク支配と大英帝国のインド支配の違い、など)。これは歴史の素養なくして出来ることでない。
もうひとつ、本書を読んで印象に強く残るのは、細かい事実、逸話にこだわるコバーン記者の取材姿勢である(たとえば、イラク人の果樹園をなぎ倒す米軍ブルドーザーの拡声器からジャズが流れていた、との記述)。ジャーナリズムの神もまた、細部に宿り給うのだ。
コバーン記者の諧謔も、読後に余韻を残すものである。絶望的な状況を描きながら、この人は決してユーモアを忘れないのである。(「ダイハード2」というニックネームがついたカナリアのこと、バグダッドのホテルのエレベーターを占拠した「空飛ぶ族長」の話、同じホテルの玄関口のフロアにあったパパ・ブッシュの「踏み絵」と、それを飛びそこなって股グラを痛めた米政府当局者のエピソード、「グリーンゾーン」内の売春宿の逸話、等々……)
そして何よりも、コバーン記者の眼力の鋭さ――。
たとえば、「もし、ブッシュとブレアが、イラクの独裁者が『大量破壊兵器』という、中東にとって脅威となりうる軍事力を保持していると本当に思っていたなら、たぶん攻撃は仕掛けなかったろう」という指摘など、実に鋭利である。
言われてみれば、確かにその通り! ブッシュ大統領は、イラクには「サダムの核」はない、とわかっていたのだ。「大量破壊兵器」はないとわかっていたからこそ、「大量破壊兵器」があると言い立てて、それを口実にイラクへ攻め込んだ……。
本書の終わりにさりげなく置かれた、コバーン記者の次の一言も衝撃的である。
「そして二〇〇三年以降のアメリカのイラク占領……。それはアメリカの没落の始まりかも知れない」と。
ナポレオンを破ったウエリントン卿の言う通り、「偉大なる国は、小さな戦争をすべきでな」かった、のである。
氏の略歴を紹介すると、一九五一年生まれのアイルランド人。父親は、著名な社会主義者であり、ジャーナリストでもあったクロード・コバーン。
オックスフォード大学を出て、一九七九年以降、中東取材を続けている。
兄のアンドリュー(現在、米国の政治評論誌「カウンターパンチ」エディター)との共著で出した前著、『灰の中から(Out of Ashes)』(一九九八年)は、湾岸戦争後のイラクを描いたもので、これまた力作である。
本書を出版したあともコバーン記者は引き続き、イラクに踏みとどまり、取材活動を続けているが、本書(原著)発刊後にインディペンデント紙の電子版に載った「バグダッド発」特電のひとつを紹介しよう。
二〇〇七年一月二十八日付け、「バグダッド攻略戦:街は米軍増派を待ち構える」という記事である。
コバーン記者はその記事を、リナ・マスフィさんという、三十二歳の未亡人のことから書き出している。子ども二人の父親である彼女の夫は、二〇〇三年に米軍に殺された。封鎖された道路に誤って侵入し、撃たれたのだ。
それから三年経ったいま、彼女の家に米兵らが繰り返しやって来ては扉を壊し、引き揚げていく。この三ヵ月に、実に十二回も。
薬学を勉強している彼女の弟は米軍に逮捕され、一週間、刑務所に閉じ込められた。「からだに拷問の痕があった」……。
こんなふうにリナさんを紹介したあと、コバーン記者は、直截にこう指摘する。「彼女の物語は、ブッシュ大統領の最後のギャンブルになるかもしれない、バグダッド制圧のための米軍増派が負け戦におわる公算が高いことを示している」と。
コバーン記者は、バグダッドには無数のリナさんがいる、と言っているのである。武装抵抗勢力だけでなく、彼女のようなふつうのバグダッド市民が米軍を待ち構えているのだ。バグダッドはレジスタンスの市街戦の街と化す、のである。
世論調査によれば、ふつうのイラク人の「六一%が米軍への武装攻撃を承認している」おり、それは「スンニ派、シーア派双方の大多数を占める」と。
本書の最後にもあるように、コバーン記者は米軍がたとえ倍増されたとしても、イラク制圧は不可能と見ている。米軍のバグダッド制圧も、ブッシュ政権の思惑通りには行かないだろう。
リナさんらバグダッド市民の前には、混乱と苦難、あるのみである……。
コバーン記者には本書の「続編」を期待したい。いや、必ず書いてくれるはずだ。その「続編」のカバーする期間が長くならないことを、ぼくもまた祈ることにしよう。
イラク戦争は終えなければならない戦争だ。不正義の戦争だ。
それは本書が見事に描き、証明し切った、歴史の真実である。
コバーン記者の健闘と身の安全を祈りつつ、「イラク占領」の一日も早い終結を願う。
二〇〇七年二月
訳者 大沼 安史
Posted by 大沼安史 at 08:47 午前 | Permalink