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2007-02-28

〔NEWS〕 ブッシュ政権が「軌道修正(Redirection)」 S・ハーシュ記者が指摘 シーア派封じ込めでスンニ過激派を秘密支援

 米国の調査報道ジャーナリスト、シーモア・ハーシュ氏は2月25日発売の米誌「ニューヨーカー」に、「軌道修正(The Redirecion)」と題したレポートを発表、ブッシュ政権がチェイニー副大統領主導で、イラン=シーア派を封じ込めるため、アルカイダを含む、スンニ派過激組織に対する秘密援助を、サウジその他経由で行っていることを暴露した。
 
 「軌道修正」グループには、サウジのバンダル王子(前駐米大使)も参加、秘密活動の部分は、チェイニー副大統領が仕切っている。

 一方、対イラン攻撃では、米軍の統合参謀本部内に特別計画グループがすでに設置され、ブッシュ大統領の命令で24時間以内に攻撃できる態勢ができている。

 イラン沖には現在、空母2隻を中心とした機動部隊が展開しているが、3隻目の投入論も出ているという(そうなると、米軍の対イラン攻撃の時期はずれこむ)。

 ハーシュ記者はレバノンで「ヒズボラ」指導者、ナスララ師との会見にも成功、「レバノンとシリアのシーア派を、イラク南部(のシーア派地区)に追い出そうと考えているかもしれない。そんな臭いがする」との見解を引き出した。
 
 

http://www.guardian.co.uk/frontpage/story/0,,2021436,00.html

http://www.newyorker.com/fact/content/articles/070305fa_fact_hersh

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2007-02-27

〔NEWS〕 ワタダ中尉を再起訴 米陸軍

 米紙オリンピアン(電子版、2月24日付け)によると、米陸軍は23日、イラク出征を拒否した日系アメリカ人、アーレン・ワタダ中尉を再起訴した。

 ワシントン州フォート・ルイス基地でのワタダ中尉に対する軍事裁判は事前の司法協議の混乱をめぐって審理中止が宣言されており、米陸軍当局が再度、軍事裁判を行うかどうか注目されていた。

 起訴の罪状は変わっておらず、一事不再理の原則が適用されるかどうか、今後の焦点のひとつになっている。


http://www.theolympian.com/112/story/67233.html

Posted by 大沼安史 at 07:35 午後 | | トラックバック (0)

〔コラム 机の上の空〕  Sの追悼に代えて 死に逝く人を送る歌 千の風を起す「臨終」コーラス

 講演で、北海道・十勝地方、中札内(なかさつない)村に行って来ました。
 東京から1時間半。帯広空港から車で10数分。
 
 「幸福」駅行きの廃止された線路は雪の中。雪原は前日の季節はずれの雨で漆喰のような質感を湛え、真冬のまばゆい陽射しを反射する純白の面となって、はるか彼方、日高山脈の連山の麓へと続いていました。
 ところどころに、歯ブラシを立てたように防風林や万年筆のまるいキャップのようなサイロがあって、白一色の風景にアクセントを添えています。

 わたしにとって12年ぶりの「北海道の冬」でした。大気を凍らせ、清冽な寒さが身に沁む「冬の北海道」が、そこにありました。
 
 北海道の新聞社での25年に及ぶ記者生活を中止し、故郷の仙台に戻ったのが、1995年のこと。その後、仕事で何度か出かけたことはありますが、「冬」はこれが初めて。生まれ育った家に戻ったような懐かしさを覚えました。

 講演のテーマは、「教育改革」でした。わたしはトルストイの学校のことから話を始めました。そう、あの「戦争を平和」のトルストイが、モスクワの南西200キロ、ヤースナヤ・ポリャーナで開いた、世界初の「自由学校」の話から、90分の講演を始めたのです。

 話の全体を貫くものは「白樺」でした。トルストイの学校の白樺、「学力世界1」とされるフィンランドの白樺(キシリトールはフィンランドの発見です)、日本の「白樺派」による大正自由教育……。
 そうした「白樺の教育」の流れを歴史的に辿ったあと、そのなかに、わが国がいま進めようとしている「教育再生」路線を位置づけてみたのです。

 話してみて、ますますはっきりしたのは、日本の「再生」路線が、「白樺の教育」と逆行するものであることです。
 真逆。
 授業時間数の増も教師の締め付けも、トルストイの学校を水源とする、教育の流れの反対方向をゆくものでしかない――。
 そんなこの国の時代錯誤と焦燥を、わたし自身、改めて確かめることができました。
 中札内の白樺の並木が、確信をさらに深めてくれたような気がしました。

                   *

 その夜、わたしは帯広市内で新聞社時代の旧友と12年ぶりの再会を果たしました。ビール工場のレストランで、わたしは友人から、かつての仲間の消息を教えてもらいました。

 分厚い胸板を持ち頑強そうに見えたわたしの同期生Sが、ハイキングの途中で倒れ、帰らぬ人となった日のことを。
 定年退社した先輩記者が野鳥観察や合唱の趣味に生きていることを。

 わたしもすでに58歳――。友人の話はわたしに、「お前もそろそろだな」と、人生の終盤にある事実をさりげなく告げるようでもありました。

 翌日、中札内村役場での会合を終え、帰路についたわたしは、帰宅するなり、スクラップ・ファイルの山から目当ての一冊を探し当て、綴じ込んでいた記事をもう一度、読み返しました。

 再読してわたしは、すぐに決めました。
 わたしは仙台のラジオ局(東北放送)で、週に一度、世界の話題を紹介するコーナーに出演しており、次回はその記事の紹介で行くことに決めたのです。
 理由はかんたん。その記事を改めて読んで、雪原の上を吹く「千の風」を感じた気がしたからです。
 わたしはSへの追悼として、ラジオで話すことにしたのです。

 米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版、1月30日付け)に「死にゆく人びとへの歌の翼(Wings of song for the dying)」という記事が出ていて、感動したわたしはプリントアウトしたものをファイルに綴っていました。

 わたしと同世代、現在57歳になるケイト・マンガーさんという、カリフォルニア在住の女性が始めたコーラス・グループの活動を紹介した記事でした。

 グループの名は「扉の聖歌隊(Threshould Choirs スレショールド・クワイア)」。その名の通り、あの世の入り口に立つ人々(つまり死に行く人びと)を、歌で送る合唱隊です。

 2000年に、ケイトさんの呼びかけで、サンフランシスコ湾岸地区に住む有志15人で結成したものですが、いまではカリフォルニア州外を含め、30の合唱隊を持つまでに成長し、隊員も700人に達するまでになっています(男性はわずかに1人、あとは全員、女性だそうです)。

 創始者のケイトさんは小学校の音楽の先生です。その彼女の友人のラリーさんというキルトの作家がいました。彼女は、エイズで死期を迎えたラリーさんの家で草むしりをしたりして手伝っていたのですが、ある日の午後、ベッドのラリーさんに歌を歌ってあげたそうです。昏睡するラリーさんに対する、歌の贈り物。1990年のある昼下がり、ふと思いついて歌ったことが、やがて「扉の聖歌隊」結成につながっていくのです。

 ラリーさんがなくなって10年近く経ったある日、ケイトさんはモンタナ州からカリフォルニアに向かって、帰路、車を走らせていました。道路際に動物の死骸があって、彼女はそのそばを走っていた。ケイトさんは無意識に死んだ動物に向かって、こんなふうな歌を口ずさんでいる自分に気づいたそうです。

   May your spirit rise safely.
      May it soon become a cloud……

      (魂よ、安らかに舞い上がれ、そしてすぐに雲となれ……)

 ケイトさんはそのとき、ラリーさんとのことを思い出し、歌で送り合唱隊をつくろうと決めたのだそうです。

 ケイトさんたちはいま、数人のチームを組んで週に2、3回、死期のベッドにいる人びとを訪ねているそうです。

 サンタ・クルズの病院に入院した、94歳のミリアムおばあちゃんのところへは、ある秋の日、3人の聖歌隊が出かけました。元ホテル・マネージャーの息子さんから依頼があったからです。

 意識をなくしていたミリアムさんは息を荒げて苦しそうだったそうです。隊員たちはミリアムさんの額を撫でたあと、「あなたのために歌いますね」とささやきかけて歌いだしました。

   We walk not into the night
      We walk up toward the stars.

      (夜に向かって歩み行くのではなく 星に向かって歩むのだ)

 数分後、不規則だった呼吸が元に戻り、そして止まりました。
 顔を見合わせる合唱隊の3人。
 その瞬間、ミリアムおばあちゃんは呼吸を再開しました。

 もう一度、歌を歌った3人は、そのあと忍び足で病室を去り、ホールでたがいに抱き合ったそうです。

 ミリアムおばあちゃんが息を引き取ったのはその翌日。息子さんは音楽が安らかな死をもたらしたと思っているそうです。

 隊員のひとり、マリエットさんは80歳の母親を、他のメンバーとともに歌で送りました。
 モルフィネ投与で意識を失っている母親に、マリエットさんたちは「シャル・ウィー・ダンス?」を歌って聞かせました。ミュジーカルが好きだった母親のための選曲でした。

 驚くべきことが起きました。母親はなんと指でリズムを取り始めたのです。マリエットさんの手の平でタップを叩き出したのです。

 それから10日後、マリエットさんはアンコールで呼び出され、病室を訪ねました。
 母親は歌を聴きながら息を引き取ったそうです。
 扉をくぐりぬけ、天国へと旅立っていった……。

 
 ケイトさんによると、青春時代の思い出の歌を聴きたがる人が多いそうです。たとえば、コール・ポーターとかビートルズとか(そう、ビートルズもいまや歴史、です……)。

 総じて好まれるのは、子守歌だ、といいます。

                   *

 こんなふうに「扉の聖歌隊」の話を書き終えて(この記事はこのままラジオの放送原稿になります)、わたしは友人との帯広の夜に思い出したことを思い返しました。

 ハイキング中に倒れた同期生Sは実に人情味のある早稲田出身の男で、飲み屋ではよく、義侠の歌を歌っていたことを。

 友人とビールを飲んだ翌日昼過ぎ、わたしは帯広空港に向かう車のなかから日高山脈の雲母の結晶のような稜線を眺めました。

 その向こうには日高地方があって、静内の町があります。(中札内から静内に向かう道路開設計画は、環境への配慮から中止になったそうです)

 その静内は、1971年春、Sが同期入社のわたし(わたしは根室)と同時に新聞記者生活を始めた振り出しの地。

 「千の風」がひとつ、Sの声を乗せ、はるかな山の呼び声のように通り過ぎた気がしました。 
 

Posted by 大沼安史 at 02:52 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-02-21

〔NEWS〕 ● 教育再生、日本再生 マニフェスト小説  『緑の日の丸』 発売開始!! ● 

       『緑の日の丸』
        
           大沼安史著 

                                         1600円 本の森 刊

         卒業式の「日の丸」が消えた! 「緑の学校」が日本を救う!

         「日の丸・君が代」の強制を超えて……

          また陰鬱な卒業式シーズンがやって来ます。
          戦前・戦中の悪夢をどう克服すべきか?
          本書では新しいナショナリズムのあり方についても提言しました。
          名づけて「緑のナショナリズム」!!

          「教育再生会議」では「統制教育」が再生するばかりです。
          「改訂・基本法」では、文科省だけが栄える一方、子どもたちはスポイルされ、結果として、日本は滅んで行くことでしょう。

          いまこそ、「緑の国づくり」、「緑の教育再生」に取り組んで行かねばなりません。          
          
         
  
 ●○ 申し込みは⇒ http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/891.html ○●
 

Posted by 大沼安史 at 10:59 午後 | | トラックバック (0)

〔For the Record〕 「日本人を許す、しかし決して忘れない」「安部首相は公式謝罪を」 オランダ人「従軍慰安婦」、米下院公聴会で証言 

 戦時中、旧オランダ領・インドネシアのジャワ島で、日本軍によって「従軍慰安婦」とされたオランダ人女性(現在オーストラリア在住)、ジャン・ラフ・オヘルンさん(84歳)が2月15日、米国・ワシントンの米連邦議会下院外交委員会アジア・太平洋・地球環境小委員会の公聴会で、他の韓国人「慰安婦」2人とともに証言した。
 
 下院には日系議員のマイケル・ホンダ氏(カリフォルニア選出、民主)らが、「従軍慰安婦」問題について日本政府に「ごまかしのない公式の謝罪」と「歴史的な責任」の引き受けを求める決議案を出している。

 この決議案について日本の麻生外相は19日の衆院予算委員会の質疑で、「決議案は、客観的な事実に全く基づいていない」と答弁、「事実無根」を公式に表明している。

 以下、オヘルンさんの「証言」を、拙訳で紹介する。

 麻生外相は、彼女の証言を知ったうえで国会答弁をしたのだろうか?

 外務省の役人の「メモ」を読み上げただけのことではなかったのか?

 恥ずかしくもあり、悲しくもある。

 ああ「美しい国」、日本!!

 ■ オランダ人元「従軍慰安婦」 ジャン・ラフ・オヘルンさん(84歳)の証言

 
 ファレオマベエンガ議長、そして小委員会の委員の皆さん:
 
 「従軍慰安婦」の悲惨さに関する、こうした公聴会を開いていただき感謝申し上げます。わたしは、他の2人の生存者である、「日本軍用性奴隷として徴用された女性たちのための韓国評議会」の李容珠(イ・ヨンス)さんと、「韓米交流教育委員会」の金君子(キム・クンジャ)さんとともに、今日皆さんの前で、わたしたちの体験談を分け合うことを喜びとするものであります。

 わたしはまた、「下院決議案121号」を提案したマイケル・ホンダ下院議員に対しても感謝申し上げたい。その決議案は、日本政府に対し「公式かつ明確な」謝罪と「歴史的な責任を取る」ことを要求しているものであります。そしてわたしは、わたしたちに正義が訪れる希望のなかで、世界に対して体験を物語ることができるよう、生き証人として招いてくださったファレオマベエンガ議長に感謝致します。

 ひとりの女性としての戦時中のわたしの体験は、人間としての尊厳を完璧に踏みにじるものであり、恥辱であり、耐えがたい苦痛であります。第2次大戦中、わたしは日本軍の、いわゆる「従軍慰安婦」になることを強制させられました。「従軍慰安婦」とは、性の奴隷をごまかした呼び名であります。

 わたしは1923年に、オランダ領東インド(現在のインドネシア)のジャワで、オランダ人入植一家の第4世代として生まれました。わたしはサトウキビの農園で育ち、最も素晴らしい少女時代を過ごしました。わたしはカトリックの学校で教育を受け、ジャワのセマランにあったフランシスコ派の教員大学を卒業しました。

 わたしが19歳だった1942年に、日本軍がジャワに侵攻して来ました。わたしはそれから3年半、数千人の(オランダ人)婦女子とともに、日本の駐屯地刑務所(prison camp)に閉じ込められたのです。日本の駐屯地刑務所でオランダ人女性たちの受けた恐怖、残虐行為、苦痛、飢餓に関しては多くの証言が語られています。しかし、ひとつの物語だけは決して語られることはありませんでした。第2次大戦中、日本人によって行われた最も恥ずべき人権侵害の物語:すなわち「従軍慰安婦(Comfort Women)」、ジュウグン・イアンフ(jugun ianfu)の物語がそれです。これらの女性たちがどのようにして、自分の意志に反し強制的に身柄を拘束され、日本帝国の軍隊のために性的サービスを強制されたかの物語です。

 わたしが駐屯地刑務所で拘束されて2年が経った1944年のことです。日本軍の高官たちが駐屯地にやって来ました。そしてこう命令しました。17歳以上のすべての独身女性は、駐屯地内に整列しろ、というのです。将校たちはわたしたちに向かって歩いて来ました。選別作業が始まったのです。彼らはわたしたちの列を行ったり来たりしながら、上から下までじろじろ見ました。わたしたちのからだや脚を見たり、指でわたしたちのあごを引き上げたりしました。そして10人を選び出したのです。そのなかにわたしも含まれていました。わたしたちは連行されたときと同様、小さなバッグひとつで、来るよう命令されました。駐屯地で拘束されていた全員が抗議しました。わたしたちの母親たちはわたしたちを取り戻そうと懸命でした。わたしは再会がかなうものかも知らず、母親と抱き合いました。わたしたちは軍用トラックに放り込まれました。わたしたちは恐ろしくて、バッグにしがみつき、互いに身を寄せ合いました。

 日本軍のトラックは、サマランの町の、オランダの植民者の大きな住宅の前でとまりました。車から降りろ、と命令されました。その家に入って、そこがどんな家なのかすぐに気づきました。日本の軍人のひとりがわたしたちに言いました。わたしたちは日本人に対して性的な楽しみを与えるためにここにいるのだと。その家は売春宿でした。

 わたしたちは声をあげて抗議しました。わたしたちは、自分たちの意志に反して無理矢理、ここに連れて来られたと言いました。彼らには、それをわたしたちにする権利はないことを言いました。それはジュネーブ条約に違反することであるとも言いました。しかし、彼らはわたしたちをあざ笑い、わたしたちを自分の思い通りにできるんだと言いました。わたしたちは日本人の名前をつけられ、ベッドルームのドアのところへ張り出されました。

 わたしたちはとても純潔な世代でした。わたしはセックスのことは何も知りませんでした。その売春宿の「オープニング・ナイト」の恐ろしい思い出は、わたしの人生のすべてを通し、わたしの心を拷問にかけて来たのです。わたしたちは食堂(ダイニング・ルーム)に行くよう命じられました。家中、日本軍の軍人だらけなのを見て、わたしたちは恐怖で身を寄せ合いました。わたしは祈祷書を取り出し、わたしたちを助けてくださいと、少女たちと一緒に祈りを捧げました。彼らはわたしたちを引きずり出し始めました。ひとり、またひとりと。ベッドルームから悲鳴が聞こえて来ました。わたしは食卓の下に隠れましたが、すぐ見つかってしまいました。わたしはその男と闘いました。力を振り絞ってキックしました。その日本軍将校は、わたしがすすんで自分を差し出さないことに、ものすごく腹を立てました。鞘から刀を抜いて、わたしに突きつけました。わたしを刀で脅し、わたしが言うことを聞かないなら殺すと言いました。わたしは部屋の隅で、もう逃げることのできない狩りで追い詰められた動物のように、からだを縮こませました。わたしは死ぬことを恐れていないことを彼に理解させました。わたしはすこしお祈りさせてくれるよう哀願しました。わたしが祈っている間、彼はわたしの服を脱がせ始めました。彼はわたしを殺す気はなかったのです。わたしに死なれてはよくなかったのです。

 それから彼はわたしをベッドに放り投げ、わたしの服を引き裂きました。かれは、ネズミをつかまえた猫のように、はだかのわたしの体の上に刀を走らせました。わたしはなお戦おうとしました。しかし、彼はわたしの上に乗って来て、わたしを重いからだで釘付けにしました。かれはわたしを最も残酷なしかたでレイプしました。わたしの顔を涙が伝いました。わたしは彼はいつまでもわたしを犯し続けると思いました。

 彼がようやく部屋を出ていくと、わたしのからだは震え上がりました。服をかき集め、バスルームに逃げ込みました。そこでわたしは、数人の少女と会いました。わたしたちはみんなで泣きました。わたしたちは完全にショック状態でした。バスルームでわたしは、わたしのからだから汚れと恥辱を洗い去ろうと懸命になりました。とにかく、洗い去ってしまおう。しかし、夜は終わっていませでした。ほかの日本人たちが待っていたのです。夜通し続きました。しかし、それは始まりに過ぎませんでした。来る週も来る週も、来る月の来る月も。

 その家は完璧に警備され、逃げることは出来ませんでした。わたしはときどき身を隠しましたが、いつも見つかり、自分の部屋に引き立てられました。わたしは(身を守るため)何でもしました。髪を全部切り落としました。丸坊主になりました。醜くなれば、だれもわたしを欲しがらなくなると思ったからです。しかし、逆にそれがわたしを関心の的にしてしまいました。彼らはみな、髪を切ったわたしを求めるようになったのです。逆効果でした。

 日本人は誰ひとりとして、わたしの抵抗を受けずにわたしをレイプできませんでした。わたしは全員と闘いました。そのため、わたしは繰り返し殴打されました。いわゆる「慰安所(Comfort Station)」でわたしは日夜、組織的な殴打とレイプを受けていたのです。わたしたちの性病を検査に来る日本人の軍医たちも、毎回かならずわたしをレイプしました。それどころかわたしたちをさらに辱めるため、検査の最中、ドアを開け放しにして、検査されているわたしたちの姿を日本人たちに見せたのです。

 「慰安所」にいる間、日本人たちはわたしを弄び、辱めました。わたしは引き裂かれ、バラバラにされたからだで、放置されていました。日本の兵士たちは、わたしの若い命を台無しにしたのです。わたしの全てを奪い去りました。わたしの若さを、わたしの尊厳を、わたしの自由を、わたしの所有物を、わたしの家族を奪い去ったのです。しかし、ひとつだけ、かれらが奪う去ることのできないものがありました。それはわたしの信仰と神への愛でした。これだけはわたしのものであって、だれもわたしから奪い去ることはできない。わたしが、日本人がわたしにした全てのことを生き延びることができたのは、深い信仰があったからです。

 わたしは日本人たちがわたしにしたことについて、彼らを許しています。しかし、わたしは決して忘れることができないのです(I have forgiven the Japanese for what they did to me, but I can never forget.)。50年間、「慰安婦」たちは沈黙を守り続けて来ました。彼女たちは汚辱にまみれた、恐ろしい恥辱を生きたのです。こうした女性たちの台無しにされた人生が人道問題となるのに、50年という歳月がかかったのです。

 「従軍慰安婦」にとって、戦争は決して終わらなかった。わたしたちはなお悪夢を見続けているのです。わたし自身、戦争が終わったあと、からだを元通りにするのに大手術を受けなければなりませんでした。

 1992年に韓国の「従軍慰安婦」たちが沈黙を破ってくれました。キム・ハクスンさんは最初に声を上げた方であります。わたしは韓国人の彼女たちが日本政府から、正義と謝罪と償いを求める姿をテレビで観たのです。わたしは彼女たちを支えようと決心しました。わたしは1992年12月、東京で開かれた、日本の戦争犯罪に関する国際公聴会で、わたし自身の沈黙を破り、第2次大戦における最悪の人権侵害のひとつである、忘れられたホロコーストを明らかにしたのです。

 わたしは過去15年にわたって、オーストラリアや諸外国で生きる「従軍慰安婦」たちの悲惨や、戦火のなかにある女性たちのため、倦むことなく活動して参りました。いまや、時間は限られています。60年後のいまこそ、「従軍慰安婦」に正義は与えられるべきであります。「従軍慰安婦」たちは、日本政府から、安部晋三首相自身から公式の謝罪を受けるに価いするものであります。日本政府はその戦争犯罪に対して全責任を引き受けなければなりません。

 1995年、犠牲者に補償するため「アジア女性基金」がつくられました。この基金は、「従軍慰安婦」に対する侮辱であります。わたしを含む彼女たちは受け取りを拒否しました。基金は民間で基金であり、資金は日本政府からではなく民間の団体からのものであります。日本は自身の歴史と向き合い、戦時中の残虐行為を認める必要があります。日本人は過去の過ちにかんする正しい歴史を教えなえければなりません。

 「従軍慰安婦」が体験を証言することは重要なことであります。議長、そして小委員会の委員のみなさん、わたしの物語を分け合う機会をくださって感謝申し上げます。わたしは、公の場でお話することで、世界の平和と和解に貢献することができるとともに、女性に対する人権侵害が二度と起こらないことを望むものであります。

 ありがとうございました。


(米下院での証言)

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200702160339.html

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84702&servcode=400&sectcode=400

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/17/20070217000018.html

http://foreignaffairs.house.gov/110/faleo021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/hon021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/lee021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/hearing_notice.asp?id=763

http://foreignaffairs.house.gov/110/kot021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/soh021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/ohe021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/kim021507.htm

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84712&servcode=400&sectcode=400

(麻生外相答弁)

http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070219/skk070219001.htm

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/19/20070219000023.html

http://news.yahoo.com/s/afp/20070219/wl_asia_afp/japanuspoliticswwiiwomen_070219063607

(河野官房長官談話)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

(日本政府公式見解)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html

Posted by 大沼安史 at 02:19 午後 | | トラックバック (6)

2007-02-20

〔NEWS〕 米軍の対イラン攻撃 核施設だけでなく軍事施設もターゲットに BBCが報道

 英BBC放送は2月19日、米軍の中央軍司令部(在フロリダ)高官の話として、対イラン攻撃の攻撃目標が核施設ばかりか、イラン軍の空軍、海軍基地、ミサイル基地、軍司令部をも含むものである、と報じた。


http://newsvote.bbc.co.uk/mpapps/pagetools/print/news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6376639.stm

Posted by 大沼安史 at 02:29 午後 | | トラックバック (0)

2007-02-19

〔いんさいど世界〕 「捕鯨反日」 如何に対処すべきか? 南氷洋 クジラ戦争 捕鯨母船 船内火災 1人死亡 「沿岸捕鯨文化」へ理解を示す「グリーンピース」 過激化する「シーシェパード」 ペンギン生息地危うし

 南氷洋でまたも「クジラ戦争」が勃発しました。日本の「調査捕鯨」を「偽装した商業捕鯨」だと反発する環境保護団体がまたも抗議船を繰り出し、妨害活動に入りました。

 ゴムボートで体当たりしたり、酪酸入りのボトルを投げつけたり、保護団体側のプロテストもエスカレート。

 対する捕鯨船団側は放水で対抗するなど、文字通り、グジラをめぐるバトルが行われました。

 クジラをめぐる今シーズンの戦いは、捕鯨母船の「日新丸」が火災を起こして操業不能となり、このまま休戦となりそうです。

 それにしても、気になるのは、グローバルな規模で広がる「捕鯨反日」の広がり。
 日本政府の対応力が問われています。

 ニュージーランドのはるか沖合いの南氷洋で操業中の捕鯨母船「日新丸」(8000トン)で火災が発生したのは、2月15日の昼過ぎ。

 出火場所は船内(センカンド・デッキ)の処理工場内で、火災は17日未明まで続き、焼け跡から乗組員1人の遺体を収容しました。鹿児島県出身の牧田和孝さん(27歳)で、死因はCO中毒と見られています。

 「日新丸」は昨年11月、下関を出港、ことし3月半ばまで南氷洋で操業し、英紙インディペンデントの報道では「945頭のクジラを殺害する」(日本のシドニー発共同通信社電ではミンククジラ約850頭とナガスクジラ10頭を捕獲する)予定でした。 

 インディペンデント紙によれば、「日新丸」の火災は、1989年に続き、これで2度目。今回の船内火災が荒れ狂ったのは、鯨油に引火したのも一因ではないかとみています。

 今回の火災で「日新丸」は電気系統とエンジンがダメージを受け、自力航行不能になりました。シドニー発の共同電によると、燃料補給船が港まで曳航するとのことです。

 さて、今回の「日新丸」の火災に関する世界的な反応ですが、環境保護団体の「グリーンピース」」などは、これを機会に「調査捕鯨」を止めにしてください、という姿勢ですね。

 もう、2回も火災を起こしていることだし、「調査捕鯨」というのは名ばかりで、1982年以降、禁止された「商業捕鯨」そのものじゃないか、科学的調査をするのであれば、「観察」するだけでいい、殺す必要などないじゃないか、もうそういう偽装捕鯨はやめたら、いいという声が出ているわけです。

 先ほども引用しましたイギリスの高級紙、インディペンデントなど、捕鯨母船が火災を起こしたことで、「クジラたちが救われた」との見出しの記事を掲げています。

 捕鯨母船「日新丸」の火災について日本ではほとんど報道されませんが、世界的にはこれだけ関心を呼んでいることを忘れてはなりませんね。

 「日新丸」の火災は鎮火しましたが、これで終わったわけではありません。
 日新丸」から重油などが流出するのではないか、と危ぶまれているのです。

 実は現場の160キロ先に、アデリー・ペンギンの営巣地(25万ペアが営巣しているそうです)があって、重油などが漂着したら、壊滅的な打撃を受けることは必死。

 このため、ニュージーランド政府は「船(日新丸)を、なんとかして、南極の沿岸部から移動させなければならない」などと言っています。

 南氷洋に船団を送り込んでいる、農水省所管の「日本鯨類研究所」では、燃料補給船で曳航するといっていますが、ちょっと心配です。

 たぶん、曳航先はオーストラリアになるのでしょうが、どこに行くにも「南緯40度台」の「ローリング・フォーテーズ」と呼ばれる暴風圏を突破しなければならないからです。

 大丈夫でしょうか?

 実は「日新丸」に対して、環境保護団体の「グリーンピース」が救いの手をのばしているのです。
 南氷洋に配備している抗議船の「エスペランツァ」号に曳航させましょう、と申し出たんです。

 この「エスペランツァ」という船、もともとは曳航用のタグボートで、船長も海難救助のベテラン。
 それなのに、日本側は、この「敵に塩をおくる」申し出を断ってしまったんです。
 意地張ったとしたら、問題です。

 自力曳航の成功を祈るほかありません。

 さて、この救いの手をのばしてくれた「グリーンピース」ですが、ことしのバレンタインデーに、「わたしたちは日本を愛しています。でも、捕鯨に無意味だし、わたしたちのハートをブレークするものでしかありません」キャンペーンを世界中で展開しました。

 「グリーンピース」としては、われわれは日本の沿岸捕鯨の伝統と文化を尊重している、しかし、調査捕鯨という名の偽装商業捕鯨に反対だ、という態度を表明し、世界に広がる「捕鯨反日」運動に釘を刺してくれたわけです。

 北欧スウェーデンの首都、ストックホルムの日本大使館には、「カワイイ女の子」ルック(マンガ・ガールというそうですが)の女性メンバーが花束を届けて、大使館員に面会を求めました。
 大使館側が面会には応じましたが、その花束、凶器になるかもしれないから、外に置いて中に入れ、って言ったそうです。
 冷たい仕打ちですね。大人気ないというか……。

 「グリーンピース」は、もっといいこともしてくれました。メンバーの一人がおばあちゃんの家で、クジラの竜田揚げなんか食べて「これは、うまい」っていう場面を収めた、「日本の沿岸捕鯨文化PRビデオ」を自主制作して、キャンペーンを繰り広げてくれたそうです。

 ありがたいことじゃないですか。うれしいことじゃないですか。
 そんな「グリーンピース」の曳航の申し出を無碍に断った日本側、いったい誰がどんな判断でそんな決断を下したのでしょう?
 ちょい、みっともない感じがしますね。

 実はこうした「グリーンピース」の「大規模偽装捕鯨」と「伝統捕鯨」をきちんと区別し、日本人が昔から続けてきた沿岸捕鯨の文化的伝統に配慮する姿勢に対して、ほかならぬ保護団体のなかから批判が出ています。

 そう、クジラの竜田揚げを食べるビデオをつくったことに対して、「裏切り者」と言った批判が出ているのです。

 「グリーンピース」をう槍玉にあげているのは、北米の海洋生物保護団体の「シーシェパード」。
 この「シーシェパード」は今シーズン、南氷洋に2隻の抗議船を派遣し、「日新丸」船団に対して、さまざまな妨害活動を続けて来ました。

 シーシャパード側によると、2月9日には海幸丸という捕鯨船に対して酪酸入りのボトルを投げ込む事件が起きています。これに対して日本側はおかげで乗組員2人が負傷したと発表、非難しましたが、シーシャパード側は「嘘付け、酪酸は無害だ」と一蹴、泥仕合っぽくなっています。

 「シーシェパード」側によると、プロテスター2人が乗り組んだゴムボートが「日新丸」と接触して転覆した事故もありました。2人は8時間、漂流し、無事救助されたそうです。

 昨シーズンは、グリーンピースの「エスペランツィア」が果敢な抗議抗議行動を続け、クジラの船内引き上げを45分間も阻止する騒ぎも出ていますが、ことしは「シーシェパード」が執拗に抵抗しています。

 どうして「シーシェパード」の抗議行動が活発化しているかというと、日本政府の圧力で、ベリーズ政府が抗議船2隻に対する船籍付与を取り消し、無国籍船になったことで怒っているらしい。日本側の責任者(在京の財団理事長)が「海賊船による海洋テロだ」と言ったりしたことも、火に油を注いでいるようです。

 彼らにしてみれば、クジラを「調査研究」で殺戮しておいて、海賊行為はお前らの方だろうが、ということになるわけですから。

 しかし、こんな激しい応酬にもかかわらず、現場海域では「海の男たちのルール」がギリギリのところで守られているようです。

 「シーシェパード」のプロテスター2人が海に投げ出されたとき、わが「日新丸」は海難救助のルールに基づき、操業を中止して捜索活動を続け、それに対して「シーシャパード」の船長が感謝の無線を送っています。

 また、グリーンピースの「エスペランツァ」の乗り組んで日本人スタッフが、捕鯨船とアメリカ沿岸警備隊の砕氷船との交信の際、「通訳」したりもしている。

 さらに「エスペランツァ」からヘリが飛んで、流氷の位置を確認して、日本の船団側に伝えたりしている。

 「クジラ戦争」の南氷洋で、こうした「海の男の友情」が生まれていることはうれしいことですね。
 船内火災の犠牲になった「日新丸」の乗組員に対しても、ちゃんと哀悼の意を表する電報を打っているんです。

 こういう「友情」は大事にしなければなりません。
 こんなときのための教訓を学ぶため、われわれ日本人はNHKテレビで信玄と謙信のドラマを観ているわけではありませんか。

 日本側も、昔の「大本営」のような、かたくな「対決姿勢」をとったりせずに、受け容れるべきことは受け容れるべきでしょう。
 
 燃料補給船での曳航が難しいなら、「エスペランツァ」に、お願いしたって構わないじゃないですか。
 グリーンピースに支援を求めて、それで「大本営」の面子がつぶれたって、そんなの問題ではありません。
 ペンギン生息地を守るため、日本の捕鯨船団は速やかに現場海域を脱出した!……そういう「評価」が出る方が「業界の権益」よりもはるかに大事なことです。

 これ以上、「捕鯨反日」を広げてはなりません。 
 

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007021900082

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200702180132.html

http://news.independent.co.uk/world/asia/article2281372.ece

http://www.greenpeace.org/international/news/greenpeace-assists-whalers170206

http://www.seashepherd.org/

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2007-02-17

〔いんさいど世界〕 「こびない・ひかない・なびかない」  「ブッシュはテキサスの恥」   バッシングに耐えてグラミー賞5冠  テキサスのカントリー・トリオ 「ディクシー・チック」の受賞を喜ぶ 

 アメリカの音楽界最高の栄誉、「グラミー賞」の授賞式が2月11日、ロサンゼルスのステープル・センターで開かれ、テキサス出身のカントリー・トリオ、「ディクシー・チックス」が年間最優秀レコード賞など5部門を受賞する快挙を成し遂げた。

 バッシングに耐え続けた末、ついに獲得した栄冠だった。保守派の圧力で、いまなおトリオの歌を流さないラジオ局も多いという。

 ボーカル&ギターのナタリー・メインズ(32歳)が授賞式のスピーチで、こんなジョークを飛ばし、会場の喝采を受けた。「(わたしたちの授賞を知って)たったいま、テレビのスイッチを切った人、いっぱいいると思う。ごめんなさいね」

 彼女はまた、こうも語った。「今夜、この賞とともに、人びとは言論の自由を行使していると思う」

 5冠もさることながら、異例の受賞スピーチだった。

 ナタリーがそう語るにはわけがあった。言論の自由を行使し、激しいバッシングを受けて来たからだ。

 2003年3月、ブッシュ大統領が「イラク戦争」を始める直前のことだった。反戦デモが相次ぐロンドンでのツアーで、彼女はこう言ってブッシュ政権を非難した。
 

 「わたしたちはこの戦争を、この暴力を、望んではいない。アメリカの大統領が(わたしたちの)テキサス出身であることが恥ずかしい」

 米国内ですぐさま「非国民バッシング」が始まった。
 それがどれほどひどいものだったか、アメリカの反戦放送局、「デモクラー・ナウ」が抜粋を放映(⇒)したドキュメンタリー映画、「シャラップ&シング(Shut Up & Sing)」を観て知った。

 「自由の共和国」という極右団体がラジオ局に圧力をかけ、「放送禁止」にしてしまった。
 ヒットチャートのトップにあった「トラベリング・ソルジャー」は下位に転落し、彼女たちのCDはトラクターに踏み潰され、ゴミ缶に捨てられた。

 〔3人のその後の闘いを記録したドキュメンタリー、「シャラップ&シング」は、バーバラ・コッペルという女性ディレクターが制作したもので、間もなく全米でDVD発売される。(この女性監督は、ケンタッキーの鉱山ストなどのドキュメンタリーなどで知られる人だそうだ)〕

 バッシングの一方、3人への支持も集まった。
 同年5月、3人はサウスカロライナ州グルーンズヴイルでコンサート活動を再開した。
 1万4000人のファンが集まった。

 ナタリーが舞台から叫んだ。「ブーイングしたいならしてもいいよ。これから秒読みするからね、3、2、1……」
 ブーイングの代わりに喝采が返って来た。

 コンサートを終えると、3人は泣いた。

 バーバラ(女性監督)によれば、「南部(デキシー)の小娘」3人組は、この3年間、苦難に耐えるなかで成長したという。
 政治的にさらにコミットし、自分たちで曲を作るようにもなった。

 そうして生まれたのが、今回「グラミー賞」をとったアルバムの「遠くまで行くんだ(大沼意訳、原題は、 Taking the Long Way)であり、その2曲目に入った「いい子になれない(Not Ready to Make Nice ⇒)だった。

 そのサビの部分は歌詞は以下の通り。
  

   I’m not ready to make nice
   I’m not ready to back down
   I’m still mad as hell and I don’t have time to go 'round and 'round and 'round
   It’s too late to make it right
   I probably wouldn’t if I could
  ‘Cause I’m mad as hell
   Can’t bring myself to do what it is you think I should

 日本語に訳(約)してしてしまえば、わたしは「こびない・ひかない・なびかない」という意味。つまりは、意志表示の歌、プロテストソングである。

 グラミー賞授賞式で、この歌をイントロデュースした反戦フォーク歌手、ジョン・バエズは3人を「この勇敢な女性たち」と紹介した。

 まさに、然り。そう、彼女たちはブッシュ大統領という自国の最高権力者に戦を挑み、栄誉をつかんのだ!

 ぼく(大沼)はアメリカの音楽にも昏い。しかし、フォークソングではなく、カントリーミュージックから、彼女たちのようなグループが出たことに驚きを感じた。保守的なジャンルから、こうしたパワーあふれる歌が生まれたことに驚いた。

 ナッシュビルを「ふるさと」とするアメリカの「カントリー」の土は、それだけ健康であるのだ。

 カントリー・ミュージシャンの重鎮にウイリー・ネルソン(Willie Nelson)という歌手がいるそうだ。
 その人が70歳の誕生日を迎えた2003年の暮れ(イラク戦争第1年の暮れ)、「ディキシー・チックス」に刺激され、「地球の平和に何が起きようと(Whatever Happened to Peace on Earth)」という歌を作って歌いだした。

 その歌の歌詞には、「一人の人間の命の価値は石油どれくらい分?」との一節があるという。

 アメリカの「カントリー(田舎)」はブッシュのイラク戦争に怒りの歌を歌っているのである。

 「デイキシー・チックス」のナタリーを除く他の2人は、マーティー・マグワイア(36歳)とエミリー・ロビンソン(33歳)。〔2人は姉妹である〕

 1989年から活動を開始した3人の活動歴等については、下記の公式サイト(⇒)を見ればわかるが、サイトには出ていない(ようだ。探したけれど見つからなかった!)「データ」をひとつ、紹介しよう。

 実は彼女たち、3人とも既婚で、3人合わせて7人の子どもがいて、そのなかには双子が2組含まれているという。〔バーバラ監督の話〕

 そう、彼女たちは、ディキシー(南部)の小娘(チックス)ではなかったのだ。
 「テキサスの肝っ玉母さんトリオ」が、ホントの姿だった。

 彼女たちの果敢な音楽活動に敬意を表しつつ、その「5冠」授賞を喜ぶ。   


http://www.democracynow.org/article.pl?sid=07/02/15/1528222

http://columbiarecords.com/dixiechicks/

http://www.dixiechicks.com/default2006.asp

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2007-02-15

〔イラクから〕 P・コバーン著、 『イラク占領』(仮題) 翻訳を終えて 

 バグダッドのホテルに陣取り、イラクの内側から報道を続ける英紙「インディペンデント」のイラク特派員、パトリック・コーバン氏の『イラク占領-戦争と抵抗』(仮題)の翻訳作業を終えました。

 編集作業のあと、近く「緑風出版」(⇒ http://www.ryokufu.com/ryokufu-home.htm )から出る予定です。

 以下はその翻訳稿(未定稿)の「訳者あとがき」部分です。

 

 訳者あとがき

 ぼくは、「イラク戦争」に関心があるので、ネットで毎日、情勢の推移をチェックしている。新聞の電子版にアクセスして、どんな事態になっているか、大筋をつかむ。おもしろいニュースが出ていれば、さらに探りを入れる。

 そんな日課の手始めは、英紙「インディペンデント」のサイト(http://news.independent.co.uk)にアクセスすることだ。「インディペンデント」を読んだら、「ガーディアン」に移り、「フィナンシャル・タイムズ」を眺めて、「タイムズ」で終える。

 最初に、英国の新聞四紙をチェックするのは、理由がある。時差の関係で、その日の「朝刊」が、米国の各紙より早く、ネットに掲載されるからだ。日本時間の昼にはもう、その日の「電子版紙面」が出ているので、お昼を食べ終わったら、パソコンに向かう。

 ではなぜ、英紙四紙のうち、「インディペンデント」から見ていくのか?

 アイコンが画面のクリックしやすい位置に出ることもあるが、それだけではない。この新聞を、ぼくは好きなのだ。「ガーディアン」もいいが、やはり「インディペンデント」を先に見る。

 この新聞が好きな理由は、その進歩的な論調もさることながら、なんといっても「中東問題に強い」からだ。たぶん、ぼくの知る限り、現在、世界ナンバーワン。ルモンドもニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストもさすがだが、こと中東報道では「インディペンデント」が首の差ひとつ抜け出ている。

 なぜか? 「インディペンデント」には、本書の著者、パトリック・コバーン(Patrick Cockburn)記者がいて、その「バクダッド発」特電がほぼ毎日、載るからだ。
 コバーン記者は、ベイルート駐在のロバート・フィスク記者と並ぶ、同紙中東報道の二枚看板である。

 フィスク記者はオサマ・ビンラディンと三回も会見した、中東報道の重鎮とも言うべき存在だが、コバーン記者も、湾岸戦争(一九九一年)後におけるイラク・シーア派反乱を徹底取材して報じるなど、イラク報道の第一人者である。こんどの「イラク戦争」でも、イラク国内に踏みとどまり、バグダッドのハムラ・ホテルを拠点に、危険極まりない取材活動を続行している。

 だからぼくは「インディペンデント」の電子版にアクセスして、コバーン記者の記事が出ていると、ホッとする。たいへん失礼な言い方になるが、まだ「健在」だとわかり、安心するのだ。

 本書にも出て来ることだが、実際、コバーン記者はイラク北部で銃撃を受けて負傷、あわや失明という目にも遭っている。米軍などの保護を受けていないコバーン記者のような独立独歩の西側ジャーナリストにとって、バグダッドでの取材活動は、まさに危険と隣り合わせ。とにかく無事を祈るほかない。

 本書(The Occupation)は二〇〇六年十月に出版された。「インディペンデント」の電子版にもその抜粋が掲載されて、本が出たことを知った。ロンドンの出版社から出た原著を取り寄せ、即座に翻訳を決意した。

 版権はコバーン記者本人が持っており、十二月の初め、翻訳エージェンシーを通じ、「OK」の返事が返って来た。日本語版出版承諾のメールは、コバーン記者の「バグダッド発」の一連の記事同様、たぶん市内のハムラ・ホテルの一室から発信されたものである。

 本書を翻訳しようと思ったのは、蜃気楼のようにつかみがたい、「イラク戦争」「イラク占領」の実態を見事に結晶化させ、描き出しているからだ。「イラク戦争」「イラク戦争」の現実を、内側から「活写」しているからだ。

 ぼくは湾岸戦争直前のバグダッドに、新聞社の特派員として二度入り、カイロにも駐在して、その後もそれなりに「中東ウォッチ」を続け、生意気にも「ちょい中東通」を自認していた。が、本書はそんなぼくの「過信」を粉々に打ち砕いてくれた。ぼくはほんとうに何も知らなかった。バグダッドもイラクも、「戦争」も「占領」も。

 本書の内容紹介は重複になるので省くが、読み終えた読者はたぶん、コバーン記者の歴史的なパースペクティブの深さに感心させられたことだろう。イラク戦争を歴史のなかに位置づけ、過去の出来事と比較することで、その特殊性を浮き彫りにする(たとえば、一九四五年のベルリンと二〇〇三年のバグダッドの比較、アメリカのイラク支配と大英帝国のインド支配の違い、など)。これは歴史の素養なくして出来ることでない。

 もうひとつ、本書を読んで印象に強く残るのは、細かい事実、逸話にこだわるコバーン記者の取材姿勢である(たとえば、イラク人の果樹園をなぎ倒す米軍ブルドーザーの拡声器からジャズが流れていた、との記述)。ジャーナリズムの神もまた、細部に宿り給うのだ。

 コバーン記者の諧謔も、読後に余韻を残すものである。絶望的な状況を描きながら、この人は決してユーモアを忘れないのである。(「ダイハード2」というニックネームがついたカナリアのこと、バグダッドのホテルのエレベーターを占拠した「空飛ぶ族長」の話、同じホテルの玄関口のフロアにあったパパ・ブッシュの「踏み絵」と、それを飛びそこなって股グラを痛めた米政府当局者のエピソード、「グリーンゾーン」内の売春宿の逸話、等々……)

 そして何よりも、コバーン記者の眼力の鋭さ――。

 たとえば、「もし、ブッシュとブレアが、イラクの独裁者が『大量破壊兵器』という、中東にとって脅威となりうる軍事力を保持していると本当に思っていたなら、たぶん攻撃は仕掛けなかったろう」という指摘など、実に鋭利である。

 言われてみれば、確かにその通り! ブッシュ大統領は、イラクには「サダムの核」はない、とわかっていたのだ。「大量破壊兵器」はないとわかっていたからこそ、「大量破壊兵器」があると言い立てて、それを口実にイラクへ攻め込んだ……。
 
 本書の終わりにさりげなく置かれた、コバーン記者の次の一言も衝撃的である。
 
 「そして二〇〇三年以降のアメリカのイラク占領……。それはアメリカの没落の始まりかも知れない」と。
 
 ナポレオンを破ったウエリントン卿の言う通り、「偉大なる国は、小さな戦争をすべきでな」かった、のである。

 氏の略歴を紹介すると、一九五一年生まれのアイルランド人。父親は、著名な社会主義者であり、ジャーナリストでもあったクロード・コバーン。

 オックスフォード大学を出て、一九七九年以降、中東取材を続けている。
 
 兄のアンドリュー(現在、米国の政治評論誌「カウンターパンチ」エディター)との共著で出した前著、『灰の中から(Out of Ashes)』(一九九八年)は、湾岸戦争後のイラクを描いたもので、これまた力作である。

 本書を出版したあともコバーン記者は引き続き、イラクに踏みとどまり、取材活動を続けているが、本書(原著)発刊後にインディペンデント紙の電子版に載った「バグダッド発」特電のひとつを紹介しよう。

 二〇〇七年一月二十八日付け、「バグダッド攻略戦:街は米軍増派を待ち構える」という記事である。
 
 コバーン記者はその記事を、リナ・マスフィさんという、三十二歳の未亡人のことから書き出している。子ども二人の父親である彼女の夫は、二〇〇三年に米軍に殺された。封鎖された道路に誤って侵入し、撃たれたのだ。

 それから三年経ったいま、彼女の家に米兵らが繰り返しやって来ては扉を壊し、引き揚げていく。この三ヵ月に、実に十二回も。

 薬学を勉強している彼女の弟は米軍に逮捕され、一週間、刑務所に閉じ込められた。「からだに拷問の痕があった」……。
 
 こんなふうにリナさんを紹介したあと、コバーン記者は、直截にこう指摘する。「彼女の物語は、ブッシュ大統領の最後のギャンブルになるかもしれない、バグダッド制圧のための米軍増派が負け戦におわる公算が高いことを示している」と。

 コバーン記者は、バグダッドには無数のリナさんがいる、と言っているのである。武装抵抗勢力だけでなく、彼女のようなふつうのバグダッド市民が米軍を待ち構えているのだ。バグダッドはレジスタンスの市街戦の街と化す、のである。
 
 世論調査によれば、ふつうのイラク人の「六一%が米軍への武装攻撃を承認している」おり、それは「スンニ派、シーア派双方の大多数を占める」と。

 本書の最後にもあるように、コバーン記者は米軍がたとえ倍増されたとしても、イラク制圧は不可能と見ている。米軍のバグダッド制圧も、ブッシュ政権の思惑通りには行かないだろう。
 リナさんらバグダッド市民の前には、混乱と苦難、あるのみである……。

 コバーン記者には本書の「続編」を期待したい。いや、必ず書いてくれるはずだ。その「続編」のカバーする期間が長くならないことを、ぼくもまた祈ることにしよう。

 イラク戦争は終えなければならない戦争だ。不正義の戦争だ。
 それは本書が見事に描き、証明し切った、歴史の真実である。
 コバーン記者の健闘と身の安全を祈りつつ、「イラク占領」の一日も早い終結を願う。

                                  二〇〇七年二月
                                    訳者 大沼 安史

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2007-02-13

〔いんさいど世界〕 地球温暖化SOS 「緑の農地」で現金収入 「シカゴ気候取引所」(CCX)の「排出権取引」に脚光

 先日、世界の専門家による、地球温暖化に関する「国連報告」が発表されました。日本語で「温暖化」というと、春めいた感じがして、どうもプラスイメージにしかなりませんが、実態としては「高温化」というか「発熱」ですね。
 つまり、「地球発熱」。

 かけがえのないわたしたちの地球(テラ)が高熱でうなされている。そんな状況が、「国連報告」で確認されました。

 「地球発熱」にどう対処するか? いまやこれが人類的・死活的な課題になって来た。それも待ったなしで――そんな感じがします。

 アメリカの「ロサンゼルス・タイムズ(LAT)」という、いい新聞があります(「イラク問題」の報道で、健闘しています。ぼくの評価では、ニューヨーク・タイムズに負けていませんね。むしろ、その上を行っています)。この新聞はもちろん、ロスで発行されているわけですが、ネットで電子版が読むことができます(ぼくは無料のメール配信も受けています。便利ですよ)。

 このLATにこの前、「地球温暖化」というか「地球発熱」がらみでおもしろい記事が出ていました。「シカゴ気候取引所」のことが出ていたんです。「国連報告」が出て、地球温暖化に「赤信号」が出て以来、注目を浴びているんだそうです。

 英語の「本名」は、Chicago Climate Exchange。略して、CCX。
 ぼくはCCXのことを、耳にしたことがありますが、ほとんど何も知りませんでした。そのことを、LAT紙の記事を読んで痛感させられました。

 でも、「無知」よりも「無知の知」。
 LAT紙の記事を読んで興味を覚え、CCXのサイトにアクセスしてみました。
 「うーん、なるほど」「でも、それだけでは」――それがぼくの率直な感想でした。

 LAT紙の記事で面白かったのは、アイオワ州の農家がCCXを通じて、「匿名の企業」に農地1600エーカー分の「カーボン・クレジット」を「2800ドル」で売り渡す取引に成功したというのですね。

 アイオワ州のデニソンという町の近くで農業を営んでいるダグ・グロノーさん(57歳)という方で、自分の所有する農地2100エーカーの約8割を、温暖化ガス排出企業の「排出相殺」のため売却したそうです。

 売却した農地は、もちろん未耕作地です。作物を育て終えて、いま「一休み」している「緑の大地」です。
 農地としては一休みしているけれど、「緑の大地」は大気中の二酸化炭素(温暖化ガスの一種)を休みなく、どんどん吸収している……。遊んじゃいないわけです。
 だから「カーボン(炭素)・クレジット」、取引権になるんですね。

 デニソンさんのCCXを通じた取引は、実は「集合取引」です。「アイオワ農場局」という組織が、地元アイオワ州はもちろん、ネブラスカなど近隣4州の遊休農地をまとめてCCXに出している。

 この組織はこれまで、グロノーさんの農地を含め、「50万トン」分の「炭素排出権」の売却に成功しているそうです(面積でどれくらいかは、残念ながらLAT紙の記事には出ていません)。

 ちなみに、この「50万トン」の炭素排出権ですが、1000メガワットの石炭火力発電所の1ヵ月分に相当するそうです。

 なぜ、こうした「緑の大地」が売れるかというと、「地球発熱」が進むなかで、各企業はますます地球環境を守る責任を引き受けなければならなくなったからです。

 企業の生産活動を通じて、どうしても温暖化ガスを放出せざるを得ない。その放出を「緑の大地」の「炭酸ガス吸収力」でもって少しでも相殺しようというわけです。

 つまり、温暖化ガス放出企業として、「カーボン・クレジット」(排出権)を購入する負担を企業コストのなかに組み込む。
 CCXを通じて購入する「排出権」の値段が高くなれば、企業としてはコスト削減のため、環境対策を進め、排出量を減らすしかない。そういうところまで、排出企業を追い込む――これがCCXの究極の狙いだそうです。

 CCXが世界初の「排出権取引所」としてオープンしたのは、2003年のこと。IBMなど民間企業や財団、自治体など200団体が参加しているそうです。二酸化炭素(炭酸ガス)を含む6種類の温暖化ガスの排出量を、排出権購入による相殺分も算入しながら、毎年削減していく。

 CCXを通じ、これまで取引が成立したのは、なんと炭酸ガス1360万トン分。トン当たりの取引価格は4ドルから8ドルだそうです。

 アイオワの場合は農地ですが、このCCXの取引を通じ、森や林が守られていく。これまであまり顧みられなかった地球の緑に経済的な価値が付いていく。

 これってたしかに、グッド・アイデアですね。
 CCXのサイトを覗くと、カナダのモントリオールに「取引所」が新たにオープンするなど、グローバルに広がりそうな勢いも感じられます。

 日本にも同じようなシステムが出来たらいいかも知れませんね。
 休耕田が、遊休農地が、裏山の林が、新たな経済価値を持つわけですから。
 過疎地対策につながるかも知れません。

 ただし、気になるのは、「取引所」ですから、どうしても強いものが勝つ「市場原理」が働いてしまうことですね。
 「排出権」取引の値段は市場価格で行われますから、こんご値段が上昇すると、力のある企業しか買えなくなる、という問題が出てきそうです。

 大企業だけは「排出権」を買って、どんどんガスを排出しながら、引き続き生産活動を続ける――なんてことにもなりかえない。

 CCXのような「市場」にまかせるだけでなく、(各国)政府による「規制」もまた必要になるのではないでしょうか?
 「市場」か「規制」か、ではなく「市場」プラス「規制」。
 そこでどんなシステムを産み出していくか、それがいま問われていることだと思います。


http://www.latimes.com/business/la-fi-carbon10feb10,1,1514157.story

http://www.chicagoclimatex.com/

Posted by 大沼安史 at 11:10 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (2)

2007-02-10

〔NEWS〕 米国の「イラン攻撃」準備 高ステージに ワシントンの消息筋(複数)が言明 英紙ガーディアンが報道

 英紙ガーディアン(電子版、2月10日付け)によると、ブッシュ政権の「イラン攻撃」準備がさらに進んだステージに達していることが明らかになった。
 同紙の複数の情報筋によって確認された。

 ブッシュ政権は最近、「イラン攻撃はない」とトーンダウンに務めているが、言葉とは裏腹にイランの核施設に対する攻撃準備が進んでいることがわかった。

 同紙によれば、アメリカは「春」までにイラン攻撃態勢を完了する。

 ブッシュ大統領がイラン沖に派遣した空母「ジョン・ステニス」を中心とする機動部隊は、あと10日で現場海域に到達し、すでに配備されている空母「アイゼンハワー」の機動部隊を支援する。

 湾岸地域には「パトリオット」ミサイルも追加配備される。
 ペルシャ湾には掃海艇が追加配備される。

 ブッシュ大統領は石油備蓄の命令を出したことも、対イラン攻撃の兆候とみられる。

(大沼・注)
 アメリカはイラク戦争へのイラン関与を問題視しており、これもひとつの「口実」となりそうな気配だ。
 日本政府は早急に対応策をまとめなければならない。


http://www.guardian.co.uk/iran/story/0,,2010086,00.html

Posted by 大沼安史 at 05:28 午後 | | トラックバック (0)

2007-02-08

〔NEWS〕 ワタダ中尉裁判 審理無効(ミストライヤル)に 一事不再理で放免の可能性

 イラク出征を拒否したアーレン・ワタダ中尉に対する軍事法廷は2月7日、ワシントン州フォート・ルイス基地で3日目の審理を行い、ヘッド判事が審理無効(ミストライヤル)を宣言、審理を中止した。

 開廷の1週間前、検察側と弁護側が交わした訴因を絞り込む訴訟手続きの合意内容をめぐって、ヘッド判事が、ワタダ中尉の法廷での「無罪主張」と矛盾すると指摘、これ以上、審理を継続できないとして、審理無効を決めた。

 事前の訴訟手続き合意では、検察側がワタダ中尉が出征拒否とイラク戦争反対の演説を公開の場で行ったことを認めたとして、その2つの訴因について取り下げて起訴していた。

 これにより、ワタダ中尉の量刑の可能性は6年以下から4年以下の懲役に引き下げられたが、ワタダ中尉はこの2点についても無罪を主張。

 このため、ヘッド判事は訴訟手続き合意に混乱があるとして、審理を打ち切った。

 ワタダ中尉側は審理の続行を求めたが、検察側はヘッド判事の判断に同意した。

 軍事法廷は3月半ばに再審の日程を組んでいるが、2つの訴因が追加され再審が行われることがありうる一方、一事不再理の原則が適用され、このまま放免される可能性も出ている。

 

http://seattlepi.nwsource.com/local/302885_watada08.asp

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2007-02-07

〔NEWS〕 ワタダ中尉 軍事裁判2日目 弁護側 「市民的不服従」と主張

 イラク出征を拒否した日系アメリカ人、アーレン・ワタダ中尉(28歳)の軍事裁判は2日目の2月6日、米ワシントン州のフォート・ルイス陸軍基地で審理を続行した。

 検察官のスコット・ファン・スウェリゲン大尉はこの日の冒頭陳述で、ワタダ中尉は「彼自身と、彼の部隊、米陸軍の将校団に対し、恥辱と不名誉をもたらした」と論難した。

 これに対して中尉のエリック・ゼッツ弁護人は、「彼は(ビデオ声明で)大統領や指揮官、仲間の兵士らを攻撃してはいない。彼はただ、この戦争に驚いただけだ。それが非合法で道徳的に間違っていることに」と述べ、「中尉の行ったことはせいぜい、市民的不服従のひとつのかたちである」と反論した。

 軍事法廷には、中尉の上官のジョン・ヘッド中佐が検察側証人として出廷、ワタダ中尉が公開の場で出征拒否を表明したことについて、「がっかりした。すこし裏切られた気がした」と語った。

 ゼッツ弁護人は、陪審の7人の陸軍将校に対し、ワタダ中尉の意見を直接、聞いてほしいと求めた。

 裁判は7日の木曜日まで続く予定。


http://seattlepi.nwsource.com/local/302668_watada07.html

http://seattlepi.nwsource.com/local/302668_watada07.html

http://www.latimes.com/news/printedition/asection/la-na-briefs6.5feb06,1,4078456.story

http://www.latimes.com/news/printedition/la-na-officer5feb05,1,3723276,print.story

http://seattlepi.nwsource.com/local/302569_watada06.html

http://news.yahoo.com/s/afp/20070205/pl_afp/usiraqmilitaryjustice_070205174815

Posted by 大沼安史 at 06:46 午後 | | トラックバック (0)

2007-02-06

〔いんさいど世界〕 宇宙を目指す中国 ナビ衛星「北斗」打ち上げに成功 

 中国が独自のGPS人工衛星群の宇宙配備を続けています。2月3日には、ナビ衛星「北斗」の打ち上げに成功し、またも世界を驚かせました。

 「またも驚かせた」というは、中国はついこの間、老朽化した気象衛星を地上から発射したロケット(ミサイル)で撃墜に成功したからです。

 この衛星撃墜は、中国がアメリカの「スターウォーズ」戦略を脅かす力を誇示したものとして、全世界に衝撃波を広げました。
 日本の政府当局もビビりまくったそうです。
 なにしろ、何キロも先の針の穴を通すようなことを、やってのけたわけですから、

 そして、今回の「北斗」打ち上げ……。つい先日、グローバルな舞台に登場したかと思ったら、こんどは宇宙へも進出するというのですから、「赤い星・中国」はすごいですよね。

 ところでナビ衛星の「北斗」って、あの北斗七星のことです。中国語では「バイドウ」って発音するんだそうです。
 ほんもののバイドウに続き、ナビ衛星「バイドウ」が、天空にデビューを果たしたわけです。

 で、このナビ衛星のナビですが、ナビゲーションのナビです。
 そう、車に装備されていたりして、わたしたちの生活に欠かせないものになって来た、あの「ナビ」のNAVIです。

 念のため説明しますと、わたしたちが「ナビ」できるのは、米軍のGPSシステムを利用させてもらっているからなんです。GPSというのはグローバル・ポジショニング・システムといって、いくつかのナビ衛星の電波で地球上の自分のいる位置を確認、表示する仕組みです。

 もっと詳しく言うと(これ以上はわかりませんが)、米軍が世界の人びと(わたしたち)に開放しているのは、GPSの一部。より精度の高い――自分の位置をピンポイントで確認・表示する部分は「軍事機密」として公開していないのですね。

 実は中国は英語名で「コンパス」という、独自のGPSシステムの開発を急いでいるんです。
 さきほども言いましたように軍事機密がからむので、謎のヴェールに包まれていてハッキリしないですが、2000年から2003年までの間に、バイドウ衛星を3個、打ち上げているそうなんです。しかし、これはまだ精度の低いものでした。
 今回、打ち上げられたバイドウは、前の3個を補完する精度の高いものとみられています。

 中国は昨年11月、新年早々、バイドウを2個、打ち上げられる発表していますから、間もなく2個目が宇宙配備されるわけですね。
 この計5個の態勢、来年(2008年)までに、中国とその近隣諸国をカバーするんだそうです。中国が電波の一部を開放してくれれば、日本でも使えるんじゃないでしょうか。

 中国は将来的に宇宙に30個のバイドウを配備して、全世界的なGPSシステムを完成させる計画だそうです。
 すごい意気込みですね。

 GPSシステムは現在、アメリカと欧州(ガリレオといいます)が配備しているのですが、中国のGPSシステムも同じ周波数の電波を使うことになりそうだとの言われてます。
 同じ周波数だと、電波妨害(ジャミング)できなくなってしまうわけですね。

 それにしても中国は凄い。
 日本の文科省も、子どもたちの「低学力」ばかり問題にしないで、外郭団体の「宇宙航空研究開発機構」の「低能力」ぶりを自己反省してもらいたいものですね。自慢(?)のH2型ロケットだって、いつもハラハラドキドキの打ち上げじゃないですか。
 以前、田中真紀子さん(科学技術省長官)が、文部省の役人はH2型ロケットの失敗を誰も取ろうとしないと怒っていましたが、その通りですね。

 「教師イジメ」と「統制教育」にばっかり熱心な文科省が「宇宙開発」まで握っているかぎり、日本人のわれわれが「日の丸ナビ」を使える日は来ないでしょうね。
 
 残念なことです。

Posted by 大沼安史 at 10:34 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2007-02-05

〔NEWS〕 イラク出征拒否 日系アメリカ人 ワタダ中尉 軍事法廷 開廷 

 イラク出征を拒否した日系アメリカ人、アーレン・ワタダ中尉(28歳)を裁く軍事法廷が2月5日(月)、米ワシントン州フォート・ルイスの米軍基地で開廷した。

 地元紙、シアトル・ポスト・インテリジェンサー(電子版⇒)によると、初日のこの日は陪審を選定に費やされ、実質的な審理は持ち越された。

 ワタダ中尉の支援者は全米各地から現地入りしており、基地近くを走るハイウェー「インターステート5号線」の「119番出口」を中心に、抗議行動を繰り広げる。6日には基地前で、人形劇を路上上演し、無罪を訴える。

 中尉の行動を批判するグループ、「われわれの兵士を支持する作戦」は「122番出口」に集まり、ハイウェーに架かる高架を「自由の橋」と名づけ、星条旗を振るなどしている。

 フォート・ルイス基地内では、米陸軍第4ストライカー軍団大歩兵師団が、ブッシュ大統領のイラク増派で動員され、訓練を受けている。
 

http://seattlepi.nwsource.com/local/302439_watada05.html

Posted by 大沼安史 at 06:31 午後 | | トラックバック (0)

2007-02-04

〔NEWS〕 モサドがイラン人核科学者を暗殺

 英紙サンデータイムズ(電子版、2月4日付け)によると、米国務省によって運営されているイラク向け放送、「ラジオ・ファルダ」は、イランの指導的な核科学者、アルデシル・ハサンプル氏が1月15日に、イスラエル情報機関のモサドによって毒殺されたと報じた。

 ハサンブル氏はイランのイスファハンの核関連施設で働いていた。 


http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2089-2583167,00.html

Posted by 大沼安史 at 11:33 午前 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 反戦おばあちゃん6人、抗議行動で逮捕

 米オレゴン州ポートランドで2月2日、75歳以下6人の女性たちが陸軍徴兵センターの前で抗議行動を続け、逮捕された。

 反戦を叫んだ6人は、反戦団体、「ポートランド増派防止旅団」に参加するアン・ハントワークさん(75歳)、マーシャ・オドムさん(66歳)たちで、地元のテレビ局の報道によると、自らおばあちゃん」を名乗っているという。

 6人の中には49歳の女性が含まれているが、残る5人は61歳以上。

 ホートランド市内の北にある徴兵センター前に抗議行動を行った理由を、参加者の一人、パトリシア・シュウィーベルトさん(61歳)はこう語ったそうだ。

 「とてもかんたんなことよ。子どもたちにここに来て、徴兵されてほしくないのよ」
 

http://www.commondreams.org/headlines07/0203-04.htm

Posted by 大沼安史 at 10:24 午前 | | トラックバック (0)

2007-02-02

〔ジャック天野の目が点丼〕 日系下院議員 マイク・ホンダ氏 従軍慰安婦問題謝罪決議案を提出    イラク出征拒否のワタダ中尉支援の人権派議員が「戦後レジーム」を痛烈批判 日本が「美しい国」に生まれ変わる試金石に

 畏友、ジャック天野氏から、以下のメールが届いた。米カリフォルニア州シリコンバレー選出の日系下院議員、マイク・ホンダ氏(民主党)が、「従軍慰安婦」問題で日本政府に明確な謝罪するよう求める超党派の決議案を提出した、という。

 議会の勢力分布が民主党優位に変わったいま、下院本会議で採択される可能性もある。

 この決議案提出は、本日(2月2日付け)の各紙朝刊でも報じられたが、1面トップ級の重要ニュースであるにもかかわらず、申し合わせたように目立たない扱いだった。

 ジャック天野氏はこれを不服として、本ブログに対し、氏の決議案に関する「調査結果」と、氏個人としての「主張」を寄せて来た。

 氏の取材で判明した「決議案の全文(原文)」などは、下記(⇒)のリンクからアクセスできるので割愛し、ここでは氏の「主張」のみ掲載する(原文通り)。

                    ◇ 

 朝、某紙の国際面に、ホンダ議員の決議案提出を報じる記事が「ベタ」(1段)で出ていた。ことの重大さをわきまえない、ひどい扱いだった。

 夕刊に日本政府の反応が出ているかと思ってみたら、影も形もなかった。

 日本の記者たちは、どうして政府当局者のコメントを取らないのだろう。

 わたしなら、「女は産む機械」発言の柳沢厚生労働大臣に質問をぶつけたはずだ。「慰安婦のみなさんは、何の機械でしたか?」と。

 ぶらさがりの首相番記者たちも、安部首相に尋ねるべきだったろう。従軍慰安婦問題を直視せず、ごまかし続けて来た「戦後レジーム」が問われているのではないですか?――と。

 首相が「まだ決議案を見ていなので」と逃げを打ったら、ホンダ議員のホームページなどに載っている決議案を示し、その場で読むよう迫るぐらいの気概があってほしいものだ。

 それにしても、「従軍慰安婦」問題を「なかった、なかった」といい続けて来た政治家・文化人の諸氏は、どうして「同盟国」の米議会に、アピールしに行かないのだろう。

 「みなさん、従軍慰安婦問題なんて、そもそもなかったんです。そのアホな決議案、すぐ引っ込めなさい」と、どうして要求しないのだろう。

 われわれ日本人はみな、旧日本軍が朝鮮人や中国人らアジアの女性を「性の機械」にしていた、などということは、あってならなかったことだし、できれば、なかったことであってほしい、と思っている。

 だから「政治家・文化人」たちには、ワシントンのキャピトルヒルに出かけ、「従軍慰安婦なんて嘘っぱち。幻だ」と訴え、説得してもらいたいものだ。

 ワシントンに行った帰りに、ついでに南京を訪ね、「大虐殺は幻だ」と叫んでくれ! そうして中国人たちを「正論」で圧倒、「わたしたち、南京大虐殺があっただなんて嘘言ってごめんなさい」って詫び状のひとつも取ってきてくれ!

 ホンダ議員は1941年の生まれ。幼い頃、コロラド州の日系人収容所で過ごしたこともある政治家だ。

 人権派の議員として知られ、「9・11」以降、肩身の狭い思いをしている米国のイスラム教徒を支援したり、イラク出征を拒否した同じく日系のアーレン・ワタダ議員の救援運動に乗り出している人だ。

 税金を事務所経費にして無駄遣いしている、どこかの国の議員たちとは大違い。いい面構えをした、ジャパニーズ・サムライ的な、立派なステーツマンである。

 安部首相は「美しい国」を実現したいなら、ホンダ議員が提出したこの決議案米下院本会議採択の日に備え、従軍慰安婦問題を含め、靖国、南京事件等、すべての「膿」を出し切る、「戦後レジーム」清算案をまとめ、国際世論にその潔い姿を示すべきである。
 
 
 ホンダ議員の決議案は、日本にとって「美しい国」になれるか、それとも「醜い日本人」で終わるか、安部政権の真価を問う試金石である。 
 

http://www.house.gov/apps/list/press/ca15_honda/COMFORTWOMEN.html

http://www.house.gov/apps/list/press/ca15_honda/WATADA.html

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070201i105.htm?from=main1

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84239&servcode=200&sectcode=200

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/02/20070202000012.html

http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=060000&biid=2007020252308

Posted by 大沼安史 at 07:48 午後 | | トラックバック (0)

2007-02-01

〔イラクから〕 米軍 バグダッド・ハイファ地区掃討 ヘクター・ライジャ軍曹の死 NYT紙が現場取材で報道 「殺られた! 一発の銃弾がすべてを変えた」

 米軍がイラク政府軍とともにバグダッド市街の制圧に乗り出している。武装抵抗勢力を一掃する狙いだが、激しい抵抗に遭遇しているらしい。そんな市街戦の現場にニューヨーク・タイムズ紙の記者とカメラマンが入り、1月29日の電子版で臨場感あふれる報道を行った。

 ダミヤン・ケイブ記者のルポルタージュ、「殺られた! 一発の銃弾がすべてを変えた」。
 イラク戦争の戦場の実態を再現する、緊迫感あふれる記事である。

 1月24日(水曜日)午前9時15分。
 継続中の米陸軍ストライカー旅団に属する小隊が、ハイファ地区のアパートで掃討作戦に従事していた。
 叫び声が上がった。「助けろ! 誰か殺られた」「ライジャ軍曹が頭を撃たれた」

 テキサス州出身のヘクター・ライジャ2等軍曹(27歳)が、台所で撃たれたのだった。北向きの台所の窓ガラスに銃痕があった。

 小隊長のマルク・ビレッツキ1等軍曹が「みんな、落ち着け」と言った。一等軍曹は肩まで震えていた。彼自身、落ち着いていなかった。

 小隊の衛生兵がライジャ軍曹の防弾チョッキをグイと引いて、楽にしてあげようとしていた。
 
 2分後、3人の兵士が居間から台所へ突進し、ライジャ軍曹を引きずり出した、軍曹は担架に乗って階下に運ばれた。9時20分ごろだった。

 小隊のメンバーは居間に残っていた。ショックに凍りついていた。

 小隊の仲間は言った。スナイパーが撃ったかも知れないし、イラク政府軍が撃った弾が当たったかも知れないと。

 一緒に行動するはずだったイラク政府軍は勝手に進軍し、小隊は彼らとコミュニケートできなくなっていた。

 台所にライジャ軍曹のヘルメットが残されていた。誰かが取りにいかなければならなかった。小隊長のビレッキー1等軍曹が言った。「また死んでほしくない。オレの指揮が間違っていたんだ」
 「間違ってはいなかったと思います」と小隊の誰かが言った。

 衛生兵が台所のヘルメットを回収する役を引き受けた。銃撃の危険に身を晒しながら、血だらけのヘルメットを抱いて、居間に持ち帰った。

 小隊に待機の指示が出た。460メートル先の建物を空爆で破壊するので、それまで待て、とのことだった。

 小隊は14時間の間に、ハイファ通りに面した8つの建物の掃討を終えていた。あと10棟、残っていた。

 数時間後、小隊にライジャ軍曹の死が伝えられた。

(大沼・注)
 NYT紙のこうした報道に対し、米軍は今後、ケイブ記者たちの同行取材を認めない方針を伝えた。

 報道管制が強まっている。バグダッド制圧の戦いは苦戦を強いられているのだろう。


http://www.nytimes.com/2007/01/29/world/middleeast/29haifa.html?_r=1&oref=slogin

 

Posted by 大沼安史 at 11:34 午後 | | トラックバック (0)