« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »

2007-01-31

〔イラクから〕 ナジャフのカルト集団への米軍の「大勝利」 実は巡礼者らの「大量殺戮」の可能性 カルト教団の隠蔽工作に利用か? P・コバーン記者が指摘

 イラク中部のシーア派聖地、ナジャフで1月28日、米軍とイラク政府軍が、シーア派宗教指導者の暗殺を企てたカルト集団を壊滅させた「大勝利」は、実は巡礼に来ていたシーア部族に対する「攻撃と大量虐殺」を糊塗する作り話である疑いが浮上している。

 英紙インディペンデントのバグダッド特派員、パトリック・コバーン氏が、権威あるイラク紙、「アザマン」などの報道を元に疑惑を指摘した。

 巡礼の部族の一団とともに殺戮されたとされるカルト集団「天国の戦士」は、たまたま現場近くに居合わせたことから戦闘に巻き込まれ、挙句の果ての事実の隠蔽工作に利用された公算が強い。

 イラク政府軍を支援していた米軍に殺戮されたシーア派の部族は、「ハワティム」族。アシュラの祭りを祝うため、200人が徒歩でナジャフを目指していた。族長は歩行困難なことからTOYOTAのセダンに乗り、徒歩の部族員と同行、28日午前6時ごろ、ナジャフの南約1.6キロ、ザルガ地区のイラク政府軍検問所に着いた。

 この巡礼の群れに対して、検問所の政府軍兵士が発砲したことから、銃撃戦となった。ハワティム部族は夜間の巡礼行進をして来たことから、自衛のため武装していた。
 ザルガに住む地元の部族、「ハザイル」のメンバーは戦闘を止めさせようとしたが、逆に銃撃されたという。

 政府軍兵士の要請で米軍のヘリが出動、1機が撃墜され、乗員2人が死亡(部族側は撃墜の事実を否定)。これが引き鉄になって米軍の攻撃が激化、翌29日午前4時ごろまでに、果樹園にいた部族のメンバーら120人が死亡した。(当局発表では263人が死亡、210人が負傷したとされている)

 現場のザルガ地区は、カルト集団とされる「天国の戦士」が本拠を置いており、このメンバーも巻き添えになったらしい。

 ハワティム族とハザイル族は、同じシーア派ながら、ナジャフを支配する一方、イラク政府の内務省を握る「イラク・イスラム最高革命評議会(SCIRI)」やダワ党と対立していたといわれる。

 イラク政府当局は現場を封鎖し、負傷者の報道陣との接触を禁じている。

 

http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article2201103.ece

http://www.armytimes.com/news/2007/01/apwhathappenednajaf070130/

Posted by 大沼安史 at 09:14 午後 | | トラックバック (1)

〔NEWS〕 「イラク反戦」首都集会 主催者推定で「50万人」結集

 インター・プレス・サービスの報道によると、1月27日、首都ワシントンに結集した参加者の数は、主催者推定で「50万人」に達していた。


http://www.truthout.org/docs_2006/013007A.shtml

Posted by 大沼安史 at 08:08 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 ● 教育再生マニフェスト小説  『緑の日の丸』 発売開始!! ●

        『緑の日の丸』
        
           大沼安史著 1600円 本の森 刊

         卒業式の「日の丸」が消えた! 「緑の学校」が日本を救う!

         「日の丸・君が代」の強制を超えて……
         
  
 ●○ 詳しくは⇒ http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/891.html ○●
 

Posted by 大沼安史 at 12:32 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 アメリカ「イラン攻撃」 欧州政府高官らに危機感 「時計は時を刻んいる」

 英紙ガーディアン(電子版、1月31日付け)が報じたところによると、ヨーロッパの政府高官らが、米国による「イラン攻撃」に不安を感じているという。

 イランの核施設に対する空爆を実施するのではないかと危機感を強めているのだ。

 ある高官は「時計は時を刻んでいる。アメリカ政府の(イランに対する)言葉遣いは変わった」と述べ、ブッシュ政権の対イラン攻撃が“秒読み段階”に入っていることを示唆した。

(大沼・注)
 対イラン空爆ではルーマニアなど旧東欧からのルートも使用されるのではないか、との見方も出ており、要注意である。


http://www.guardian.co.uk/iran/story/0,,2002329,00.html

Posted by 大沼安史 at 12:26 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-30

〔A Happy New Life!〕 老夫婦 山ライオンと死闘 70歳の夫を65歳の妻が助ける カリフォルニア山中

 今回はこれぞ、究極の夫婦愛――というか、愛は獅子よりも強し、というか、そんな話を紹介したいと思います。

 今月(1月)24日、米国の北カリフォルニア山中で実際にあった出来事です。

 サンフランシスコの500キロ北に、「プレリー・クリーク・レッドウッド州立公園」という自然公園があります。
 そこにハムさん夫妻がハイキングに遊びに来ていました。旦那さんのジムさんは70歳。奥さんのネルさんは65歳。

 真冬のハイキング、元気ですよね。

 二人が公園を歩いていたときのことです。突然、山(マウンテン)ライオンが現れ、ジムさんに頭にガブリと噛み付きました。
 
 山ライオンって、クーガーのこと。猛獣ですね。
 クーガーに比べれば、熊なんて、かわいい縫いぐるみのようなものです。

 そう、血に飢えた(?)ホンモノの猛獣。
 それが70歳のお爺さんを襲ったわけです。

 山ライオンはジムさんを地面に引き倒すと、とどめを刺そうと、攻撃を激化させました。
 ウーウー、ガブガブって。
 ジムさんは悲鳴を上げることもできなかった。

 そのとき、奥さんのネルさんはどうしたか?
 
 逃げなかったんですね。日本の「年金離婚」を考えてる奥様方なら、「保険金、かけてたかしら」なんて思いながら、逃げ出してしまうんでしょうが、ネルさんは踏みとどまった。

 あたりを見回しても誰もいない。こうなると、自分で助けるしかないので、そばに落ちていた丸太のようなものを拾い上げ、それでバシバシと山ライオンを殴りつけたそうなんです。

 サンフランシスコからの報道によると、その丸太(ログ――ログハウスのあのログです)の長さは書いてありませんが、太さ約10センチ。そのログでもって、バシバシ叩いた。

 山ライオンのどこを叩いたか、現地の新聞の記事には出ていませんが、たぶん山ライオンの背中ですね。背骨に打撃を加えたのではないしょうか?

 でも、山ライオンは放さない。

 ここでジムさんがネルさんにこう言ったそうです。「ポケットにペンがある。そいつで、こいつの目を突いてくれ」

 グッドアイデアですね。
 それでネルさんがペンで山ライオンの目を狙ったんだそうですが、これが意外と難しく、曲がってしまった。

 でも、ここであきらめてはならないと気を取り直し、また丸太で叩き始めた。

 そしたら、遂に山ライオン、夫のジムさんを放して、血だらけの口をこっちの向けて、ネルさんのことをしばらくの間、凝視したそうです。彼女のことをじーっと見た。

 飛び掛ってくるのかなと思ったネルさんが丸太を振り回していると、山ライオンはそのまま森の奥へ消えていったそうです。

 ジムさんはすぐ病院に運ばれ、手当てを受けましたが、頭蓋骨を噛まれており、唇も千切れそうになっていて手術しなければなりませんでした。

 でも、命に別状なく、新聞に載った写真では、もうベッドでカラダを起せるようになっていて、退院の日もそう遠くなさそうです。

 で、ジムさんを襲った山ライオンですが、知らせを受けた公園のレンジャーが猟犬を放って追跡し、ペアでいた二頭を射殺したんだそうです。
 こっちも夫婦連れだったんですね。
 オスが襲ったのか、メスだったか、それはまだ分かっていません。

 実はジムさんとネルさん、来月(2月)が結婚50周年の「金婚式」。ニュージーランドに遊びに行く予定だったそうです。

 その金婚式の旅行に、二人は予定通り、出かけるそうです。
 よかったですね。ほんとうに。

 それにしても夫婦愛って、すごい「凄い」と思いますが、山ライオンを撃退するなんて、なかなかないことですよね。
 こういうことを経験すると、夫婦の絆もさらに強まるんじゃないでしょうか。
 まさに、 A Happy New Life! ですよね。

 愛は獅子よりも強し。
 (ついでに、丸太はペンよりも強し)

 ま、それはともかく、ぼくが気になるのは、オスだったかメスだったか、ジムさんを放した山ライオンがネルさんのことをじーっと見つめた、あの目のことです。

 これはもちろん、勝手な想像ですが、その山ライオン、

 ①オスの場合、「あんたには負けたよ。あんたらの夫婦愛には参ったぜ!」
 ②メスの場合、「わたしも同じ妻。だんなさんのこと、これからも大事にしてあげてくださいね」

 ――といった気持ちを込めて、ネルさんのことを見つめたのじゃないのでしょうか?

 そう、ネルさんに対する敬意を込めて。

 「わたしだったら、どうするだろう?」「うちのカミさんだったら、どうするだろう?」
 自分の(への)愛情を確かめるリトマステストにもなりそうな、「山ライオンと夫婦」の物語、まずはメデタシめでたし。

Posted by 大沼安史 at 07:57 午前 | | トラックバック (0)

2007-01-28

〔NEWS〕 イラク反戦デモ ワシントンに10万人が結集 シスコなど全米各地でもプロテスト 若者たちが立ち上がる ジェーン・フォンダも決起 

 全米の市民が「イラク反戦」に立ち上がった。1月27日の統一行動日、戦死した米兵の遺族や復員米兵らの呼びかけに応え、10万人(ロサンゼルス・タイムズ紙)が首都ワシントンに結集、ブッシュ大統領の米軍増派に抗議し、即時撤退の要求を突きつけた。

 首都の抗議行動では、アパシー(無関心)をかなぐり捨てた(ワシントン・ポスト紙)学生ら若者たちが多数参加、ベトナム戦争時を思わせる場面も見られた。

 ベトナム戦争反対運動の先頭に立った女優のジェーン・フォンダさん(69歳)も、34年ぶりに反戦運動に復帰、「もはや沈黙は選択肢ではない」と、全米の人びとに運動への参加を呼びかけた。
 
 ワシントンでのプロテストに呼応して、フロリダ、テキサス、ウィスコンシン、マサチューセッツなど全米各地でも集会が開かれ、西海岸の中心都市、サンフランシスコ、ロサンゼルスでは数千人規模の抗議運動が行われた。

 「ナショナル・モール」を中心に行われた首都抗議行動は、「平和の母」こと、シンディー・シーハンさんらによる「平和と正義のための連合」の呼びかけで行われた。

 「10万人」(ロサンゼルス・タイムズ紙以外のメディアは、参加者数を「数万人」としている)は、イラク戦争開始以来、最大規模の動員。シンディーさんはこれを「決定的なうねりが起きている」と表現した。

 この日、ワシントンは晴れだった。空に薄く月がかかっていた。30歳以下の若い世代の姿も目立った。

 急進派の学生同盟、SDSの姿もあった。ノンポリの学生たちもいた。ベトナム戦争時、学生運動の拠点となったニューヨークのコロンビア大学からも、学生たち150人が駆けつけた。

 イラク出征を拒否したアーレン・ワタダ中尉の父親の演説もあった。多くの学生が中尉への連帯を表明した。

 ベトナム反戦を闘った「60年代世代」のベビーブーマーたちもいた。コロンビア大学闘争を指導し、その後、過激派に走ったマーク・ラッド氏もいた。ラッド氏は「われわれの恥ずべき歴史に学んでほしい」と、若い世代に訴えた。  


http://www.unitedforpeace.org/

http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-na-rallies28jan28,0,6942524.story?coll=la-home-headlines

http://www.nytimes.com/2007/01/28/washington/28protest.html?ei=5094&en=defcbb536a8a2453&hp=&ex=1170046800&adxnnl=1&partner=homepage&adxnnlx=1169977824-zQrOqqWqJ1YmjTpqvGO2yw

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/01/27/AR2007012700629.html

http://news.yahoo.com/s/ap/20070128/ap_on_re_us/iraq_protest;_ylt=AplAyfmQAFGuI6gy720jQLhH2ocA;_ylu=X3oDMTA3MjBwMWtkBHNlYwM3MTg-

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/01/27/AR2007012701486_pf.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/01/27/AR2007012701215_pf.html

http://news.yahoo.com/s/ap/20070127/ap_on_re_us/iraq_protest_vignettes

http://sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2007/01/27/BAG6GNQBK75.DTL

Posted by 大沼安史 at 07:47 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-27

〔NEWS〕 安部首相 「失敗演説」 ビッグな内政政策 打ち出せず FT紙が報道

 世界の世論に大きな影響力を持つ、高級経済紙、フィナンシャル・タイムズ(電子版、1月26日付け)は、安部首相の施政方針演説を、ビッグな内政イニシアチブを盛り込むことができず、人気挽回にもしくじった「失敗演説」だったと報じた。

(大沼・注)
 残念なことではある。なんだか、安部首相が気の毒になって来た。

 「カントリー・アイデンティティー」とか、またもとんでもない「カタカナ英語」も飛び出した演説だったそうだが、「ブレーン」といわれる取り巻きがよほど程度が低いからこうなってしまうのだろう。

 官房副長官のS氏などは、なかなかの人物だと思うが、そういう人材がいてもダメだというのだから、ほかの連中のオツム(脳力)がよほど低いに違いない。

 「戦後レジームからの脱却」などという売り文句も、この国が戦前型ナショナリズムに回帰すれば、「米中二極枢軸化」のなかではいずれ生きていけなくなるリアリズムに目を向けてから言ってほしいものだ。
    
 

http://www.ft.com/home/asia

Posted by 大沼安史 at 08:14 午後 | | トラックバック (0)

〔イラクから〕 そしてジョニーは死を選んだ 生還した海兵隊員 苦悩の果て ミネソタに死す

 米ミネソタ州の新聞、「スター・トリビューン」(電子版、1月26日付け)に、イラクから生還した海兵隊員が自宅で自殺したという記事が載っていた。

 読んで、ちょっと驚いた。海兵隊員が帰還後、暮らしていた場所が「ニュー・プラーグ(プラハ)」だったからだ。

 はっきりした記憶ではないので確かなことはいえないが、わたしはいちど、たぶんこのミネソタの田舎町のレストランに立ち寄り、チェコ料理を食べた。

 そのときの町の様子が目に浮かんだのだ。あの町のどこかで、若い海兵隊員は苦しみの果てに死を選んだ……。そう思うと、切なくなった。

 1月16日の夜だった。ミネソタの片田舎、スチュアートに住む両親のもとに、元海兵隊員、ジョナサン・シュルツさん(25歳)から電話が入った。これから自殺するという。同じような電話は、彼の友人のところにもかかっていた。

 通報を受けたニュー・プラーグの警察官がドアを破って中に入ると、首を吊って死んでいた。蘇生術を試みたが、ダメだった。

 ジョナサンさんは2005年の後半、イラクから生還を果たした。

 戦地から父親に書いて来た手紙には、「生きて帰れるよう神様に祈っている。ひとつのからだのままで」とあった。その通り、五体満足で生還した。

 ジョナサンさんは海兵隊で重機関銃の射手をしていた。仲間は彼を「ジョニー」と呼んだ。年中、パーティーをしているような、明るく愉快な男だった。

 ジョニーは2004年4月のラマディーの戦いに参加した。同時期のファルージャ戦はよく知られているが、ラマディー戦は実はそれ以上の激戦だった。(わたしはこのことを、目下翻訳中のP・コバーン著、『イラク占領』で、つい最近知った)

 ジョニーは戦地から、ベトナム戦争の実戦経験者の父親に、当時の模様を手紙に書き送った。
 たった2日間の間に、仲間が16人も戦死したというのだ。

 帰還後、実家を訪れた彼は泣きながら父親に語った。
 仲間がどうやって死んでいったか、を。
 自分がどうやってイラク人を殺したか、を。

 眠ると、夢のなかで戦場に戻り、叫び声を上げたりした。酒を飲み、薬を飲んだ。老人ホームの復員兵を慰問したりもしたが、苦悩から逃げ出せなかった。復員兵の病院に入院を申し込んだが、順番待ちで断られた。

 PTSDで苦しんでいた。なぜ、仲間が死んで自分は生き残ったのか、悔やんだ。イラクの戦地に戻ろうという気も起きた。

 海兵隊の親友は言った。「ジョニーは感情のローラーコースターから降りられなかった」と。

 葬儀はスチュアートのプライアー・レーク墓地で行われた。ジョニーは海兵隊の青の軍服姿で埋葬された。戦傷者に授与される「パープル・ハート」勲章を2個つけて、故郷の土に返ることになった。

 トリビューン紙の記者は、冷たい風が墓地の上を切り裂いていた、と書いていた。

 記事の最後に父親のジムさんのこんな言葉が紹介されていた。

 He was a delayed casuality of the Iraq war.

  ジョニーはイラクの戦場をミネソタに持ち帰り、遅れた戦死の道を選んだ。 

 わたしは三度ほどミネソタを訪れたことがあるが、春先でも寒さが身に沁みた。ジョニーの墓地を吹き渡る真冬の「ビッグ・チル」、北極下ろしは、どんなにか冷たいことだろう。

 ミネソタの緑の大地を思い出しながら、ジョニーを死に追いやったものを憎んだ。


http://www.startribune.com/462/story/963363.html

Posted by 大沼安史 at 07:27 午後 | | トラックバック (1)

2007-01-26

〔NEWS〕 「不要な戦争だ」 息子がイラクの戦地にいるウェブ上院議員 教書演説のブッシュ大統領を批判

 英紙インディペンデント(電子版、1月26日付け)によると、ジム・ウェブ上院議員(民主)は23日夜のブッシュ大統領一般教書演説に反論するテレビ演説を行い、イラク戦争を「開戦の前からわたしを含む多くの人々が、不要な戦争だと警告していた」と厳しく批判した。

 ウェブ氏は元米海軍長官で、息子がイラクの戦地にいる。昨年11月の中間選挙では、息子の軍靴を持って選挙戦を戦い、早期撤兵を訴えて初当選を果たした。

 ウェブ氏は初当選後のホワイトハウスでの新人議員レセプションでブッシュ大統領と“初対決”、「息子さんはイラクでどうしてる?」とのブッシュの質問に対し、「それはわたしと息子の問題だ」と切り返したそうだ。


http://news.independent.co.uk/world/americas/article2183877.ece

Posted by 大沼安史 at 07:45 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-25

〔NEWS〕CIAエージェント漏洩事件 リビー被告弁護団 爆弾発言  「ホワイトハウスの生贄にされた」

 イラクの大量破壊兵器捏造疑惑をめぐるCIAエージェント実名漏洩事件で偽証罪などで起訴されたリビー被告(元チェイニー副大統領補佐官)の裁判が1月23日、ワシントンの連邦地裁で開かれた。

 ニューヨーク・タイムズ紙によると、リビー被告のウェルズ弁護士は裁判の冒頭、声明を発表、リビー被告がブッシュ大統領の政治顧問、カール・ローブ氏を守ろうとするホワイトハウスによってスケープゴート(生贄の山羊)にされたと主張した。

(大沼・注)
 「記憶にない」「覚えてない」戦術では乗り切れないと判断したのだろうか?
 ブッシュの足元で「時限爆弾」が時を刻み始めた??


http://www.nytimes.com/2007/01/24/us/24libby.html?_r=1&oref=slogin
 

Posted by 大沼安史 at 06:21 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-23

〔いんさいど世界〕 二人のナザニンの物語 死刑判決を受けたイランの少女ナザニンを救え イラン系カナダ人女性歌手、ナザニンが救援運動 レイプ犯を殺害 正当防衛 再審の可能性浮上

 イランと、カナダと。海を越えて連帯する、同じ名前を持ったふたりの女性、「ふたりのナザニン(Nazanin)」に、いま世界中の目が注がれています。

 死刑判決を受けて獄中にある、ひとりのイラン人少女、ナザニンを、イラン系カナダ人の女性歌手ナザニンが救出しようとしているからです。
 

  少女と女性歌手はいま、全世界の人々の注目のなか、「再審」を勝ち取ろうとしています。少女がレイプ犯の刺したのは正当防衛にあたると……。
 今日は、そんな「ふたりのナザニンの物語」を紹介します。

 2005年3月のことでした。イランの首都テヘランから西へ、車で一時間。カラジという町の公園で、ボーイフレンドと一緒にいたナザニン・ファテフィさん(当時17歳)と、姪の15歳の少女のふたりを、3人組の男が取り囲みました。

 男たちがナザニンさんを押し倒すと、ボーフレンドは逃げてしまい、誰も助けてくれません、

 このままでは自分だけでなく姪もレイプされると、ナザニンさんは持っていたナイフで抵抗、男3人のうち2人を刺してしまいました。2人のうち、胸を刺された男は死亡。

 ナザニンさんは殺人容疑で捕まり、2006年1月、絞首刑の判決を言い渡されました。ナザニンさんには有名な女性人権派弁護士のシャディ・サドルさんがついて無罪を主張しましたが、結局、死刑判決が言い渡されてしまったのです。

 そのとき、海を越え、支援の手を差し伸べたのが、イラン系カナダ人で、ミス・カナダに選ばれ、2003年の準ミス・ワールドになった、ナザニン・アフシン・ジャムさん(現在27歳)でした。

 イランの獄中にあるナザニンさんは現在、19歳ですから、カナダのナザニンさんは8歳年上のお姉さんになります。

 そのお姉さんナザニンさんは、まさに絶世の美女ですが、バークーバーの名門、ブリテイッシュ・コロンビア大学で国際関係論を学んだあと、イギリスやフランスでも勉強を続けたガンバリ屋さん。大学での研究活動を終えたあとは、「赤十字」の活動に従事していた人です。「美しさ」だけが売り物の人じゃないんですね。

 で、お姉さんナザニンが何をしたかというと、ネットに救援サイトを立ち上げ、救援活動に乗り出した。

 弁護士を通じて獄中のナザニンさんにインタビューした一問一答を載せたり、ネットで署名運動を始めたり、イランのアハマディネジャド大統領やイランの宗教指導者指導者らに助命の嘆願書を送ったりした。

 反響は全世界に広がり、集まった署名は23万人以上に達したそうです。

 そんなイラン国内外の支援運動が実って、新年早々、イランのイスラム宗教判事団がついに「再審」の決定を下しました。
 英紙インディペンデントの1月14日付け、報道によると、「死刑」をまぬかれる可能性も出て来たそうです。

 お姉さんナザニンが立ち上げたサイトには、イランのナザニンさんの少女時代の家族写真も掲載されています。とっても愛らしい方ですね。

 獄中のナニリンさんは、一時、恐怖と絶望のあまり、激ヤセして精神不安定な状態になっていたそうです。獄中の女性受刑囚に励まされ、最近、少しずつ元気を取り戻しているそうです。

 一日も早く、「無罪判決」が出て、釈放されるといいですね。

 お姉さんナザニンさんの方は、獄中のナザニンさんのために作った自作の歌、「いつかきっと(Someday)」を3月にCDリリースするそうです。
 歌手デビューですね。

 イランのナザニンさんが獄中から「生還」し、お姉さんナザニンと一緒に「いつかきっと」を歌える日が来ることを願って、報告を終えたいと思います。 


http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article2132568.ece

Posted by 大沼安史 at 10:36 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2007-01-22

〔NEWS〕 米軍の対イラン先制攻撃 空軍機、潜水艦、対艦ミサイルの壊滅目指す 大規模攻撃の恐れ、元国務省アナリストが警告

 米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版、1月19日付け)が掲載したロイター電によると、元国務省情報調査局のトップアナリスト、ウェイン・ホワイト氏は同日、ワシントンのシンクタンク「中東政策評議会」で講演、米軍のよる対イラン攻撃が核施設に対する限定的なものではなく、空軍機、潜水艦、対艦ミサイルの壊滅を目指した大規模なものになる、と警告した。
 
(大沼・注)
 レイム・ダック状態のブッシュ政権内ネオコン強硬派は、どうやら「対イラン攻撃」を、イラク情勢を打開し、米国内世論を動員する唯一の道筋と考えているようだ。

 攻撃に踏み切る場合、イランの報復を封じ込める必要があるから、ホワイト氏の言うとおり、攻撃が大規模なものになるのは当然である。

 つまり、「対イラン攻撃」ではなくて、「対イラン戦争」が始まる。

 もちろん、ブッシュとしても戦争突入に不安を感じており、この「戦争カード」を最後の切り札に、できればイランに対して核開発の中止と、イラクに対する不介入を約束させたいはずだ。

 しかし、イラク・イランをめぐる情勢は、米軍の軍事力の行使の方向に動いている。
 米軍は武装抵抗を制圧はできないが、軍事施設を破壊する能力には自信を持っている。

 圧倒的な軍事力でイランを叩き、その一方で「新石油法」をイラク議会で早急に成立させ、イラク侵攻の「戦争目的」を達成する。

 ブッシュにとっては、イラクの石油を確保すればいいのだ。
 石油施設を守備するために、米軍を半永久的にイラクに駐留させる。
 そのためには、イランとの間に「戦争状態」が生まれ、緊張が維持される方が望ましい。 

 そんなふうに、ワシントンのネオコン強硬派は、ブッシュをそそのかしているのだろう。

 ブッシュをホワイトハイスに送り出した「軍油複合体」にすれば、ブッシュにどんな汚名を着せられようと、問題ではない。
 「9・11」まで演出してスタートさせた「資源確保戦略」を完遂すればそれでいいのだ。

 彼らはもはや、対イラン攻撃を、イラク利権を防衛する戦いと位置づけているに違いない。
 

http://www.nytimes.com/reuters/news/news-iran-usa-experts.html?_r=1&oref=slogin

Posted by 大沼安史 at 08:48 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-20

〔イラクから〕 手足などを失った「切断米兵」 500人に

 米誌「タイム」(電子版、1月18日付け)が報じたところによると、イラク戦争で手足などを失った「切断(Amputee)」米兵が、500人に達したそうだ。

 こうした負傷兵は毎週火・金・日の夜、米ワシントン近郊のアンドリュース空軍基地に到着し、「ウォルター・リード陸軍医療センター」に入院する。

 1月16日、500人目の「切断米兵」として、同センターの「切断病棟」、第57病棟に入ったのは、24歳になる伍長。

 1月12日、IEDに殺られ、両足を失った。

 こうした「切断」に至る負傷者は、22700人の全負傷者の2.2%を占めるという。
 

http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1580531,00.html?cnn=yes

Posted by 大沼安史 at 07:07 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-19

〔NEWS〕 イラク出征拒否 ワタダ中尉 2月5日に米軍法廷開廷 裁判官 イラク戦争の合法性論議を拒否 ワタダ中尉 「声明」を発表 両親、ビデオで訴え 米軍現役兵ら「イラク撤退」を求め、連邦議会で要請活動

 イラク出征を拒否した唯一の米軍将校、日系アメリカ人のアーレン・ワタダ中尉(28歳)を裁く軍事法廷が2月5日、米ワシントン州の陸軍基地、フォート・ルイスで開かれる。

 これを前に1月16日、軍裁判官のジョン・ヘッド判事は、ワダタ中尉側が求めていた、イラク戦争の合法性審議には立ち入らないとして、被告の要請を拒否した。
 ヘッド判事は「政治的な問題」は今回の訴追と無関係だと、拒否の理由を述べた。

 これに対して、ワタダ被告のエリック・シーズ弁護士は、ワタダ中尉がなぜ出征を拒否したか、本人質問で明らかにする方針を明らかにした。

 ヘッド判事の決定を受けてワタダ中尉は18日、声明を発表。「わたしはこの戦争が非合法であり非道徳的であるという信念とともに立つ」と決意を述べた。

 こうしたなかでワタダ中尉の両親、ロバートさんとキャロリン・ホーさんは反戦サイト、「トゥルースアウト」にビデオ出演、ひとびとの支援を呼びかけた。

 一方、ワシントンの連邦議会では16日、米軍現役兵士らによる反戦団体「訂正アピール(アピール・フォー・リドレス)」のメンバーらがロビー活動を行った。

 メンバーは将校100人を含む現役兵1000人の署名簿を手に、議員の事務所を回り、米軍の早期撤退を求めた。

 代表の海兵隊員、リアム・マッドン軍曹(22歳)は「数千人が死んでいるのに、沈黙しているわけにはいかない」と語った。

 ワタダ中尉に対しては、ダニエル・エルズバーグ博士らが支援を表明している。 


http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-na-watada18jan18,1,108354.story

http://www.truthout.org/docs_2006/011707A.shtml

http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-na-antiwar17jan17,1,1998591.story

Posted by 大沼安史 at 04:30 午後 | | トラックバック (1)

2007-01-18

〔NEWS〕 2-3月にイスラエル、対イラン攻撃の恐れ 国際投資銀行が警告

 国際投資銀行の「ING」が、イスラエルの対イラン攻撃が2月から3月にかけて行われる公算が強いとする警告を発していることが、米のネット紙、「RAWストーリー」(1月15日)の報道で明らかになった。

 INGはオランダ系の金融グループ。

 警告によると、2月の下旬は、イランの国連決議1737号に対する履行期限が切れるときで、イランの「決議無視」を口実に、イスラエルが対イラン攻撃をする可能性が高いとしている。

 

http://www.rawstory.com/news/2007/Major_investment_bank_issues_warning_on_0115.html

Posted by 大沼安史 at 08:52 午前 | | トラックバック (0)

2007-01-15

〔NEWS解説〕 米「対イラン・イラク国内戦線」開く バグダッド制圧へ布石 サドル・シティー攻撃へ 来日するチェイニーに、安部首相は「自重」を求めよ!

 米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版、1月15日付け)に、D・サンガー記者による、「新たな戦線を開く―イラク国内イラン人に対して」と題する「ニュース分析」が掲載された。

 米国、「対イラン・イラク国内戦線」構築――というわけだが、別に新しい視点ではない。
 たとえば、英紙インディペンデントなどは12日付けの紙面で、同紙の外交エディターが、「ブッシュの強行戦術はイランに対する“宣戦布告”である」との指摘を行っている。

 米軍はイラク国内で「イラン人狩り」を始めている。クルド人の都市、北部アルビルの空港で、イラクの外交官(革命防衛隊員との見方も)5人を拘束するなど、イラク国内へのイラン政府の影響力排除に動き出している。

 なぜ、こうした動きに出ているのか?

 ひとつはクルド人陣営の一部を長年にわたって支援して来たイランの影響力を切断。北部クルディスタンを安定化させたうえで、クルド人部隊をバグダッドに投入、サドル・シティーなどシーア派居住区の制圧を図る狙いが、米軍サイドにあるからだ。

 バグダッドはシーア派が着々と勢力を拡大し、米軍は本丸の「グリーンゾーン」以外、コントロールできない状態に追い込まれている。
 
 こうした状況を逆転する(改善する)……これが米軍の短期的な狙いである。

 もうひとつは、「核施設攻撃」を名目に掲げて行う、「対イラン攻撃」への布石である。
 ベトナム戦争を内部告発したダニエル・エルズバーグ博士は昨年暮れ、ストックホルムでの授賞セレモニーで、米国のイラン攻撃を予言する警告演説を行っている。

 もしかしたらブッシュ政権は、事態打開の切り札をして「イラン攻撃」を、すでに決断しているのかも知れない。

 とすれば、チェイニー副大統領が近々、来日するのは、その通告と協力依頼が目的であろう。

 ならばチェイニーは、安部政権に対し、対イラン戦のため、①「円=フリーマネー化」の維持(日銀の利率据え置き)②対イラク借款未放棄部分の放棄③自衛隊の協力強化④軍事費の分担――などを求めるはずだ。

 しかし、イラク国内ではイランに近いシーア派だけが問題なのではない。スンニ派も、サダムの「殉教」の後、過激化し、男性全員のムジャヒディン化など強行姿勢を打ち出すようになっている。

 米軍にとって本来の「敵」はシーア派でもなければスンニ派でもなく、自分自身なのだ。
 自らの占領軍としての存在自体が、イラク人の武装抵抗を呼び寄せている。

 安部首相にいま、「世界平和」「イラクの復興支援」の面で果たしうる役割があるとすれば、それはチェイニーに対して自重を求めることだろう。

 イラクを「美しい国」に戻せ、米軍を引け、イランを攻撃するな、と、事実上のアメリカ大統領であるチェイニーに断固、申し入れるべきである。

 「米国のポチ」にならない――それが安部首相が進むべき、「戦後レジームからの脱却」の道である。
   

http://www.nytimes.com/2007/01/15/washington/politicsspecial/15strategy.html?_r=1&oref=slogin

http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-sunnis15jan15,0,2880562,print.story?coll=la-home-headlines

Posted by 大沼安史 at 08:26 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-13

〔いんさいど世界〕 ノルウェー沖に眠るナチス・ドイツ潜水艦 日本向け水銀65トン コンテナ腐食、大規模漏洩の恐れ 「水俣病」の恐怖

 北欧のノルウェーに、ベルゲンという港町があり、そのベルゲンに近い島の海底にナチス・ドイツの潜水艦が沈んでいて、積荷の「水銀」が漏れ出しているそうだ。

 魚介類が「水銀」で「汚染」されると、それを食べた人間は「水俣病」になってしまう。
 ナチス・ドイツはとんでもない「置き土産」を残してくれたものである。

 ニューヨーク・タイムズ(電子版、1月11日付け)によると、現場はベルゲンの北北西約40キロにあるフェイユ(Fedje)島の海底。水深120メートルのところに、ナチス・ドイツの潜水艦、「U-864」が眠っている。
 
 「U-864」が沈んだのは、1945年2月9日。英潜水艦の魚雷攻撃で撃沈された。
 
 「864」には水銀65トンがキャニスター(容器)に詰められ、積み込まれていた。武器製造に使われる水銀だった。

 その容器が腐食して、液体水銀の漏出が始まった。ノルウェー政府が調査に動き出し、付近海域で捕獲された蟹や魚の体内から、通常をやや上回る水銀が検出された。

 「864」が搭載していた「水銀65トン」は、水俣の「27トン」を倍以上、上回る大変な量。
 現地の人びとの間に不安が広がるのは当然のことだ。

 これだけでも驚ろくべき報道だが、この「水銀65トン」、実は「日本向け」だったというくだりを読んで、びっくりしてしまった。
 Uボート「864」は、日本に向け航海を始めたところを敵潜水艦に捕捉され、撃沈されたのだそうだ。

 「864」には、ほかにもナチス・ドイツが開発していたジェット機のエンジンも積み込まれていたとする歴史家もいるそうだ。

 イギリスの海軍史家、マーク・フェルトンさんが一昨年に発表した論文によると、ナチス・ドイツと帝国・日本の間には、潜水艦による交易が続いており、交換された情報のなかには原爆開発に関するものも含まれていた。

 こうなると、もはや他人事ではない。「水銀」は日本側が「買い付け」たものである(かも知れない)以上、日本政府が頬被りして済ませることはできない。

 現地では石棺で潜水艦を包み込んだり、砂で覆いつくしその上を岩で蓋する、といった案が検討されているが、日本政府としても、何らかの技術的支援に乗り出すべきではないか。

 「水俣病」が発生する前に、日本政府、とくに環境省は動き出すべきである。 

 

http://www.nytimes.com/2007/01/11/world/europe/11norway.html?_r=1&oref=slogin

Posted by 大沼安史 at 05:08 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2007-01-11

[NEWS] 米軍増派でバグダッドを分割支配 「ゲットー(外出禁止区域)」づくりに着手

 米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版、1月10日付け)によると、ブッシュ政権は2万の増派兵力の主力を首都バグダッドに投入、郊外陣地に立てこもっている駐留部隊とともに市街地に進出、市内を9つに分割し、適当な地区から「ゲイティド(gated)・コミュニティー(外出禁止区域)」づくりに着手する。

 区域内の武装抵抗勢力を一掃し、秩序を回復したあと、住民に職をあっせんするなどして民意をつかむプラン。

 いわば住民を隔離するゲットー化の手法で、米軍はベトナム戦争当時、「戦略村」を開設して失敗した経験がある。

 米軍のバグダッド市内進出は住民の反発を招きかねないもので、市街戦がさらに激化する恐れがある。


http://www.latimes.com/news/la-na-military11jan11,1,2212095.story?ctrack=1&cset=true
 
 
 

Posted by 大沼安史 at 07:35 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-10

〔NEWS〕 「生薬」でも「派兵」でも、「戦争」には勝てず??? イラク増派、P・コバーン記者 ブッシュ大統領にアドバイス

 イラク問題をカバーする英紙インディペンデントのパトリック・コバーン記者が、イラク駐留米軍の増強を図ろうとするブッシュ大統領に、紙面でアドバイスしていた。

 いくら米兵を送り込んでも「平和」は来ないから、やめた方がいいという、親身(?)のアドバイスだった。

 コバーン記者は、ロバート・フィスク氏と並ぶ、インディペンデント紙の看板記者だが、フィスク氏同様、自分の足で歩き、自分の目で確かめる取材活動を続けて来た人。
 
 その報道の背景には「歴史」に対する深い知識があって、奥行きのある記事を書き続けている。

 そのコバーン記者の同紙電子版(1月8日付け)の記事を読んで、勉強させられた。
 コバーン氏によれば、いまのブッシュ大統領は150年前、英国と阿片戦争を戦った中国の皇帝とそっくりだという。

 皇帝は取り巻き側近のこう吹きまれ、安心しきっていたそうd。「大丈夫ですよ、陛下。中国は英国への大黄を輸出を全面的に止めていますから、そのうちやつら、集団便秘になって戦えなくなります」と。

 大日本帝国の「神風」に似た「大黄禁輸」ではあるが、米軍増派はその程度のものに過ぎないとコバーン氏は言う。ビロウついで言うならば、要するに、そんなことでは屁のつっかえにもならないってことだ。

 増派した米軍はバグダッドに展開するようだが、スンニ、シーア派ともそれぞれ戦闘意識は高揚しており、仮に米軍が個別の戦闘で勝利を収めたとしても、それは「殉教者」を大量に生み出すだけで、逆効果にしかならない、というのが、コバーン氏の見立てである。

 ところで筆者(大沼)は現在、コバーン氏の「イラク占領」という本を翻訳中だが、そこに面白い歴史的な比較が出ている。
 赤軍支配下のベルリン(1945年)と、米軍支配下のバグダッド(2003年)の比較である。

 赤軍は廃墟ベルリンの復興に成功したのに、なぜ米軍=アメリカはダメだったか?――とコクバーン氏は問題を提起する。

 ブッシュのワシントンはニューオルリーンズでもそうだったように、無能で腐敗している。
 その無能がいくら頭数をそろえたところで、無能は無能なのだ。

 負けを取り戻そうと、ここ一番の賭けに出たブッシュ大統領。が、結果は目に見えている。

 「裏目」に出るだけである。


http://comment.independent.co.uk/commentators/article2134847.ece  

Posted by 大沼安史 at 03:11 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-07

〔重要NEWS〕 イスラエルが対イラン核攻撃を準備 英紙サンデー・オブザーバー ナタンツなど3地点 通常爆弾投下後に核爆弾(バンカー・バスター)を使用

 英紙サンデー・オブザーバー(電子版、1月7日付け)が報じたところによると、イスラエルはイランの核施設に対し、核による空爆を行う準備を進めている。

 攻撃目標は、ナタンツ(ウラン濃縮施設)、イスファハン(ウラン転換施設)、アラク(重水炉)のイラン国内3地点。

 ナタンやイスファハンは、通常爆弾を投下して「開口」後、貫通核爆弾(バンカー・バスター)を使用、地下施設を破壊する。

 攻撃するイスラエル空軍機は、ネゲブ砂漠のハトゼリム基地、テルアビブ南方のテル・ノフ基地に所属する空挺団で、イラン攻撃に備え、ジブラルタル上空との間を往復するなど、長距離空爆の訓練を続けている。

 イラン攻撃のルートは3ルート検討されており、うちひとつはトルコ領空を通過する。

 イスラエルとアメリカの当局者はこの問題でこれまで数回、協議している。

 イスラエルが核攻撃に踏み切るのは通常兵器による攻撃ではイラン核施設の破壊は困難と最終判断が出て、なおかつブッシュ政権が「同意」した場合。
 消息筋は「事後同意」もありうるとしている。

 サンデー・オブザーバー紙はこれまで、①イスラエルのイラク・オシラク炉攻撃②イスラエルの核技術者による暴露、など、イスラエルの核問題報道では定評のある高級紙だ。

 今回の同紙の「スクープ」は、イランに核開発放棄を迫る「最後通牒」の要素も含んでいるといえる。

http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2089-2535310,00.html

Posted by 大沼安史 at 07:43 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-06

〔コラム 机の上の空〕 イラク戦死者を悼む「フィールド・オブ・フラッグズ」 風にはためく3000の黄色い小旗

 ニューヨーク州北部のミドル・グローブの田舎道、ミドルライン・ロードを辿ると、突き当たりにクルーフトフさん一家の畑がある。

 そこに黄色い小旗の群れが、波紋を描くように立っている。同心円の輪になって。

 暮れの31日、旗は3000になった。4日の木曜日、その数はさらに5個、増えた。

 獣医のマークさんの妻、カレンさん(54歳)が立てた、手づくりの小旗の群れだ。
 旗は大人の手を思いっきり開いたサイズ。材料は、プラスチックのテーブルクロスだ。

 「フィールド・オブ・フラッグズ」……ニューヨーク・タイムズ紙(1月6日付け、電子版)に、カレンさんが守る「旗の野」の話と、現場の写真が出ていた。

 カレンさんが、野の花を育てるように、旗を立てだしたのは、2004年7月のことだった。
 イラク戦争は激しさを増しながら、2年目の夏の盛りを迎えようとしていた。
 そのときすでに877人の米兵が戦死していた。877本の旗を立てた。

 カレンさんは昔、ニューヨーク市にいたころ、反戦運動に参加していた自称「左翼」。いまも「戦争」と聞くと、怖気が振るう。

 「旗の野」はしかし、プロテストのため続けているのではない。イラク戦争で倒れた兵士を悼み、その死を記念する、それだけのことだ。

 彼女の小旗の群れは、近くを走る幹線道路、「ルート29」から見ると、黄色の「点」のようだ。近寄って見に来る人がときどきいるらしい。

 昨年5月29日の戦没者記念日(メモリアル・デー)には、「旗の野」を見下ろす丘にひとりの男が立って、トランペントを吹いた。
 朝、カレンさんの娘のレベッカさん(25歳)が気づいた。

 夫のマークさんや息子のアーロンさん(18歳)は雑草取りをしてくれる。「4Hクラブ」に人も春に手伝いに来る。去年の夏には近くの町から9人のガールスカウトがやって来て、100の旗を新しいのに取り替えてくれた。

 カレンさんは毎朝、インターネットで戦死者を確かめる。
 死者が出たとわかると、旗を立てに行く。

 「何かしなくちゃならないと思って。わたしにできたのがこれ」とカレンさん。
 「ちょっと想像してみてくれない? 立っているのは、戦死した人たちだって……」

 黄色いリボンは無事の帰還を祈るものだが、黄色い小旗は何を祈るものだろう?
 死してなお「夢」を抱けるとしたら、兵士はいま、何を夢みているのか?

 戦場(フィールド)で斃れた、3000の兵士が安らぐ「フィールド・オブ・ドリームズ」。
 タイムズ紙に載った写真を見て、3000の兵がいっせいに小旗を振る様子が、幻のように目に浮かんだ。

   

http://www.nytimes.com/2007/01/06/nyregion/06flags.html?_r=1&oref=slogin

Posted by 大沼安史 at 08:36 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-01-05

〔NEWS〕 ネオコン 「イラク増派」でブッシュを後押し 

 ネオコン内の有力グループが「イラク増派」を強力に主張し、それに後押しされるかたちでブッシュ政権が兵力増強に動き出しているようだ。
 ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版、1月4日付け)の報道で明らかになった。

 それによると、イラク駐留米軍の増強を提言しているのは、「アメリカン・エンタープライズ研究所」のフレデリック・ケーガンと、ネオコン誌「ウイークリー・スタンダード」の編集人であるウイリアム・クリストルらのグループ。

 軍事アナリストであるケーガンは12月に「勝利を選び取る――イラクにおける成功計画」と題する論文(⇒)を発表、それが「ブッシュ政権の現行の考え方に影響力を及ぼしている」という。

 これまで米軍はラムズフェルド前国防長官の下で、米軍増派に消極的だったが、ケーガンらはこれとは逆に、駐留米軍を増強、駐屯地に引きこもるのではなく、イラク国内の紛争地点に出てゆき、市民生活の秩序の回復にあたり、現地住民を交流を進める戦略を提唱している。

 タイムズ紙によると、こうした増派論に対してはネオコン内部でも否定的な意見があるが、ブッシュ大統領はケーガンからの提言に沿うかたちで来週、2万人から3万人規模の増強計画を発表する見通しとなっている。
 

http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-na-neocons4jan04,0,779950.story?coll=la-home-headlines

http://www.aei.org/publications/pubID.25292/pub_detail.asp

Posted by 大沼安史 at 06:59 午後 | | トラックバック (0)

2007-01-02

〔For the Record〕 小鳥に餌をやっていたサダム・フセイン

 処刑されたサダム・フセインの獄中の様子が、看護にあたった米兵の証言で明らかになった。
 バグダッド近郊の米軍刑務所、「キャンプ・クロッパー」でサダムの世話をした米陸軍曹長、ロバート・エリス氏が、セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙(電子版、12月31日付け)のインタビューで証言した。
 
 それによると、サダムの独房は6×8フィートの大きさで、ベッドと小さなテーブルが置いてあった。テーブルの上には本が何冊か。もちろん、コーランも。

 プラスチックの椅子がふたつ。お祈り用の織物が1枚。洗面器が2個……それがすべてだった。

 刑務所の人びとはサダムを「ビクター」と呼んでいた。そう、「勝利者」の意味を持つ、英語のファーストネームである「ビクター」と。

 その「ビクター」の房をエリス氏は2日にいちど、見回った。房から自作の詩を読み上げるサダムの声が聞こえて来た。サダムと言葉を交わすようになった。

 農民の子だったと言った。その出自を一度も忘れたことはないと。

 自分の子どものことも語った。
 読み聞かせしてして寝かしつけたことや、娘がおなかが痛いと言ったときのことなどを。

 葉巻とコーヒーは血圧にいいといった。エリス氏に葉巻をすすめたこともあった。

 米軍はなぜ、イラクに侵攻したのだとも聞いて来た。米兵がマシンガンを撃ちながら突進する姿をジェスチャーで示しながら。
 「(大量破壊)兵器の査察官は何も見つけなかったろう」とも言った。

 不平を言わない模範囚だった。

 いちど、ハンストをしたことがあった。
 食事をドアの下の隙間から差し入れたときのことだった。
 ドアを開けて食事を届けるようになると、すぐハンストをやめた。
 「ライオンのように扱われたのを拒否したんだ」と、エリス氏は言った。

 サダムは食事のパンをとっておき、小鳥たちの食べさせていた。草に水をやったりもしていた。

 エリス氏が一度、きょうだいが死んで米国に戻らなくてはならなかったとき、サダムは「お前はもう、おれのきょうだいだ」と言ってエリス氏を抱きしめた。

                ◇

 エリス氏のインタビュー記事を読んで、サダムの一面を垣間見た気がした。
 罪を憎んで人を憎まず。

 サダムの「犯罪」は糾弾されてしかるべきことだが、彼を「悪魔」だといってすべてを片付けるのは間違っている。

 彼もまた、「イラク」の歴史と風土から生まれた、ひとりの人間だった。そのサダムという人間がおかした「人道に対する罪」は徹底追及されてしかるべきだが、その彼に人間性のカケラもなかったかというと、そうは言い切れない。
 エリス氏の証言は、そのことを語ってあまりあると思う。

                ◇

 このエリス氏のインタビューを読み終わって、サダムが「イラク国民」あてに書いた「手紙」(11月5日付け)の中身は「本心」から出たものだったかも知れない、と思った。

 サダムの「遺書」は一方で、「イラク万歳、イラク万歳、パレスチナ万歳、聖戦(ジハード)と戦士(ムジャヒディン)万歳」とも書いていたが、他方、「わたしはまた、われわれを攻撃した他国を憎まず、為政者と民衆を区別するよう呼びかける」とも言っていた。

 もしかしたらサダムはエリス氏との交流のなかで、そうした心境に達していたのかも知れない。

                ◇

 わたし(大沼)はサダムと会ったことはないが、カイロ特派員だった一九九〇年の秋、エジプトのナセルの庇護の下、カイロで亡命生活を送っていたサダムが通っていたカフェを取材で訪ねたことがある。
 カイロ大学に近いそのカフェは、なぜか「インディアナ」という英語名のついたカフェで、その老主人(エジプト人)はわたしに、サダムの思い出を語ってくれた。

 青年サダムの女性を見る目は激しかったと語った主人は、サダムがイラクに帰国して権力の中枢に入り「出世」を遂げたあと、イラク政府代表として再びエジプトを訪れた際、「インディアナ」に立ち寄って、亡命時代の「つけ」をすべて支払っていった、とも教えてくれた。
 
 どんな気持ちでつけ払いをしたかはわからない。しかし、借金を踏み倒さなかったことだけは事実だ。

                ◇

 苛烈をきわめた反対派の弾圧。クルド人に対する毒ガス攻撃。
 サダムの犯した罪は大きい。

 それは否定できない事実でもあるが、その極悪非道の犯罪者が看護兵のエリス氏に垣間見せた「人間性」もまた、無視できない事実であるだろう。

 人道に対する罪をおかしたものが、独房で示していた、独裁者に似合わない、ささやかなヒューマニティーのカケラは、彼がおかした「戦争犯罪」の数々とともに、記憶に残すべきことである。

 世界の希望はたぶん、そこにある。
 「サダム処刑」のあのシーンにわれわれが心乱したわけは、きっとそこにある。

              
 

http://www.stltoday.com/stltoday/news/stories.nsf/stlouiscitycounty/story/1EA24471C8BC29EE86257255000CA548?OpenDocument&highlight=2%2C%22Saddam%22

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1981148,00.html

http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article2112573.ece

http://news.independent.co.uk/world/fisk/article2112555.ece

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1980293,00.html

http://www.commondreams.org/cgi-bin/print.cgi?file=/headlines06/1229-04.htm

http://www.msnbc.msn.com/id/16389128/

http://news.yahoo.com/s/ap/20061228/ap_on_re_mi_ea/iraq_061228005143

Posted by 大沼安史 at 07:05 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 ヘプタ(7)の年 ラッキー・ニュー・イヤー、2007年 !!!!!!!

 新年、明けましておめでとうございます。

  2007年、ことしはラッキー・セブンの年。いい年になってほしいものですね。

 ぼくが愛読(といっても電子版を見ているだけですが)しているイギリスの新聞、「インディペンデント」(大晦日号)に、新年(2007年)にちなんで、「ヘプタ(ギリシャ語から来た英語で「7」を指します)」にまつわる話題を77個も集めた特集記事が出ていました。

 サイモン・アスボーンという記者が書いた記事です。「7」だから「77」個、集めたわけですが、けっこう大変だったみたいです。「ふつうのテントウムシ(英語ではレディーバードっていうんですね。知りませんでした。淑女の鳥なんだそうです。テントウムシって)は星が7個ある」なんてのも混じっているくらいですから。相当、無理して77個、そろえたみたいです。

 イギリスの新聞なので、「エリザベス・テーラーはだんなを7人もとっかえひっかえした」なんて、やたら「洋物」エピソードが出てくるのは仕方ないところですが、けっこう世界にも目配りしています。

 「7」がラッキーナンバーであることは、世界的にどうも共通することのようです。
 サイモン記者は「日本でもシチフクジンというのもある」なんて、七福神のことを、その例証に使っています。

 縁起の悪いところから始めますと、イギリスには鏡を割ると、不幸な年が7年続くって迷信があるそうです。
 もしかしたら、このブログの読者のなかに、最近、鏡を割ってしまった人もいるかも知れませんが、でも大丈夫、割れた鏡は土の中に埋めるか、川に流してしまえばいいんだそうです。
 ……ん? つまりは「水に流す」……。イギリス人も同じようなこと、考えてますよね。

 「7」って、「1」と自分の数でしか割り切れない素数なんでが、サイモン記者によると、これも調べて書いたのでしょうが、1から10までの数で、われわれ人間が最も頭に浮かべることが多いのが、この「7」だっていいます。

 なぜなんでしょう?
 サイモンさんの記事には、「クリスチャンにとって7は(世界創世の)完成を意味する」なんてヒントめいたことが書かれていますが、キリスト信者ではない、ぼくなんかも、言われてみればそんな感じがしますね。

 イギリスのスーパー・スパイの「007」も、「002」なんて言ってしまったら、二流のズッコケ、間抜けスパイになっちゃいます。

 秘数、7。どこにそのパワーが潜んでいるのでしょう。

 サイモンさんの記事で教えられたのは、ヘプタグラムです。
 7つの角をもった星、それがヘプタグラムで、魔よけのシンボルなんだそうです。
 アメリカの西部劇で、保安官が胸にバッジ、つけてますよね。「胸の輝く金の星」とか何とか言って。あれって、ヘプタグラムなんだそうです。ぼくもこんど、西部劇を観るとき、確かめてみるつもりですが……。
 
 アイルランドの言い伝えでは、7男の父親から生まれた7人目の男の子(7男の7男、7男生んだまた7男)には、マジカルなパワー(魔力)があるんだそうです。
 きっと、災難なんかぶっ飛ばしてくれそうなすごい男になってくれるんでしょうが、いまの日本じゃ無理ですよね。少子化ですから……。

 ぼくは仙台で「本の森」って出版社を仲間と一緒にやっているので、本の話にふれますと、サイモンさんの話では、ヘプタロジーといって「7冊シリーズの長編物語」って、売れるんだそうです。
 『ナルニア国の物語』も、ことし2007年に、7冊目が出て完結する、あの『ハリー・ポッター』も、ヘプタロジーなんだそうです。

 2007年に7冊目を出すなんて、『ハリー・ポッター』の著者のローリングさんて、意外に縁起をかついで書き出したのかも知れませんね。

 さて、サイモンさんの記事には、そのほか、

 ・酸性・アリカリー性のPHで、中性は「7」だ

 とか

 ・人間の睡眠最適時間は一日7時間だ

 とか、いろいろ出ていますが、最後にひとつだけ、日本では知られていない。「7」にまつわる、世界の大ニュースを紹介しましょう。
 
 ことし07年の7月7日、おそらく午前7時7分に、ポルトガルのリスボンで、「新世界7不思議」が発表されるんだそうです。
 そう、七夕の日に。

 この「新7不思議」は世界の人たちの投票によって決まるんだそうです。
 いまのところ、「ストーンヘッジ」なんかが有力候補になっているみたいですが、日本からも1個ぐらいは入ってもらいたいものですよね。

 ラッキー・セブン・イヤー、2007年。
 いい年でありますように!!!!!!! 
 

Posted by 大沼安史 at 11:23 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)