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2007-01-02

〔For the Record〕 小鳥に餌をやっていたサダム・フセイン

 処刑されたサダム・フセインの獄中の様子が、看護にあたった米兵の証言で明らかになった。
 バグダッド近郊の米軍刑務所、「キャンプ・クロッパー」でサダムの世話をした米陸軍曹長、ロバート・エリス氏が、セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙(電子版、12月31日付け)のインタビューで証言した。
 
 それによると、サダムの独房は6×8フィートの大きさで、ベッドと小さなテーブルが置いてあった。テーブルの上には本が何冊か。もちろん、コーランも。

 プラスチックの椅子がふたつ。お祈り用の織物が1枚。洗面器が2個……それがすべてだった。

 刑務所の人びとはサダムを「ビクター」と呼んでいた。そう、「勝利者」の意味を持つ、英語のファーストネームである「ビクター」と。

 その「ビクター」の房をエリス氏は2日にいちど、見回った。房から自作の詩を読み上げるサダムの声が聞こえて来た。サダムと言葉を交わすようになった。

 農民の子だったと言った。その出自を一度も忘れたことはないと。

 自分の子どものことも語った。
 読み聞かせしてして寝かしつけたことや、娘がおなかが痛いと言ったときのことなどを。

 葉巻とコーヒーは血圧にいいといった。エリス氏に葉巻をすすめたこともあった。

 米軍はなぜ、イラクに侵攻したのだとも聞いて来た。米兵がマシンガンを撃ちながら突進する姿をジェスチャーで示しながら。
 「(大量破壊)兵器の査察官は何も見つけなかったろう」とも言った。

 不平を言わない模範囚だった。

 いちど、ハンストをしたことがあった。
 食事をドアの下の隙間から差し入れたときのことだった。
 ドアを開けて食事を届けるようになると、すぐハンストをやめた。
 「ライオンのように扱われたのを拒否したんだ」と、エリス氏は言った。

 サダムは食事のパンをとっておき、小鳥たちの食べさせていた。草に水をやったりもしていた。

 エリス氏が一度、きょうだいが死んで米国に戻らなくてはならなかったとき、サダムは「お前はもう、おれのきょうだいだ」と言ってエリス氏を抱きしめた。

                ◇

 エリス氏のインタビュー記事を読んで、サダムの一面を垣間見た気がした。
 罪を憎んで人を憎まず。

 サダムの「犯罪」は糾弾されてしかるべきことだが、彼を「悪魔」だといってすべてを片付けるのは間違っている。

 彼もまた、「イラク」の歴史と風土から生まれた、ひとりの人間だった。そのサダムという人間がおかした「人道に対する罪」は徹底追及されてしかるべきだが、その彼に人間性のカケラもなかったかというと、そうは言い切れない。
 エリス氏の証言は、そのことを語ってあまりあると思う。

                ◇

 このエリス氏のインタビューを読み終わって、サダムが「イラク国民」あてに書いた「手紙」(11月5日付け)の中身は「本心」から出たものだったかも知れない、と思った。

 サダムの「遺書」は一方で、「イラク万歳、イラク万歳、パレスチナ万歳、聖戦(ジハード)と戦士(ムジャヒディン)万歳」とも書いていたが、他方、「わたしはまた、われわれを攻撃した他国を憎まず、為政者と民衆を区別するよう呼びかける」とも言っていた。

 もしかしたらサダムはエリス氏との交流のなかで、そうした心境に達していたのかも知れない。

                ◇

 わたし(大沼)はサダムと会ったことはないが、カイロ特派員だった一九九〇年の秋、エジプトのナセルの庇護の下、カイロで亡命生活を送っていたサダムが通っていたカフェを取材で訪ねたことがある。
 カイロ大学に近いそのカフェは、なぜか「インディアナ」という英語名のついたカフェで、その老主人(エジプト人)はわたしに、サダムの思い出を語ってくれた。

 青年サダムの女性を見る目は激しかったと語った主人は、サダムがイラクに帰国して権力の中枢に入り「出世」を遂げたあと、イラク政府代表として再びエジプトを訪れた際、「インディアナ」に立ち寄って、亡命時代の「つけ」をすべて支払っていった、とも教えてくれた。
 
 どんな気持ちでつけ払いをしたかはわからない。しかし、借金を踏み倒さなかったことだけは事実だ。

                ◇

 苛烈をきわめた反対派の弾圧。クルド人に対する毒ガス攻撃。
 サダムの犯した罪は大きい。

 それは否定できない事実でもあるが、その極悪非道の犯罪者が看護兵のエリス氏に垣間見せた「人間性」もまた、無視できない事実であるだろう。

 人道に対する罪をおかしたものが、独房で示していた、独裁者に似合わない、ささやかなヒューマニティーのカケラは、彼がおかした「戦争犯罪」の数々とともに、記憶に残すべきことである。

 世界の希望はたぶん、そこにある。
 「サダム処刑」のあのシーンにわれわれが心乱したわけは、きっとそこにある。

              
 

http://www.stltoday.com/stltoday/news/stories.nsf/stlouiscitycounty/story/1EA24471C8BC29EE86257255000CA548?OpenDocument&highlight=2%2C%22Saddam%22

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1981148,00.html

http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article2112573.ece

http://news.independent.co.uk/world/fisk/article2112555.ece

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1980293,00.html

http://www.commondreams.org/cgi-bin/print.cgi?file=/headlines06/1229-04.htm

http://www.msnbc.msn.com/id/16389128/

http://news.yahoo.com/s/ap/20061228/ap_on_re_mi_ea/iraq_061228005143

Posted by 大沼安史 at 07:05 午後 |

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