〔イラクから〕 ナディアさんの夢 「パトリックの村」 ヒマワリの少女
カリフォルニアの新聞に、ナデイア・マカフレーさん(61歳)の「夢」が紹介されていた。イラクで死んだ彼女の長男、パトリックさんの名前を冠した「復員兵の村」をつくる「夢」だ。
目処はまだ立ってはいない。土地もなければ、金もない。
けれど、彼女はその村をきっとつくる。
記事を読んで、そう確信させられた。
彼女の「夢」には一筋の、鋼(はがね)の芯が通っている。
数年のうちに彼女が拓くその「村」には、平和があり、緑の大地があるだろう。そこへ、イラクから、アフガンから、戦闘に明け暮れた兵士が帰って来る。
その村で、戦争の傷跡を癒し、自分を、世界を取り戻すのだ。
カリフォルニア州兵、パトリック・マカフレー軍曹(34歳)が8発もの銃弾を浴びて死んだのは、2004年6月22日。
イラクのバラドでの出来事。
パトリックさんが訓練していたイラク人のグループに武装抵抗勢力がまぎれこんでいた。
3人の父親のパトリックさんが州兵に志願したのは「9・11」のあとだった。止むにやまれぬ気持ちからだった。
が、そんなパトリックさんの胸に「イラク戦争」に対する疑念が膨らむのに、そう長い時間はかからなかった。
息子の思いは母親であるナディアさんのものでもあった。
「戦死」の報を受けて、ナディアさんは怒りを爆発させた。
サクラメントの空港に息子の棺が帰ってくると知って、マスコミの人たちに招待状を送った。
ブッシュ政権が隠し通そうとする「無言の帰国」の現実を、みんなに知ってもらいたかった。
その年の暮れ、ナディアさんは他の遺族らとともにヨルダンへ向かった。イラクのファルージャで米軍の侵攻で難民化した人びとと連帯し、救援の品を贈るためだった。イラク入りしようとしたが、果たせなかった。
次の夏、テキサスのブッシュ牧場近くでの反戦行動に参加した。
ナディアさんはフランスの生まれで、少女の頃、毒ヘビに噛まれ、「臨死」を経験した。
そんなこともあって、成人してからはホスピスで働くなど、死と直面する人びとに寄り添う活動を続けて来た。
そんな彼女が思い描く「パトリック・復員兵士の村」は、こんなイメージだ。
瞑想ができて散策ができて、オーガニック農園では作物を育てることができる……。
戦場での心的外傷(PTSD)は、そうして癒されるのだ。
ナディアさんがネットにつくった、パトリックさんを偲ぶホームページにはヒマワリ畑と大輪のヒマワリの花があしらわれている。
なぜ、ヒマワリか?
パトリックさんの遺品の中にに、死の前日、バラドで撮った一枚の写真があった。
イラクの少女がパトリックさんにヒマワリの花を届けてくれたときの写真だった。
記念のポートレートだった。
パトリックさんが亡くなったバラドには黒土の道があって、ヒマワリの花が咲いていた。
パトリックさんが歩いた、そのイラクの田舎道は、ナディアさんがこれからつくる「復員兵の村」に続く道である。
ナディアさんは「パトリックの村」で、きっとそれを育てるはずだ。
イラクに平和が訪れたそのとき、バラドのヒマワリ畑を訪ね、写真の少女からイラクのヒマワリの種子をわけてもらい、それを持ち帰って、アメリカの大地で育てるはずだ。
ナディアさんは、北バークリーの小さな教会でこう語った。
「パトリックは死んではいません。彼の魂はたしかに生きていて、わたしやわたしたちのなかにいるのです」
戦争よ、死よ、驕るなかれ!
ナディアさんの「村」の実現を祈ろう!
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http://www.thestate.com/mld/mercurynews/news/local/16326604.htm
Posted by 大沼安史 at 01:06 午前 | Permalink