英国の首都、ロンドンで、ロシアからの亡命した元諜報機関エージェント、アレキサンダー・リトビネンコ氏が11月23日夜、入院先の病院で死亡しました。43歳でした。
毎朝、8キロもジョギングしていた健康な肉体が、最後は頭髪も抜け落ち、肉が削げ落ちた幽鬼のような姿になっていたといいます。
闘病中の検査で、尿から猛毒の放射性物質「ポロニウム210」が検出されました。
ポロニウム210の毒性はきわめて高く、医師に解剖が行われない可能性も出ています。解剖中の被爆も否定できないからです。
当初、リトビネンコ氏は昔、殺鼠剤に使用されていた「タリウム」を盛られてのではないか、と見られていましたが、それが「放射性タリウム」によるものと見方が変わり、最終的に超レアものの放射性物質(重金属)、「ポロニウム201」による死亡と確認されました。
このポロニウム201はウラニウムから派生するもので、ひとつまみもあれば確実に人を殺せるほどの猛毒だといいます。
こうした恐ろしい毒を使って、いったい誰がリトビネンコ氏を死に至らしめたのでしょう。英国で報道された「事実」「情報」を元に、事件の謎に迫りたいと思います。
リトビネンコ氏の入院が報じられたあと、疑惑の目は一斉に、ロシアのプーチン政権に注がれました。
もともと旧ソ連・ロシアの秘密警察(諜報機関)、KGB・FSAのエージェットだったリトビネンコ氏は、FSA(ロシア連邦保安庁)の中級幹部(中佐)だった1988年当時、モスクワで記者会見し、ロシアの富豪、ボリス・ベレゾフスー氏を暗殺するよう、上司に指示されたことを「暴露」して、英国に亡命した人です。
そのとき、FSAの長官だったのが、現在のロシア大統領のプーチン氏でした。当時のプーチン氏(FSA長官)は、エリツィン政権時代に全盛を極めた超大富豪のベレゾフスキー氏排除に乗り出しており、リトビネンコ氏の記者会見による「内部告発」は、ベレゾフスキー氏の追い落としを図るプーチン氏にとって大打撃となりました。
そんなプーチン氏がリトビネンコ氏を「殺意」を抱くのは当然だとして、「プーチン大統領暗殺命令説」が浮上したわけです。
リトビネンコ氏が英国に亡命したのは、2000年のことでした。ロンドン市内の落ち着き先は、ベレゾフスキー氏所有の豪邸。ルトビネンコ氏はつまり、いち早く英国に亡命していたベレゾフスキー氏に保護されたわけです。
ルトビネンコ氏はベレゾフスキー氏の資金援助で、プーチン政権がモスクワで一連の「チェチェン過激派による放火事件」を演出、罪もない300人もの市民を焼死させて「チェチェン戦争」を煽り立てたと主張する「告発本」を出版したこともあります。
このことでもまた同氏はプーチン氏の怒りを勝っていましたが、「プーチンの刺客による犯行説」の広がったもっと大きな理由は、プーチン政権の批判を続けてきたロシアの女性ジャーナリスト、アンナ・ポロトコフスカヤさんが何者かに射殺されるという「前奏曲」が奏でられていたからです。
リトビネンコ氏はロンドンから、アンナさんの勇敢な報道を賞賛、アンナさんが暗殺されてからはプーチン政権が彼女を抹殺したとの見方を強め、反プーチン・キャンペーンを強めていました。
そうしたなか、11月1日の午後3時、リトビネンコ氏の前に、プーチン政権によるアンナさん暗殺を証拠だてるというEメール2通のコピーを持った、イタリア人、マリオ・スカラメラという謎の人物が現れ、ロンドン市内中心部のスシ・バーで同氏と面会します。
さらに、その1時間後には、高級ホテルの「ミリオニウム・メイフェア・ホテル」で、ロシアの元首相のボディーガードをしていたというロシア人実業家ら3人と会談し、その後、帰宅したリトビネンコ氏は急に苦しみだす……。
こんな経過もあって「プーチンによる毒殺説」が信憑性を持って語られて来たわけですが、「決定打」はなんといっても、リトビネンコ氏が死亡の4日前、死の床で書いた、プーチン氏名指しの「遺書」が同氏の死後、発表されたことです。
この「遺書」が出て来たことで、「あー、やっぱり、プーチンがやったんだ」と、世界の人々は「納得」してしまった。これが今現在の「世界世論の現状」だといって間違いないでしょう。
こうしたなかで、「プーチン説」を疑問視する流れが出て来ています。ロシア(プーチン政権)を追い詰める謀略ではないかとの見方が、ここに来て急激に浮上しているのです。
まず、第一に、英国の諜報機関(国内対策)のMI5や警察(スコットランドヤード)が、ロシア関与の証拠はない、という冷静な態度崩していないことが挙げられます。
そうした英国の捜査当局のなかには、リトビネンコ氏のよる狂言――すなわち、自分で服毒し、プーチン政権の凶行のように見せかけたという「自作自演自殺」説までとる人が出ています。
第二の疑問としては――これはプーチン大統領自身がEUサミットが開かれたフィンランドのヘルシンキで記者団に語っていることですが、リトビネンコ氏の「遺書」自体の問題が挙げられます。
この「遺書」はさきほども言いましたように、死の4日前、リトビネンコ氏自身が書いたといわれるものですが、なぜ4日前に書かれたものを「死後」に出しのか疑問だ、とプーチン大統領も首をかしげています。
「遺書」の中身は痛烈なプーチン批判。
書いた時点で発表しておけば、「死期を悟ったリトビネンコ氏 事前に遺書を発表」となったわけで、インパクトとしては、たしかに、その方がはるかに大きかった。
実は、英国のメディアを通じて全世界に流れた「闘病中の写真」にしても、先ほどふれた、リトビネンコ氏のパトロン、ベレゾフスキー氏と関係が深いPR会社が仕切りを受けていたもので、こんなところから、ベレゾフスキー氏によるトカゲの尻尾(リトビネンコ氏)斬り、反プーチン・キャンーペンのための毒殺説さえ出てきているわけです。
「自殺自演自殺説」「ベレゾフスキー関与説」に続く、3つ目の説は、米国(CIA)による「反ロシア」謀略説です。
米国のブッシュ政権にとって、いま一番の頭痛の種は「イラン」です。
イラン核施設に対する攻撃計画を練るなど、ブッシュ政権はいま、起死回生の「イラン包囲網」を敷き、シリアなどを牽制しながら、テヘランを追い詰めようとしている。
(最近、レバノンで起きた要人暗殺事件も、シリアを揺さぶり、米国の言うがままにしようとする「謀略」ではないか、との見方も出ています)
そのイランに対して、プーチン政権は最近、ミサイルを輸出する(ブッシュ政権からみれば)「暴挙」に出た。
これはブッシュ政権にとっては許しがたいことで、ここから「その仇をロンドンで取った」という見方が出て来るわけです。
それでなくとも米国=CIAは最近、ロンドンのBBC放送が「ロバート・ケネディー司法長官暗殺にCIAエージェントが関与」の報道番組を流したことで窮地に立たされており、「リトビネンコ氏毒殺」がなければより困難な状況に追い込まれていたことでしょう。
ロンドンの病院で息子のアレキサンドル・リトビネンコ氏の遺体と対面した父親のワルター氏さん(ロシア在住、医師)は、息子(愛称はサーシャ)は「小型の核兵器で殺された」と怒りを露にしました。
「ポロニウム210」はたしかに「核」、それを使って人を死に至らしめるものは「核兵器」に違いありません。
「ポロニウム210」は超レアモノの放射性物質ですから、かんたんに手に入るものではありません。
米国やロシアなど核兵器保有国の政府、軍、研究機関、諜報機関などによって厳重に生産・管理されているものですが、ロシアの「サーロフ」という研究所から10キロものプロニウムが消えたことがあるそうです。
これが「闇マーケット」に出回り、今回の事件に使われたのでしょうか?
それとも、ポロニウムを入手できる諜報機関のような政府組織が今回のリトビネンコ「核毒殺事件」に関わったのか?
謎はなお、深まるばかりです。