「山に行く」と言い残し、まま音信不通となっていたジャック天野氏から、またも突然、メールがあった。
熊野で山篭りし、修行を重ねたあと、恐山に足をのばし、イタコたちの愛のシゴキを受けながら彼女らと親交を結んで、そのまま下北に居ついてしまったという(ホントかな?)。
熊野と恐山での厳しい修行は、ジャック天野氏に、現世と冥府を自由に行き来する、おそるべき超能力を与え、俗事に無関心の彼をして、ななんと本邦初の「冥界時事解説者」を名乗らしめる、驚天動地の事態に相成った。
以下のメールは、【8月15日夜、恐山発】の、氏の第一報である。
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(記事リード) 8月15日の「終戦記念日」の朝、記者(J・天野)はここ下北沢のスナック「青森」、いや下北、恐山・賽の河原から冥界へと分け入り、東京・九段の森に飛んで、靖国神社で「交霊インタビュー」を試みた。
▽ 天野注・ この交霊インタビューなる取材法は、死者ばかりか生者の「心」にも自由に入り込み、偽りのない本音を聞き出す、高度なテクニックであり、山岳修行で生死を超えた境地にたどりついたジャーナリストだけがなしうる優れ技である。
(記事本文)
記者が恐山の空高く舞い上がり、瞬間ワープで靖国の境内に降り立ったとき、まるで示し合わせたように、小泉首相が「公式参拝」で姿を見せた。
3万円ぽっちの献花料、1度だけの拝礼と、いずれもエコノミカルに済ませた首相の参拝を、透明人間的背後霊として、じっと見守り続けた記者(天野)は、参拝終了後、小泉首相が行った記者会見に「同席」、個人新聞「机の上の空」特派員として、こっそりインタビューの輪に加わった。
「心の問題ですから」との首相発言に、まるで豆鉄砲をくらった靖国のハトたちのように、口をパクパクさせるだけで、二の矢、三の矢を放つことの出来ない、「会社員ジャーナリスト」たち。
「心」の問題こそ、「冥界時事解説者」たる記者(天野)の得意分野。
記者団の一瞬の沈黙の隙を突いて、早速、「交霊インタビュー」による「独占会見」に入った。
JA(農協と間違われそうだけど、記者のイニシャルです)時間がないから端的に聞くけど、どういう「心の問題」なんだ?
JK(首相のイニシャル)死んだ英霊たちと同じ心境だよ。
JA 英霊たちと同じだと?
JK そう、特攻だ。ここで俺は散る!
JA キサマ、それは本心か?
JK お前、「心の専門家」だろ? わからないのか? おれの気持ちが……。いま「特攻」だといったろうが。お前、臨床心理士の資格ぐらい、持ってるんだろう。持っているなら、おれの気持ち、わかるよな。
JA おれは「恐山カウンセラー」の正規会員でしかないけど、わかるぜ。そうか、キサマ、そこまで考えていたのか……。「自民党」に続いてついに「靖国」までも……
JK ああ、「ぶっこわす」。靖国をぶっこわす。きょうは、時限爆弾を仕掛けるようなつもりで参拝しに来たんだ。
JA キ、キサマ、どうしてそこまで?……
JK おれが特攻隊にこだわっていることは知っているだろう? おれはね、特攻隊をはじめとする英霊たちにすまないと思っている。当時の権力者どもは負け戦とわかっていながら、戦地へ若者を送りだした。特攻で散れと言った。そう命令したやつらが終戦後、一変して鬼畜米英と手を握った。おれのあとに首相になりそうなアイツの爺さんなんか、そんな輩の代表選手じゃないか。こんな戦後をつくってしまって申し訳ない――そういう気持ちで、おれは「お国のために」――その一心で、靖国に参拝したんだ。お国のために本殿に突っ込んだんだ。
JA キサマの気持ちはわかった。でも、それがどうして「お国のために靖国をぶっこわす」ことになるんだ?
JK 「政治問題化」を狙ったんだよ。とくに「国内」で「靖国」を政治問題化したかった。「靖国」はこれまで、国際問題にはなっても、日本の問題にはなってこなかった。それをおれは今日、「靖国」に「特攻参拝」することで、「靖国」を「日本の政治の爆弾」にしたんだ。おれのあとを継ぐ、これからの日本の政治指導者は、もう「靖国」を避けて通れない。おれみたいに正々堂々と「靖国」に公式参拝するのかどうかが必ず問われるようになる。A級戦犯の合祀問題も、決着をつけるべき問題として、ことあるごとに必ず浮上する。もう、わかってくれるよな。おれはね、「靖国」をぶっこわし、「靖国」に巣食う「戦後民主主義に反対する抵抗勢力」を一掃する露払いの気持ちで参拝したんだよ。そうすることが、「お国のために」ほんとうになることなんだ。みてろよ、おれがしかけた「時限爆弾」はいまに必ず弾けるから……
JA キサマの考えはよくわかった。後世に残るべき、大事な「歴史的インタビュー」として、もうひとつだけ、端的に聞くぞ。キサマ、昭和天皇のあの「発言メモ」のこと、どう思っているんだ?
JK あれは、おれが指示してマスコミに流した。「朝日」や「毎日」が書くと「色」がつくから、「日経」にね。質問への答えは、これで十分だろう?
JA そうだったのか……。しかしあの「発言メモ」が出ても、「靖国」はA級戦犯分祀をかたくなに拒んだ……。
JK 昭和天皇は「だから参拝しない」と言ったが、おれの場合は逆で、だから「靖国」に参拝してやったんだ。でも、おれの思いは、「靖国」に背を向けた昭和天皇と同じだよ。
JA するとキサマ、さっき会見で「特定の人のために参拝したのではない」と言ったのは嘘だったんだな?
JK ああ、半分は嘘になる。おれはA級戦犯以外のすべての英霊たちのために参拝すると同時に、昭和天皇にだけは「こんな戦後に、こんな靖国にしてしまって申し訳ない」と心のなかで謝罪したかったんだ。つまり、おれは昭和天皇という「特定の人」に語りかけようとした。でも、その昭和天皇は「靖国」に、いらっしゃらなかった。おれはそう、はっきり感じ取ったんだ。おれにははっきりわかった。おれの心は、おれのこの声は、陛下には届かなかった……。陛下はそこにいなかったのだから。
JA 「靖国」に昭和天皇の「英霊」はいなかった?!
JK 「戦死」もされず、「合祀」も希望されなかった方だから当然といえば当然だが、おれは靖国のあの本殿で、昭和天皇の霊を感じることはなかった。
JA 天皇の霊さえ不在の靖国??…………
JK ああ、靖国にはもしかしたら、実は「英霊」たちもいないかも知れない。どうもそんな感じがしてならない。お前さん、冥界時事解説者として自由にあの世に行き来できるなら、境内に「英霊」たちがいるかどうか、自分の目で確かめてみろよ……
以上、「一問一答」で再現した記者(天野)と首相とのやりとりに要した時間は、実は0.5秒ほど。このグーグル並みの「瞬間問答」に、わが「交霊インタビュー」のもの凄さがあるのだが、JFが「自分の目で確かめてみろよ」と言った瞬間、記者団の幹事社記者が質問を再開したことから、「独占会見」はここで打ち止めとなってしまった。
たった0.5秒の首相会見ではあったが、記者(天野)が引き出した回答は「歴史的な証言」として日本史に残るものとなるだろう。
会見を終えた記者(天野)はJKの指示に応えるべく、「英霊」がまとまって「待機」しているはずの靖国神社本殿へと向かった。なるべく多くの「英霊」と「交霊インタビュー」を行い、戦没者の「靖国」に対する「本音」を聞き取るためだった。
記者(天野)が「靖国」の本殿で「突撃インタビュー」を試みるのは、これが初めて。
で、そこで記者が見たもの……それは、戦後日本のタブーともいうべき、にわかには信じがたい事実だった。
さきほど小泉首相が訪れた靖国の本殿には、ななんと、あれがあれしていたのである!!
それは熊野山中で山篭りし、恐山で修行を積んで何事にも動じなくなっていたはずの記者(天野)の理解を超える、とんでもない事実だった。
その驚愕の真実とは何か?
「靖国」の本殿のどこにも、「英霊」の姿はなかったのだ!!
そのどこにも、「英霊」たちはいなかった!!
姿も魂も。
誰ひとりとして。
あの「合祀」されたはずの、A級戦犯たちの「姿」もなかった!
そこにあったのは、古びた「合祀者名簿」だけ。
「英霊」の魂は、本殿のどこにも存在しなかった!!
霊界の存在を信じ、そのご利益で「交霊インタビュー」の技を実演した記者自身が、驚きのあまり、もはやあきれて口から泡を吹くしかない、衝撃の新事実!!
えっ、ウソーォ、「英霊のいない靖国神社」だとぉー??
えっ、靖国神社の英霊物語って、ほんとは壮大なフィクションに過ぎなかったのぉー?
まるで夢遊病者のように本殿から駆け出した記者(天野)の目の前に、またも驚愕の新事実が現れた。
本殿にいなかった「英霊」たちが、「外にはいた」のである。
「英霊」たちはいた! 境内に!
英霊たちは、靖国の境内にはいたのである!
あっちにも、こっちにも。
よくよく近寄ってみると、「英霊」たちはそれぞれの「遺族」に寄り添い、親しく話し合っている。
「会社員記者」さんたちにはわからないが、霊界修行を積んだわたし(天野)には、ちゃんと聴こえるし、見えるのだ。
「英霊」たちが「遺族」を「二重」に見ていることも、わたしにはよくわかった。
戦死した当時の「娘」はいまの娘のままであり、同時に「61年プラス・アルファー」の「年相応」の娘であるのだ。
「おまえも年をとったね。苦労が白髪になってるね」
「おまえが戦後がんばって生きてくれたから、わたしも英霊として長生きすることができた」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
なかには偶然、靖国の境内で再会した戦友同士もいて、感涙にむせび泣いている。
「おたがい、ずいぶんふけたな」
「靖国で会おうって約束、ようやく実現したな」
などと言いながら。
「英霊」の代表に会って単独インタビューを試みようと、境内でそれらしき人を捜していると、皇居の方から、「日本英霊の会・事務局員」のリボンをつけた男がやって来た。
さっそくつかまえ、「交霊インタビュー」すると、こんな答えが返って来た。
「さっき、お堀端で、お盆でお帰りになった昭和天皇と立ち話したんだけど、A級戦犯を合祀した靖国には“死んでも行かない”っておっしゃっていたよ。いや、ブラックユーモアじゃなくて、真顔でおっしゃっていた」
「靖国をどう思うかって? わたしらはあの神社の持ち物じゃないし、靖国の会員になった覚えもない。自分で入会手続きもしていないのに、なんで会員になっちゃうの? わたしらはあくまで、『日本英霊の会』の登録メンバー。こんど登録カードをつくり直すんだけど、誤解のないように、『当会と靖国神社は関係ありません』ってただし書きを入れることになった」
「何? A級戦犯? わたしら英霊の会はね、南方で餓死したり、アメちゃんに火炎放射で焼き殺されたり、要するに『戦死』した兵隊の会だよ。つまり、戦争に行かされた兵隊の会で、行かせたお偉方は入会お断りさ。でも、A級戦犯の連中は、とにかく責任を取ったよな。だから、英霊の会としては準会員として仲間に入れているよ」
「問題は責任を取りもせず、戦後、のうのうと生き残った権力者どもだ。そういうやつに限って、靖国がどうの、愛国心がどうのとほざきやがる。わたしは実はニューギニアで飢え死にしたけど、遺骨は現地に残したままだ。政府は遺骨収集にも来てくれない。何が靖国の英霊に感謝を、だ。アジアの各地に散らばっている遺骨を収集してから、感謝しなよ」
インタビューの最後に、出身はどこかと聞くと、男は「会津の出」だと言った。
記者(天野)が青森県の下北から取材に来たというと、「お前も会津か?」と聞き返して来た。
下北(斗南)は、戊辰戦争に敗れた会津藩が移封された僻地である。
会津藩士の流れを汲むという、その「英霊の会」事務局員は、靖国の本殿に目を向けながら、こうぼやいた。
「お盆のいまごろになると、戊辰戦争で死んだご先祖さまが夢枕に出て来て、官軍ばかりまつり、うちら賊軍をまつらない靖国なんかに足を運ぶなって叱られるんですよ。この靖国におかげで、わたしら、苦労をかけられっぱなし。靖国がフツーの神社にならないうちは、この国はいつまでたってもフツーの国になれませんよ」
男との会見を終え、境内を一巡りすると、取材陣の姿は忽然と消えていた。
雨はいつの間にか上がり、境内のいたるところで、「遺族」と「英霊」たちが心を寄せ合っている。
本殿の入り口に垂れ下がった左右一対の菊の御紋章が入った白い幕。
その下に覗く、本殿の暗い空間が、まるで歴史の闇のようだ。
そのほの暗い「靖国」本殿の空間には、いま記者(天野)が一瞬のワープ飛行で帰り着いた恐山山頂にあるような、やさしい霊たちが集う、にぎやかなざわめきはどこにもなかった。
(完)
(大沼・注)
例により、目が点になりそうな、わけのわからない天野氏の記事だが、小泉首相との「交霊インタビュー」等、特ダネ満載の記事であることから、本ブログに全文をそのまま再録した。
なお、本記事が、2006年「日本新聞協会賞」の「ノン・ノンフィクション部門」にノミネートされたことを、読者諸氏にご報告申し上げる。