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2006-07-26

〔がんばれ スザンヌ! 英紙女性記者 レバノン殺戮地帯レポート〕 「すべてを物語る避難民の足」 ティビニン・ルポルタージュ

 レバノン南部の殺戮地帯で取材を続ける英紙ガーディアンのスザンヌ・ゴールデンバーグ記者がティビニンの町に入った。この町には戦火を逃れた数百人が病院の地下室などで過ごしているが、イスラエル軍の攻撃は激しさをますばかりだ。
 スザンヌ記者は7月25日、ティエールからティビニンの町への取材を決行、町の総合病院(といっても小さなものだが)で避難民から話を聞いた。

 彼女が入ったティビニンの町は、ヒズボラの拠点の町、ベント・ジベイルから7キロ離れたところにある。
 ティビニンに着いて数分後、総合病院の下の斜面に2発の砲弾が撃ち込まれた。群集のなかのひとりの女が「助けてくれ」と叫んだ。女を落ち着かせようする男。ふたりを病院のなかへ避難されようとする人々。その瞬間、近くでまたもう1発、砲弾が炸裂した。さらに2発。

 スザンヌ記者はティビニンからのレポートをこんなふうに書き出している。
 「人々の足、それがすべてを物語っている」と。
 血まみれの足、腫れ上がった足、包帯を巻いた足。
 イスラエル軍の攻撃を逃れ、丘を歩き続けて、この町にようやく辿り着いた避難民の足だ。

 身を寄せた総合病院は、電気も水もなく、医師もスタッフもいない。食べ物もない。それ以上に希望さえも。

 イスラエル国境からわずか2キロのアーイタルーン村から避難民、農夫のカマル・マンスールさんは9人の子どもを連れて来た。避難する車もなく、1人100ドルもとられる運賃を払う余裕もなかった。いちばん下の子を肩車して歩いて来た。

 歯科医の事務職をしていたハラ・アブ・オラヤさんにも車はなく、母親と2人の姉妹と一緒に歩いて逃げた。逃げ込んだ4軒の民家はそのたびにイスラエル軍の攻撃に遭い、破壊された。
 ティビニンに辿り着いたとき、彼女はひとりだった。母親と2人の姉妹からはぐれ、ひとりで来た。

 ベント・ジバイルから逃れてきた石工のアリ・フウラニさんは、子をとるか親をとるか、困難な決断の末、子ども5人を連れて逃げてきた。
 82歳になる糖尿病の父親と75歳の母親を捨ててきた。

 78歳になるユスフ・バウドゥーンさん妻と娘さん2人と一緒に、サンダル履きで山道を越えてきた。
 家に2人を置き去りにした。
 月曜、24日の夜、自宅をイスラエル軍が攻撃、エチオピアとスリランカから出稼ぎに来ていたメイド2人が死亡した。
 「彼女たちの戦争ではないのに」と。ユスフさんは言った。

 こうしたティビニンへの支援は、ティエールから赤十字社による輸送だけが頼り。それも1回の輸送で、避難民には一食分しか渡らない。

 レバノン南部に取り残された一般住民は1800人前後。
 そうした人々にとって、「いまやすべては過去に属している」と、スザンヌ記者は書いている。

 このままでは避難民、残留民らに、「未来」もなくなる。 


http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,1830206,00.html

Posted by 大沼安史 at 11:30 午前 |

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