〔いんさいど世界〕 ワタダ中尉 イラク行きを拒否 日系の28歳 「イラク戦争は不正義の戦い」
小泉首相の訪米で「日米同盟」の結束の強さがアピールされるなか、米国ではいま、ひとりの日系軍人(士官)の、勇気ある「闘い」に注目が集まっている。
イラク戦争を「不正義の戦い」と言い切り、出征命令を拒否している、「サムライ」のような若者がいるのだ。
イラク行きの命令に従わなかったのは、ワシントン州の「フォート・ルイス」に駐留する米陸軍ストライカー旅団のアーレン・ワタダ中尉(28歳)。
6月7日、駐屯地に近いタコマの教会で、信者仲間に対して決意を語り、翌8日に記者会見を開いて、正式に意志表示した。
ワタダ中尉はハワイ出身の日系アメリカ人。地元のハワイ・パシフィック大学を卒業後、2003年3月、米陸軍に志願、韓国に駐留したあと、昨年夏、日本への司令部移転が決まっている「フォート・ルイス」に配置された。
イラクで部隊を率いる指揮官をなるよう命じられたワタダ中尉は、イラクのこと、イラク戦争のことを、猛烈に勉強した。
その結果、知れば知るほど、イラク戦争はモラルなき不正義の戦争であるとの確信が募り、命令拒否を決意するに至った。
地元紙のシアトル・ポスト・インテリジェンサー、シアトル・タイムズの両紙によると、タコマでの記者会見でワタダ中尉は、次のように語っている。
・「合法的でない戦争に参加せよとの命令は、それ自体、合法的ではありません。わたしは、ひとりの指揮官として、指揮命令系統のトップレベルにおける意図的な過ちに対して反論することが義務であると考えます」
・「わたしは沈黙することを拒否します。わたしは、大統領がわたしたちに決まったとおりにせよと告げるなか、諸家族が壊されていくのを目の当たりにすることを拒否します。わたしは、わたしたちが侵略するのに値することを何ひとつしなかった人々に対する、非合法で不道徳な戦争の一部となることを拒否します。わたしはここに残って、友軍とともにありたいと思います。最善の道は、砲弾を落下させる手伝いをして死と破壊をもたらすことではありません。それは、この戦争に反対し、すべての兵士が帰還できるよう、戦争を終えることです」
そんなふうに語ったワタダ中尉の「命令を拒否する論理」は、「反戦・平和」を希求するといった個人的な心情にもとづくもの、というより、国際法の法理から導き出された、非の打ち所のない、実にロジカルなものだ。
それは、ナチス・ドイツを裁いた「ニュルンベルク裁判」で打ち立てられた、「人道に対する罪」をおかせと迫る、上層部からの命令を拒否する義務(権利)にもとづく、軍人としての決断である。
つまり、ワタダ中尉の今回の命令拒否は、戦争一般に背を向ける「良心的兵役拒否」ではなく、あくまでも「イラク戦争という不正義の戦争」に限定したものであり、中尉としては、アフガニスタンでの戦闘であれば、いつでも喜んで軍務に就く考えでいる。
そんなワタダ中尉に対する、イラク行き部隊への出頭命令の期限は、22日の午前3時。
ワタダ中尉はその場で命令を拒否、軍法会議を待つ身となった。
こうしたワタダ中尉の決断に対して、タコマの教会は全面支持を表明し、全米の反戦運動団体も支援に回っている。
27日には全米で、ワタダ中尉を守る集会、デモなどが一斉に行われた。
中尉の出身地、ハワイのホノルルでは、父親のボブさんがいち早く、断固たる連帯の声をあげ、父親として息子の名誉を守る活動を開始した。
父親のボブさんは、長年、ホノルルで選挙違反の取り締まりにあたり、不正に目を光らせていた、地元の有名人。
AP通信の取材に対して、こう答えている。
・「息子はネルソン・マンデラ(南アの黒人解放運動指導者)が25年間、獄中にあったことを知っています。息子はローザ・パークス(白人専用のバスの座席に座り続けた黒人女性)が身柄を拘束されたことを知っています。息子はマーチン・ルサー・キング牧師が獄中にあったことも、ガンジーが監獄に囚われたことを知っています。これまで、多くの人たちが立ち上がり、そうしなけれならないなら、刑務所にも行く用意がある、と言い続けてきました。わたしはいま、息子とともに立つことができて、非常に嬉しい」
この父親にして、この息子あり、ということか。
ひとりの日系の若い中尉の果敢な決断と行動に、そして息子に全幅の信頼を寄せ、闘いに立ち上がった父親の勇気に、敬意を表したいと思うのは、筆者であるわたし(大沼)だけではないだろう。
プレスリーの大ファンをもって任ずる、かの国の宰相にも、知ってもらいたいことである。
ワタダ中尉は、「戦争の犬」としてイラクには行かない、と命令を拒否した。
「ハウンド・ドッグ」(猟犬)になることを拒否した日系男子、28歳の決断の重みを、プレスリー好きの宰相もまた、知らねばならない。