〔コラム 机の上の空〕 グアンタナモの獄中詩人
キューバのグアンタナモ米海軍基地に設けられた強制収容所で3年間、詩を書き続けた人がいた!
アブドゥル・ラヒム・ムスリム・ドストさん。
昨年の初め、無罪判決で釈放され、パキスタン北部、ペシャワールに戻ってきた、アフガン人だ。
獄中詩人、ドストさんのことを、英紙ガーディアンの記事(電子版、4月3日付け)で知り、勇気付けられた。
「拉致・拘禁」という「暴力」に対し、「言葉」でもって立ち向かい、ついに負けることがなかったドストさん。
「詩」でもって闘い続け、ついに生還したドストさんに、拍手を贈りたい気がした。
同紙のペシャワール発特電によれば、ドストさんが米軍によって、ペシャワールの自宅から拉致されたのは、2001年11月のこと。アルカイダのテロリストと疑われてのことだった。
グアンタナモ収容所に送られ、拘禁生活が始まったのは、その5ヵ月後。
グアンタナモでは新規の収容者に対して、最初の1年間、ペンも紙も支給しない決まりになっている。
それでも詩を書きたくて仕方のないドストさんは、ポリスチレンのカップにスプーンで文字を刻んだだ。
光にかざすと、文字が浮かんで見える。自分の詩を読むことができる。看守が使い捨てカップをゴミとして回収に来るまでは……。
2年目から、ゴムで出来たペンが支給された。武器になりえない、グニャグニャしたものだった。それに、紙のシートが2枚。
ドストさんは早速、詩を書き始めた。
没収されても、ひたすら書き続けた。
ドストさんの詩は、帽子の糸を縒り合わせてつくった「滑車システム」でもって、他の収容者の独房を経巡った。もっと書いてくれと、紙を差し入れてくる囚人仲間もいた。
ドストさんはグアンタナモでどんな詩を書いていたか?
ガーディアン紙の記事には、こんな一節が紹介されていた。
手錠は勇敢な若者にふさわしい
腕輪が独身のかわいい淑女にお似合いのように
ドストさんがグアンタナモで書いた詩は25000行に及ぶ。
しかし、そのほとんどが米軍に没収され、失われてしまった。
米軍からは誤認逮捕に対する謝罪もなければ、補償もいっさいない。
ドストさんはいま、グアンタナモでの経験を本に書いている。
題名は「壊れた鎖」。
同時並行で英訳作業も進んでいるという。
わたしたちが英訳からの重訳で読めるようになるかも知れない。
ドストさんを縛りつけていた、グアンタナモの「鎖」を壊したものは何だったか、もはや言うまでもないだろう。
詩人の魂と言葉の力。
それが暴虐の鉄鎖を破った。
Posted by 大沼安史 at 11:42 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink