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2006-01-01

〔コラム いんさいど世界〕 フレズノの女性兵士、バグダッドに死す

 2006年の元日。明けましておめでたいはずなのに、重い気分になった。怒りがこみ上げた。

 なんでこんなに、どんどん死ななくちゃならないんだ、誰なんだ、こういうことをさせるやつは。

 新年早々、コンチクショーと、怒りをぶつけたい気持ちになった。

 仕事(自分ではこのブログの仕事をメーンに考えているが、そればかり、やっていられない)の合間を縫って、パソコンに向かい、「イラク戦争」関係のニュースを、朝からネットで追いかけた。

 イラクで戦死した米兵の記事が、次から次へと出て来た。

 ほかの仕事を投げてでも、日本語にして紹介しなければ、と思った。

    ★ ★ ★ ★

 米カリフォルニア州の地方紙、モデスト・ビー紙(電子版)に、こんな記事が出ていた(12月29日付け)。

 バグダッドで戦死した、地元、フレズノ出身の25歳の女性兵士を追悼した記事だ。
 
 若い命をなくしたのは、レジーナ・レアリ軍曹。

 クリスマス直前の23日、バグダッド市内を装甲車両でパトロール中、道路脇に仕掛けられていた爆弾が爆発、同乗の1人とともに、戦死した。
 
 記事(電子版)には、レジナさんの写真と、実家の前に立てられた小さな星条旗の写真が添えられていた。

 写真のレジーナさんはサングラス姿で、キュートに微笑んでいた。日差しの強い、イラクで撮影したものだろうか。
 
 レジーナさんは働きながらフレズノ・シティー・カレッジを出て、米陸軍に入った。予備役に組み込まれていたが、召集され、イラクに送り込まれた。

 11月の感謝祭の前、休暇でフレズノに一時帰国した。

 イラクの彼女に慰問品を贈ってくれたハミルトン校の6年生のクラスを訪問する予定になっていた。
 それを彼女はキャンセルした。

 優しい子どもたちの前で号泣するのを恐れたからだ。

 担任の女の先生は言った。

 「子どもたちの何人かは、この戦争は正しくもフェアでもないと言いました。私は子どもたちに言いました。この人(レジーナさん)は、独りで死んだです。水道もなく、シャワーもないところで、と」

 フレズノの帰省したレジーナさんは親類のルイーザ・サルダーナさん(38歳)に、イラクでのことを打ち明けていた。

 目の前で自爆したイラク人がいたこと。
 それはシュールリアル(超現実)な経験だったこと。
 そういうことをする人がいるなんて、とても信じられなかったこと、を。

 ルイーザさんは、帰省したレジーナさんがフレズノの風景を、何か遠くのものを眺めるような目で見ていたことを覚えている。

 どうしたの、と聞くと、こんな答えだったという。

 フレズノのすべての色に幻惑されている。緑の芝生、花、カラーテレビ。

 「フレズノは色でいっぱい。イラクでは茶色と砂の色だけ」

 わたしは記事のこのくだりを読んで、泣けてしまった。

 まるで中原中也ではないか。

 こんな馬鹿な「茶色の戦争」ごときで、なんで25歳の女性が死なねばならないのか?

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 レジーナさんの車に同乗し、彼女と一緒に戦死したもうひとりの米兵は、イリノイ州マコム出身のシェンヌ・ウイリー軍曹(36歳)。

 マコムの地元紙、ジャーナル・スター紙(電子版、12月27日付け)によると、ウイリー軍曹は中学・高校時代、ユーモアあふれる「クラス・クラウン(クラスの道化もの)」だった。

 人を笑わせることが大好きな兄だった、と妹のステイシーさん。

 兄と妹は父親を知らず母子家庭で育った。

 兄、ウイリー軍曹はその家の「岩(ロック)」だったと、妹は言った。

    ★ ★ ★ ★

 クリスマスの12月25日、バグダッドで、カリフォルニア州ポモナ出身の、21歳になる陸軍技術兵が戦車を操縦して走行中、道路脇に仕掛けられていた爆弾が爆発し、死亡した。
 
 地元紙のデイリー・ブレティン紙(電子版、12月28日付け)によると、亡くなったセルジオ・グディノさんには妻との間に3歳の長男がいた。

 セルジオさんは10月半ば、イラクの戦地に戻った。

 それまで2ヵ月ほど、ポモナで過ごした。

 イラクに行かなくてもよかったが、戦場に帰って行った。

 好きなタバスコソースを持って行ったそうだ。

 戦死の知らせは、その日のうちに留守宅に届いた。

 米軍当局者が戦死を告げた。

 妻がセルジオさんの父親に電話で悲報を告げると、泣いたことのない男が泣き崩れた。

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 年明け、1月5日の一時帰国を前に、クリスマスの日に戦死した米兵もいた。
 
 ミシガン州マスケゴン出身の米陸軍技術兵、トニー・カーディナルさん。弱冠20歳の早すぎる死だった。

 地元紙、デトロイト・フリー・プレス紙(電子版、12月27日付け)によると、トニーさんはひとつ年下のアンバーさんとの間に、1歳8ヵ月の男の子と、生後2ヵ月のお嬢さんの2人をもうけていた。

 悲報は25日のクリスマス当日にやって来た。

 軍人2人が留守宅を訪れ、トニーさんの戦死を告げた。

 どこでどんなふうに死んだかも教えてもらえなかった。

    ★ ★ ★ ★

 ニューヨーク・タイムズ紙(電子版、1月1日付け)によると、2005年にイラクで戦死した米兵は、少なくとも844人。

 前年の848人と匹敵する。

 これにより、イラク戦争の全戦死者は2178人となった。

    ★ ★ ★ ★

 ここまでこのコラム記事を書いて来て、記事を書き始めたとき、なぜああもエモーショナルになったか、少しわかって来た。
 
 新しい年のはじめに、こうした悲報を書かねばならないことがひとつ。

 もうひとつは、わたし自身の個人的な事情というか、思い出があるせいだ。

 そのことに、やや心が落ち着いたいま、ようやく気づいたので、書いておこう。

 わたしがこうして米国の新聞のサイトをのぞいて、記事を翻訳し、紹介できているのも、現役の社会部記者だった30歳代の半ば、一念発起で英語の独習を始めたからだ。

 そのころ辞書を片手に読んだのが、ウイリアム・サローヤンのペーパーバックだった。

 そう、このコラムの冒頭紹介したレジーナさんの出身地、カリフォルニア州のフレズノは、サローヤンのふるさとでもある。

 彼の「わが名はアラム」か「人間喜劇」のどちらかに、たしか、戦死者の留守宅へ電報で悲報を伝えるシーンがあったように記憶している。

 そういう記憶があるものだから、「フレズノ」に過敏に反応し、記事の書き出しが感情的なものになったわけだが、わたしはそのことを恥じない。

 わたしが「イラク戦争」を止めさせるためにできることは、恥も外聞もなく怒ることと、このブログを書き続けることである。

 昨年9月から書き出した、このブログ「個人新聞 机の上の空」は、ことし2006年もイラク戦争を中心に書き続けます。

 最後になりましたが、読者のみなさん、明けましておめでとう。

 本年もよろしく。

          2006年1月1日 横浜で

            大沼 安史

 

  

 

http://www.modbee.com/local/story/11633233p-12363564c.html

http://www.pjstar.com/stories/122705/REG_B8H99V6O.033.shtml

http://www.dailybulletin.com/news/ci_3349208

http://www.freep.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20051227/NEWS06/512270353/1008/NEWS06

Posted by 大沼安史 at 08:12 午後 1.いんさいど世界 |

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