〔コラム 机の上の空〕 知られざるジョン・レノン 没後25年 FBIファイル、非公開10頁の謎
ジョン・レノン暗殺から四半世紀が過ぎました。
1980年12月8日、米国ニューヨーク市の高級マンション、ダコタハウス前で、狂信的なファンの凶弾に倒れてから、早くも25年――。
2005年12月8日、暗殺現場に近いセントラルパークの一画には、メモリアルサイトの「ストロベリーフィールド」が設けられ、オノ・ヨーコ夫人らが白バラを献花して、故人を偲びました。
ジョン・レノン。40歳で非業の死を遂げた「平和のビートル」。
生きていれば、ことし、65歳。
きょうは、そんなジョン・レノンの、知られざる一面を紹介したいと思います。
ビートルズ世代の一員として、ジョン・レノンに関して、最も印象に残っているのは、あの「平和のためのベッドイン(Bed-In for Peace)」です。ベッドで、オノ・ヨーコ夫人と、シーツにくるまって裸で抱き合った。
ヨーコさんとジョンが結婚したのは、1968年。その年に、オランダのアムステルダムで、最初の「平和のためのベッドイン」をしているんですね。
1968年は、世界的に反戦・平和運動が盛り上がった年。ジョン・レノンとヨーコ夫人は、暴力ではなく、愛でももって、ベッドの上から平和を訴えた。
これって、考えてみればすごいことです。
この「平和のためのベッドイン」はよく知られていますが、ジョン・レノンが政治的なアクティビスト(活動家)だったことは、実はそれほど知られていません。
ベッドで抱き合っていただけではないんですね。
ジョン・レノンがヨーコ夫人とともに米国に来たのは、1970年のこと。翌71年から、ニューヨークで暮らし始めます。
なぜ、レノンは米国に来たのか?
歴史学者のジョン・ヴィーナー氏(カリフォルニア州立大学アーヴァイン校教授)によると、ニューヨークを拠点に、反戦運動にかかわるためだったそうです。
ジェリー・ルービン、アビー・ホフマン、ボビー・シールといった運動のリーダーたちと、親交を深めた。
ここでいう反戦運動とは、もちろんベトナム戦争反対運動です。ジョン・レノンはこうした反戦運動に関わりながら、アメリカ国内の社会的な矛盾、民衆の抑圧に対しても目を向け、政治的な活動をするようになる。
たとえば、1971年12月、ニューヨークの黒人居住区、ハーレムにあるアポロ劇場(ぼくも一度だけ行ったことがありますが、アメリカ黒人運動の文化的拠点になっている劇場です)での抗議集会に参加しています。
実はその年の9月、ニューヨークの北の方にある、アッティカ刑務所で、囚人たちが――その大半は黒人です――待遇改善を求めてプロテストを始めた。イスラムを信仰する自由、まともな医療ケアの提供などを求めて、立ち上がったのですね。
それに対して、州知事は州兵を出動させ、武力で鎮圧し、32人の囚人が死んだ。その犠牲者を悼み、州政府の武力行使に抗議する集会に出て、歌っている。
あの「イマジン」を歌っているのです。
相前後して、同じ12月、ミシガン州アナーバーで開かれた、地元の活動家、ジョン・シンクレアさんの不当逮捕(マリファナ所持の疑いで10年の刑)に抗議する、15000人規模の大集会にも出ている。
釈放を求めて歌い、実際、2日後の釈放を勝ち取っている。
ジョン・レノンというセレブの影響力で、当局としても、シンクレアさんの拘束をそれ以上、続けることができない状況に追い込まれたわけです。
つまり、この時点でジョン・レノンは、米国における民衆運動の、新たなるヒーローとして立ち現れているわけです。
神経を尖らせたのは、ベトナム戦争を続けていた、当時のニクソン政権です。
これ以上、レノンに邪魔されたら困ると、1972年に麻薬所持容疑をデッチ上げ、国外追放を画策するのですが、これに失敗したあとも、FBI(連邦捜査局)に命じて、引き続き、レノンを徹底マークする。
そのレノンに関する、400ページを超す、FBIのファイルは、さきほど紹介した歴史学者のヴィーナー教授らの手で、1997年、死後、17年にして、裁判闘争の結果、明らかになりました。
そのなかには、アナーバーの集会に潜入したエージェントによる、克明な集会の記録が含まれているといいます。
しかし、この「ジョン・レノンFBIファイル」、そのなかの10ページが、いまだに非公開になっています。
没後、25年経ったいまも、FBIが封印している。
FBIはつい最近も、この10ページを開示するよう決定を下した連邦裁判所を判決を不服として控訴している。
「国家安全上の機密」だから、公開できないという理由で、まだがんばっている。
いったい、その10ページに、何が書かれているのでしょうか?
一説によると、イギリスの国内諜報組織、MI5がらみの機密資料ではないか、とも見られています。
こんなこと、あまり想像したくありませんが、もしかしたら、ジョンとヨーコ夫人の「平和のためのベッドイン」を盗聴していた可能性もある。
それをMI5からFBIが密かに入手していた………
悪い方向にもっと想像をめぐらせれば、「狂信的なファン」という射殺犯のマーク・チャップマンの背後に、謀略組織があって、封印された「10ページ」を公開すると、そのことがバレてしまう。
それをFBIは恐れているのではないか………
もし、ジョン・レノンがいま生きていれば、ヨーコ夫人とともに、イラク戦争反対運動の先頭に立っていることは、たしかなことです。
わたしたちは、生きていてほしかったと思う。
それと反対に、死んでいてくれてよかったと思っている人も少なからず、権力サークルのなかにいるはずです。
しかし、ジョン・レノンは死んでも、たとえFBIファイルの「10ページ」が封印され続けても、ジョン・レノンの、祈りの歌は歌い継がれていくことでしょう。
「イマジン」のあのメロディーと、あの歌詞。
No hell below us ぼくらの下に地獄なんてはない
Above us only sky ぼくらの上には空があるだけさ
ぼくは実は「机の上の空」というブログを、「個人新聞」としてほぼ毎日、書いているのですが、この「イマジン」の一節も、実は、そのタイトルの意味のなかに取り込んでいます。
ジョン・レノンの25周忌。
平和の祈りのなかで、その死を悼みたいと思います。
Posted by 大沼安史 at 04:30 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink