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2005-12-31

〔重要NEWS〕 ブッシュ政権 イラン攻撃を準備

 米国のUPI通信は12月30日、マーティン・ウォーカー編集主幹による記事を配信した。

 ドイツのメディアによる報道をもとに、米軍がイランの核開発サイトに対し、年明け後、攻撃を行う可能性を指摘している。

 それによると、権威ある独週刊誌、「シュピーゲル」は、以下のように報じている。

 「当地において新しいことは、ワシントンが、過去1年間に繰り返した単なる可能性をにおわせるのではなく、こんごありうる攻撃について、同盟国に対し準備を進めるよう求めるため、高官を派遣しているらしいことだ」

 また、ドイツのDDP通信は、CIAのゴス長官がトルコを訪問し、エルドガン首相に対し、イラン攻撃の政治的・兵站的支援を求めたとする西側情報筋の証言を伝えている。

(大沼 注)
 
 ブッシュ政権の対イラン攻撃の狙いは3つ。

 ひとつは、NSA疑惑などの国内スキャンダルから米国民の目を国外にそらすため。

 もうひとつは、イラン紙が「イラク総選挙は(同じシーア派の)イランの勝利」と報じているような、イラク戦争開戦後の、イラクへのイランによる影響力拡大を阻止するため。

 3つ目は、パレスチナ和平へ向かうイスラエルの懸念(核武装したイラン)を除去するため。

 2006年もまた、世界は大きく揺れ動きそうだ。

http://www.upi.com/SecurityTerrorism/view.php?StoryID=20051230-112208-8968r

Posted by 大沼安史 at 07:55 午後 | | トラックバック (0)

〔重要NEWS〕 NSA漏洩 米司法省 ディープスロート摘発へ 「NSAゲート」事件に発展か? ACLUがブッシュ批判の全面広告

 米国の秘密情報機関、NSA(国家安全保障局)が、ブッシュ大統領の秘密命令にもとづき、米国内で自国民をターゲットに盗視・盗聴活動を行っていることが暴露された問題で、米司法省はこのスキャンダルをマスコミ(ニューヨーク・タイムズ紙)に漏洩した「ディープスロート」の摘発に乗り出した。

 米紙ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)などが、12月31日に一斉に報じた。

 こうした流れのなかで、米国の法律家団体、ACLUは29日、ニューヨーク・タイムズ紙に全面意見広告を掲載し、ブッシュ政権の無法ぶりに抗議した。

 ACLUの意見広告は、同紙22日付けに続くもので、ウォーター・ゲート事件で失脚したニクソン元大統領と、ブッシュ大統領の写真をあしらい、

 (ニクソン)彼はアメリカ人に嘘をつき、法を破った。
 (ブッシュ)そして、彼もまた。

 との見出しで、ブッシュ政権の権利の侵害に対し、痛烈に批判している。

(大沼 注)

 NSAによる令状なしの国内傍受活動が暴露されたことに対し、ブッシュ政権はなりふり構わぬ揉み消し工作に動き始めた。

 漏洩先のニューヨーク・タイムズ紙の幹部をホワイトハウスに呼びつけるなど、威嚇による口封じに躍起となっている。

 米司法省によるディープスロート探しは、そんなブッシュ政権の焦りを浮き彫りにするものだろう。

 こうしたブッシュ政権の強硬姿勢に対し、ニューヨーク・タイムズ紙など米マスコミがどのような反応を示すか、年明けの情勢の推移がきわめて注目される。

 ディープスロート氏を擁護して、さらなる追撃に出るのかどうか?

 ブッシュ政権がこの問題で大慌てになっているのは、おそらく、心底、恐怖に駆られているからだ。
 
 NSAによる傍受活動をめぐる暴露が続くことを恐れているのではない。
 
 そうではなくて、政権中枢の人物とみられるディープスロート氏によって、より重大な問題に火がつくことを恐れている。

 そう、それはあの「9・11やらせ同時多発テロ」事件。

 その真相が明るみに出るのを何としても防ぎたいからだ。
  
 2006年はどうやら、「ブッシュ・ゲート」事件がブレークしかねない年になりそうだ。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/12/30/AR2005123000538_pf.html

http://www.nytimes.com/2005/12/31/politics/31inquire.html?hp&ex=1136091600&en=2a576e39f51d4dd2&ei=5094&partner=homepage

http://www.aclu.org/safefree/general/23288prs20051230.html

http://www.aclu.org/safefree/general/23288prs20051230.html

Posted by 大沼安史 at 07:31 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 グアンタナモ収容所でハンスト続く 84人に倍増

 キューバのグアンタナモ米海軍基地に設けられた強制収容所で、クリスマス以降、ハンガーストライキが続いているという。

 ロイター電(12月3日)によれば、ハンスト参加者は新たに46人増えて、84人に達しているそうだ。

 米軍のスポークスマンが明らかにした。

 同収容所には、全世界から拉致されてきた、約500人の、テロ容疑者とされる人々が拘束されている。

  そのほとんどがイスラム教徒。

  うち9人だけが正式の法的な訴追を受けている。

 残りは罪状も明らかにされないまま、不当に獄につながれている。

 グアンタナモ収容所での抗議のハンストは5ヵ月前から始まり、米政府の不法な扱いに全世界から非難の声が寄せられている。
 
 (大沼 注)

 ああ、法と正義の自由の国よ。

 ああ、アメリカよ。

 ブッシュ大統領よ、ハンストをされて、お前は恥ずかしくないのか?  

http://www.commondreams.org/cgi-bin/print.cgi?file=/headlines05/1230-02.htm

Posted by 大沼安史 at 06:52 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-30

〔NEWS〕 自殺した上海領事館員、現地カラオケバーのホステスと交際

 英紙インディペンデント紙(電子版)は12月30日、昨年5月に遺書を残して自殺した、中国・上海の総領事館館員が、現地のカラオケバーのホステスと交際していた、と報じた。

 同紙が紹介する「日本側のレポート」によれば、中国人女性との交際を中国公安当局が利用し、領事館員に対して、暗号化した外務省本省あての公電を運ぶ、日本行きのフライトに関する情報や、他の領事館員に関する情報を漏洩するよう迫ったという。

(大沼 注)

 購読している朝日新聞の記事には、カラオケバーのカの字も出ていない。

 英紙で知る日本の外交官の自殺の背景……。

 外交官は公務員である。その行動には責任がある。
 カラオケバーの女性を使った中国当局の「美人局」の疑いがあるなら、ちゃんと報道すべきことである。
 外務省はなぜ、事実を伏せるのか?

 そのカラオケバーに、ほかにも領事館員が通っていたからではないか?

 隠すところをみると、領事館ぐるみ、中国公安当局の虜になっていた可能性も否定できない。

 日本のマスコミよ、情報統制のお先棒を担ぐでない!

⇒ 
 

http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20051228/K2005122803670.html

http://news.goo.ne.jp/news/reuters/kokusai/20051229/JAPAN-198334.html

http://news.independent.co.uk/world/asia/article335612.ece

Posted by 大沼安史 at 03:50 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-29

〔コラム 机の上の空〕 最後の国鉄マン 松田昌士氏(JR東日本会長)のこと

 近所の居酒屋でなんとなく、NHKの7時のニュースを見ていたら、アノラック姿の松田さんが突然、画面に出て来てびっくりした。

 松田昌士さん。JR東日本の会長。

 JR西日本の井出さん、JR東海の葛西さんとならんで、国鉄民営化の三羽烏といわれた、改革派のリーダーのひとりである。

 その松田さんが記者団が突きつけるマイクに向かって、たじろぎもせず、明確にこう言明していた。

 「このような事故を引き起こした以上、(JR東日本の)会長にとどまるわけには行かない。原因の究明後、ただちに辞任する」

 メモしていたわけでもないので、聞き漏らしたことがあるかも知れないが、松田さんはきっぱり、こう言い切った。

 JR羽越線の特急「いなほ」が、山形県内に起こした脱線転覆事故。

 松田さんはその現場を訪れ、その場で自らの責任を表明し、辞任の意志を明らかにした。

 
 松田さん、らしいと思った。

 松田さんは会長であって社長ではない。しかし、トップとして自らの責任を明らかにした。

 マイクに向かって、辞意を表明する松田さんを見て、昭和62年(1987年)3月31日から4月1日の未明にかけ、東京・丸の内の国鉄本社で、「国鉄最後の夜」を、背広を脱ぎ、国鉄職員の制服姿で陣頭指揮していた、20年近く前の松田さんの姿を、わたしは思い出していた。
 
 そのころ私は、北海道新聞東京支社編集局社会部の記者として、国鉄本社の記者クラブ「ときわクラブ」に詰め、国鉄の分割・民営化の取材を続けていた。

 改革派のリーダーである松田さんは、飛ばされていた札幌から呼び戻され、分割・民営派の司令塔である本社経営企画室の主幹として返り咲いた。

 東大出のキャリアがごろごろいる国鉄本社のなかで、北海道大学(法律・院)出身の松田さんは、非エリートの部類だった。葛西さんや井出さん、あるいは現在、「りそな銀行」で再建の旗を振る細谷さんら、東大出のサラブレッドたちとは、すこし違った毛色の持ち主だった。

 父親が札幌駅長をつとめた親子二代の国鉄マン。

 わたしは北海道新聞の記者、松田さんは道産子の国鉄マンとあって、わたしは日中、最低1回、夜も2、3日に1度、松田さんを訪ね、ネタを拾おうと、食い下がった。

 でもわたしは、松田さんから一度もネタをもらったことがなかった。

 口が堅い人だった。
 しかし、こちらが取材済みのことをぶつけると、肯定することもなかったが、否定もしなかった。安心して記事を書けた。

 そんな松田さんとの付き合いで、一度だけ、大特ダネを逃したことがある。逃したというより、書けなかったのだ。

 当時、松田さんは埼玉県の与野市に住んでいて、夜、自宅に帰るのは2時か3時だった。

 わたしは近くにある、24時間オープンのレストランで、いつも松田さんの帰りを待っていた。

 どんなに疲れていても、松田さんはわたしがレストランで待っていると知ると、必ず顔を出し、ビールを付き合ってくれた。

 あれは国鉄の分割・民営化が決まり、新会社のJR各社の人事が取り沙汰されている時期のことだった。

 わたしは松田さんがどこに内定したか気になり、周辺取材を続けた結果、下馬評のJR北海道ではなく、JR東日本を担当するのではないか、との情報を得ていた。

 当時の橋本龍太郎・運輸大臣が慶応出のこともあって、東大閥に意地悪し、松田さんを抜擢するかもしれない、という噂を耳にしていた。

 わたしは酔って帰って来た松田さんが、自分から言い出すのを待った。「JR東日本に内定」と打ち明けられたら、「松田氏、JR北海道入り、微妙 東日本入りか?」という「観測記事」にするつもりだった。
 
 
 わたしはいまでも覚えている。
  
 松田さんがジョッキを飲み干したあと、「実はね……」と言い出したかけたときのことを。
 
 松田さんはそこで思いとどまり、話題をそらした。
 
 わたしは直感した。
 
 たぶん、橋龍からその晩、JR東日本行きを言い渡されたことを。

 書けば、スクープだが、わたしは書かなかった。

 松田さんのことを、分割民営化される国鉄の中核会社、JR東日本の屋台骨を背負うにふさわしい人だと思っていたからだ。

 下手に書いて、この人事をつぶしてはならない……。

 こういうこともあった。

 「国鉄国会」にJR新会社の「経営見通し」を提出するときのことである。

 その「報告書」を事前に入手し、朝刊ですっぱ抜こうと、各社がいわゆる「紙盗り」に躍起となっていた。

 松田さんは国鉄本社内に号令をかけ、報告書を金庫に入れ、持ち出し禁止とした。

 マスコミのすっぱ抜きを封じ込んだわけである。

 もう時効だと思うので言うが、わたしはその報告書を、あるところで事前に入手し、全文をコピーまでして、朝刊の1面トップですっぱ抜いた。

 松田さんが出所ではなかったが、周囲から疑われるかも知れないと心配したわたしは、翌朝、松田さんのもとに、怒鳴り込んだ。

 「うち(北海道新聞)の運輸省回りにやられてしまった。どうして教えてくれなかったんですか、松田さん」と。

 そのとき、松田さんは部下の見ている前で、ただ黙って、ちょっと困った顔をした。

 「何を言うんだ、お前。そんな芝居がかった言い方をしたら、俺が漏らしたと思われるじゃないか」

 松田さんの奥さんはわたしの亡くなった妻と同じ、仙台の女子大の出だった。

 分割・民営化に向かう激動を、松田さん一家も苦労してくぐりぬけたのだと思う。

 そうしたなか、わたしもまた、大きな代償を支払わざるを得ないことになった。

 分割・民営化からしばらく経って、わたしが札幌で北海道新聞の社会部デスクをしていた冬の夜、新得支局の松田支局長から急報が入った。
 「大雪おろし」の猛烈な突風にあおられ、列車が横転したという知らせだった。

 北大工学部の教授に計算してもらうと、その瞬間、信じがたいほどの風圧が、列車の横腹に垂直にかかっていたことがわかった。
 

 山形の庄内町での特急「いなほ」脱線・転覆事故のニュースを聞いて、十勝の雪原でのあの事故のことを思い出した。

 「いなほ」の事故原因はわからない。しかし、想定を超えた自然の猛威のなかで、予想外のことが起きた可能性は否定できない。

 それにもかかわらず、責任をとって辞めるといった松田さん。

 それはたぶん、JR東日本という鉄道会社への信頼を守り抜く、そのための決断であったろうと思う。

 安全と信頼を命とする、鉄道屋としての、潔い決断だったと思う。

 庄内の雪の現場で、自らの責任を表明する松田さんの姿を見て、わたしは目頭が熱くなった。

 松田さんは、JR東日本全線を、先頭車の運転室に乗り込んで、自ら確かめて回った人だ。

 当然、羽越線の現場を通ったこともあるだろう。

 その現場で、辞意を明らかにした松田さん。

 そこにわたしは、最後の鉄道屋を――あのポッポ屋を、制服姿の最後の国鉄マンを見る思いがした。

 国鉄最後の夜の松田さんの制服姿が、もう一度、目に浮かんだ。
 

 

Posted by 大沼安史 at 10:27 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2005-12-28

〔いんさいど世界〕 クウェート侵攻 米国が“後押し”  はめられたサダム ブッシュの訓令で女性大使が仕掛けた甘い罠 1990年夏、「バグダッド会談」の黒い霧

 湾岸戦争(1991年)に至る、いわゆる「湾岸危機」、すなわちサダム・フセインのイラクによるクウェート侵攻(1990年8月2日)から、早くも15年以上の月日が流れた。

 当時、わたし(大沼)は新聞社の特派員としてカイロに駐在していて、イラク軍のクウェート侵攻の前後、2回にわたり、ヨルダン経由でバグダッドに入った。

 そんなこともあって、第2次湾岸戦争ともいうべき、現在進行中の「イラク戦争」を引き続いてウオッチしているのだが、湾岸危機、そして湾岸戦争に関し、いまなお心に引っかかるものがある。

 それは、「なぜ、サダム・フセインはクウェートに自信満々に侵攻し」、「なぜクウェートはむざむざ、侵攻されねばならなかったか」、という疑問だ。

 カイロ発の特電を報じる記者として、わたしは「疑問の後半部分」(なぜクウェートはむざむざ、侵攻されねばならなかったか)について、以下のような観測記事を書いた記憶がある。 

 クウェートが「侵攻」によってたたきのめされたのは、この湾岸の産油国が、自らの立場をわきまえ、いわゆる「上流」領域に自分の役割を限定して、石油を汲み上げていればよかったものを、「下流」領域、精製ガソリンのスタンド販売に手を染め、「石油メジャー」の怒りを買ったからである、と。

 クウェートは当時、欧州で、「Q8」という、ガソリンのスタンド販売直営事業に着手していた。湾岸の産油国ごとき(?)が、やってはならないタブーを犯していたのである。

 そういうクウェートを、サダム・フセインは、まるで石油メジャーの傭兵のように蹂躙し切った……

 当時の記事のスクラップが手元にないので、引用できないのが残念だが、たしか、こういう内容の記事だったと思う。

 その記事でわたしが暗に指摘したのは、イラクにクウェートをたたかせたのは、「石油メジャー」につながる、当時の米国、ブッシュ(パパ)政権でないか、という疑惑だった。

 疑問の前半部分(なぜ、サダム・フセインはクウェートに自信満々に侵攻したか?)についてわたしは、たしか、湾岸戦争の背景をさぐる解説記事か何かで、米国の女性大使(エイプリル・グラスピー)とサダム・フセイン大統領の会談にふれた覚えがある。

 米国を主力とする「多国籍軍」の攻撃開始が迫り、追い込まれたサダム・フセインが、クウェート侵攻は実はアメリカのゴーサインで始まったものだと、国連に「会談の記録」を提出し、弁明を図った、あの(といっても知らない人が多いはずだが……)「グラスピーとサダム・フセインのバグダッド会談」の中身を、ごく簡単に紹介した記憶がある。
 (イラク政府が国連に提出した「会談の記録」を、わたしはイスラエル紙のエルサレム・ポストで読んだ)

 その「グラスピー・サダム会談」のことが、パキスタン紙(英字紙)、「ニューズ・インターナショナル」(電子版、12月25日付け)にかなり詳しく出ており、懐かしさもあって、身を入れて読んでみた。

 「米国務省はエイプリル・グラスピーをまだ、封じ込んでいるのか?」と題された、カリーム・オマール記者のその記事は、わたしが当時、抱いていた疑念(疑問の前半部分)をあらためて確証するものだった。
 
 オマール記者によれば、「運命の会談」が(バグダッドの大統領府で)行われたのは、1990年7月25日にことだった。イラク軍のクウェート侵攻は、その8日後に開始される。

 エイプリル・グラスピー大使は前年の1989年に着任した、中東問題を専門とするキャリア外交官。サダム・フセイン大統領を一対一で会談するのは、そのときが始めてだった。

 会談を申し入れたのは、グラスピー大使。ブッシュ大統領(当時)からの緊急のメッセージを伝えるためだった。

 その会談で、グラスピー大使はサダム・フセインに何を語ったか?

 オマール記者は、会談の「部分テキスト(記録)」をもとに、やりとりを以下のように再現している。読みにくいかも知れないが、正確を期すため、意訳ではなく、直訳で紹介しよう。

 グラスピー大使
 私はブッシュ大統領からイラクとの関係を改善するよう直接の指示を受けている。私たちは、あなたのより高い石油価格についての要請と、あなたがたがクウェートと対立する直接的な理由に対し、かなりの同情心を持っている。ご存知のように私は、当地に何年もいて、(イラン・イラク戦争後の)あなたの国家再建の非常な努力に対し、敬意の念を抱いている。私たちは、あなたが資金を必要としていることを知っている。私たちはそのことを理解しており、あなたがあなたの国の再建する機会を持つべきだというのが、私たちの意見だ。
 私たちはあなたが(イラクの)南部に大量の兵力を展開しているのを見ることができている。ふつう、それは私たちが関与することではない。しかし、あなたがたがクウェートから受ける他の脅威との関連のなかでこのことが起きているいる以上、私たちが関心を持つのは理にかなったことだ。この理由から、私は対決ではなく、友情心から、あなたの意図するものに関し、以下の質問をするよう訓令を受けている。あなたはなぜ、クウェート国境の至近に大量の兵力を展開しているのか?

 サダム・フセイン大統領
 ご存知の通り、これまで何年もの間、私はクウェートとの対立を解くため、あらゆる努力を払って来た。2日以内に、協議がもたれることになっている。私は交渉に、もう一度だけ、短いチャンスを与える用意がある。われわれが会うと、希望が出るが、しかし何も起こらない。解決をみることがなければ、イラクが死を受け入れないことは当然のことになるだろう。

 グラスピー大使
 どんな解決なら受け容れ可能か?

 サダム・フセイン大統領
 シャトル・アル・アラブのすべての領有を維持できるなら――それはわれわれの対イラン戦争の戦略目標だったが――われわれは(クウェートに)譲歩するだろう。もし、われわれがシャトルの半分をとるか、イラクのすべて(イラクはクウェートもイラクの一部と考えている)をとるか、選択を迫られるなら。われわれは、われわれがそうありたいと願う姿のイラクを維持しようとする、クウェートに関する主張を擁護するため、シャトルを放棄する。これに対して、アメリカの意見はいかがか?

 グラスピー大使
 私たちは、あなたがたのクウェートとの対立にような、アラブ対アラブの紛争に対しては意見を持たない。ベーカー(国務)長官は私に、1960年代に最初にイラクに対して告げた、クウェート問題はアメリカの関与するものではないという指示を強調するよう命じた。

 (サダム・フセイン、笑い)

 以上が、「会談の部分記録」だが、グラスピー大使は実にとんでもないことを言ったものだ。

 要は、アメリカは見て見ぬ振りをするから、ご勝手にどうぞ、クウェートを取ってください、というゴーサイン。

 サダム・フセインが思わずにんまりしたのも当然である。

 オマール記者によれば、その6日後の7月31日(イラクの侵攻開始の2日前)、ブッシュ(パパ)政権は、サダム・フセインに対し、念押しの「最終確約」を行う。

 ジョン・ケリー国務次官補(近東問題担当)が上院で、以下のように証言したのだ。
 「米国はクウェート防衛に関与しない。たとえクウェートが攻撃されても、米国はクウェートを防衛する意志を持たない」

 よくもまぁ、抜けぬけと言ったものだ。

 さぁ、どうぞ、安心してクウェートを攻撃してください、サダム・フセインさん!――

 神聖であるべき議会証言でもって、ブッシュ政権はサダム・フセインを励まし、クウェート侵攻に向け、「最後の一押し」をしたのである。
 
 スパイ組織、CIAの元長官であり、石油ロビーの手で権力の座にまつりあげられたジョージ・ブッシュ(パパ)がいかにもやりそうなことだが、ずいぶん手の込んだ罠を仕掛けたものだ。

 甘い誘いにのったサダムも悪いが、クウェートの西側石油権益を守り、終いには、サウジへの米軍の駐留まで実現してしまった米国も相当なワルである。

 狡猾というべきか、非情というべきか……。

 さて、グラスピー大使はイラク軍のクウェート侵攻後、同年8月になって、バグダッドを離れ、帰国した。

 オマール記者によれば、その彼女がバグダッドの米国大使館を出発しようとしたとき、「会談」の「テープ」を入手していた英国の記者2人が、会談での発言の真意を確かめようと問いただした。

 記者の質問は率直だった。

 「あなたは、侵略を煽った。彼(サダム)の侵略を。何を考えていたんだ?」

 大使は言った。
 「私も、ほかの誰も、イラクがクウェートの全部を取ろうとなんて考えもしなかった」

 さらに質問をぶつけながら、追いすがる記者を振り払い、大使は車に乗り込んだという。

 以来、エイプリル・グラスピーは、沈黙を守り続けている。

 で、バグダッドから帰国した彼女は、その後、どうなったか。

 わたしは、バージニア州立大学で教え始めた、とばかり思っていたが、オマール記者によれば、ニューヨークの国連代表部に勤務したあと、南アフリカのケープタウンに赴任し、2002年、国務省を退官したそうだ。完全黙秘はその後も続いている。

 一方、サダム・フセインとの会談に向け、ブッシュ政権が出した、グラスピーに対する「訓令」もまた、依然として機密のヴェールに包まれたままだ。

 米議会上院の外交委員会や情報委員会にすら、非公開の条件つきでも提出されていない。

 以上、オマール記者が描き出した、湾岸戦争に至る疑惑の構図は、「9・11」の「やらせ同時多発テロ」で憎悪をかき立て、「WMD(大量破壊兵器)」で恐怖を煽ってイラク戦争に突入した、ブッシュ・ジュニアとその「陰謀団」による、悪巧みの原形と言える。

 「湾岸戦争」から「イラク戦争」へ。

 陰謀はほとんど極限、完璧の域に達し、世界を苛(さいな)んでいる。 
 
 

⇒ 
 

http://www.jang.com.pk/thenews/dec2005-daily/25-12-2005/world/w2.htm

Posted by 大沼安史 at 01:38 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2005-12-27

〔重要NEWS〕 「北朝鮮」問題でネオコン、ボルトン米国務次官(当時、現米国国連大使)がNSA(国家安全保障局)に盗聴を指示? ターゲットは北朝鮮代表部が接触した前米国国連大使

 米ブッシュ政権内きってのタカ派で、ネオコン・グループのリーダーでもあるジョン・ボルトン国連大使が、前任の国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)時代、米国の前国連大使で現在、ニューメキシコ州知事を務めるビル・リチャードソン氏をターゲットに、全世界規模の盗視・盗聴網、「エシェロン」を運営する秘密情報機関、NSA(国家安全保障局)に指示し、同氏に対する盗聴を行っていた疑いが明らかになった。

 ニューメキシコ州の地元紙、アルバカーキー・トリビューン紙がことし4月28日に報じた、スクリップス・ハワード・ニュースの記事が、ブッシュ大統領の秘密命令による、NSAの米国内盗視・盗聴問題の実態が表面化するなか、あらためて注目を集めている。

 同紙の報道によれば、リチャードソン州知事は2003年1月、北朝鮮の国連代表部の代表2人と同州サンタフェで会い、(核問題をめぐる)対立をどう解決していくか、話し合いに応じていた。
 
 リチャードソン州知事のスポークスマンは、「知事はコリン・パウエル国務長官(当時)との(電話での)会話(複数)が、国内通話なのに傍受された恐れがあることに困惑している。知事は北朝鮮に関する(パウエル長官への)通話(複数)は秘密の通話だったと思っていた」と語った。
 
 リチャードソン州知事は、コネッチカット州選出のクリス・ドッド上院議員(民主党)が、ボルトン次官が10回にわたり、NSAに対し、米国人を含むターゲットに対し、盗聴を要請していたことを暴露したを受け、ドッド議員に電話し、自らの懸念を表明した。

 このボルトン次官の盗聴要請のなかに、リチャードソン知事と、パウエル国務長官やその他の高官との電話での会話が含まれている、とのオンライン・ジャーナリスト、ウェイン・マジソン氏(在ワシントン)の見方を、同紙は紹介している。

(大沼 注)

 ひどい話だが、驚くべきことではない。

 あのクリントン大統領さえ、モニカ嬢に対し、「おれの電話はセキュリティーがかかっているけど、盗聴されている。注意しろよ」なんて、言ったと言われるほどだから。

 
 

http://www.abqtrib.com/albq/nw_local_state_government/article/0%2C2564%2CALBQ_19859_3736152%2C00.html

Posted by 大沼安史 at 09:20 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-26

〔For the Record〕 「戦争での殺人は犯罪」 マハティール氏らがクアラルンプール宣言(全文)

 マレーシアの首都、クアラルンプールで12月14日から17日まで、世界各国から平和運動家らが参加して、「クアラルンプール・グローバル平和フォーラム」が開かれた。

 マハティール前首相が中心になり、「ペルダナ・リーダーシップ財団」が開催したもので、米国のダニエル・エルズバーグ博士や、カナダのミッチェル・チョスドフスキー教授(オタワ大学)らが、イラク戦争が続く世界の現状を討議し、合意した内容を「宣言」にまとめ、最終日に採択して閉幕した。
 
 14ヵ条に及ぶ「クアラルンプール宣言」で注目すべきは、「戦争のなかでの殺人行為」を「平和時における殺人」同様、明確に「犯罪」と見なす一方、「侵略を開始するすべて国家指導者は、国際刑事裁判所の司法判断を受けなければならない」と、戦争責任の徹底追求を求めている。

 宣言は、戦争放棄と平和主義を掲げた日本国憲法の第9条の、いわば国際版で、世界最強の軍事大国、アメリカが武力によるグローバル規模で覇権確立を進めるなか採択されたことは、大きな歴史的な重みを持つものと言える。

 以下に拙訳で、「宣言」全文(マハティール氏ら署名人の氏名は除く)を訳出する。

                ★    ☆   ★

   「戦争を刑事犯罪化するためのクアラルンプール・イニシアチブ」
                 2005年12月17日

 世界の5大陸すべてから集まった、関心ある人々による「クアラルンプール・グローバル平和フォーラム」は、

 平和こそ人類の生存と幸福の本質的条件であるとの信念の下、団結し、

 平和を推進して、次世代を戦争の災禍から救うことを決意し、

 国家間の紛争解決における、頻繁な戦争の手段化に憤り、

 好戦的な人々がさらなる戦争を企てていることに不安を覚え、

 武力の行使がすべての人々の安全をますます脅かしていることに困惑し、

 核兵器の保有及び核戦争の差し迫った危険が地球上における生命の絶滅を導くものであることに恐れを抱いた。
 

 平和を達成するためにわれわれは、いま、以下のように宣言する。

  ● 戦争は、罪もない人々の殺戮をますます巻き込んだものになっており、それゆえ嫌悪すべきものであって、刑事犯罪的である。

  ● 戦争における殺人行為は、平和時における社会内部の殺人と同様、刑事的犯罪である。

  ● 平和時の殺人行為は国内の刑事法の対象となるのだから、戦争における殺人行為は同様に、国際的な刑事法の対象にならなければならない。これは、戦争における殺人行為が、国内法によって認められたり許されたりしているかどうかに無関係でなければならない。

  ● 戦争を援助し扇動するすべての商業的・金融的・工業的・科学的な活動は、刑事犯罪とされねばならない。

  ● 侵略を開始するすべての国家指導者は国際刑事裁判所の司法判断を受けなければならない。

  ● すべての国家は国連憲章の目的と原則を受け入れる決意を強めるとともに、国際的な紛争を平和的手段で解決し、戦争を放棄しなければならない。

  ● 武力は、国連総会の全加盟国の3分の2以上の多数で採択された決議で認められない限り行使されてはならない。

  ● すべての立法府の議員及ぶ政府の構成員は平和への信念を確認し平和を希求することを誓わなければならない。

  ● 世界中の政党は主要な政策目標のひとつとして平和を含まなければならない。

  ● 平和を推進する非政府機関はすべての国で設立されなければならない。

  ● とくに医療、法律、教育、科学の分野における公務員及び専門職の人々は平和を推進し、戦争に反対するキャンペーンを活発に行わなければならない。

  ● メディアは活発に戦争と戦争の煽動に反対し、国際紛争の平和的解決を意識的に推進しなければならない。

  ● 娯楽的メディアは戦争及び暴力の美化を止め、代わって平和の倫理を涵養しなければならない。

  ● すべての宗教的指導者は戦争を非難し平和を推進しなければならない。

 これらの目標を達成するため、本フォーラムは、クアラルンプールに永久的事務総長を置くことを決定する。

 その任務は、

 本イニシアチブを遂行し、

 戦争を煽動する政策とプログラムに反対し、

 本イニシアチブの目標を達成するため全世界の非政府機関との協力を追求する、

 ことである。

英語による「宣言」の原文は ⇒

http://www.perdana4peace.org/declaration.html
 
  

 

Posted by 大沼安史 at 04:39 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 ゴールドマン・サックス 中国に本格進出 中国最大の中国国際商業銀行の株式を取得へ

 フィナンシャル・タイムズ紙(電子版)が12月24日付けで報じたところによると、米国・ウォールストリートの巨人、「ゴールドマン・サックス」が、中国最大の銀行、中国国際商業銀行(ICBC)の株式を10%取得する。

 中国国務院の承認をすでに得ており、年明け、2006年1月に調印する。

 ゴールドマン・サックスの投資額は37億ドル規模。

 ICBCは中国国内に2万の支店を持ち、中国銀行シェアの20%を占める巨大銀行。
 
 ことし6月、バンク・オブ・アメリカが中国建設銀行の株式の9%を取得して以来の、米国金融資本の中国進出だ。

 (大沼 注)

 ゴールドマン・サックスの中国進出は、米国主導で中国経済の取り込みを図ろうとする、ウォルストリートの世界戦略の一環であろう。
 
 先にカーライル・グループが本格進出を決めたが、たしか、同グループの会長になった人物は、IBMの元トップのはずだ。

 そのIBMがパソコン部門を中国企業に売却し、体質強化を図っている。

 米中の経済一体化は深いところで急速に進んでいるようだ。

 時代は、ジャパン・パッシング(日本素通り)から、ジャパン・ナッシング(日本、何それ?)に移行しようとしているのだろうか。

 ゴールドマン・サックスのレポートでは、2050年のGDP世界1は中国、2位は米国、3位インドで、日本は4位に後退する。

 米国との軍事同盟を強化することだけが「外交」、と思っている日本政府。
 全面的な「対米追随」の先に、何が待ち受けているか?

 新年、2006年は、対中関係改善が第一の外交課題となるべき年である。

 

http://news.ft.com/cms/s/2d34a4be-7422-11da-ab91-0000779e2340.html

Posted by 大沼安史 at 10:25 午前 | | トラックバック (0)

2005-12-25

〔いんさいど世界〕 西部戦線、平和あり 1914年 クリスマス・イブの奇跡 

 キリスト紀元、2005年。世界は混乱のうちに暮れようとしています。

 イラクでは戦争が続き、バグダッドの聖マリア教会は、祈る人影もなく、聖歌も聞こえないクリスマスを迎えました。

 ヨルダン川西岸、イエス生誕の地、ベツレヘムの教会でもクリスマスの式典が行われました。

 しかし、イスラエルでは、ついこの間もパレスチナ人による自爆テロが決行されるなど、「パレスチナ和平」はなお道遠し、というのが現状です。

 21世紀は、1億人もの人が犠牲になった「戦争の20世紀」を克服する新世紀になるはずだったのに、戦火は止むことを知りません。

 そんななか、1本のフランス映画の上映が世界各地で始まり、感動の輪を静かに、そして着実に広げています。

 フランス語の原題は、Joyeux Noel。英語に直せば、Merry Chrismas。そう、日本語では「メリークリスマス」。

 1914年のクリスマスイブ(から、クリスマス当日にかけて)に、フランダースの西部戦線で実際にあった出来事が、90年以上の歳月を超えて、映画のなかで再現されました。

 第1次大戦で殺し合いを演じた英軍と独軍の兵士が、塹壕から出て、ともにクリスマスを祝った実話が映画化されたのです。

 監督はフランス人のクリスチャン・キャリオン(42歳)。北フランスに生まれ、第1次大戦・西部戦線の遺跡のなかで育ったキャリオンさんが、14年の時間をかけて制作した映画です。

 前世紀の初めの話とはいえ、兵士が命令に背き、武器を捨て、敵兵を交歓したことは、軍令に違反するものです。

 軍隊にとって、あるいは戦争にとって、そういうことはあってはならないこと。

 そのため、キャリオンさんの映画づくりに、現代のフランス軍上層部は、協力を拒否したそうです。フランスの国防省としては筋を通したつもりでしょうが、大人げないことです。

 で、映画のもとになった、実際にあった出来事とは何か、という肝(きも)の話になりますが、当時の英国の新聞記事などによりますと、こういうことだったそうです。

 場所は西部戦線の最北部、英軍と独軍が対峙するフランダースの戦場。

 両軍は互いに塹壕に立てこもって、銃撃戦・砲撃戦を続けていました。無人地帯をはさんで、近いところでは、敵軍兵士の話し声が聞こえる、至近距離で睨み合っていたそうです。

 そんななか、クリスマス停戦の呼びかけが、独軍の兵士から出た。

 独軍兵士のなかに、英国で働いた人がいて、英語が出来たことから、コミュニケーションが可能になったようです。

 最前線の兵士が勝手に停戦協定を結ぶことは、軍令に違反することです。

 そんな独軍兵士の呼びかけに、英軍の兵士が応じた。

 クリスマス前は前線に慰問品が届く時期。

 イブの夜、午後7時過ぎ、恐るおそる塹壕を出た両軍兵士は、ココアやタバコを交換し合い、一緒に歌を歌ったそうです。

 「サイレント・ナイト(聖しこの夜)」とか、「クンバーヤ(アフリカの歌)」を。

 その日の西部戦線は氷雨が止んで、朝から青空だったことが、気象台の記録でわかっています。

 きっと、兵士のイニシアチブによる、束の間の「平和」が訪れたフランダースにも、その夜、星空が広がっていたことでしょう。

 銃弾が飛び交っていた無人地帯で、敵味方を超え、戦争の憎悪を超えて開かれた、ささやかなクリスマス・パーティー。

 朝が開けると両軍兵士は、サッカーの親善試合までした。
 結果は、英軍が3対2で勝ったそうです。

 このフランダースの出来事ですが、西部戦線における最も有名なクリスマス停戦ですが、同じようなことは、実は戦線のほかでも起きていた。

 戦場に送り込まれたフランスのオペラ歌手がテノールを響かせ、ドイツの歌手が塹壕から美声を届ける、「戦場のリサイタル」まで行われていた。

 キャリオン監督の映画は、こうした史実も取り込んだものになっています。

 歴史家らは、1914年のイブに、西部戦線全体で、すくなくとも「数百人」の両軍兵士が、軍令に背き、停戦に参加したと見ていますが、さらに驚くべきことに、東部戦線でも同じようなことが起きていたことがわかっているそうです。独軍兵士とボルシェビキの兵士による、クリスマス停戦があったそうです。

 停戦後、兵士たちは再び武器を取り、戦わざるを得なかったのですが、束の間のこととはいえ、それにしてもこれって、すごいことですね。

 武器を捨て、敵と抱き合い、喜びをわかちあったのですから。

 しかし、こうした最前線の兵士に主導によるクリスマス停戦は、この年を最後に終わりを告げました(1915年にも一部で行われたという説もあります)。

 軍の上層部は、二度とそれを許さなかった。

 許したら最後、戦争なんかできなくなっちゃうわけです。

 キャリオン監督のこの映画、フランスではすでに大ヒット中で、ドイツでは今週上映が開始され、英米でも近くロードショーが始まるそうです。日本にも間もなく来ることでしょう。

 早くもアカデミー賞の声がかかっているそうです。

 実はこの映画のDVDが、イラクの英軍キャンプに届けられ、現地の英軍兵士が鑑賞する予定です。
キャメロン監督の申し出に、英軍上層部が応えたのだそうです。

 そういうニュースがつい最近、カナダの放送局から流れたのですが、米軍が受け入れたという話はどこからも聞こえてきません。

 イラクにいる米軍兵士にも観てもらいたい映画ですが、ブッシュ政権は絶対、許さないでしょうね。

 90年前の「戦場でのメリークリスマス」。
 それはそのころまで、戦場の兵士になお、人間性を持つことが許されていたことの、歴史的な証拠といえるでしょう。

 現代戦は全体戦争、総力戦と化し、ヒューマニティーを徹底的に排除してしまった。
 

 キャリオン監督のこの映画は、そのことがいかに異常なことなのかを私たちに告げるものだと思います。

 そう、2005年の終わりに、私たちの元に届いた、90年前からのクリスマスプレゼント。

 忘れていたものをもう一度、思い出し、二度と忘れないための、1914年12月24日、星夜の西部戦線からの贈り物。
 
 日本上映が待ち遠しいですね。
 

 
 

http://www.cbc.ca/story/arts/national/2005/11/25/Arts/truce_051125.html?print

http://abonnes.lemonde.fr/cgi-bin/ACHATS/ARCHIVES/archives.cgi?ID=9dc1fde8fabd28e4ff40d323040e89058835605629a13d50

Posted by 大沼安史 at 11:46 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

〔イラクから〕 米空母発進の艦載機、イラクの住宅地を空爆 民間人に多数の犠牲者

 米軍の空からの攻撃で、イラクの一般住民に多数の犠牲者が出ていることが、米紙ワシントン・ポスト紙(電子版、12月24日付け)の調査報道で、あらためて確認された。

 米空母を発進した艦載機が住宅地を攻撃し、民間人に多数の死傷者が出ている。

 米空母に港を提供している、私たち日本人としても、「知りませんでした」ではすまない事態が、海の彼方で進行している。 

 同紙のエレン・ニックメーヤー記者による調査報道は、11月5日から17日間にわたって、イラク西部、アンバール州や、シリア寄りのユーフラテス川沿岸地区で行われた、米軍による「鉄のカーテン」作戦の実態に、現地のイラク人に対する聞き取り調査や、米海兵隊などへの取材を積み重ねて迫ったもの。

 それによると、フサイバの町では、作戦開始ほぼ1週間の間に97人の一般住民が米軍の空爆により殺された。

 現地の小学校に臨時の救急病院を開設し、他の医師4人と看護師1人とで治療・救命活動にあたったザーヒド・ラウィ医師が証言した。

 「何も罪を犯していないのに、と神に不満の言葉を言いながら、静かに死んで行きました」

 ラウィ医師によれば、武装勢力も少なくとも38人が殺害された。

 どうして一般住民が殺戮されたのか?
 民間人の住む住宅地が、武装勢力の潜伏地区にもなっていて、そこを米軍機が攻撃したからだ。

 フサイバの住宅地、カマリヤート地区では11月7日、こんな悲劇が目撃されている。

 (武装勢力との)銃撃が、米軍機の空爆で沈黙したあと、破壊された民家から、生き残った近所の人々が、母親と父親、14歳になる少女、11歳と5歳になる少年の、一家5人の遺体を運び出した……。

 その一部始終を、建物の屋上から目撃した現地の人びとが、同紙に対して証言した。

 作戦が始まって間もないころ、現地の部族長5人が集まって、情報を持ち寄ったことがあった。婦女子を含む、少なくとも80人以上の民間人が空爆で殺されていた。

 「鉄のカーテン」作戦が始まる以前の10月16日、アンバール州の州都ラマディーで、米軍のF15が爆弾を投下した。

 米軍によると、武装勢力が道路に爆薬を仕掛けているところをパイロットが視認し、爆撃を敢行した。命中したので、「犠牲を防ぐことができた」(米海兵隊)。

 現地の住民は、別の真実を同紙に告げた。

 子どもたち18人を含む、多数の民間人らが爆撃で殺された。

 病院の外に、身元の知れない婦人と3人の子どもの遺体が寝かされているのを目撃した。

 ただし、死者のなかには、武装勢力も含まれていた。
  

 同紙によれば、イラク周辺海域の空母からの艦載機の出撃回数は、年初の1月に25波前後(1日1派弱)だったのが、11月には120回へと、5倍に急増した。

 つまり、「鉄のカーテン」作戦当時は、1日あたり4派も、艦載機による攻撃が加えられていたわけだ。
 
 国防次官補を務めたことのある、ハーバード大学人権政策センターのプログラム・ディレクター、サラ・セウォールさんは、同紙に対し、「都市部への攻撃で民間人の殺傷を避けるのはほとんど不可能なこと」と語った。

 一方、米海兵隊の幹部はラマディーの米軍支配地のカフェで、狙ったらこのテーブルを外さないと、米軍の爆弾の精密さを語った。
 だから、民間人の犠牲を最小限に抑えられる、と。
 (大沼:しかし、爆弾の爆発はテーブルの範囲内に収まらない)

 これに対して、セウォールさんが言った。
 「問題は(民間人の犠牲を最少に抑えたと)どうやって知ることができるか?」

 (大沼:セウォールさんの言う通り。爆弾を投下してしまえば、それですべては終わりを告げる……)

 米軍の空爆による、イラク民間人の不可避的な殺戮のメカニズムを、当事者の証言で明らかにした、エレン・ニックメーヤー記者に敬意を表したい。

⇒  

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/12/23/AR2005122301471_pf.html

Posted by 大沼安史 at 12:05 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-24

〔NEWS〕 NSA テレコム動脈に「裏口アクセス」し、直接傍受 国内・国際通信 NYT紙報道 

 米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は12月24日、米国の秘密情報機関、NSA(国家安全保障局)が全米のテレ・コミュニケーション網の大動脈部分から直接、情報収集を行っていることを、政府関係者(複数)の証言で暴露した。

 それによると、NSAは、ブッシュ大統領の秘密命令に基づき、米国のテレコム各社の協力で、「国内・国際通信の流れ」に「裏口アクセス」している。

 そうした令状なしの、データ、音声通信からの「情報の収穫」は、これまで考えられていた以上に大規模なものだそうだ。

〔大沼 注〕

 ブッシュ政権による米国内盗視・盗聴活動の全貌がますます明らかになってきた。

 今回のNYT紙の報道は、「国内・国際通信の流れ」に「裏口アクセス」している実態を、政府関係者(複数、現役・OB)による証言で暴き出したもので、米国からの「国際通信」だけに違法傍受活動を限定し、逃げ切りを図ろうとするブッシュ政権への追撃の一打である。

 米政権内の良識部分が「ディープスロート」として、ブッシュ政権の言い逃れを許さない、さらなる追撃をすることは必至で、こんごの展開が注目される。

http://www.nytimes.com/2005/12/24/politics/24spy.html?hp&ex=1135486800&en=7e76956223502390&ei=5094&partner=homepage

Posted by 大沼安史 at 02:40 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕NSA 米国発着 全国際通信を傍受か? 「エシェロン」 対自国適用の恐れ、明るみに

 米紙ボストン・グローブ紙(電子版)は12月23日、米国の秘密情報機関、NSA(国家安全保障局)が米国発着の全国際通信を傍受している可能性がある、と報じた。

 NSAの活動に詳しい専門家の見方を伝えたもので、NSAが中軸となって全地球規模で運営されている諜報網、「エシェロン」が、実は米国外ばかりか、米国内、それも米国市民を対象に運営されている恐れがさらに高まった。
 
 機密のヴェールに包まれたNSAの活動を調査報道で暴露したフリージャーナリストのジェームズ・バムフォード氏らによると、NSAが米国内で、自国民の国際通話の傍受を始めたのは、2001年にブッシュ大統領が秘密命令を出したあと。

 NSAはグローバル規模で衛星通信や光通信網、イナーネネットの中継基地などから情報を収集、電話やファクス、メールなどを盗視・盗聴し、情報をふるいにかけているが、その活動はあくまで米国外を対象としていた。

 米国の情報自由法を使って、NSA関係文書を入手した、ジョージ・ワシントン大学国家安全保障アーカイブ(文書館)のトム・ブラントン氏(ディレクター)によれば、NSAは自国民が受・発信するメールや電話のすべてをモニターできる能力を持っている。

 バムフォード氏によると、その処理速度は1時間あたり200万通信に達するという。
 
 
詳しくは ⇒

http://www.boston.com/news/nation/washington/articles/2005/12/23/wiretaps_said_to_sift_all_overseas_contacts?mode=PF

 

Posted by 大沼安史 at 02:11 午後 | | トラックバック (0)

〔イラクから〕 オレンジのまちの荒廃

 イラクの首都のバグダッド北東の町、バクバはディヤラ郡の中心都市であり、「オレンジのまち」と知られる街だ。

 肥沃の三角形の内部に位置するバグバは紀元前の昔から、オレンジの産地として有名だった。

 この「オレンジのまち」に異変が起きている、と、米紙連合、ナイト&リッダー(K&R)が伝えている。

 イラク戦争後、この2年半のオレンジ生産は、目標を下回り続けている。

 イラク戦争の影がこの「オレンジのまち」を覆っていて、それが直接、間接的に減産を引き起こしているという。

 道路際に仕掛けれらた爆弾の処理でオレンジ畑にブルドーザーが入ったり、テロリストの隠れ家になるとオレンジの木がなぎ倒されたされしているためだ。

 そんな状況のなか、オレンジの輸入も始まっていて、それが新たな問題を引き起こしている。

 一緒に病気や病害虫が運び込まれ、バグバのオレンジ畑にも侵入しているのだという。
 
 オレンジ生産農家のひとりはK&Rの取材に、「オレンジがなくなったら、魚を釣るかしかなく、死んでしまう」と窮状を訴えた。

詳しくは ⇒

http://www.mercurynews.com/mld/mercurynews/news/special_packages/iraq/13467815.htm?template=contentModules/printstory.jsp

Posted by 大沼安史 at 12:40 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-22

〔NEWS〕令状なしの自国民スパイ活動に抗議し辞任 秘密裁判所の裁判官

 米司法省内に設けられている秘密裁判所、「外国情報監視裁判所(FISC)」の裁判官1人が、ブッシュ政権による令状なしの自国民に対する盗視・盗聴活動に抗議し、辞任した。

 ワシントン・ポスト紙(電子版)が12月21日に報じた。

 辞任したのは、11人いるFISC裁判官のひとり、ジェームズ・ロバートソン氏。

 辞表には辞任理由が書かれていないが、関係者によると同氏は、2001年の「9・11」後に始まった、大統領命令による令状なしの自国民に対するスパイ活動を憂慮していたという。
 
⇒ 

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/12/20/AR2005122000685.html

Posted by 大沼安史 at 01:21 午後 | | トラックバック (0)

〔重要NEWS〕 鳥インフルエンザ 「タミフル」効かず? ウイルスに抵抗力 投与の少女ら死亡

 英紙ガーディアン(電子版)が12月22日に報じたところによると、鳥インフルエンザの唯一の治療薬として備蓄が進む「タミフル」に対して、鳥インフルエンザを引き起こすH5NI型ウイルスが抵抗力を持っており、同治療薬を投与され、治療を受けていた、13歳の少女らベトナム人の患者2人が死亡していたことがわかった。

 23日発行の、世界的に権威ある医学誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」誌に掲載された、ベトナムで治療活動にあたる医師らの論文で明らかになった。

 それによると、鳥インフルエンザのH5N1型ウイルスは人体の血流中で、「タミフル」に対する抵抗力を急激に身に付ける。

 亡くなった13歳の少女は、最初、容態が安定していたが、ウイルスが変異するなかで症状が急激に悪化し、死亡したという。

 特効薬としての効果が期待された「タミフル」に重大な疑問符がついたわけで、日本の厚生労働省も早急な見直しを迫られそうだ。

⇒ 

http://www.guardian.co.uk/birdflu/story/0,14207,1672430,00.html

Posted by 大沼安史 at 12:49 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-21

〔イラクから〕 米軍女性兵士3人 火炎地獄のなか、ファルージャに死す 

 ことし、2005年6月23日午後7時20分過ぎ、イラク最大の激戦地、ファールジャの路上でのことだった。

 米軍の女性兵士らを乗せたトラックが駐屯地に向かって走っていた。検問所でのイラク人女性の身体検査など、その日の任務を終えての帰り。

 その輸送トラックに、道路脇から、一台の乗用車が突っ込んで来た。
 自爆テロだった………。

 女性兵士3人が戦死(焼死)した、この日の出来事を、ニューヨーク・タイムズのマイケル・モス記者が、生き残った兵士らにインタビューし、同紙の紙上(電子版、12月20日付け、同22日にインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に再録)で再現した。
 
 兵士らは、砂嵐が収まるのを待って、出発した。車で15分の距離。人員輸送トラックには、2両のハムビー装甲車両が警護についていた。

 自爆テロを決行した者は、車で待ち伏せていた。
 
 乗用車の体当たりで輸送トラックは炎上、そのまま走って横転した。

 火炎地獄(インフェルノ)のなかに、死亡した女性兵士3人と男性兵士2人を含む、18人の男性、女性兵士が取り残され、一部は脱出を試みた。

 そこを武装勢力が狙撃した。

 戦死した女性兵士は、ホリー・シャーレット上等兵(21歳)、レジナ・クラーク一等兵(43歳)、ロマナ・バルデス伍長(20歳)。

 ホリーさんは母親の暮らしを支えるために志願した。

 レジナさんはシングルマザーで、2回目のイラク。

 ロマナさんは、元チアリーダー。兵役に就く以前は、ニューヨークの「自由の女神」で働いていた。

 生き残った女性兵士のひとり、エリン・リバティー上等兵は、いまも入院して治療を続けている。

 焼け爛れて助け出されたとき、認識票だけが身元確認の手がかりだった。

 テキサスの火傷治療センターに運ばれ、手当てを受けたが、モルフィネ投与を受けても激痛が続き、生死の境をさまよった。

 モス記者に対し、「パープル・ハート勲章」を手に、エリンさんはこう言った。

 「幸せでもないし、悲しくもない。怒ることさえできない。すべてのことに対して、感覚が麻痺しています」

 モス記者は、この出来事の背景についても追及し、米軍の防護体制に不備があったことを突き止めた。

 女性兵士らを乗せたトラックは年代もので、装甲も不十分だった。
 警護のハムビーも2両。
 もう一両、つくはずだったが、別の任務にとられていた。

 司令官の警護にはハムビーが4両つくのに、女性兵士らのためには、この日、2両がついていただけだった。

 同紙によると、イラクで戦死した女性兵士は、焼死した3人を含め、30人に上る。 

 モス記者が取材した兵士らは、マスコミには答えるな、と上司から口止めされていたという。

 
⇒   

http://www.nytimes.com/2005/12/20/international/middleeast/20marines.html

Posted by 大沼安史 at 02:05 午後 | | トラックバック (1)

2005-12-20

〔イラクから〕 ハーレムに生まれ、イラクに死す

 アメリカの新聞に出る米兵の死亡記事に、なるべく目を通すようにしている。イラク戦争の悲惨な現実から離れてしまわないようにするためだ。

 イラクで戦争が続いているのに、日本の私たちはその事実を半ば忘れかけている。
 当然だ。
 日本のメディアはイラクで何が起きているか、ほとんど伝えようとしていないのだから。

 ニューアーク発(ニューヨーク近郊、空港がある街)の短い記事(ニューズデー紙・電子版、12月12日付け)が、28歳になる米陸軍の軍曹、クラレンス・フロイド・Jrさんが、5人の子を残して、バグダッドの北、ダジで戦死したことを報じていた。

 遺族の話では、軍曹はスナイパーの狙撃で頭を射抜かれたそうだ。
 
 クラレンスさんはニューヨークの黒人居住区、ハーレムに生まれ、ハーレムに育ったそうだ。
 連邦政府の「職業部隊」という訓練プログラムに参加しながら、高卒の資格を取った。

 ニューアークに住む母親の再婚相手が言った。
 「あいつは行きたくて行ったわけじゃない。行かなくちゃならないから行ったんだ。仕事やチャンスがあったら、志願するやつなんていない」

 記事には、残された5人の遺児のことは何も書かれていなかった。

 貧困の黒人街、ハーレム。
 その街を3年前、歩いたことがある。
 治安は昔とくらべ、随分よくなっていたらしいが、表通りでも、夜はさすがに怖かった。

 そんなハーレムに生まれ育ち、米軍に就職し、イラクで殺された黒人男性は、ニューヨーク州サフォーク郡にある国立カルバートン墓地に埋葬される、と書かれていた。

 遺影も出ていない電子版の記事を読み終え、クラレンスという人がどんな人なのか、ほとんど何も知らないのに、その「戦死」が、くやしくてならなかった。 

http://www.newsday.com/news/local/wire/newjersey/ny-bc-nj--soldierkilled1212dec12,0,6596294.story?coll=ny-region-apnewjersey

Posted by 大沼安史 at 11:46 午後 | | トラックバック (0)

〔For the Record〕 「恥ずべき行為」と、ブッシュは言った!

 米国のブッシュ大統領は12月19日、ホワイトハウスで、2005年を締めくくる記者会見を行った。

 記者団の最初の質問に対する最初の回答のなかでブッシュ大統領は、ニューヨーク・タイムズ紙が暴露した、米国情報機関、NSA(国家安全保障局)が米国市民に対して盗視・盗聴活動を行っていることについて、以下のように語った。

(大沼 試訳)

「最初の質問に答えよう。機密の漏洩に関し、司法省内部であるプロセスが進んでいる。そのプロセスは前進するだろうと、私は思っている。私の個人的な意見では、この戦時において、この非常に重要なプログラムを明らかにすることは、誰にとっても恥ずべき行為である。われわれがそのプログラムを議論していること自体、敵を利することである」

(ホワイトハウス発表による原文)

Let me start with the first question. There is a process that goes on inside the Justice Department about leaks, and I presume that process is moving forward. My personal opinion is it was a shameful act for someone to disclose this very important program in a time of war. The fact that we're discussing this program is helping the enemy.

 ブッシュ大統領はさらに、最初の回答の最後の部分でこうも言った。

「われわれは戦争している。だから、アメリカの秘密は守らなくてはならない」

We're at war, and we must protect America's secrets.

 これが、アメリカの大統領の2005年・年末会見での発言である。

 ニューヨーク・タイムズに漏らした「ディープスロート」を、あぶりだして血祭りにあげる。
 いま、捜査が進んでいるんだ。

 マスコミに漏らしたお前、捕まえてやるからな。
 戦争なんだ、米国民の市民的自由より、「国家機密」の方が重要だ。

 ブッシュ大統領は、要するに、こう吠えたのだ。

 記者の質問に対する、最初の答えがこれ。

 恐喝によって、漏洩の再発を抑え込もうというのである。

 こんどは、漏洩をする側(政府関係者)と漏洩を受ける側(メディア)に対し、盗視・盗聴をしかけようとでもいうのだろうか?(いや、すでに実施に移しているのだろうか?)

 このブッシュの威嚇に対し、ニューヨーク・タイムズの情報源になった人物は、どんな態度をとるのだろう?

 そのディープスロートが、新たな暴露を決断すれば、ウォーターゲート並みのスキャンダルに発展しかねない、そんなブッシュ政権の危機感が、大統領本人の口から「漏洩」した記者会見だった。

 FBIを統括する司法省が目下、「捜査中」という「国家機密」を漏らしてまで、「恫喝」を口にしたジョージ・ブッシュ。

 令状なしで自国民を盗視・盗聴することもさることながら、これまた大統領として、なんとも「恥ずべき行為」である。

 

ブッシュ会見の詳報(原文)は ⇒

http://www.whitehouse.gov/news/releases/2005/12/20051219-2.html

Posted by 大沼安史 at 06:15 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-19

〔いんさいど世界〕 中国官憲、抗議の住民らに発砲 「私は知っている」 魯迅サイトを通じて広がる「東州(ドングゾウ)事件」 100人近い犠牲者? 第2の「天安門事件」の様相

 中国広東省汕尾(シャンウェイ)市で12月6日、風力発電所の建設をめぐる、土地収用に抗議する住民(農民)に対し、警官隊が発砲し、少なくとも20人が死亡し、60人が生死不明のまま消息を絶つ、とんでもない事件が発生しました。

 日本でもすでに報じられており、ご存知の方も多いと思います。

 1989年の、あの「天安門事件」以来の、中国官憲による武力弾圧として、世界中から抗議の声が上がっています。

 事件が起きたのは、汕尾(シャンウェイ)市東州(ドングゾウ)鎮の紅海湾開発区で、6日夜、発電所の建設を阻止しようとした6000人以上の住民が500人前後の武装警官隊(治安部隊)と衝突し、武装警官隊が武力で鎮圧しました。

 武装警官隊が出動し、発砲したということはつまり、実弾を装填した部隊を配備し、射撃を命じた誰かがいるということ。
 その誰か、とは、現地の公安当局、つまり中国共産党の支部の責任者です。

 農民を射殺して弾圧する中国官憲……。中国共産党も堕ちたものです。

 この事件について、中国当局は「封印」して、ニュースが流れない、水も漏らさぬ体制をとっています。
 現地の支部がやったこととはいえ、人民のための党が人民を殺したわけですから、これはもう「なかった」ことにしなければならない。

 「ニュース」を流しているのは、香港や西側のメディアだけで、中国のメディアは沈黙を続けています。
 だから、一般の中国人はほとんど、「事件」を知らない。知らされていないんですね。

 
 しかし、そうしたなかでも、真実を同胞に伝えようと、懸命に活動している中国人たちがいる。

 規制と検閲の網をかいくぐりながら、インターネットを通じて、事件に関する情報を共有する一方、当局に抗議の意志を表明する人たちがいるのですね。

 負けない人たちがいる。いまの中国には。
 なんとなく、うれしくなってしまいます。

 で、そうした「負けていない中国人」たちはどんな活動をしているか?

 米ワシントン・ポスト(電子版)が17日に伝えたところによると、たとえば四川省にはWang Yiという有名なブロッガーがいて、中国最大のブログサイト、Bokeeで、抗議の公開状を発表した。

 公開状は数日で削除されたのですが、削除される前に読んだ人の口から、噂となって広がっています。

 このBokeeの開設者は、公開状を全面削除すると、サイトにアクセスする人に見離されてしまうことから、「東州の殺害に関する声明」という、公開状のタイトルだけはそのまま残している。

 こういうところから、「事件」の噂がネットを通じて、じわっと広がっているようです。
 
 もちろん、中国の公安当局も「火消し」に躍起です。

 同じワシントン・ポスト紙の報道によると、SinaとかBaiduといった検索エンジンに「東州」などのキーワードを入れても、「検索結果ゼロ」としか出ないんだそうです。

 当局が、そうしろと命じているですね。

 ネット検閲による情報統制を徹底的にやっている。
 有名な「インターネット警察」が徹底して取り締まっているわけですね。

 そういうなかで、中国の人たちってすごいなと思うのは――これも、ポスト紙に出ていたことですが――、あの作家の魯迅の作品サイトの書き込みを利用して、「東州事件」にはっきりふれないまま、それとわかるかたちで、意見・情報の交換をしているんだそうです。

 魯迅には、北京で軍閥が抗議の人々に発砲した現実の事件を題材とした作品があって、その作品にひっかけて、情報・意見が共有されている。

 (この作品は、「リウ・ヘゼン夫人の思い出」というもので、魯迅が1926年、発砲事件のあった直後に書いたものだそうです。「天安門事件」のときも、魯迅のこの作品が、当局に対する抵抗の「拠り所」になったようです)

 それから、ブログ上に「フォーラム」が設けられ、そこに以下のような短いメッセージを、匿名でどんどん書き込んだりしている。

 「彼らが知ってほしくないことを、わたしは知っている」

 「知っても仕方ないが、わたしは知っている」

 「知らないふりをしているが、わたしは知っている」

 中国の北京では、文革の嵐が吹き荒れたあと、例の「4人組」が失脚したとき、喜びを口に出して表せない人たちは、蟹を4匹(メス蟹(江青)1匹とオス蟹3匹)を食べて、御祝したといいます。

 そういう、中国の人たちの、したたかな抵抗が、こんどの「東州事件」でも、かたちを変え、インターネットを通じて、続いている。
 

 ここに、新しい中国の希望がある。
 中国の希望の赤い星は、ネットの世界の「解放区」にある。
 そんな気がします。

 中国政府のトップには、「事件」の真相を調査・公開し、関係者を処罰してもらいたいですね。
 

ポスト紙の記事は ⇒

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/12/16/AR2005121601709.html

Posted by 大沼安史 at 12:12 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2005-12-18

〔重要NEWS〕 「軍事情報帝国」アメリカ ペンタゴンの新設情報機関、CIFAが自国民に対してスパイ活動 その名を「TALON」 米NBC放送が400頁機密文書を入手して暴露

 米国でブッシュ大統領の秘密命令の下、NSA(国家安全保障局)が自国民に対して令状なしに盗視盗聴活動を続けたことがニューヨーク・タイムズ紙の暴露報道で問題になっているが、これより先に米3大ネットワークのひとつであるNBC放送のスクープ報道で、米国防総省(ペンタンゴン)が、新たに立ち上げた情報機関のCIFA(反諜報フィールド活動、Counterintelligence Field Activity)を使って、平和運動組織など米国市民グループ及び特定個人に対し、大規模なスパイ活動を行っていることが明らかになった。

 ペンタゴンによる自国民に対する情報収集活動は、TALON(脅威・地域監視通報、Threat and Local Obseravation Notice)と呼ばれており、2年前、ネオコンのリーダーで、当時、ペンタゴンのNO2、国防副長官だったポール・ウォロヴィッツにより、CIFAを実施主体として開始された。

 NBCの調査報道ユニットが入手した、CIFAデータベースのTALON文書は400頁に及んでおり、過去10ヵ月間に、全米各地であった、1500件もの「疑惑の出来事」について、その「評価」も含め、記録している。

 どのようなケースが「疑惑の出来事」か、というと、たとえば1年前、フロリダ州レーク・ワースで開かれた、平和主義のキリスト教派、クェーカー教徒たちが会堂で開いた集会もその一例。

 この集会では地元の高校に対する米軍の勧誘活動に抗議することが話し合われていた。

 CIFAはこの集会での協議内容を何らかの手段(大沼:盗聴か?)で傍受し、これを「脅威」と判定し、記録文書に盛り込んでいた。

 ペンタゴンが米軍基地に対する抗議デモなどを記録に残すのは当然のことだが、CIFAのTALON情報収集活動は、軍事施設から離れた、地域社会での「出来事」を監視し、記録している。

 NBCが入手した文書には、このクェーカーに対するケースのほか、ことし3月、ロサンゼルスのハリウッドやヴァインで行われたイラク反戦デモや、昨年12月、ボストンで計画された、軍の勧誘活動に対する抗議行動などが記録されていた。

 CIFAのTALONはさらに、抗議デモの準備会合など「疑惑の出来事」のほか、「米国市民・国民」をもターゲットにしており、NBCが入手した文書には、少なくとも20件の「市民・国民」についての「言及」が含まれているという。

 こうした反戦・平和運動に対するペンタゴンによるスパイ活動は、ベトナム戦争当時も大規模に行われていた。
 米陸軍の情報将校だったクリストファー・パイル氏(現・マウント・ホリヨーク大学教授)が1970年1月、「ワシントン・マンスリー」誌で内部告発したことで発覚したが、連邦議会の調査の結果、なんと10万人もの自国民をターゲットとしていたことが明らかになり、米国民の怒りに火を注いだ。

 ペンタゴンはこれをうけて、1982年12月に情報収集活動へのガイドラインを設け、自国民に対するスパイ活動を規制していたが、今回のNBCの暴露報道により、ガイドラインが無視され、規制の約束が反故にされていたことが確認された。

 NBCの報道によると、CIFAは米国の情報コミュニティーのなかでも屈指の、「データ・マイニング(データ採掘)」の「スーパーパワー」になっているという。

 データ・マイニングとはインターネットを通じ、ホームページその他の情報を発掘する手法で、CIFAは昨年3月以来、3300万ドルを投下し、ロッキード・マーティン社やユニシス・コーポレーション、コンピューター・サイエンス・コーポレーション、ノースロップ・グラマン社と契約を結んで、データ・マイニングによるデータベースのシステム構築を開始した。

 このうち、ノースロップ・グラマン社が開発を担当しているのは。「パーソン・サーチ(人物探索)」というシステムで、対象人物に関する「総合情報」を把握することができる。

 コンピューター・サイエンス・コーポレーションが受注したのは、「インサイダー脅威イニチアチブ」と呼ばれるシステムで、「内部関係者)インサイダー」による脅威を察知し、摘発する仕組みだ。

〔大沼 解説〕

 ペンタゴンのCIFAについては、ワシントン・ポスト紙の反骨の老記者、ウォルター・ピンカスさんも、ことし11月27日付けの記事で、その存在をあぶり出してしている。

 ピンカス記者によると、CIFAは3年前に創設され、当初はペンタゴン内のセキュリティ活動の調整を任務としていたが、その後、裏切り、テロ活動など活動範囲を一気に拡大した。

 CIFAが発注したデータ・マイニングのシステムが、どこまで実用化されているかは不明だが、この技術はかなり前に確立しており、稼動が開始されているとみるべきであろう。
 
 アメリカは、プロトタイプのソフトウェア、「プロミス」をベースとしたシステム構築により、NSAやCIFAなどが、米国内外の全情報を、2重にも3重にも傍受・分析し、一般市民を徹底的にマークする「軍事・情報帝国」化の道を急テンポで進んでいる。

 ジョージ・オーウェルの「1984年」状況が、米国を、世界を、覆い尽くそうとしている。

    

http://www.msnbc.msn.com/id/10454316/

Posted by 大沼安史 at 05:05 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-17

〔重要NEWS〕 ブッシュ大統領が秘密命令 令状なしで米国内で盗聴活動 NSA(国家安全保障局)が実施 グローバル盗聴網「エシェロン」を自国市民にも拡大 ニューヨーク・タイムズ紙が実態を暴露

 米ニューヨーク・タイムズ(電子版)は12月16日、ブッシュ大統領の秘密命令の下、米国最大の情報機関、NSA(国家安全保障局)が、すでに3年もの間、令状なしに米国民らをターゲットに、Eメールや電話などの盗視・盗聴活動を続けて来た、と暴露報道した。

 同紙は、ホワイトハウスからの要請で1年間、記事化するのを控えていたが、この間、さらに取材を積み重ね、報道に踏み切った。

 自国民を対象とした、令状なしの盗視・盗聴活動は、米国民の市民的自由とプライバシーの権利という、アメリカの民主主義の基本を侵害するもの。
 米国の憲法はもちろん、米国内で情報収集活動を行うにあたって裁判所からの令状交付を義務づけた「外国情報監視法(FISA)」にも違反する。

 ブッシュ大統領は、こうした重大な法令違反を伴う情報収集活動の実施を、「9・11」後の2002年に「大統領秘密命令」でもって命じていた。

 同紙によれば、令状なしに盗視・盗聴活動を行っていたのは、グローバル規模での情報収集網である「エシェロン」を運営する、世界最大の情報機関でもある、米国のNSA。

 メリーランド州フォート・ミードに本部を置くNSAは、最高度の機密のヴェールに覆われた情報機関で、これまでは外国における情報収集活動のほか、裁判所から令状を取った上で、ワシントンやニューヨークの外国大使館、代表部などの電話やファクス、Eメールなどの盗視・盗聴を行って来た。

 (大沼注:ニューヨーク・タイムズは、さらりとこう書いているが、いくら裁判所の許可をとっているとはいえ、このこと自体、重大な問題である。日本の大使館や国連代表部も日常的に、NSAのターゲットにされていると考えた方がいい)

 ブッシュ大統領の「秘密命令」は、これをさらに拡大し、令状なしに、自国民や在米の外国人に対して盗視・盗聴を行うことを可能にした。

 同紙によれば、NSAには「最大500人」の対象者リストがあり、ときどき、入れ替えが行われている。そうしたターゲットに対しては、「いつでも」盗視・盗聴が可能だ。

 (大沼注:つまりは、24時間監視している。旅行など移動時にも監視しているのだろう)

 「特別情報収集プログラム」という名の、このような秘密活動が行われていることは、ホワイトハウスの高官やNSAやCIA(中央情報局)の一部、米議会指導者ら、一握りのグループが知るのみ、だった。

 議会指導者はチェイニー副大統領の執務室に呼び出され、NSAのヘイドン長官の立会いのもと、秘密活動の説明を受けたという。

 (大沼注:ここでもまた、チェイニーの名が……。いわゆる「陰謀団」の黒幕なのか)

 ニューヨーク・タイムズ紙のこの暴露報道に対し、ブッシュ大統領はコメントを拒否している。

 同紙によれば、このNSAの「特別情報収集プログラム」に対しては、議会指導部などから懸念の声が上がり、昨年、活動が一時、停止され、いくつかのプログラムの「要素」が除去されるなど、いくらかの自己規制が行われた。

 米司法省内にある、秘密の令状発行裁判所、「外国情報監視裁判所」の判事が、NSAが令状なしで収集した情報をもとに令状を請求して来ることに、苦情を述べたこともあったらしい。

 もっとも、同裁判所に対する令状請求にしても、一般の刑事事件よりハードル(基準)が低い、安易なものだったが……。

 こうしたなかで米司法省は、NSAに対する監督調査を行ってもいる。実に初めての監査だそうだ。

 米司法省はしかし、その一方で、「国内におけるすべてのコミュニケーション」をモニターできる、一括した令状の交付を、同裁判所に申請している。

 (大沼注:つまり、ブッシュ大統領の秘密命令を外国情報監視裁判所に追認させようとしている)
 
  

 〔大沼 解説〕

 ニューヨーク・タイムズ紙の今回のスクープ報道は、「9・11」以降、米国で急激に進む、自国民に対する監視強化の実態の一部を暴き出したものだ。

 連邦議会の議員が法案を読む暇もなく、せかされ、成立させてしまった「USA愛国者法」の下、FBI(連邦捜査局)が、公立図書館に対し、ネット利用者の記録を出すよう命じたり、平和団体を盗聴したり、さまざまな市民的自由の侵害が行われている。

 「USA愛国者法」は現在、期限の延長問題が米連邦議会で議論されているが、同法にさえ、今回、暴露された情報収集活動は盛り込まれていない。

 盛り込んで「合法化」しようとしたら、批判を浴びるのは必至だからだ。

 それほどまでに、違憲性の強いことを、ブッシュ政権は行って来たわけだ。そして、いまなお、行っている。

 しかし問題は、ブッシュ政権として、なぜ、自国民500人に対して、盗視・盗聴活動を行う必要があるのか、という動機、あるいは狙いにある。

 ニューヨーク・タイムズ紙によると、「外国情報監視法(FISA)」は実は、ベトナム戦争を背景に、米国の情報機関の「国内における情報収集活動を厳しく規制するために」制定されたものである。

 米国の政府権力が、ベトナム反戦の活動家らに対して盗聴活動を大規模に行っていたことが発覚し、その反省の上に生まれた法律が、このFISAである。

 今回、暴き出された「特別情報収集プログラム」について、ブッシュ政権側は例によって「テロとの戦い」のためと口裏を合わせているが、FISAの成り立ちを考え合わせれば、イラク反戦運動の高まりを警戒しての措置であることは、一目瞭然である。

 いつでも・どこでも情報監視下に置いている、NSAのターゲットの「500人」のなかに、反戦運動家でもある言語学者のノーム・チョムスキー氏ら、ブッシュ政権にとっての「要注意人物」が含まれているのは、間違いないところだ。

 そうなると、どういうことが考えられるか?

 これはいつか、本ブログで詳しく書こうを考えていることだが、「テロとの戦い」に志願して戦地に赴き、「友軍による誤射」で殺害された、プロフットボールのスター選手、パット・ティルマン氏の悲劇についても、見直しをする必要が出てくる。

 ティルマン氏はイラクで、米国の「正義の戦争」に疑問を持ち、一時帰国した際、チョムスキー氏と連絡を取り合っていた事実が報じられているからだ。

 つまり、そのことを、NSAもCIAもホワイトハウスも知っていた!!

 「英雄・パット・ティルマン」が戦地から戻ってきて、「反戦」を言い出したら、どうなるか?

 口封じをするにはどうしたら、いいか?

 こうしたイラク反戦運動の抑圧とともに、もうひとつ、動機として考えられるのは、いわゆる「9・11」謀略の隠蔽工作の徹底であろう。

 「同時多発テロ」が「やらせ」であることを証言・暴露する動きを察知し、未然に抑えこむには、法令に違反しても、この程度のことはやらねばならない。

 ブッシュ政権は実はそういう状況にも追い込まれているのである。

 「軍事と諜報のファシズムの帝国」に堕してしまったアメリカの、権力の闇は深い。
 
 

http://www.nytimes.com/2005/12/16/politics/16program.html?ei=5094&en=c7596fe0d4798785&hp=&ex=1134795600&partner=homepage&pagewanted=print

Posted by 大沼安史 at 10:17 午前 | | トラックバック (0)

2005-12-15

〔NEWS〕 「ブッシュ大統領はCIAエージェントの身分を漏洩した者を知っている」 渦中のコラムニストが言明

 ブッシュ政権内部の人間による、CIAエージェント身分漏洩事件、いわゆる「プレイム・ゲート」事件の立役者であるコラムニストのロバート・ノバク氏が、ついに沈黙を破り、「ブッシュ大統領はCIAエージェントの身分を漏洩した者を知っている」と、講演のなかで明らかにしていたことがわかった。

 ワシントン・ポスト紙(電子版)が12月15日に報じた。

 ノバク氏は13日、ノールカロライナ州ローリーでの「ジョン・ロック財団」の昼食会でスピーチし、その内容を地元紙が14日に報道。これをポスト紙が確認した。

 ノバク氏は2003年7月14日、自らのコラムのなかで、ブッシュ政権がイラク開戦理由のひとつとして喧伝しようとしていた「ニジェール疑惑」(サダム・フセインがアフリカのニジェールから、ウランを入手したのではないかとの疑惑。でっちあげであることがすでに確認されている)が根拠にないものであることを暴露した元外交官、ジョセフ・ウィルソン氏の妻、バレリー・プレイムさんが、CIAエージェントであると報じ、「プレイム・ゲート」事件のきっかけをつくった。

 ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿してブッシュ政権を批判したウィルソン氏に対する報復で、ブッシュ政権内部から、ノバク氏に対して意図的に情報が漏洩されたものと見られる。

 CIAエージェントの身元漏洩は、国家の安全保障を危うくする重大な犯罪であることから、フィッツジェラルド特別検察官の指揮の下、2年に及ぶ、捜査が続けられ、チェイニー副大統領の首席補佐官、リビー被告が偽証などの罪で起訴されている。

 同特別検察官の捜査はなお継続しており、ブッシュ政権の中枢に捜査の手が及ぶものとの観測が強い。

 ノバク氏はまさに事件の「中心人物」だが、ニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラー記者(退職済み)のように、表立った捜査の対象になっておらず、プレイムさんの身元を、ブッシュ政権内の誰から聞いたか、を含め、事件に関することは一切、口を噤んで来た。

 フィッツジェラルド特別検察官の捜査に協力しているらしい。

 このような事件の核心を知るノバク氏が今回、「ブッシュ大統領は知っている」発言を行ったことは、ノバク氏への漏洩者、すなわち同特別検察官の捜査の対象が、大統領に近い「重要人物」であることを示唆するもので、「プレイム・ゲート」事件は、政権中枢を直撃する、「ウォーター・ゲート」並みの政治スキャンダルに発展する可能性がさらに強まった。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/12/14/AR2005121402121_pf.html

Posted by 大沼安史 at 05:46 午後 | | トラックバック (0)

〔イラクから〕 イラクの夜明け? バグダッドで「水道に毒」の噂 国民投票、直前に

 イラクの首都バグダッドで12月15日未明、「水道水に毒が投じられた」との噂が広がった。

 YaHoo!newsが伝えたAP電によれば、警告は同日午前1時ごろ、モスクの拡声器を通じて、市内のかなりの地域に流れた。シーア派居住区のサドル・シティーも、そのなかに含まれている。

 イラク政府保健省は同日2時半に安全宣言を発表し、噂を否定した。

 (大沼 注)

 総選挙の日の未明に、「水に毒」の警告が、モスクのラウドスピーカーから流れるバグダッド。
 民主主義の夜明けの、この現実!

http://news.yahoo.com/s/ap/20051215/ap_on_re_mi_ea/iraq_water_alarm

Posted by 大沼安史 at 04:59 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 ペンタゴン心理作戦 外国メディアもターゲット 米紙報道

 米紙USAツデー(電子版)は12月14日、米国防総省(ペンタゴン)の「特殊作戦司令部」が3億ドル(360億円)を投入し、同盟国を含む外国報道機関もターゲットにした対外謀略宣伝活動を行っている、と報じた。
 
 背後で米政府が糸を引いていることを隠し、「イラク戦争」などで米国に好意的な「ニュース」などを流し、グローバル規模で世論操作を行うのが狙い。
 
 宣伝活動は「特殊作戦部隊」の心理戦専門家の指示のもと、米国のPR会社3社が実際の工作にあたっているという。
 
 この3社のなかには、イラクでジャーナリスト買収工作などにあたっていることが暴露された「リンカーン・グループ」も含まれている。
  

 (大沼 注)

 この報道で注目すべきは、ペンタゴンが「同盟国」のメディアに対しても工作を行っている、と指摘している点である。

 日本の報道機関も、ターゲットとなっている可能性がある。

 一部の民放で、米軍の宣伝まがいの「ワシントン・レポート」が放映されているが、それもこのペンタゴンによる工作の一環かも知れない。

 報道関係者の自己点検と内部告発を期待する。

http://www.usatoday.com/news/washington/2005-12-14-pentagon-pr_x.htm

Posted by 大沼安史 at 11:25 午前 | | トラックバック (0)

2005-12-14

〔For the Record〕 ウィリアムズ死刑囚 最後のインタビュー

 強盗殺人事件で市民4人を殺害したとして、死刑判決を受けていた黒人死刑囚、スタンリー・トゥーキー・ウィリアムズ氏が12月13日午前0時(現地時間、日本時間では同日午後5時)過ぎ、米カリフォルニア州サンフランシスコ郊外、サンクェンティン刑務所で、毒液注射により処刑された。51歳だった。

 ウィリアムズ氏は最後まで、自分は「無実」であると語っていた。

 同刑務所周辺には、死刑執行に抗議する2000人の市民らが集まり、祈り続けた。

 ウィリアムズ氏の遺骨・灰は、アパルトヘイト(人種隔離政策)を克服した南アフリカ共和国に撒かれる。

 ウィリアムズ氏は1953年12月29日、南部ニューオルリーンズの慈善病院に生まれ、5歳のとき、母親に連れられ、グレイハウンド・バスに乗って、ロサンゼルスに来た。

 18歳のとき、他のギャング団から地域を守るため、ギャング連盟を組織し、それが、のちに悪名を高める「クリスプ」ストリート・ギャング団に発展した。

 1979年に起きた強盗殺人事件の容疑者として逮捕され、81年に死刑囚として同刑務所に収監された。

 93年にはビデオによるメッセージで、黒人の青少年にギャングになってはならないと訴え、96年からは「トゥーキー(氏のニックネーム)、ギャングの暴力に反対して語る」という、子ども向けの本を執筆し、8巻、刊行するなど、模範囚として知られていた。

 2001年には、スイス政府によって、ノーベル平和賞候補にノミネートされた。

 ウィリアムズ氏の死刑執行を回避する努力は、米連邦最高裁の執行延期却下と、シュワツッェネッガー・カリフォルニア州知事の助命嘆願拒否でもって無に帰した。

 死刑執行は報道陣や遺族ら50人が見守るなか、行われた。

 執行直前に行われる、死刑囚の書いた声明文の読み上げは、なかった。

 ウィリアムズ氏はなぜか、声明を書き残さなかった。

 執行を目の当たりにした、ロサンゼルス・タイムズ紙のスティーブ・ロペス記者は、こう書いている。

 「わたしは彼が死んでいくのを、12フィート(3.6メートル)、離れたところから見ました。処刑チームは静脈に針を刺すのに、てこずっていました〔ロサンゼル・タイムズ紙の続報では、12分もの間、静脈を探っていたという〕。ウィリアムズは、彼らがちゃんとしてるか、問いただすようなそぶりで(ベッドから)顔をあげました。そして彼は支持者たちを見て、薬物が注入されて死ぬ直前に、最後の言葉を交わしました」

 そのロペス記者は、記事の最後にこう書いた。
 「わたしは、ひとりの人間が死ぬのを、今日、目撃しました。組織の決断により、カリフォルニア州政府の手で殺されたのです。わたしはそれによってわたしたちは何を得たのか、考え込みました」

                 For the Record

  ウィリアムズ氏は死刑執行数時間前、地元のラジオ局、パシフィカ・ラジオ・WBAIのキャット・アーロンさんによる、最後のインタビューに応じていた。

 以下は、その短いやりとりの全文(拙訳)である。

 スタンリー・トゥーキー・ウィリアムズ まぁ、いい気分だよ。わたしへの神の救い(救済 redemption)の兆しだね。今朝、起きて、顔を洗って、祈りを捧げた。運動もした。そして、いま、あなたに語りかけている。いえ、あなたの前に、母親と話した。もちろん彼女はとても励ましてくれて、スピリチャルだった。今、わたしも、そう。そして、あの野蛮な処刑法に恐怖を感じていない。わたしは信仰に依拠しているから。マッチョでもなければ、男らしさとも、昔のギャッグのストリートの掟もどきものとも関係ない。純粋な信仰だよ。わたしの救済にもとづくものだ。それだから、わたしは強く立っていられる。そして、あなたに、あなたのリスナーに、世界に対して、わたしは無実だと、言い続けている。たしかに、わたしは惨(みじ)めな男だった。しかし、わたしは自分を救済して来た。わたしは、あなたに、すべて聴取者に、わたしの話を聴いてくれるだろう人たちに、救済は、惨めな人々のために、あつらわれているものだ、と言いたい。わたしはかつて、惨めだった。さて、行く前に、もうひとつ、質問に答えるよ。

 キャット・アーロン 米国中の数百万の人々が、というより世界が、あなたの支援に立ち上がっています。あなたの助命をたしかなものにするために、できることは何でもしています。世界があなたが遺そうとしているもの(レガシー)を、どうイマジン(想像)してほしい、と思いますか? わたしたちがみな、今日、始まってほしくはないけれど、いろんなかたちで、今日から始まっていくものを。

 ウィリアムズ そう言ってくれて感謝します。同じことを、少し前、聞かれたことがあります。そのとき、わたしは、たったひとつの言葉でこたえた。たったひとつの言葉が、確固とした〔聞き取り不能〕かたちに、すべてを要約するのです。それは、そう、救済(redemtion)。それ以上、言いようがない。それが、世界がわたしを記憶してほしいと思うことです。それが、わたしが遺すものをみなさんに覚えていてもらいたい方法です。つまり、救済への移行(a redemptive transition)。わたしが信じるものは、聖職者やエリートだけが独占するものではありません。そうではなくて……それは、皮膚の色や人種、社会階層、あるいは宗教的なバックグランドに拠らないものです。そこに救済の美しさがある。他の人たちがわたしが自分を救ったのかどうか、どう思おうとも、わたしは気にしません。なぜなら、わたしがそれを知っていて、神がそれを知っているから。わたしが助け続けている若者たちも、それを知っている。そう思ってもらっていい。それがあるので、わたしは感謝しているのです。だから、わたしはこの(発言の)機会を与えてくれたあなたに感謝しています。そしてわたしは、あなたとすべてのみなさんに、神の祝福あれ、と言いたい。からだに気をつけて。

(原文テキストは以下の通りです)

STANLEY TOOKIE WILLIAMS: Well, I feel good, and my redemption signs, I got up this morning, I cleansed myself, I prayed, I exercised, and now I'm talking to you -- or prior to talking to you, I was talking to my mother. Of course, she is quite encouraging, spiritual, and so am I. And my lack of fear of this barbaric methodology of death, I rely upon my faith. It has nothing to do with machismo, with manhood, or with some pseudo former gang street code. This is pure faith, and predicated on my redemption. So, therefore, I just stand strong and continue to tell you, your audience and the world that I am innocent and, yes, I have been a wretched person, but I have redeemed myself. And I say to you and all those who can listen and will listen that redemption is tailor-made for the wretched, and that's what I used to be. So, I can answer one more before I go.

KAT AARON: There are millions of people all around the country and, indeed, the world who are standing in support of you and doing everything that they can to ensure that your life is spared. How would you like the world to imagine your legacy, one that we all hope does not begin tomorrow, but begins in many years from today?

STANLEY TOOKIE WILLIAMS: I appreciate you making that statement. But I have been asked the same query not too long ago, and I said just one word, just one word can sum it up [inaudible] in a nutshell, and that is: redemption. I can say it no better than that. That's what I would like the world to remember me. That's how I would like my legacy to be remembered as: a redemptive transition, something that I believe is not exclusive just for the so-called sanctimonious, the elitists. And it doesn't -- is not predicated on color or race or social stratum or one's religious background. It's accessible for everybody. That's the beauty about it. And whether others choose to believe that I have redeemed myself or not, I worry not, because I know and God knows, and you can believe that all of the youths that I continue to help, they know, too. So with that, I am grateful. So I thank you for the opportunity, and I say to you and everyone else, god bless. So take care.

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2005-12-13

〔For the Record〕 イラク戦争 1000日の決算

 英紙インディペンデント紙(電子版)は12月13日、イラク戦争1000日の特集を掲載した。
 特集記事のひとつに、数字による決算があったので、一部を紹介したい。

 ・2044億ドル(米軍のこれまでの戦費。邦貨換算24兆5300億円)

 ・2339人(同盟軍戦死者)

 ・15955人(米軍の戦傷者)

 ・30000人(イラクの民間人死者)

 ・0(発見されたサダム・フセインの大量破壊兵器の数)

 ・8%(栄養失調に苦しむイラクの子どもの比率)

 ・53470人(殺されたイラク武装抵抗勢力)

 ・66人(殺されたジャーナリストの数)

 ・47%(電気の供給のまったくないイラク人の比率)

 ・20%(インフレ率。ただし、2005年のみ)

 ・20~40%(推定失業率。同上)

詳しくは ⇒

http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article332814.ece

Posted by 大沼安史 at 01:59 午後 | | トラックバック (0)

〔がんばれ シンディー!〕 「平和の母」の闘いが劇化され、ロンドンで上演

 米国でイラク反戦運動を続ける、「平和の母」こと、シンディー・シーハンさんの闘いが、イタリアのノーベル賞受賞劇作家、ダリオ・フォ氏によって劇化され、12月10日、ロンドンでプレミア上演された。

 シンディーさんも、ダリオ氏とともに、観客に交じって、舞台を見つめた。

 英国人の女優、フランシス・デ・ラトゥールさんによる一人芝居、「平和の母(Peace Mom)」。

 舞台の背景イラクで戦死したシンディーさんの愛息、ケイシーさんと、砂漠の戦場の戦車と火柱が、大型の写真パネルとなって、舞台の背景を飾った。

Posted by 大沼安史 at 11:32 午前 | | トラックバック (0)

2005-12-12

〔コラム 机の上の空〕 知られざるジョン・レノン  没後25年 FBIファイル、非公開10頁の謎

 ジョン・レノン暗殺から四半世紀が過ぎました。

 1980年12月8日、米国ニューヨーク市の高級マンション、ダコタハウス前で、狂信的なファンの凶弾に倒れてから、早くも25年――。

 2005年12月8日、暗殺現場に近いセントラルパークの一画には、メモリアルサイトの「ストロベリーフィールド」が設けられ、オノ・ヨーコ夫人らが白バラを献花して、故人を偲びました。

 ジョン・レノン。40歳で非業の死を遂げた「平和のビートル」。
 生きていれば、ことし、65歳。

 きょうは、そんなジョン・レノンの、知られざる一面を紹介したいと思います。

 ビートルズ世代の一員として、ジョン・レノンに関して、最も印象に残っているのは、あの「平和のためのベッドイン(Bed-In for Peace)」です。ベッドで、オノ・ヨーコ夫人と、シーツにくるまって裸で抱き合った。

 ヨーコさんとジョンが結婚したのは、1968年。その年に、オランダのアムステルダムで、最初の「平和のためのベッドイン」をしているんですね。

  1968年は、世界的に反戦・平和運動が盛り上がった年。ジョン・レノンとヨーコ夫人は、暴力ではなく、愛でももって、ベッドの上から平和を訴えた。

 これって、考えてみればすごいことです。

 この「平和のためのベッドイン」はよく知られていますが、ジョン・レノンが政治的なアクティビスト(活動家)だったことは、実はそれほど知られていません。
 ベッドで抱き合っていただけではないんですね。
 
 ジョン・レノンがヨーコ夫人とともに米国に来たのは、1970年のこと。翌71年から、ニューヨークで暮らし始めます。
 
 なぜ、レノンは米国に来たのか?
 
 歴史学者のジョン・ヴィーナー氏(カリフォルニア州立大学アーヴァイン校教授)によると、ニューヨークを拠点に、反戦運動にかかわるためだったそうです。
 ジェリー・ルービン、アビー・ホフマン、ボビー・シールといった運動のリーダーたちと、親交を深めた。
 
 ここでいう反戦運動とは、もちろんベトナム戦争反対運動です。ジョン・レノンはこうした反戦運動に関わりながら、アメリカ国内の社会的な矛盾、民衆の抑圧に対しても目を向け、政治的な活動をするようになる。

 たとえば、1971年12月、ニューヨークの黒人居住区、ハーレムにあるアポロ劇場(ぼくも一度だけ行ったことがありますが、アメリカ黒人運動の文化的拠点になっている劇場です)での抗議集会に参加しています。

 実はその年の9月、ニューヨークの北の方にある、アッティカ刑務所で、囚人たちが――その大半は黒人です――待遇改善を求めてプロテストを始めた。イスラムを信仰する自由、まともな医療ケアの提供などを求めて、立ち上がったのですね。
 それに対して、州知事は州兵を出動させ、武力で鎮圧し、32人の囚人が死んだ。その犠牲者を悼み、州政府の武力行使に抗議する集会に出て、歌っている。
 あの「イマジン」を歌っているのです。

 相前後して、同じ12月、ミシガン州アナーバーで開かれた、地元の活動家、ジョン・シンクレアさんの不当逮捕(マリファナ所持の疑いで10年の刑)に抗議する、15000人規模の大集会にも出ている。

 釈放を求めて歌い、実際、2日後の釈放を勝ち取っている。

 ジョン・レノンというセレブの影響力で、当局としても、シンクレアさんの拘束をそれ以上、続けることができない状況に追い込まれたわけです。

 つまり、この時点でジョン・レノンは、米国における民衆運動の、新たなるヒーローとして立ち現れているわけです。

 神経を尖らせたのは、ベトナム戦争を続けていた、当時のニクソン政権です。
 これ以上、レノンに邪魔されたら困ると、1972年に麻薬所持容疑をデッチ上げ、国外追放を画策するのですが、これに失敗したあとも、FBI(連邦捜査局)に命じて、引き続き、レノンを徹底マークする。

 そのレノンに関する、400ページを超す、FBIのファイルは、さきほど紹介した歴史学者のヴィーナー教授らの手で、1997年、死後、17年にして、裁判闘争の結果、明らかになりました。

 そのなかには、アナーバーの集会に潜入したエージェントによる、克明な集会の記録が含まれているといいます。

 しかし、この「ジョン・レノンFBIファイル」、そのなかの10ページが、いまだに非公開になっています。

 没後、25年経ったいまも、FBIが封印している。

 FBIはつい最近も、この10ページを開示するよう決定を下した連邦裁判所を判決を不服として控訴している。

 「国家安全上の機密」だから、公開できないという理由で、まだがんばっている。

 いったい、その10ページに、何が書かれているのでしょうか?

 一説によると、イギリスの国内諜報組織、MI5がらみの機密資料ではないか、とも見られています。

 こんなこと、あまり想像したくありませんが、もしかしたら、ジョンとヨーコ夫人の「平和のためのベッドイン」を盗聴していた可能性もある。
 それをMI5からFBIが密かに入手していた………

 悪い方向にもっと想像をめぐらせれば、「狂信的なファン」という射殺犯のマーク・チャップマンの背後に、謀略組織があって、封印された「10ページ」を公開すると、そのことがバレてしまう。

 それをFBIは恐れているのではないか………

 もし、ジョン・レノンがいま生きていれば、ヨーコ夫人とともに、イラク戦争反対運動の先頭に立っていることは、たしかなことです。

 わたしたちは、生きていてほしかったと思う。

 それと反対に、死んでいてくれてよかったと思っている人も少なからず、権力サークルのなかにいるはずです。

 しかし、ジョン・レノンは死んでも、たとえFBIファイルの「10ページ」が封印され続けても、ジョン・レノンの、祈りの歌は歌い継がれていくことでしょう。

 「イマジン」のあのメロディーと、あの歌詞。

         No hell below us    ぼくらの下に地獄なんてはない
                   Above us only sky  ぼくらの上には空があるだけさ

 ぼくは実は「机の上の空」というブログを、「個人新聞」としてほぼ毎日、書いているのですが、この「イマジン」の一節も、実は、そのタイトルの意味のなかに取り込んでいます。

 
 ジョン・レノンの25周忌。

 平和の祈りのなかで、その死を悼みたいと思います。

 

Posted by 大沼安史 at 04:30 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

〔ジャック・天野の 目が点丼〕 日中韓「ギクシャク」考 

 ジャック・天野氏より、本ブログに、久しぶりにメールが来た。
 例によって、目を点にして怒っている。

 こんどはNHKにアタマに来ているらしい。
 11日の日曜の夜の、「7時のニュース」の「報道」ぶりに。

 ASEAN会議に出発する小泉首相について報じた、トップニュース。
 そこでの、NHKの「言い草」に腹を立てているのだそうだ。

 怒りのメールを紹介しよう。

                    ◎ ▲ ◎

 おい、大沼。オレ、またまた、目が点になったぜ。
 きのうの夜、飲み屋でテレビ、見ていたらな、7時のNHKニュースで、小泉首相のクアラルンプール行きを取り上げていた。
 そのニュースのナレーションを聞いて、ほんと、腹が立ったぜ。

 「ギクシャク」だってさ。中韓と日本の関係が、ギクシャクしている、だってさ。

 ギクシャクだと?

 中国と韓国に、日本なんかと話はしないと、「首脳会議」を断られておいて、ギクシャクもくそもあったものか。

 「日本(わが国)の外交的孤立が深まっている」と、どうしてハッキリ、言えないんだ。

 自分の体験でものを言うのもなんだが、いいかい、お見合いの相手に、それも中子さんと韓子さんの2人からいっぺんに、「あんたとなんか、やーだピッ」って言われて、三行半を突きつけられたのに、その気がまだあると誤解して、「いまに、オレ様になびいてくるくせに」なんて、間抜け顔で突っ張っているようなものジャン。

 おれも甘かったが、日本政府も甘い。

 でもな、おれの場合はまだよかった。

 おれだって、鏡、持ってるからな。
 自分の顔、見れば、きびしい現実ってものがわかるんだよ。

 いいかい、ジャーナリズムって、社会の鏡だろう? 
 現実を、曇りなく映し出す、社会の鏡だよな。

 ところが、どうだ?
 NHKときたら、政府間の「関係断絶」という、前代未聞の現実をオブラートで包み、砂糖でまぶしてごまかしている。

 まるで、政府御用のPR屋じゃないか。

 もとから、大本営発表のタレ流し放送、いまに始まったことじゃないのはわかっているが、ASEANが進める「東アジア共同体」構想から、日本がはじき出されもしたら、そのうちこんどは、政府のお先棒をかついで、「ニュース解説」あたりで、とんでもないこと、言い始めるぞ。

 何を?

 決まっているじゃないか、

 「わが国としましてもねぇー、東アジア共同体構想に対抗いたしまして、大東亜共栄圏構想を中韓をのぞく各国に提案していかがでしょうか」

 クソッ、おかげで今夜も悪酔いだ!

 
 

Posted by 大沼安史 at 12:11 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-11

〔教育改革情報コラム 夢の一枝〕  荒地としての教室

 「教室施錠『逃さぬため』」
 「京都・小6殺害 塾講師が供述」
 「講師の内面 見極め難題」

 日曜日(12月11日)の「朝日」朝刊1面に、こんな見出しの、準トップ記事が載っていた。
 宇治市で起きた、例の事件の続報である。
 
 朝、友人に頼まれたモーニングコールをかけおわり、寝床に戻って記事を読んでいるうちに、「荒地(あれち)」という言葉が心に浮かんだ。

 荒地、英語でいう、Wasteland。

 自然の荒地ではない。

 T・S・エリオットの詩、以来、近代文明により荒廃し、不毛の地と化した、わたしたちの世界を指すようになった言葉だ。

 昼、ジョギングから帰り、米国のサドベリー・バレー校から届いた原稿の翻訳に取り掛かったら、もうひとつ、気になる表現にぶつかった。

 in a sterile atmosphere

  翻訳原稿では「つまらない環境」と、とりあえず訳しておいたが、「実を結ばない環境」、とでもいった方が、意味的にはより正確かもしれない。

 ともあれ、その「実を結ばない環境」と「荒地」のふたつが、ひとつになって、いま、このブログを書いている、胸の奥の方で、目覚ましのベルのように鳴り続けている。

 
 京都・宇治市の「学習」塾で、「先生」が「生徒」を「教室」で「殺した」。

 加害者は同志社大学の4年生(23歳)。
 被害者は小学校6年生の女子(12歳)。

 11歳しか違わないのに、片方は「先生」になり、もう一方は「生徒」になっていた。

 「先生」をしていた大学生は、受け持ちの「生徒」を、「教室を内側から施錠し……閉じ込め」、包丁で刺した。
 ハンマーも用意していたという。

 「先生」が「生徒」の命を奪った。
 包丁で首を刺し貫いて。
 刺してもだめなら、ハンマーで頭蓋骨を叩き割っていたかも知れない。

 「先生」はなぜ、「生徒」を殺すことができたか?

 それはたぶん、「先生」の側に、「生徒」に対する、一方的で絶対的な支配があったからだ。

 教え込む。従わせる。
 課題を出す。解いて来させる。

 凶行は一方的・絶対的支配の延長線上で起きた。
 教え込む・課題を出す「教育活動」の「限界状況」のなかで、「殺人」は行われた。
 
 「生徒」はおそらく、「先生」に従わず・解いて来なかったのだろう。
 「先生」は「生徒」の抵抗に遭い、「先生」でなくなりかけていた。

 受験競争をそこそこに勝ち抜いたこの同志社大学の学生にとって、いま「先生」として、その子に教えていることは、自分という存在を形成する大事な部分であり、自分自身のアイデンティティーの一画をかたちづくるものだった。

 それが「生徒」に否定された。

 「生徒」に否定されるということは、自分が「先生」でなくなる、ということである。
 
 ふつうの「学校」ならいい。「先生」は、その「生徒」に頭が悪いというレッテルを貼り、低い成績をつけ、「塾へでも行って勉強して来い」と怒鳴りつけていればいいのだから。

 しかし、ここはあいにく「塾」だった。

 朝日朝刊によれば、それも厚生労働省の委託で、講師の「技量認定システム」づくりが進む、「先生」の能力評価に熱心な「塾」だった。

 そこで「生徒」の抵抗に遭えば、「先生」である自分は「先生」でなくなる。

 おそらくこの同志社大学生は、「先生」である自分の全存在をかけて、自分を否定するものを抹殺しようとしたのだろう。

 最初から殺意があったかどうかはわからない。脅すつもり、だっただけかもしれない。しかし、殺意を制御できず、包丁で突き刺した。

 その瞬間、この若者のなかの「先生」は、「先生」として「完結」した。
 それも、「一対一」の、「教室」のなかという、まさに「教育的なシチュエーション」のなかで。

 包丁の先は、女の子のなかの「生徒」でない部分に向かっていたのだろう。
 その部分を貫きとおすことで、「先生」の「教育活動」は最高点に達し、そして12歳の少女の未来と可能性が奪われた。

 不条理なまでの純粋さ。
 それはおそらく、「塾」がふつうの「学校」のような強制力を持たないことで起きた、増幅された悲劇とでも呼ぶべき種類のことであろう。

 しかし、忘れてはならないのは、同じようなことが、塾ではなく「学校」で、これまで繰り返し、起きている事実である。

 鉄製の校門をぶちかまして、登校して来た生徒を死なせたり、態度が悪いと殴り殺したり。

 体罰や暴行はまさに日常茶飯事である。

 宇治市の事件は、そうした「学校」の状況が、「塾」にまで及び、極端なかたちで噴き出したとみるべきであろう。

 「荒地」のような日本の教育の風景。

 命の実を育てるどころか、「先生」が「生徒」を「教室」のなかで殺してしまう、日本の教育の不毛。

 サドベリー・バレー校から届いた原稿にあった、「実を結ばない環境」とは、「先生」が「生徒」を一方的・絶対的に支配し、従わせ・解いて来させる、ふつうの「学校」の「教室」を指す言葉だ。

 ボストン郊外にある、その自由の学校には、「先生」もいなければ「生徒」もいない。子どもたちを閉じ込める「教室」もない。

 上下関係もなければ、年齢差別もない、デモクラティックなコミュニティー。

 ナチュラルな「学び」のなかで、こどもの数だけ結実が進む。

 同志社大学の学生の「内面」を探りながら、サドベリー・バレーのような場所を、この日本に、もっともっとつくって行かねばならないと、痛切に思った。

 

Posted by 大沼安史 at 10:25 午後 2.教育改革情報 | | トラックバック (2)

2005-12-10

〔For the Record〕 ハロルド・ピンター氏、ノーベル文学賞 受賞演説(全文)

 2005年のノーベル文学賞を受賞した英国の劇作家・詩人、ハロルド・ピンター氏が12月3日、ストックホルムで行われた代理出席による授賞式で、ビデオを通じて記念演説を行った。

 ピンター氏は癌と戦っており、医者に出席を止められていた。

 演説は一時退院した際、自宅でビデオに収録し、ストックホルムに届けられた。

 以下はその記念演説、ノーベル・レクチャーの全文の拙訳である。演劇にうとく、そもそも教養に乏しい私ではあるが、老作家による気迫のこもった演説に圧倒されたので、試訳に取り組んだ。 

 ピンター氏の言葉が、日本語の世界に広がってもらいたいとの、願いを込めて。

 テキストは英紙ガーディアン(電子版)に7日に掲載された英語によるスピーチ全文である。

 同紙はそのテキストに「芸術・真実・政治」との見出しをつけていたので、それにならいたい。

                      芸術・真実・政治

 1958年に、わたしはこう書きました。

 「現実と非現実をはっきり区別する違いはない。真実と嘘の間にも。物事は必ずしも真実か嘘か、どちらかでなければならない、ということではない。真実であり同時に嘘でもありうる」

 わたしはこの考えがいまなお、意味を失っておらず、芸術を通した現実の探求になお適用しうるものだと信じています。ですから、芸術作家としてのわたしは、いまもこの考えに立っている。しかし、ひとりの市民としては、それに従うことはできません。ひとりの市民として、わたしもまた、こう問いかけなければならないのです。「真実って何なんだ? 嘘って何なんだ?」

 演劇においては、真実は永遠にとらえられません。真実をほんとうに見ることはできない。しかし、真実を探求する衝動を抑えることもまたできないことです。そしてその探求こそ、努力を駆動するものであることは明らかです。その探求は、みなさん自身のお仕事。暗闇のなかの手探りで、真実に躓(つまず)くことの方が多いはずです。真実にぶつかったり、真実と何か関係ありそうなその姿かたちを一瞬、見たつもりになったり。自分で気づかないうちに、そうしていることが多いはずです。しかし、現実における真実というものは、演劇という芸術のなかで見つけ出そうとする真実とは、縁もゆかりもないものです。現実において真実はいくつもある。これらの真実は互いに挑戦し合い、和解し合い、反映し合い、無視し合い、嘲笑し合い、そして互いに盲(めし)いています。真実を手中に収めたと思う瞬間もおありのことでしょう。しかし真実はあなたの指の間をすり抜け、失われてしまうことでしょう。

 わたしはよく、どうやって演劇が生まれるの、と聞かれることがあります。わたしには答えようのないことです。わたしは、わたし自身の演劇を要約することさえできない。それはただ、そうなっているだけ、と言えるだけです。登場人物たちが、そう語り、そうした、だけのことだと。

 わたしの演劇は、科白(せりふ)の一行、ひとつの言葉、ひとつの動作から生まれて来るものなのです。発せられた言葉のすぐ後を、イメージが追いかける……。実例をふたつ、お目にかけることにしましょう。わたしの頭のなかに突然、降って湧き、イメージによって後追いされ、わたしによって追跡された、科白の二行です。

 わたしの『ホームカミング(The Homecoming、帰郷)』と『オールド・タイムズ( Old Times、懐旧(かいきゅう))』に出てくる、ふたつの科白です。『ホームカミング』の最初の一行は、「お前、あの鋏、どうしたんだ?(What have you done with the scissors?)」で、『オールド・タイムズ』のそれは、「黒だ(Dark)」です。

 ふたつの場合とも、わたしはそれ以上の何の情報も、(脚本を書き出すとき)持っていませんでした。
 
 最初のケースでは、明らかに、誰かが鋏を探している。そして別の誰かに、こいつ、もしかしたら盗んだかも知れないなと疑いながら、鋏が何処にあるか、説明を求めている。しかし(そう書き出した)作者であるわたしは、そのとき、なぜかもう、こういうことを知ってしまっている。問い詰められた方が鋏のことなど何も気にしちゃいないし、そもそもそう聞いている方の人物のことも眼中にないことを。

 もうひとつの「黒だ」は、髪の毛の表現として書き出したものです。女性の髪の毛に関するもので、ある質問に対する答えとして書いた。
 ふたつのケースとも、そう書いたことで、わたしは問題の追及に迫られたわけです。
 それは視覚的なかたちで起きました。とてもゆっくり薄らいでゆき、影を通って光に向かって行った。

 わたしはいつも、登場人物をAとかBとかCと呼ぶかたちで、脚本を書き始めます。

 『ホームカミング』として出来上がった芝居でわたしは、寒々とした部屋にひとりの男が入って来て、きたないソファーで競馬新聞を読んでいる若い方の男に問いただすシーンをまず思い浮かべました。登場人物のAはたぶん父親で、若い男のBは息子でしょう。でも、いまのところ、確証はありません。しかし、それはすこし後になって、B(あとでレニーになります)がA(あとでマックスになります)に、「父さん、そんなこと、どうだっていいだろう? それよりも、こっちの方が聞きたいよ。あの晩飯、なんなんだよ。どう呼べばいいんだ? 犬、飼って食わせろよ。犬メシのコックさん。ほんとにそうだよ。犬に食わせる料理じゃないか」というくだりで、はっきりします。
 BがAを「父さん」と呼んだことで、わたしにも、ふたりが父と息子であることが理に叶ったことになりました。Aが料理人であるけれど、評判がどうやらよろしくないことも。となると、母親はここにはいない?……それはわたしにもまだわからない。この芝居を書きながら、自分自身に言ったように、
〝わたしたち〟の始まりが、〝わたしたち〟の行き先を知ることは、決してないのです。

 「黒だ」。大きな窓。夕暮れの空。ひとりの男、A(あとでディーレイになります)。そして、ひとりの女、B(あとでケイトになります)。座って飲んでいる。「太ったの、それとも痩せた方?」と男が聞く。何のことを話しているのか? しかし、そのあと、わたしの目に、窓際に立つ、女性C(あとでアンナになる)が浮かぶ。別の光の中で。ふたりに背中を向けて。黒い髪……。

 不思議な瞬間です。それまで存在しなかった人物が創造される瞬間。それに続くものは、衝動にあふれ、不確定で、眩惑(げんわく)的ですらあります。ときにそれは、止めようのない雪崩(なだれ)になりうることもありますが……。わたしという作家は、奇妙な位置にあります。彼はある意味で、登場人物たちに歓迎されません。登場人物らは彼に抵抗します。ともに生きることは楽なことではありません。意味づけることは不可能です。彼(女)らに、科白を押し付けることもできません。はっきりしたことです。かなりの程度、登場人物たちと、終わりなきゲームを続けることになる。鬼ごっこ、目隠し、かくれんぼ。けれど最終的にみなさんは、その手中に、意志と固有の自己感覚を持ち、変えたり操ったり捻じ曲げたりできない部分から成る、血肉をもった人物たちを見つけ出すことでしょう。

 つまり、芸術における言葉は、高度に曖昧なやりとりであり続けるわけです。それは流砂(りゅうさ)であり、トランポリンであり、いつなんどき、作者であるあなたを落とし込みかねない、凍ったプールであるわけです。
 
 しかし、すでにお話しましたように、そうした真実の探求は止むことのないものです。それは休会も延期もできません。まさにその場で、向かい合わあわなければならないものなのです。

 これに対して、政治の劇場は、まったく異なる問題群を提示します。お説教は、どんなことがあっても、してはなりません。客観性こそ命です。そこに登場する人びとは、自分自身で呼吸することを許されねばなりません。作者が自分のテースト(感覚)や好み、あるいは偏見にあわせ、人びとを閉じ込めたり、締め付けたりすることはできません。さまざな角度から、禁じされることない、全開の視野のなかで彼(女)らにアプローチし、ときには驚かせ、にもかかわらず、わが道をゆく自由を彼(女)に与える用意ができていなければならない。そしてそれが、いつもうまくゆくとは限らない。もちろん、政治的な風刺は、こうした教えに従わず、実際はそれとは正反対のことをしてしまいます。それこそが、政治風刺の正しい機能なのではありますが……。

 わたしの『誕生会(The Birthday Party)』という劇では、最後に服従することへ焦点化される前に、可能性の森深く、あらゆる行動の選択肢がありうる状況を設定しました。

 『山の言葉(Mountain Language)』では、そうした選択肢があるふりさえしません。野卑(やひ)で短く、醜くあり続る。しかし、劇に登場する兵士たちは、それを面白がります。拷問するのも、すぐ飽きが来るものなのに、そのことをときどき、忘れようとする。意気を軒昂(けんこう)に保つために、少しは笑いを必要とする。このことはもちろん、バグダッドのアブグレイブでの出来事で確証されたことであります。
 この『山の言葉』は20分の短い劇です。しかし、それが何時間にもわたって繰り返し上演しうるものです。ずっと、ずっと、ずっと。何時間にもわたって、同じパターンが反復される。

 『灰から灰へ(Ashes to Ashes)』は反対に、水中の劇として、わたしに現れたような気がします。溺れかけた女がいます。波の上に伸びた彼女の手。視界から消える。誰かの助けを求めるが、そこには誰もいない。水面上にも水面下にも。ただ影と反映と浮遊あるのみ。溺れゆく風景のなかで失われゆく人影としての、その女。他の誰かに所属するだけらしい運命を逃れることのできない女。

 他の誰かがそうだったように、彼女もまた死なねばならない……。
 

 政治の言葉は、政治家によって使われると、こうした芸術の言葉の領域に入っては行かないものです。わたしたちが手にしている証拠によれば、大多数の政治家は真実ではなく、権力とその維持に関心を向けているからです。権力を維持するには、民衆を無知のなかにとどめることが不可欠です。民衆が真実を知らずに、自分自身の生の真実さえ知らずに生きていることが不可欠です。ですから、わたしたち民衆を取り囲んでいるものは、嘘の膨大な織物なのです。それをえさとして、わたしたちは食べ続けている。
 
 ここにいらっしゃる皆さん方全員がご存知のように、イラク侵略を正当化したことといえば、サダム・フセインが大量破壊兵器のきわめて危険な一群を保有し、そのうちの一部は45分以内の発射が可能で、悲惨な荒廃を招くものだということでした。それが真実だと、わたしたちは確信させられました。けれどそれは真実ではありませんでした。イラクはアルカイダと関係があり、ニューヨークにおける「9・11」の残虐行為にも相応の責任を持つと、わたしたちは吹き込まれました。真実ではありませんでした。イラクは世界にとって脅威であると教えられました。それが真実だと確信させられました。真実ではありませんでした。
 
 真実は、まったく異なったものです。真実は、米国が世界における役割をどう理解し、それをどう体言しているかという点にかかわるものです。

 ふたたび現在に戻る前に、わたしは最近の過去を――それは第2次大戦後の米国外交政策のことでありますが――見てみたいと思います。この時期のことを検証することは、わたしたちにとって義務であると、わたしは信じています。それは、(授賞式場という)こうした場所において、つねに許されるべきことではありますが……。

 戦後、ソ連や東欧全域で何があったか、誰もが知っています。組織的な暴行、広汎な残虐、独立した思想に対する容赦のない弾圧。すべては完全に記録され、確証されました。
 
 しかし、わたしが言いたいのは、同じ時期、米国が行った数々の犯罪は、表面的に記録されているだけだということです。文書化もされなければ、認められもせず、そもそも犯罪を犯したことさえ気づかれずにいる。これはきちんと決着をつけるべきことであり、そこで明かされるべき真実は、わたしたちの世界がよって立つものに相当な影響を及ぼすものと、わたしは信じています。ソ連という存在によって、一定程度、抑制されていましたが、世界各地での米国の行いは、好き勝手なことができる白紙委任状を自分たちは得ているのだと自ら結論づけていることを、はっきり示しています。

 主権国家を直接的に侵略することは、たしかにこれまで、アメリカ好みのやり方ではありませんでした。アメリカはこれまで、主として「低強度紛争」といわれるやり方を好んで来た。低強度紛争とは、爆撃で一撃のもと死ぬのではなく、より緩慢(かんまん)に数千人の人びとが死んでいくことです。それはある国の中心を侵し、悪を増殖させ、壊疽(えそ)が広がるのを見ていることです。人びとが制圧され――殴り殺され――それは同じことですが――たあと、権力の座に快適に座る、あなた方の友人たち、軍や大企業のみなさんが、カメラの前に出て来て、デモクラシーが勝利したと言う……。これはわたしが言及した戦後期の米外交に共通するものです。

 ニカラグアの悲劇は、高度に重要な事例です。わたしはこれを、世界における自分の役割をアメリカが当時も今もどう見ているかを示す、有効な例として提示したいと思います。
 
 1980年代の終わりごろのことでした。わたしはロンドンの米国大使館での会議に参加していました。
 
 米国の連邦議会・上院は、ニカラグア政府に対するコントラの攻撃への資金援助を増額すべきかどうか、まさに決定しようとしていたときでした。わたしはニカラグア政府のために発言する代表団の一員でした。そのなかで、もっとも重要なメンバーは、ジョン・メトカルフ神父でした。対する米国代表団のリーダーは、レイモンド・ゼイツ(当時は大使に次ぐポストにあり、その後、大使に昇格しました)でした。メトカルフ神父は言いました。「議長。わたしは、ニカラグアの北部の教区を預かっている者です。わたしの教区の信者たちは、学校を建て、健康センターを開き、文化センターを開設しました。わたしたちはこれまで平和のうちに暮らして来たのです。数ヵ月前、わたしたちの教区を、コントラの部隊が攻撃しました。彼らは全てを破壊しました。学校を、健康センターを、文化センターを。看護婦や女教師を凌辱し、最も残酷な方法で医者を殺した。野蛮人のようなふるまいでした。こうした恐るべきテロリストの行為への支援をやめるよう、米国政府に要求していただきたい」

 レイモンド・ゼイツは分別があり、責任感があり、高い教養を備えた人物として、評判がとてもよかった人です。外交サークルでは非常に尊敬されていました。彼はじっと聞き入り、息をついだあと、重々しく、こう言ったのです。「神父さま。わたしにも言わせてください。戦争では、罪もない人びとが常に苦しむものです」。凍りついた沈黙があとに続きました。わたしたちは、まじまじと彼の顔を見ました。しかし、彼はたじろぎませんでした。

 その通り。罪もない者が常に苦しんでる……。

 誰かが最後、こう言いました。「しかし、この場合、その『罪もない人びと』とは、あなたがたの政府によって支援された、恐るべき残虐行為の犠牲の一部です。上院がもし、コントラにもっと資金援助することを許せば、同じような残虐行為がもっと起きる。これは重大なことではないのですか? あなたがたの政府が、主権国家の市民の殺害と破壊行為の支援に、責任がないとでもいうのですか?」

 ゼイツは動じませんでした。「提示された事実があなたの主張を支持していることに、わたしは同意しません」と言いのけました。

 米国大使館を退去するとき、ひとりの大使館員がわたしに近寄って来て、わたしの劇を楽しんでいる、と言いました。わたしは返事をしませんでした。

 わたしはみなさんに、当時のレーガン大統領の以下の言明を思い起こしていただきたいと思います。「コントラは、われわれの建国の父たちと道徳的に等価である」

 米国は40年にもわたって、凶暴なソモザ独裁政権を支え続けました。サンディニスタに率いられたニカラグアの民衆は1979年に体制を転覆させました。息をのむほどの民衆革命でした。

 サンディニスタも完全ではありませんでした。傲慢さを世間並みに持ち、その政治哲学には矛盾点が数多く含まれていました。しかし、彼(女)らは知識を持ち、理にかなっていて文明化されていました。彼(女)らは、安定的で上質な多元的な社会の建設に乗り出していたのです。死刑も廃止されました。数十万の貧困にうちひしがれた農民が、死者の国から呼び戻されました。10万を超える家族に、土地の所有権が与えられました。2000の学校が建設されました。まさに特記にあたいする識字キャンペーンが展開され、この国の文盲を7人に1人まで減らしたのです。無償の教育も確立しました。無料の医療サービスも受けられるようになった。幼児死亡率は3分の1、下がりました。小児麻痺は根絶されました。

 米国はこうした成果を、マルクス・レーニン主義による体制転覆だと非難しました。米国政府にとって、危険な前例が生まれてしまったわけです。もし、ニカラグアに社会的・経済的な正義の基本的な規範の樹立を許したならば、医療ケアと教育水準の向上と社会的な団結と国民的な自尊の確立を許したならば、近隣諸国も同じ問いを問い始め、同じことを始めかねない……。実際のところ、当時、隣国のエルサルバドルでは、支配の現状に激しく抗議する抵抗運動が起きていたのです。

 わたしは先ほど、わたしたちを包み込む「嘘の織物」についてお話しました。レーガン大統領はニカラグアのことを、「全体主義の穴倉」だと言い続けました。これをメディア一般は――英国政府は、正しく、公正なコメントとして――取り上げていたのです。しかし、事実は、サンディニスタ政権の下、暗殺団というものは存在しませんでした。拷問の記録もありません。組織的、あるいは軍隊による公的な残虐行為の記録もありません。ニカラグアでは(サンディニスタ政権下)ひとりの神父も殺されませんでした。それどころか、政府部内にジェスィットが2人、マリークロールの宣教師1人の計3人の神父が参加していたほどです。全体主義の穴倉は、隣のエルサルバドルやグァテマラにあった。米国は1954年、グァテマラで、デモクラティックに選出された政府を崩壊させ、その後の軍事政権の支配下、20万人を超える人びとが独裁の犠牲になったと推定されています。

 サンサルバドルのセントラル・アメリカン大学では、最も著名な6人のジェスィットが、米国のジョージア州フォート・ベニングで訓練されたアラカルト連隊の大隊によって、1989年に無残に殺害されています。とても勇敢なロメロ大司教は、ミサで説教していたところを暗殺されました。7万5千人が殺されたと推定されています。彼(女)らはなぜ、殺されなければならなかったか? よりよい生活は可能であり、達成されるべきだと信じたから、殺されたのです。そう信じた者は、すぐさま、共産主義者とみなされました。彼(女)らはなぜ、死んだのか? それは現状に対し――際限のない、貧困と病気、腐敗と弾圧の高みに対し、問いを投げかけたからです。それが彼(女)らの生まれつきのものだと言われていたものに。

 米国はそのサンディニスタの政権を最終的に崩壊させました。何年もかかりました。かなりの抵抗もありました。しかし、容赦のない経済的な迫害と3万人もの死が、遂にニカラグアの民衆の意気を殺(そ)いだのです。彼(女)らはふたたび、疲れきり、貧しさにあえぎ出したのです。カジノが舞い戻って来ました。無償の医療と教育は終わりを告げました。巨大企業が復讐心をみなぎらせて帰って来た。「デモクラシー」はかくして広がったのです。

 しかし、この「政策」は中央アメリカに限ったことでは決してありません。全世界で実施されて来たものです。終わりのないものですが、まるで、なかったかのようなものでもあります。

 米国は第2次大戦後、多くの場合、世界の右翼軍事独裁政権をつくって来ました。わたしが言っているのは、インドネシア、ギリシャ、ウルグァイ、ブラジル、パラグァイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グァテマラ、エルサルバドルのことです。そして、もちろん、チリのことも。1973年、米国がチリにもたらした恐怖は、忘れることができないものであり、決して許されないことです。

 こうした国々では数十万の人びとが死亡しました。ほんとうに起きたの? 全部が全部、米国の外交政策のせいなの? 答えはイエス。それは実際に起き、アメリカの外交のせいなのです。しかし、みなさんは知らずにいた。

 だからそれは起きなかった。なにひとつ、起きなかった。それが起きつつある時でさえ、それは起きなかった。どうでもよかった。なんの関心もなかった。
 これらの米国の犯罪は、組織的であり持続的であり、悪意に満ちて情け容赦のないものでした。にもかかわらず、それについて発言する人はほとんどいなかった。すべてをアメリカの手に委ねてしまわなければならなかった。アメリカは一方で普遍的な善のための力を偽装しつつ、世界中で権力の臨床操作を行って来たのです。それは、頭のいい、機知にさえ富んだ、すばらしい成功を積み上げて来た催眠術でした。

 わたしは米国こそ、疑いなく、巡業中の最も偉大なるショーであると言いたい。残虐で冷淡で、嘲りに満ち、容赦のないところがあるにせよ、非常に賢い。セールスマンとして旅に出ており、その最も売れ筋の商品が自己愛なのです。米国は勝利者です。アメリカの大統領がテレビでいう言葉を聞いてごらんなさい。「アメリカのみなさん(The American people)」という言葉が、次のような文章のなかで出て来ます。「アメリカのみなさんに向かって、わたしはいまこそ祈りのときであり、アメリカのみなさんの権利を守るときであると言いたい。そしてわたしはアメリカのみなさんに、いまアメリカのみなさんのために行動を起こそうとする、あなたがたの大統領を信じてほしいとお願いしたい」

 眩いばかりの戦術です。実際問題として、思考を窮地に追い込むべく、言葉が使われています。「アメリカのみなさん」という言葉は、なんども安心させる、ほんとうに官能的なクッションです。考える必要などありません。クッションに身をゆだねるようしていればいい。そのクッションは知性と批判精神を窒息させるかも知れませんが、とても気持ちのいいものなのです。もちろん、この言葉は、貧困線下にあえぐ4000万人のアメリカ人や、米国各地に広がる牢獄につながれた200万人の男女に当てはまるものではありませんが……。

 米国は最早、低強度紛争のことで頭を使うこともありません。口を噤んだり、遠まわしの言い方で逃げることに意味を見出さなくなりました。恐れることなく、あるいは親切心もなく、テーブルの上にカードを曝(さら)け出すようになっている。米国が無力で無関係とみなす、国連や国際法、批判的異見など、どうでもいいものと、ただただ思っているのです。そしてそれは、弱々しい子羊を背後に引き連れている。病人のように無気力な英国という羊を。

 わたしたちの道徳感覚に、いったい何が起きたのでしょうか? そもそも道徳感覚を持ったためしがあったでしょうか? いまやこの言葉にどんな意味が残されているのでしょう。最近はきわめて稀(まれ)にしか使われなくなった良心という言葉を指しているのでしょうか? 自分の行動だけでなく、他者の行動の責任を分かち合う、良心? すべては最早、死に絶えた? グアンタナモ・ベイを見なさい。数百人にも人びとが3年以上も、自分の罪状さえわからず、弁護士もつかず、正当な法の手続きをなく、機械的に永遠の囚われ人になっています。この完全に不法な機構は、ジュネーブ条約を無視して維持されている。それは容認してはならないものであるばかりか、いわゆる「国際社会」にとって、考えられないことです。この犯罪的な非道は、自分自身を「自由世界のリーダー」と称する国によって行われていることです。グアンタナモ・ベイの住人を、わたしたちは考えてみることがあるでしょうか? 彼らについて、メディアは何と言っているか? 新聞の6ページあたりに、小さな記事がたまに顔をのぞかすくらいです。彼らはそこからの生還がかなわないかもしれない無人の地に放り込まれているのです。彼らの多くが、いまこの瞬間もハンガーストライキを行っています。強制的に栄養を投与されています。英国人も含まれています。この強制投与にはなんの気配りもありません。鎮静剤ももらえなければ、部分麻酔もかけてんもらえません。チューブを鼻から喉へ通すだけです。血を吐いてしまいます。これは拷問です。これについて、英国の外務大臣は何と言っているか? 何も言っていません。英国の首相は何と言っているか? 何も言っていません。米国がこう言っているからです。グアンタナモ・ベイのわれわれの行為を批判することは、非友好的な行為に他ならない。お前たちは味方なのか、敵なのか? そう迫られてブレアは口を閉ざすのです。
 
 イラク侵略は、無法者の行為です。国際法の概念を絶対的に侮蔑する、あからさまな国家テロリズムです。イラク侵略は、嘘の上に嘘を重ね、メディアを――ということは公衆を――操作したことで喚起(かんき)された、恣意(しい)的な軍事行動です。ほかの口実がみな失敗したので、最後の手段として引っ張り出して来た、解放という仮装を纏(まと)いながら、中東におけるアメリカの軍事・経済支配の強化を狙った行動なのです。
 数千人もの罪もない人びとの死と人体損傷に責任を負う、軍事力の圧倒的な行使。

 わたしたちは拷問を、集束爆弾を、劣化ウラン弾を、手当たりしだいの無数の殺戮(さつりく)を、悲惨を、生活破壊を、死を、イラクの人びとにもたらしました。そしてそれを「自由と民主主義を中東にもたらす」ものだと言った。

 大量殺戮者、そして戦争犯罪人と彼らが呼ばれるようになるまで、いったいどれくらいの人間を殺さなければならないのか? 10万人? わたしが思いつく限度を超えた数です。だからこそ、ブッシュとブレアを国際刑事裁判所の法廷に立たせることは、正義にかなっていることです。しかし、ブッシュは賢かった。国際刑事裁判所条約を批准しなかったから。それゆえ、もしアメリカの兵士や政治家が法廷に立たされようものなら、海兵隊を送り込むと、ブッシュは警告することができたわけです。しかし、トニー・ブレアは条約を批准しています。だから、訴追(そつい)もあり得ます。わたしたちは、もし国際刑事裁判所が関心を持つなら、ブレアの所在を知らせることができます。ロンドンのダウニング街10番地にいますと。

 こうした文脈のなかで、死は無意味化されます。ブッシュもブレアも、誰が死のうとお構いなし。イラク人の武装抵抗が始まる前に、少なくとも10万人ものイラク人がアメリカの爆弾やミサイルで殺されました。死んだ人びとは、見向きもされなかった。彼(女)らの死は、存在していません。空白のままです。死んでいる、と記録もされない。「われわれは死者のボデー・カウントをしない」と、アメリカの将軍、トミー・フランクは言いました。

 イラク侵略が始まって間もないころ、イギリスの新聞の第1面に、トニー・ブレアがイラクの小さな男の子の頬にキスしている写真が載りました。写真説明はこうでした。「感謝する少年」。それから数日後、新聞の奥のページに、両腕を失った、別の4歳の男の子の話と記事に掲載されました。少年の家族は、一発のミサイルで吹き飛ばされていたのです。そして、この子だけが助かった。少年はこう言いました。「ぼくの腕をいつ返してくれるの?」。その記事はその後、削除されました。そうです、ブレアはその子を抱かなかった。腕や足をなくしたどんな子も、血まみれのどんな死体も、ブレアは抱きませんでした。血は汚れているのです。血は、テレビで誠実そうに演説する、シャツやネクタイを汚すのです。

 2000人のアメリカ人が死んで、慌てています。闇に紛れて、墓地へ運ばれて行きました。葬式は地味に、危険のない場所で。手足を失った者はベッドに朽ち、ある者は一生をかけて果ててゆく。つまり死者も非不具者も、ともに朽ちてゆく。墓の種類が違うだけです。

 〔チリの詩人〕パブロ・ネルーダの詩、『そのわけを話そう』の一節を引くことにしましょう。

   そしてある朝、すべてが燃え出した
   ある朝、大きな炎が
   大地から噴き出し
   人間をむさぼりつくした
   そしてそのときから 火が
   弾薬が
   血が

   飛行機に乗りムーア人を連れた悪党どもが
   指輪をはめて公爵夫人を連れた悪党どもが
   祝福する黒衣の修道士を連れた悪党どもが
   子どもを殺しに空から舞い降り
   子どもの血が通りを流れる
   静かに 子どもの血のように

   ジャッカルにさえ蔑まれるジャッカルどもよ
   乾いたアザミの花さえ棘を刺し、唾棄(だき)する石どもよ
   マムシにさえ毛嫌いされるマムシどもよ

   お前たちの面前に わたしは見たのだ 血が
   スペインの血が 波の塔になって逆巻き
   お前たちをひと呑みにする
   誇りと刃のうねりになって

   裏切り者ども
   将軍どもよ
   殺されたわが家を見よ
   破壊されたスペインを見よ
   燃え盛る家々から金属が溶け出る
   花たちに代わって
   抉(えぐ)り取られた、ひとつひとつのスペインから
   スペインが現れる
   そして死んだ子どものひとりひとりから、両目を持ったライフルが
   そしてひとつひとつの犯罪のあとから、弾丸が生まれ出て
   いつの日か必ず
   お前たちの心臓の的を狙うのだ

   諸君らは尋ねる スペインの詩はなぜに
   夢を葉を歌わないかと
   ふるさとの大地の偉大なる火山の歌を歌わないかと

   来て、見てくれ 通りに流れた血を
   来て、見てくれ
   通りに流れた血を
   来て、見てくれ 血を
   通りを!

 わたしがパブロ・ネルーダの詩を引用したのは、〔フランコのファシストに滅ぼされた〕スペイン人民共和国をサダム・フセインのイラクになぞらるためではないことを、はっきり言わせてください。わたしがネルーダを引いたのは、現代詩のなかに、これほどパワフルに、民衆への爆撃の悲惨を描き切ったものがほかにないからです。

 わたしは先ほど、米国がいまやまったくあからさまに、手持ちのカードをテーブルの上に曝し出したと言いました。問題はここにあります。米国の公式に宣言された政策は、「フル・スペクトル(全領域)支配(full spectrum dominance)」と定義されています。わたしの科白ではありません。彼らの用語です。「フル・スペクトル支配」とは、陸地や海、空、宇宙、その他、あらゆる利用可能な資源を意味する言葉です。

 米国は世界の132ヵ国に、合わせて702の軍事基地を設け、占拠しています。もちろん、みなさんのスウェーデンは、その名誉ある例外ではありますが……。米国がどうやって、そういうことをやってのけてたか、よくわかりませんが、彼らはたしかにそこにいるのです。

 米国は8000発もの、実戦配備または配備可能な核弾頭を保有しています。うち2000発は、一触即発の警戒態勢下にあり、警報発令後、15分以内に発射することができます。米国はまた、「バンカー・バスター」として知られる、新しい核戦力のシステムを開発中です。英国は協調姿勢を強め、国産の核ミサイル「トライデント」を更新しようとしています。いったい、誰を狙おうというのでしょう? オサマ・ビンラディン? それとも、あなた? わたし? ジョー・ドークスさん? 中国? パリ? 知る者はいません。しかし、わたしたちがたしかに知っていることがあります。この幼児的な狂気――それはつまり、核兵器の保有と使用の脅迫のことですが――が、現在のアメリカの政治哲学の中心にあるということです。わたしたちは思い起こす必要があります。米国は軍事に永久的に立脚しており、その態勢を緩める兆しはない、ということを。

 数百万といえなくとも、少なくとも数千人の米国人は、彼(女)らの政府の行動に不快感と恥と怒りを表明しています。しかし、実際のところ、それはまだ、ひとかたまりの政治的な力にはなっていません。しかし、わたしたちが目の当たりにしている、米国で日々、増大する不安、不確実、恐れは、消えるものではないようです。

 わたしはブッシュ大統領がきわめて優秀なスピーチライターを数多く、抱えていることを知っています。しかし、わたしとしても、ボンランティアでその仕事をしてみたい気がします。そこでわたしは、全米テレビ演説で使える、以下の短い演説文を提案したいと思います。

 わたしはいま、彼の姿を目に浮かべています。威厳があって、丁寧に髪の毛をとかしていて、真剣で、勝利の確信に満ちている。しばしば人を魅了し、ときどき苦笑を浮かる、変に魅力的な、男の中の男を。

 「神は善であります。神は偉大であります。わたしの神は善であります。ビンラディンの神は悪であります。彼の神は悪の神です。サダムの神は悪です。その神もサダムの神にはなれなかった。サダムは野蛮人です。われわれは野蛮人ではありません。われわれは首をはねたりしません。われわれはデモクラシーを信じています。われわれは、情け深い社会です。われわれは、情け深い電気椅子と情け深い毒液注射で処刑しています。われわれは偉大な国民です。わたしは独裁者ではありません。わたしは野蛮人でもありません。彼が、そうです。そして、別の彼も。全員がそうです。わたしには道徳的な権威があります。この拳を、ご覧なさい。これがわたしの道徳的権威です。忘れちゃ困るぜ!」

 作家の人生は、か弱いものです。裸同然の活動であります。しかし、だからといって、泣くことはありません。作家は自分自身で選択し、選んだものに固執します。しかし、あらゆる風にさらされ、ときとして凍(い)てついた風に吹き付けられるのだというのも、真実です。でも、自分自身の足だけで立っていなければなりません。避難所もなければ、保護するものもない。それも、嘘をつくなら、話は別です。その場合、あなたはもちろん、自分で自分の守りを固めていく。そうして――議論の余地はありますが――、政治家になっていく……。

 今宵、わたしは何度も死者について語って来ました。ここでわたしの詩、『死(Death)』を引くことにしましょう。

   死体が出たのはどこだ?
   死体を見つけたのはだれだ?
   死体は出てきたとき死んでいたか?
   死体はどうやって出て来たか?  

   死体はだれだ?

   死体は父か、娘か、弟か?
   叔父か、妹か、母か、息子か?
   死んで捨てられたものの

   死体は裸か旅装をしてたか?

   死体が死んだというのは、どうして?
   死体が死んだとあなたが言ったの?
   死体が死体だとどうして知ったの?
   死体が死んでいるとどうしてわかるの?

   死体をあなたは洗いましたか?
   死体の両の目を閉じたのですか?
   死体をあなたは埋めましたか?
   死体をあなたは捨てましたか?
   死体にあなたはキスしましたか?

 わたしたちが鏡を見るとき、目の前に現れた映像を寸分の狂いもない正しいものと考えます。でも、わたしたちが1ミリ、動いても、映像は変化します。わたしたちは実は、無限の反射の射程(しゃてい)に向き合っているのです。作家はしかし、ときにその鏡を破壊しなければなりません。鏡の向こう側から、真実がわたしたちを見ているからです。

 途方もない困難が現に存在します。しかし、ひるまず、ゆるがず、市民として、わたしたちの生の現実における真実を言葉にする、強固な知的決意をすることは、わたしたちがみな、譲り受けるべき、きわめて重大な責務であります。それは、わたしたちに与えられた使命です。

 もしかりにそうした決意がわたしたちの政治のヴィジョンに体現されなければ、わたしたちはすでにほとんど失いかけているものを復興する希望をなくしてしまうことでしょう。失いかけているもの――それは、人間の尊厳です。  
       
   
   

http://books.guardian.co.uk/news/articles/0,,1661516,00.html

Posted by 大沼安史 at 12:49 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-09

〔国際問題コラム いんさいど世界〕 米中 「イラク」で相補的アプローチについて協議 エネルギー資源安定も討議

 第2回米中高官協議が12月8日、2日間の日程を終え、米国務省のゼーリック次官が声明を発表した。

 その協議の結果を、YaHoo!newsのAFP電で読み、米国務省のサイトの声明文に目を通して、米中接近がこんごさらに進展しそうな印象を受けた。

 声明でとくに気になったのは、「われわれは中国が米国その他の国々と、イラクやアフガニスタン、イラン、北朝鮮といったさまざまな挑戦で、いかに協働しうるか、話し合った」というくだりだ。

 「イラク」が「諸挑戦」の最初に挙げられている。

 そして、「同じ政策目標を、相補的なアプローチの仕方で追求できる」としたうえで、米中の「重なり合う関心」のひとつに、「エネルギー安全保障の構築」を挙げている。

 まるで、イラクの石油資源確保が米中の共同利益につながるとでも言いたげな声明文の中身である。

 まさか、中国の人民解放軍が中東の石油資源をめぐって、米軍と共同作戦行動をとることまで話し合ったわけではなかろうが……

 米中接近は、日本のさらなる孤立につながりかねない。

 日中の関係改善を大胆に進めるときが来ているのかも知れない。

 

詳しくは ⇒

http://news.yahoo.com/s/afp/20051208/pl_afp/uschinasecuritytrade_051208223348

http://www.state.gov/r/pa/prs/ps/2005/57822.htm

Posted by 大沼安史 at 07:47 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

〔がんばれ、シンディー!〕 「平和の母」、イギリスへ

 米国のイラク反戦運動のシンボル的存在、「平和の母(ピース・モム)」こと、シンディー・シーハンさん(48歳)が、英国入りした。
 英紙ガーディアン(電子版)が12月9日に報じた。

 ヒースロー空港からロンドン市内に向かうタクシーのなかで、同紙のダンカン・キャンベル記者のインタビューに応じた。

 シンディーさんはキャンベル記者に

 「21世紀なのに……殺し合いって野蛮なことです」

 「ブッシュやブレアは、選挙で選ばれた者だからテロリストとは呼べないということではないですね。イラクを占領し、罪もない人々を何千人と殺しているじゃないですか」

 「わたしは(戦死した息子の)ケイシーを殺した(イラクの)人々を非難しません。嘘をつき、世界を騙して、わたしたちをそこに引きずりこんだ者どもを非難しているのです」

 「わたしは全世界をわたしの肩にのせていると、ほんとうに思っています」

 などと語った。

 シーハンさんはエコノミークラスの飛行機で到着し、数時間の睡眠のあと、早速、会合に出席した。

 10日は「国際平和会議」に出席し、スコットランドの国会議員や英国の活動家仲間と会ったあと、カリフォルニアにトンボ帰りし、新著の執筆に励む。

 (大沼 注)

 ダンカン・キャンベル記者といえばたしか、あの全世界諜報網、「エシェロン」の実態に迫った敏腕ジャーナリスト。

 そういう記者だからこそ、シンディーさんとの「箱乗り」(日本の記者用語。重要人物の車に乗り込み、独占会見をすること)を許されたのだと思う。

 それにしても、シーハンさんの精力的な活動ぶりには舌を巻く。

 がんばれ、シンディー。

 世界はあなたを声援しているよ。

詳しくは ⇒

http://www.guardian.co.uk/antiwar/story/0,12809,1663388,00.html

Posted by 大沼安史 at 06:55 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-07

〔NEWS〕 CIA 東欧の秘密収容所 拘束容疑者を北アフリカへ移送 英紙報道

 英紙のデイリー・テレグラフ(電子版)は12月7日、米CIA(中央情報部)が東欧に開設していた、2ヵ所の秘密収容所から、収容者を北アフリカの施設に移送した、と報じた。

 移送はライス国務長官のヨーロッパ歴訪を前に、先月(11月)に行われた。

 移送先は、CIAが新たに開設した収容所だが、場所は明らかにされていない。

  一方、米ABC放送はこれに先立つ、12月5日、民間監視団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」の報告書で、ポーランドとルーマニアにあるとされていたCIAの秘密収容所の収容者が北アフリカに移されたと報じる一方、移送されたのは、11人のアルカイダの最高幹部であると伝えていた。

 テレグラフ紙の報道は、このABC報道を確認したものだ。

(大沼 注)

 北アフリカでCIAが秘密収容所をつくれるとすれば、エジプトあたりか?

 ABC放送によれば、CIAはアルカイダ最高幹部を11人も拘束し、「高度な尋問テクニック」による取り調べをしている。

 ということはつまり、CIAは相当程度、アルカイダ組織の実態を把握し、情報を蓄積しているということである。

 すなわち、情報を得ながら、動向をしっかり見守っている。

 なぜ、CIAはアルカイダを「温存」しているのか?

 ここに、「9・11」以降の世界の闇に光を当てる解明のヒントが隠されている。
 

http://news.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2005/12/07/wrice07.xml&sSheet=/news/2005/12/07/ixnewstop.html

http://abcnews.go.com/WNT/print?id=1375123

Posted by 大沼安史 at 05:05 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 チョムスキー氏らがイラク拉致外国人の解放求めアピール

 イラクのバグダッドで拉致された、シカゴを本拠とする支援団体、「クリスチャン・ピースメーカー・チームズ」に所属する4人の解放を求め、米国の言語学者ノーム・チョムスキー氏やシンディー・シーハン氏、インドの作家、アルンドハティ・ロイ氏らが緊急アピールを発表した。

 末尾に記したサイトで、日本のわれわれも、アピールの加わることができる。

 緊急アピール(全文)の拙訳は以下の通り。

                            緊急アピール 

 イラクのバグダッドで去る11月26日の土曜日、「クリスチャン・ピースメーカー・チームズ(CPT=Cristian Peacemaker Teams)」に属する4人のメンバーが拉致された。彼らはスパイでもなければ、政府のために働いているものでもない。戦争に反対して闘うために命を捧げている人々だ。イラク侵略と占領に対して、公に反対を表明している。信仰の持ち主だが、伝道師ではない。イスラムの信仰と、イラクの人々の民族自決に対して、深い尊敬の念を抱いている。
 
 CPTは2002年10月に、米国の占領に反対するため、イラクに入った。イラクの民衆と連帯し、占領下のイラクに留まり続けて来た。このグループは、米国が運営する刑務所や収容センターに囚われた、イラク人が直面した恐怖の数々を、世界に通報する上で、かけがえのない役割を果たし続けて来た。CPTは、アルグレイブ刑務所で起きた拷問を、主流メディアがニュースとして取り上げるかなり前に、最初に記録したグループのひとつである。そのメンバーらは、米軍の手で行われた虐待や拷問について、数え切れない時間を聞き取り調査にあて、情報を世界に広げて来た。

 4人のCPTメンバーはみな、イラクの地で、戦争と占領の暗黒と悲惨に抵抗するために命を捧げて来た。自分の居場所の安全のなかにいて、戦争に反対するだけではいけないと信じ、彼らはイラク行きという困難な決断を下した。外国による占領が不信の空気を広げ、スパイやキリスト教伝道師と間違われる危険がある、と知りつつ。彼らは、シンプルな目的のために、イラクにいた。不正義の目撃証言となり、さまざまな文化や信仰の架橋する、新たな関係を身をもって示すために。CPTのメンバーらは、悪名高きグリーンゾーンの外の、ふつうの場所で、イラクの人々とともに暮らすリスクを、すすんで背負った。武器や武装ガードの保護を求めなかった。イラクの人々の善意を信じ、そのことに助けられて来た。イラクの人々の親切ともてなしは数え切れず、CPTのメンバーの安全と生活を守っていた。わたしたちは、いまの状況でもなお、その精神が勝利すると信じている。

 わたしたちは、これらの活動家を拘束している人々に対し、彼らを無事に解放するようアピールする。彼らが、目撃者として、平和創造者として、引き続き重要な仕事をできるように。

⇒ アピール原文、署名サイトは 

http://www.petitionspot.com/petitions/freethecpt

Posted by 大沼安史 at 10:09 午前 | | トラックバック (0)

2005-12-06

〔NEWS〕 誕生日に届いた悲報 愛息を亡くした45歳、「平和の父」に

 カルロス・アレドンドさんは44回目の誕生日のその日、携帯を手に、イラクの戦地からの、お祝いの電話を待っていた。

 イラクの戦地にいる、息子のアレキサンダーさん、海兵隊上等兵からの「ハッピー・バースデー」の声を。

 昨年(2004年)8月25日のことだった。

 現在、マサチューセッツ州ロスリンデールに住んでいるカルロスさんは当時、フロリダ州のハリウッドに暮らしていて、その日はたまたま、庭に出てフェンスの修理をしていたという。

 そのときだった。一台のバンが来て停まり、中から軍人3人が姿を現した。
 海兵隊の制服姿だった。

 カルロスさんのところに来て、一人が言った。
 「遺憾ながら、アレキサンダー・アレドンド上等兵が戦闘中、戦死したことを申し上げます」

 それを聞いて、息ができなくなった。
 そんな馬鹿な、あるわけないじゃないか。

 家に駆け戻って、母親を探した。

 「神さま、いったい、どういうことなんです」

 カルロスさんは、そう思うしかなかった。

 海兵隊員にカルロスさんは、すぐに帰れ、と言った。
 でも、引き揚げようとしない。

 もう一度、言っても。

 カルロスさんは、ガレージからハンマーと取り出し、海兵隊のバンをぶっ壊そうと駆け寄って、思いとどまった。

 ハンマーを地面にたたきつけ、家のなかに閉じこもって、再び、神に救いを求めた。

 それから海兵隊員に、「もう、帰ってくれ」と、3回目、最後のお願いをした。

 聞き入れてくれなかった。

 カルロスさんはガレージに戻ると、5ガロンのガソリンと、プロパンのボンベとバーナーを持って、バンに駆け寄った。

 ハンマーを拾って、バンのウインドーにたたきつけた。勢いあまって、車の中に飛び込んで行った。

 カルロスさんの母親のルズさんがガソリンを遠ざけようとしたが、遅かった。

 ガソリンの缶を持ってバンの運転席に入って、閉じこもった。

 そしてカルロスさんは「息子の名前を呼び、息子を求めて叫んだ」。

 座席のハンマーを振るい、社内をめちゃくちゃにした。ダッシュボードを、パスコンを、リアウインドーを破壊した。

 それからガソリンを撒いた。バーナーに火をつけた。ガソリンのにおいで噎せ返った。

 母親に手をつかまれた。

 その瞬間に引火。車内は火の海になった。

 炎に包まれ、道路に転げ出た。
 

 2日後、カルロスさんは病院で意識を取り戻した。

 下半身を中心に全体の26%を火傷していた。

 戦死した息子のアレキサンダーが高校を卒業して、海兵隊に入ったのは3年前のことだった。17歳の選択。入隊にあたって、海兵隊から、1万ドルのボーナスが出た。

 湾岸のクウェートから、手紙を書いて来た。

 「こんなに青い海を見たことはない」

 手紙のあとの方に「死ぬのは怖くない」と書いてあった。

 イラクのナジャフに送られた。

 4階建てのホテルを掃討中、こめかみを狙撃され、死んだ。

 マサチューセッツのロスリンデールに引っ越して来てから、カルロスさんは息子の死を無駄にしない活動を始めた。

 戦争の無意味を訴え始めた。

 アレキサンダーさんの戦地からの手紙のコピーをいっぱいつくって配り、マサチューセッツ版(バージョン)のシンディー・シーハン、とも言われるようになった。

 「軍人の家族が発言する」という組織を、同じ境遇の遺族と立ち上げ、反戦運動を始めた。

 息子を失った思いを集会で話すようになった。

 「17歳の子を軍務に就かせてはならない。リクルーターの軍人を高校から追い返せ」

 45歳の父は、息子を戦争で亡くした悲しみを、平和運動の取り組みのなかに昇華させた。

 そんなカルロスさんのことを、マサチューセッツの地元紙、ボストン・ヘラルド(電子版、12月1日付け)の記事で読んだ。

 記事には、アレキサンダーさんの遺影を持って街頭に立つ、カルロスさんの写真が添えられていた。

 胸に十字架のネックレスが見えた。神父のような、黒っぽいスーツを着ていた。

  シンディー・シーハンさんが「平和の母(ピース・モム)」なら、カルロスさんは、さしずめ、「平和の父(ピース・ダッド)」か。

 カルロスさん、アレドンドさん。

 「平和の父」の祈りを、わたしたちもともに、祈ることにしよう。

http://www2.townonline.com/roslindale/localRegional/view.bg?articleid=378127&format=&page=1 

Posted by 大沼安史 at 04:04 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS イラクから〕 安定剤を求めるバグダッドの若者たち

 イラクのバグダッドで、精神安定剤の乱用に走る若者が増えているという。戦争の現実を逃れるためだそうだ。
 
 YaHoo!news(電子版)に12月4日に載った、AFPのバグダッド電が報じている。
 
 殺戮、硝煙、流血、爆破。安定剤がこの世の地獄からの逃げ場になっている。
 
 AFP電によれば、アリという18歳の若者は、こう言ったという。
 
 「別世界に漂っている、そんな気分になれる」
 「耐えられないんだ。毎日が……。社会も家族も。だから逃げ場をさがす」

 コカインなどの麻薬は高くて、手に入らない。手軽な安定剤に手が出る。

 バグダッドのスラム、バタウィーン地区では、ホームレスが1000人いて、その大半は子どもたちだが、アルコールやシンナーの世界に逃れる子がふえている。

 「イラク復興」の、もうひとつの現実である。

http://news.yahoo.com/s/afp/20051204/wl_mideast_afp/iraqsocietyhealth

Posted by 大沼安史 at 12:06 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-05

〔コラム 机の上の空〕 「ミュンヘン」の彼方へ     250のビデオ・カメラとスピルバーグ監督の夢

 米誌「タイム」の電子版(12月4日付け)に、スピルバーグ監督の新作、「ミュンヘン」のことが載っていた。
 完成間もないこの映画の試写を、他に先駆けて観た、同誌の独占報告である。

 「ミュンヘン」のミュンヘンとは、あの南ドイツの都市。

 スピルバーグ監督の新作は、1972年のミュンヘン五輪で起きた、パレスチナ過激派組織、「黒い九月」による、11人のイスラエル選手、殺害事件のその後を追った「歴史フィクション」。

 アブナー・カウフマン率いる暗殺団が、「黒い九月」のテロ実行犯を追い詰め、復讐するストーリーだ。

 このカウフマンなる登場人物には実在のモデルがいて、監督自身、インタビューを重ねたそうだ。

 タイム誌の取材に対し、スピルバーグ監督は、制作意図を、こう説明している。
 「どんな映画も本も芸術作品も、中東における今日の行き詰まりを打開できるものではない。しかし、それは、たしかに挑戦にあたいするものである」

 映画「ミュンヘン」は、パレスチナ=イスラエル問題の行き詰まりを打開する困難を知りつつ、それでもその解決を目指す、ひとつの試みである、とスピルバーグ監督は言いたいらしい。

 イスラエル擁護のハリウッド映画とは違う、未来志向の映画を、わたしはつくったのだと。

 感想は観てのお楽しみだが、このタイム誌の記事のなかに、「ミュンヘン」以上に気になることが書いてあった。

 スピルバーグ監督が、パレスチナ=イスラエルの地で、来年2月から、新たな映画づくりのプロジェクトを始める、というのだ。

 そのつくり方が変わっていて、250台のビデオ・カメラを用意し、それを半分ずつ、パレスチナとイスラエル(ユダヤ)の子どもたちに分配し、それぞれの生活を撮ってもらうのだそうだ。

 親たちはどんな人で、どんな学校に通っていて、どんなCDを聴いているか?

 対立の壁を相互理解で突き崩す、平和と共生ののための、250人の子ども監督による映画プロジェクトだ。

 記事の末尾に、タイム誌の記者2人による、ミュンヘン五輪テロ事件のイスラエルによる復讐劇を追った、こちらは「歴史ノンフィクション」が間もなく刊行される、と出ていた。
 その本によると、テロ実行犯としてイスラエル暗殺団が最初に血祭りにあげたパレスチナ人は、実は人違いだったという。

 スピルバーグ監督の「ミュンヘン」が、憎悪と流血のパレスチナ紛争の過去を顧みる大作映画なら、250人の現地の子ども監督による、手づくりのドキュメンタリー映画は、希望の未来を生み出す、250の映像の種子と言えるだろう。
 
 2006年。
 新らしい年は、中東和平が大きく動き出しそうな年である。 
 
 
 

Posted by 大沼安史 at 11:43 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 イラク反戦 黒人大学でプロテスト 大学側、処分へ

 米国の反戦放送局、「デモクラシーNOW」電子版は12月2日、米バージニア州の名門黒人大学、ハンプトン大学の学生たちがイラク反戦運動に立ち上がり、大学側が処分を検討する事態になっている、と報じた。
 
 それによると、学内でパンフレットを配布するなど抗議行動を行ったのは、同大学の進歩的学生同盟(PSA)に所属する学生ら、20人。
 
 ブッシュ政権のハリケーン対策についても抗議の声をあげたという。
 
 抗議行動は大学警察によって、解散させられた。
 
 その約20日後、大学当局が学生7人に出頭を命じる手紙を送った。
 
 学則違反だという。
 

 (大沼 注)

 黒人キャンパスの小さなプロテスト。

 こうした草の根の反戦運動についても、今後、本ブログで取り上げて行きたい。

http://www.democracynow.org/print.pl?sid=05/12/02/1451228

Posted by 大沼安史 at 02:56 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 キングコングは人類の隣人だった! 10万年前の中国で カナダの考古学者が確認

 キングコングの映画がまたやってきます。今月(12月)17日から、全国一斉に封切り上映。

 キングコングの映画は、これまでもありますが、こんどのやつは最新のCG(コンピューター・グラフィクス)技術を駆使したもの。楽しみですね。

 で、このキングコング、ハリウッドの想像力のなかから生まれた、架空のものかと思っていたら(ぼくが知らなかっただけのことですが……)、どうもそうじゃなくて、ちゃんとモデルがいる、というか、いたのですね。

 ギガントピテクス(Gigantooithecus)。「巨大なサル」という意味の学名を持った、超大型のサルが、この地球上に――正確に言えば、東南アジアの一帯で、生きていたそうなんです。

 知りませんでした。

 時代は、洪積世。
 その終わりごろ、人類は誕生するのだそうですが、いまから100万年ちょっと前あたりに出現して、けっこう長い間、存在していました。

 骨が残っているというか、発見されたことで、確認されているのですね。

 このギガントピテクス……発音が面倒くさいので、「ギガンちゃん」って勝手にニックネームで呼んじゃいますが、身長がなんと3メートル。体重は540キロもあったそうです。

 このキングコングのギガンちゃんのことが最初にわかったのは、1935年のこと。

 オランダの考古学者のケーニヒスワルトっていう人が、中国の香港の漢方薬市場で売られていた「歯」――正確には、ギガンちゃんの臼歯――を見つけたのが、すべての始まり、でした。

 ギガンちゃんの臼歯って、けっこう大きくて、直径約3センチ。市場では「ドラゴン(竜)の骨」として売られていました。

 この発見がきっかけになって、研究が進み、キングコングのギガンちゃんは、中国だけでなく、ベトナムやインドなど、東南アジアの一帯に広く分布していたことが、洞窟調査などで判明していたわけですが、これまでの定説では、このキングコングはいまから50万年前には絶滅していた、ということになっていたのです。

 そうすると、いまの人類が出現する前に滅びてしまっていて、人間の「経験的記憶」のなかに入り込むことはあり得なかったわけですが、この「定説」が最近、カナダ(オンタリオ州ハミルトン)のマックマスター大学のジャック・リンクという先生(助教授)によって覆されたのですね。

 リンク先生が中国南部で発見したギガンちゃんの歯が、電子振動共鳴法とかいう最新の年代測定法での調査で、50万年以上前ではなく、なんと10万年前のものだとわかった。

 そうすると、わたしたち人間のご先祖様と、ギガンちゃんが、少なくとも中国南部で「同時代」を生きていたことになってしまうんだそうです。

 つまり、キングコングは、人類の「隣人」だった!

 だから、わたしたち人類のご先祖様は、キングコングを「見ている」!

 学者じゃないんで、思い切ったこと、言ってしまいますが、関わりがあったに違いないんです。

 そういう「原体験」が人類の深層意識のなかで引き継がれ、もしかしたら、ハリウッドの映画になって現代に甦ったのかも知れない。

 そういうことも、アリかな、って気がします。

 で、このキンコングのギガンちゃんたちが当時、どんな暮らしをしていたかというと、山の洞窟や竹林に生息し、主に竹の葉を食べていたのではないか、と推測されています。

 つまり、草食性。

 肉食獣ではなかった!

 ということは、けっこう、やさしい、大きな、大きな隣人だった可能性がある。

 人間と仲良くしていたかも知れませんね。

 それにしても、中国というところはスゴイ。

 パンダや孫悟空だけじゃないのですね。

 キングコングを生んだ、中国100万年の歴史。
 中国のことを、もっと勉強しなきゃ、って気になりました。

Posted by 大沼安史 at 10:53 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2005-12-04

〔NEWS イラクから〕 日本人妻を残して(?)、米海兵、戦死

 イラクで11月26日、ひとりの米海兵隊員が戦死した。

 ブレット・アンガス曹長(40歳)。

 タカダム駐屯地で作戦行動中、路肩に仕掛けられていた爆弾が爆発し、死亡したという。

 その記事を、ミネアポリス発のAP電(11月28日付け)で読んで、アンガス曹長が28人目のミネソタ州出身者による戦死であることを知った。

 そしてもうひとつ、アンガスさんが奥さんと日本にいるころ知り合って結婚し、イラクに送られるまで、カリフォルニア州のサンジエゴに近い海兵隊の基地で、奥さんとふたりで暮らしていたことを知った。

 たぶん、彼の奥さんは日本人女性である。
 子どもはいないらしい。

 いまごろ、どこで、どんな気持ちで暮らしているのだろう、と思った。

 イラクで戦死した米兵のなかに日系人もいる。

 しかし、戦死した米兵の配偶者になった日本人女性も、ほかに、きっといるはずだ。

 イラク戦争はそういう意味で、われわれ日本人をも巻き込んでいるのである。

 (大沼 注)

 このAP電を読んで、1980年代の半ば、デトロイト行きの機内で一緒になった、若い日本人女性のことを思い出した。軍人の夫とサンジエゴに住んでいて、これから夫の実家に赤ちゃんを見せに行くのだという。
 背中のねんねこに、男の赤ちゃんがおぶさっていた。

 黒人の夫との間に生まれた、目のくりくりしたかわいい赤ちゃんだった。
 
 20年前の出会い。

 彼女は――彼女の旦那さんはいまごろどうしているのか?
 イラクに送られ、戦闘に従事しているのか?

 幸せでいてほしい。幸せであってほしい。
 そう、思った。 

http://www.kentucky.com/mld/kentucky/news/special_packages/iraq/13279206.htm

Posted by 大沼安史 at 06:32 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-03

〔新シリーズ=NEWS戯評 ジャック・天野の「目が点丼」〕 アネハチョウ?

 畏友、ジャック・天野氏から、本BLOGに対して、以下のような投稿があった。本BLOGを主宰する小生(大沼)の、やや同感するものなので、ここに掲載する。

 天野氏は本BLOG上での「随時掲載」を希望しているので、「目が点丼」なる、新シリーズ名とカテゴリーを用意した。

 タイトルは「目が点爆弾」にせよ、との氏の注文ではあったが、平和主義者の小生としては「爆弾」が嫌いなので、大好きな天丼にひっかけ、「目が点丼」とした。

 天野氏は、日本の一流新聞に載った、目が点になる、衝撃のニュース、記事等を拾い上げ、適切なる批評を加えることで、日本のジャーナリズムの健全なる発展に資する覚悟だという。

 天野氏は小生と同じ、貧乏暮らし。新聞は「朝日」一紙しか購読していないという。

 となると、「朝日」だけが氏の批評の矢面に立つことになるが、氏としては、「文春」や「新潮」を超えた、レベルの高い批評を続けたいと言っている。

 ほんとかな?

 前置きはこのぐらいにして、さっそく、氏の最初の寄稿を紹介することにしよう。
 

 ☆☆☆☆☆

 おい、お前、見たか、あれ。おれ、ほんとに目が点になっちゃったぜ。
 ちょっと古いが、朝日の11月25日の夕刊の「素粒子」。
 題字の下に載っている、風刺コラムだ。
 
 「ニッポン現代チョウ事典」って題をつけて、「アネハチョウ」なんてのを書いている。

 ●アネハチョウ アゲハの突然変異らしい。マンションやホテルの設計段階に飛来し耐震強度を弱める働きをする。無表情が特徴。

 だと。
 
 いいよ、おれも駄洒落を言うから。
 でも、なに、これ? もっと書きようがあるだろうに。

 だいたい、アゲハチョウに失礼なんだよ。あのきれいな蝶と、姉歯建築士のどこが似てるっていうの?
 えっ、夜の「蝶」とはお「姉」さんたちのこと、したがいまして共通点、あり、だとーっ?

 お前(小生のこと)ね、朝日の美人ベテラン女性記者に惚れてるからって、弁護のしすぎなんだよ。

 今回の事件の深刻さ、重大さを思えば、蝶々を風刺に使うのは間違っている。華麗なイメージだからね。

 ま、最初はビルを蝕む腐蝕菌とかシロアリのイメージで迫ってみたんだろうが、うまく行かずに、苦し紛れに「アネハチョウ」となったのは、おれだって、わかる。

 でもねぇ、それならそれで、すこしは捻りをきかせてほしかった。

 なら、お前、自分でつくってみろよ、だって?

 あぁ、いいよ。

 ●アネハチョウ 闇のチョウの変種。マンションやホテルに飛来して「骨抜き」にし、蜜のような甘い金の汁を吸い尽くす。その分、筋金入りで動じないのが特徴。

 まぁ、おれとしては40点ぐらいの出来だけど、すこしはましだろう?

 えっ、ナンダトー、朝日の素粒子の方が出来がいいだとぉーっ!!

 まあ、きょうは小手調べ。

 これから無料でどんどん寄稿してやるから、ありがたく思えよな。
 

 (追記)
 それになんだよ、大沼、こんど始めたブログの題、「机の上の空」だって?

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」とか、井上ひさしの「下駄の上の卵」の向こうを張ったつもりだろうが、お前もちょっとレベルが低いぞ。

 早く落ち込みから立ち直って、きれいなネエチャンでももらえ!
 

Posted by 大沼安史 at 08:13 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS イラクから〕 米軍、ラマディーで掃討作戦

 ワールド・ピース・ヘラルド(電子版、12月2日付け)が伝えたUPI電によると、米軍は1日、イラクのラマディーで、「槍の先作戦」と称する掃討作戦を開始した。

 300人の米海兵隊とイラク政府軍200人が加わっている。

 ラマディーでは前日の11月30日、武装勢力が政府庁舎など市内の一部を制圧下におく事態が発生した。

 今回の作戦は武装勢力を排除し、12月15日に行われるイラク総選挙へ向け、同市の治安を確保するためのもの。

 その一方で、ラマディーでは、米軍と部族長らによる、治安安定のための交渉も続けられているという。

 今回のラマディー掃討は、ウクライナとブルガリア軍、計1250人のイラク駐留部隊が撤退準備を開始する事態のなかで始まった。

http://www.wpherald.com/storyview.php?StoryID=20051202-115125-7960r

Posted by 大沼安史 at 06:37 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS イラクから〕 イラクのジャーナリストら、米軍の「言論買収」工作を非難

 米軍によるイラクのジャーナリズム言論買収工作の実態が、米ロサンゼルス・タイムズ紙などの報道で暴露されるなか、現地イラクのジャーナリストらから、米軍の言論操作に対して非難の声が上がっている。

 YaHoo!newsが12月2日に伝えた、バグダッド発のAFP電は、イラクの著名な政治アナリスト、アーマド・サブリ氏のこんなコメントを紹介している。

 「米国政府が報道という仕事に反する、こうした手段を使い、世論をあざむくことはスキャンダルである」
 「新聞は地上の現実を映し出すものでなければならない。イラクにおいてすでに失敗しているアメリカのイメージの糊塗を狙った、スポンサーつきの情報であってはならない」

  この問題はロサンゼルス・タイムズ紙が11月30日に第一報を放ち、ニューヨーク・タイムズ紙などが「追い討ち」をかけている。

 米軍の「情報作戦」員によって書かれた記事が、請け負い機関を通じて、イラクの現地メディアに配給されている実態が表面化した。

 米紙連合、ナイト&リッダーによれば、都合のいい記事を書いてくれるイラクの記者に対して米軍は月200ドルの手当を支給しているという。

 バグダッドにいるAFP記者もまた取材に乗り出し、バグダッド・プレス・クラブに所属していた、現地の女性ジャーナリストの証言として、米軍が取材ツアーに記者らを連れ出し、50ドル出すので記事を書くよう求めていた事実を突き止め、バクダッド電に盛り込んだ。 

 (大沼 注)
 サブリ氏(Ahmed Sabri)の「新聞は地上の現実を映し出すものでなければならない」という表現、気に入ったので、以下に英語の原文を紹介しておく。

 〔For the Record〕

“A newspaper should refleft the reality on the ground. ”

 言うまでもなく、言論の自由は、デモクラシーの基本。

 そのデモクラシーをイラクに輸出するのが、イラク解放(?)戦争だったはずなのに、ジャーナリストを買収してまで情報を操作し、急場をしのごういという、米軍=ペンタゴン=ブッシュ政権の腐敗ぶり。

 あきれてものも言えない、という気分になってしまうが、あきれてものを言わなくなっては負けである。

 あきれたら、ますますものを言う。

 日本のマスコミにも、もっと徹底したイラク戦争報道をお願いしたい。

 本BLOGの存在価値がなくなるような、本格的な戦争報道を望む。 


http://news.yahoo.com/s/afp/20051202/wl_mideast_afp/iraqusmilitarymedia_051202191402

Posted by 大沼安史 at 06:13 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS イラクから〕 ファルージャで米海兵10人戦死、11人負傷

 英紙ガーディアン(電子版、12月3日付け)が報じたところによると、イラクのファルージャで1日、道路脇に仕掛けられていた爆弾が爆発、パトロール中の米海兵隊員10人が死亡、11人が負傷した。

 ファルージャ市内南西部の工場中庭を通過中、爆破された。

 22人が死傷したのは、イラク戦争開戦以来、最悪の事態のひとつ。

 同じ1日には、ファルージャよりさらに西寄りにあるラマディで、米兵1人がロケット攻撃により戦死したことも明らかになった。

 その前日、11月30日には4人が死亡している。うち3人は敵の攻撃によるもの。他の1人が友軍による誤射なのか、事故なのか不明。

 これとは別に、米軍発表によると、1日に米兵3人が「交通事故」で死亡している。

 これだけで18人がイラクの地で命を落とした。
 
 米軍は12月15日のイラク総選挙に向け、パトロール活動を強化しており、その矢先の出来事だった。

 リンチ少将は1日、バグダッドで行った記者会見で、シリア国境付近での作戦行動によって、治安状況は良化し、自動車爆弾のよる攻撃も、ことし2月130件から、11月は68件に減ったと述べた。

 リンチ少将はしかし、総選挙に向けて「戦士と拒否派」による攻撃がエスカレートする恐れがあると警告を発した。

(大沼 注)

 これが、ブッシュ大統領の「必勝演説」に対する、イラク現地からの答えである。
 厳しい戦況の現実が突きつけられた。
 

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1656903,00.html

Posted by 大沼安史 at 05:10 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-02

〔NEWS〕 自爆テロのベルギー人女性の身元判明

 イラクで自爆テロを遂げたとされるベルギー人女性の身元が判明した。

 英タイムズ紙(電子版、12月2日付け)によると、この女性はムリエル・デゴウクさん(38歳)。 

 ベルギー在住のトルコ人と離婚後、イスラムに改宗、その後、モロッコ人男性と再婚し、ブリュッセルで暮らしていた。

 トルコ人と結婚するまでは、パン屋で助手をしたり、カフェに働く、ふつうの女の子だったという。

 その彼女が、再婚相手と一緒にイラク入りし、11月9日、バグダッド近郊で自爆テロを決行した。
 

http://www.timesonline.co.uk/newspaper/0,,174-1900483,00.html

Posted by 大沼安史 at 08:00 午後 | | トラックバック (0)

2005-12-01

〔NEWS〕 イラクで拉致された欧米人4人は米シカゴのキリスト教平和団体活動家

 イラクのバクダッドで拉致された英国人1人と米国人2人、カナダ人1人の男性4人は、いずれも米シカゴに本拠を置くキリスト教平和団体、「クリスチャン・ピースメーカー・チーム」の所属とわかった。

 シカゴ発のAP電(11月30日付け)が報じた。

 同グループは過去15年間、世界の紛争地域で支援活動を続けて来た。

 同グループは、いくつかのプロテスタント系宗派の支援を受けているが、伝道のためではなく、あくまでも平和のために活動を続けているという。

 今回、拉致されたのは、英国人のノーマン・ケンバー氏(74歳)のほか、トム・フォックス(54歳)、ジェームス・ローニー(41歳)の米国人2人と、カナダ人のハミート・スードン(32歳)の各氏。

 〔For the Record〕

 このAP電に、米国人、トム・フォックス氏が昨年、イラクから寄せた文章が引用されている。

 その一部を、ここに記録しておく。

 なぜ?

 すばらしい言葉だから。

「でも、もし、イエスとガンジーが正しいなら、わたしは自分の命を懸けるように求められているのだ。もしも、わたしが命を失うとしても、わたしはその二人と同じように人を許すために死ぬのである」

"But if Jesus and Gandhi are right, then I am asked to risk my life, and if I lose it to be as forgiving as they were."

 トム・フォックス氏らの属する団体は、誘拐者であれ、暴力で対処してはならない、という平和主義の原則を持っているという。

AP電は ⇒

http://www.mercurynews.com/mld/mercurynews/news/special_packages/iraq/13294266.htm

Posted by 大沼安史 at 04:46 午後 | | トラックバック (0)

〔国際問題コラム いんさいど世界〕       ブッシュ演説に、世界は泣いた

 ブッシュ米大統領が11月30日、アナポリスの米海軍兵学校で「重要演説」を行った。

 先週、演説が予告された時点で、「イラク段階撤退」の発表が飛び出すのではないか、と一部で楽観的な観測が広がったが、敏腕のベテラン・ジャーナリスト、シーモア・ハーシュ記者が、雑誌『ニューヨーカー』でクールに予想した通り、「重要演説」は戦争貫徹へ向けた決意表明に終始した。

 米軍最高司令官でもあるブッシュ大統領の演説を報じる、アラブの衛星通信メディア、「アルジャジーラ」の英文ニュース・サイトを見て、イラクの人たちは……いや、全世界の人たちが、泣いているのだな、と思った。

 感動して泣いているのではない。
 怒りと悲しみが涙になって、流れ出したのだ。

 流血のメソポタミアの地に生きる、イラクの人々の目に、滲み出た、涙。
 アメリカの戦死者の家に、涙のように降り続く、雨。

 アルジャジーラ編集部が、ブッシュ演説記事につけた写真は、雨傘をさした大統領の姿だった。
 演説の前か、後に撮られたスナップ写真。

 地球の上に、涙の雨が降る。
 大ぶりの傘をさした、戦争大統領、ジョージ・W・ブッシュ。

 演説は、ホワイトハウスがまとめた、仕切りなおしのイラク戦争計画、「イラクにおける勝利のための国家戦略」の輪郭をなぞるものだった。

 「失敗(敗北)は、われわれの選択肢ではない」

 「われわれのイラクにおける使命は、戦争に勝つことである」

 アナポリスでの演説に合わせ、ホワイトハウスのホームページで公表された「戦略」の全文は、兵学校の演壇に立ったブッシュ大統領の仕立てのよい背広のように、リュウとした身なりの、一見、非のうちどころのない、見事な宣伝文書だった。
 
 「政治的なトラック(道筋)」(分離し・関与し・建設する)

 「安全保障のトラック」   (明確に・維持し・建設する)

 「経済的なトラック」    (復興し・改革し・建設する)

 宣伝会社に作成を依頼したような(たぶん、そうに違いない)、耳障りのいいフレーズ、センテンスが続く。

 勝利の展望もない、ベトナム戦争の二の舞を、美麗に仕立て直し、言い繕ってみせた、欺瞞のテクニック。

 カタールにある本社局舎を、一時は攻撃のターゲットとされたアルジャジーラの英文ニュース編集部は、アラブ側からの視点で、ブッシュ演説の化粧をはぎとり、その実相をあらわにしてみせた。

 「アメリカのジョージ・ブッシュ大統領は、彼のイラク戦争戦略に対して高まる懸念を、挑戦的に一蹴した。イラク撤退の日程設定を拒否し、勝利が時間と忍耐を必要とすると警告さえした」

 イラク戦争に勝っていないから、これからずっと戦争を続ける。イラクから撤退しない。だから、もっと我慢しろ。

 それが、クレンジングで洗い流した、演説のキモの部分だった。
 
 勝つまで戦争をやめない、ということは、勝てていない現状からすると、半永久的に戦争を続ける、に等しい。

 雨のアナポリスでのブッシュ演説は、実はイラクにおける「永久戦争」宣言だったわけだ。

 

 英紙ガーディアンによれば、今回、演説とともに公開された、「イラクにおける勝利のための国家戦略」は、あくまで、当り障りのない、機密部分除去バージョンだった。

 ということはつまり、具体的な戦争計画を盛り込んだ、機密バージョンが、ほかに存在する、ということである。

 その点で気になるのは、来年、2006年に「変化」が起きるとされる、イラク駐留米軍の「戦闘態勢」のこんごのあり方である。

 イラク現地からの報道では、米軍は拠点を守る一方、制空権を保持している有利さを活かし、航空機やミサイルなどによる攻撃で、武装勢力を無力化する方向へ、戦術転換しようとしている。

 イラク全土制圧が無理なら、守るところだけ守り切り、それ以外の戦域では、さまざまな最新兵器を駆使し、撃破しつくす。

 つまり、米国はイラク永久戦争を遂行しうる、比較的エコノミカルな方向へと、戦術転換しようとしているわけだ。

 安上がりに「敵」を殲滅する……そのために、米軍はこんご、どのような兵器を使用するか?

 答えはひとつ、あってはならないことがありうる、である。

 いわゆる、WMD(大量破壊兵器)。

 N(核)とB(菌)とC(毒)の使用もありうる、と想定しなければならない。

 すでにアメリカは劣化ウラン弾も、白燐弾も、使いまくっている。
 誘導爆弾も在庫が切れ出しており、その面からも、「新型兵器」に頼らざるを得ない状況にある。

 アメリカは、連邦議会の「お邪魔虫」議員に、「炭素病原菌入りの手紙」を送りつけた前科持ちの国。鳥インフルエンザの流行などにかこつけて、何をしでかすかわからない怖さがある。

 メソポタミアの地に、ヒロシマ、ナガサキに続く、第3の「黒い雨」が降らない保障はどこにもないのだ。

 そうまでして、なぜ、アメリカは、イラクの軍事占領を続けるつもりなのか?
 なぜ、イラク戦争を永久化し、軍事プレゼンスを維持しなければならないのか?

 わたしたちがなすべき、究極の問いは、この最後の一点に絞られてくる。

 ブッシュ大統領は演説のなかで、「イラクから逃げ出さない」のは、自動車爆弾や暗殺に怯えない強い態度を示すためだ、と言った。「アメリカはイラクを見捨てない」とも。

 問題は、自動車爆弾や暗殺で、すでに2000人の米兵が死んでいるのに、なぜ、アメリカはイラクを捨てないのか、だ。

 答えは単純明快、イラクに捨てたくないものがあるから、逃げ出さないし、見捨てない――それだけのことに過ぎない。

 石油会社の元ヒラ取締役でもある、世界最強国の現役「最高司令官」にとっての「生命線」がそこにあるからだ。

 ブッシュ大統領は、逃げださない。

 雨水をはじく黒い粘着質のものが、メソポタミアの地の底にあるかぎりは……

Posted by 大沼安史 at 01:44 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 ベルギー人女性 バグダッドで自爆テロ

 イスラムに改宗し、イスラム過激派を結婚したベルギー人の女性がイラクに潜入し、バグダッドで最近、自爆テロを敢行していた!

 フランス情報部によって、そんな見方が強まっている。

 もし、事実だとすれば、ヨーロッパ人女性による、初の自爆テロ。

 自爆、そしてテロでしか目的を遂げられない絶望と怒りが、欧州のイスラム社会の女性の間にも、広がりだしたかたちだ。

 英紙デイリー・テレグラフ(電子版、11月30日付け)や、米国のUPI通信が報じた。

 それによると、この女性はトルコを経由して、陸路、イラク入りし、自爆したらしい。
 イラク駐留米軍スポークスマンによると、バグダッドでは9月28日と11月9日に、女性による自爆テロ事件が起きている。

 女性が自爆テロを決行するケースはこのところ目だっており、全体の10%に達している。

 そうした女性はこれまで、中東、あるいは東南アジア出身者に限られていた。

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2005/11/30/wirq30.xml&sSheet=/news/2005/11/30/ixworld.html

http://www.upi.com/SecurityTerrorism/view.php?StoryID=20051129-115510-8347r

Posted by 大沼安史 at 09:57 午前 | | トラックバック (0)