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2005-12-10

〔For the Record〕 ハロルド・ピンター氏、ノーベル文学賞 受賞演説(全文)

 2005年のノーベル文学賞を受賞した英国の劇作家・詩人、ハロルド・ピンター氏が12月3日、ストックホルムで行われた代理出席による授賞式で、ビデオを通じて記念演説を行った。

 ピンター氏は癌と戦っており、医者に出席を止められていた。

 演説は一時退院した際、自宅でビデオに収録し、ストックホルムに届けられた。

 以下はその記念演説、ノーベル・レクチャーの全文の拙訳である。演劇にうとく、そもそも教養に乏しい私ではあるが、老作家による気迫のこもった演説に圧倒されたので、試訳に取り組んだ。 

 ピンター氏の言葉が、日本語の世界に広がってもらいたいとの、願いを込めて。

 テキストは英紙ガーディアン(電子版)に7日に掲載された英語によるスピーチ全文である。

 同紙はそのテキストに「芸術・真実・政治」との見出しをつけていたので、それにならいたい。

                      芸術・真実・政治

 1958年に、わたしはこう書きました。

 「現実と非現実をはっきり区別する違いはない。真実と嘘の間にも。物事は必ずしも真実か嘘か、どちらかでなければならない、ということではない。真実であり同時に嘘でもありうる」

 わたしはこの考えがいまなお、意味を失っておらず、芸術を通した現実の探求になお適用しうるものだと信じています。ですから、芸術作家としてのわたしは、いまもこの考えに立っている。しかし、ひとりの市民としては、それに従うことはできません。ひとりの市民として、わたしもまた、こう問いかけなければならないのです。「真実って何なんだ? 嘘って何なんだ?」

 演劇においては、真実は永遠にとらえられません。真実をほんとうに見ることはできない。しかし、真実を探求する衝動を抑えることもまたできないことです。そしてその探求こそ、努力を駆動するものであることは明らかです。その探求は、みなさん自身のお仕事。暗闇のなかの手探りで、真実に躓(つまず)くことの方が多いはずです。真実にぶつかったり、真実と何か関係ありそうなその姿かたちを一瞬、見たつもりになったり。自分で気づかないうちに、そうしていることが多いはずです。しかし、現実における真実というものは、演劇という芸術のなかで見つけ出そうとする真実とは、縁もゆかりもないものです。現実において真実はいくつもある。これらの真実は互いに挑戦し合い、和解し合い、反映し合い、無視し合い、嘲笑し合い、そして互いに盲(めし)いています。真実を手中に収めたと思う瞬間もおありのことでしょう。しかし真実はあなたの指の間をすり抜け、失われてしまうことでしょう。

 わたしはよく、どうやって演劇が生まれるの、と聞かれることがあります。わたしには答えようのないことです。わたしは、わたし自身の演劇を要約することさえできない。それはただ、そうなっているだけ、と言えるだけです。登場人物たちが、そう語り、そうした、だけのことだと。

 わたしの演劇は、科白(せりふ)の一行、ひとつの言葉、ひとつの動作から生まれて来るものなのです。発せられた言葉のすぐ後を、イメージが追いかける……。実例をふたつ、お目にかけることにしましょう。わたしの頭のなかに突然、降って湧き、イメージによって後追いされ、わたしによって追跡された、科白の二行です。

 わたしの『ホームカミング(The Homecoming、帰郷)』と『オールド・タイムズ( Old Times、懐旧(かいきゅう))』に出てくる、ふたつの科白です。『ホームカミング』の最初の一行は、「お前、あの鋏、どうしたんだ?(What have you done with the scissors?)」で、『オールド・タイムズ』のそれは、「黒だ(Dark)」です。

 ふたつの場合とも、わたしはそれ以上の何の情報も、(脚本を書き出すとき)持っていませんでした。
 
 最初のケースでは、明らかに、誰かが鋏を探している。そして別の誰かに、こいつ、もしかしたら盗んだかも知れないなと疑いながら、鋏が何処にあるか、説明を求めている。しかし(そう書き出した)作者であるわたしは、そのとき、なぜかもう、こういうことを知ってしまっている。問い詰められた方が鋏のことなど何も気にしちゃいないし、そもそもそう聞いている方の人物のことも眼中にないことを。

 もうひとつの「黒だ」は、髪の毛の表現として書き出したものです。女性の髪の毛に関するもので、ある質問に対する答えとして書いた。
 ふたつのケースとも、そう書いたことで、わたしは問題の追及に迫られたわけです。
 それは視覚的なかたちで起きました。とてもゆっくり薄らいでゆき、影を通って光に向かって行った。

 わたしはいつも、登場人物をAとかBとかCと呼ぶかたちで、脚本を書き始めます。

 『ホームカミング』として出来上がった芝居でわたしは、寒々とした部屋にひとりの男が入って来て、きたないソファーで競馬新聞を読んでいる若い方の男に問いただすシーンをまず思い浮かべました。登場人物のAはたぶん父親で、若い男のBは息子でしょう。でも、いまのところ、確証はありません。しかし、それはすこし後になって、B(あとでレニーになります)がA(あとでマックスになります)に、「父さん、そんなこと、どうだっていいだろう? それよりも、こっちの方が聞きたいよ。あの晩飯、なんなんだよ。どう呼べばいいんだ? 犬、飼って食わせろよ。犬メシのコックさん。ほんとにそうだよ。犬に食わせる料理じゃないか」というくだりで、はっきりします。
 BがAを「父さん」と呼んだことで、わたしにも、ふたりが父と息子であることが理に叶ったことになりました。Aが料理人であるけれど、評判がどうやらよろしくないことも。となると、母親はここにはいない?……それはわたしにもまだわからない。この芝居を書きながら、自分自身に言ったように、
〝わたしたち〟の始まりが、〝わたしたち〟の行き先を知ることは、決してないのです。

 「黒だ」。大きな窓。夕暮れの空。ひとりの男、A(あとでディーレイになります)。そして、ひとりの女、B(あとでケイトになります)。座って飲んでいる。「太ったの、それとも痩せた方?」と男が聞く。何のことを話しているのか? しかし、そのあと、わたしの目に、窓際に立つ、女性C(あとでアンナになる)が浮かぶ。別の光の中で。ふたりに背中を向けて。黒い髪……。

 不思議な瞬間です。それまで存在しなかった人物が創造される瞬間。それに続くものは、衝動にあふれ、不確定で、眩惑(げんわく)的ですらあります。ときにそれは、止めようのない雪崩(なだれ)になりうることもありますが……。わたしという作家は、奇妙な位置にあります。彼はある意味で、登場人物たちに歓迎されません。登場人物らは彼に抵抗します。ともに生きることは楽なことではありません。意味づけることは不可能です。彼(女)らに、科白を押し付けることもできません。はっきりしたことです。かなりの程度、登場人物たちと、終わりなきゲームを続けることになる。鬼ごっこ、目隠し、かくれんぼ。けれど最終的にみなさんは、その手中に、意志と固有の自己感覚を持ち、変えたり操ったり捻じ曲げたりできない部分から成る、血肉をもった人物たちを見つけ出すことでしょう。

 つまり、芸術における言葉は、高度に曖昧なやりとりであり続けるわけです。それは流砂(りゅうさ)であり、トランポリンであり、いつなんどき、作者であるあなたを落とし込みかねない、凍ったプールであるわけです。
 
 しかし、すでにお話しましたように、そうした真実の探求は止むことのないものです。それは休会も延期もできません。まさにその場で、向かい合わあわなければならないものなのです。

 これに対して、政治の劇場は、まったく異なる問題群を提示します。お説教は、どんなことがあっても、してはなりません。客観性こそ命です。そこに登場する人びとは、自分自身で呼吸することを許されねばなりません。作者が自分のテースト(感覚)や好み、あるいは偏見にあわせ、人びとを閉じ込めたり、締め付けたりすることはできません。さまざな角度から、禁じされることない、全開の視野のなかで彼(女)らにアプローチし、ときには驚かせ、にもかかわらず、わが道をゆく自由を彼(女)に与える用意ができていなければならない。そしてそれが、いつもうまくゆくとは限らない。もちろん、政治的な風刺は、こうした教えに従わず、実際はそれとは正反対のことをしてしまいます。それこそが、政治風刺の正しい機能なのではありますが……。

 わたしの『誕生会(The Birthday Party)』という劇では、最後に服従することへ焦点化される前に、可能性の森深く、あらゆる行動の選択肢がありうる状況を設定しました。

 『山の言葉(Mountain Language)』では、そうした選択肢があるふりさえしません。野卑(やひ)で短く、醜くあり続る。しかし、劇に登場する兵士たちは、それを面白がります。拷問するのも、すぐ飽きが来るものなのに、そのことをときどき、忘れようとする。意気を軒昂(けんこう)に保つために、少しは笑いを必要とする。このことはもちろん、バグダッドのアブグレイブでの出来事で確証されたことであります。
 この『山の言葉』は20分の短い劇です。しかし、それが何時間にもわたって繰り返し上演しうるものです。ずっと、ずっと、ずっと。何時間にもわたって、同じパターンが反復される。

 『灰から灰へ(Ashes to Ashes)』は反対に、水中の劇として、わたしに現れたような気がします。溺れかけた女がいます。波の上に伸びた彼女の手。視界から消える。誰かの助けを求めるが、そこには誰もいない。水面上にも水面下にも。ただ影と反映と浮遊あるのみ。溺れゆく風景のなかで失われゆく人影としての、その女。他の誰かに所属するだけらしい運命を逃れることのできない女。

 他の誰かがそうだったように、彼女もまた死なねばならない……。
 

 政治の言葉は、政治家によって使われると、こうした芸術の言葉の領域に入っては行かないものです。わたしたちが手にしている証拠によれば、大多数の政治家は真実ではなく、権力とその維持に関心を向けているからです。権力を維持するには、民衆を無知のなかにとどめることが不可欠です。民衆が真実を知らずに、自分自身の生の真実さえ知らずに生きていることが不可欠です。ですから、わたしたち民衆を取り囲んでいるものは、嘘の膨大な織物なのです。それをえさとして、わたしたちは食べ続けている。
 
 ここにいらっしゃる皆さん方全員がご存知のように、イラク侵略を正当化したことといえば、サダム・フセインが大量破壊兵器のきわめて危険な一群を保有し、そのうちの一部は45分以内の発射が可能で、悲惨な荒廃を招くものだということでした。それが真実だと、わたしたちは確信させられました。けれどそれは真実ではありませんでした。イラクはアルカイダと関係があり、ニューヨークにおける「9・11」の残虐行為にも相応の責任を持つと、わたしたちは吹き込まれました。真実ではありませんでした。イラクは世界にとって脅威であると教えられました。それが真実だと確信させられました。真実ではありませんでした。
 
 真実は、まったく異なったものです。真実は、米国が世界における役割をどう理解し、それをどう体言しているかという点にかかわるものです。

 ふたたび現在に戻る前に、わたしは最近の過去を――それは第2次大戦後の米国外交政策のことでありますが――見てみたいと思います。この時期のことを検証することは、わたしたちにとって義務であると、わたしは信じています。それは、(授賞式場という)こうした場所において、つねに許されるべきことではありますが……。

 戦後、ソ連や東欧全域で何があったか、誰もが知っています。組織的な暴行、広汎な残虐、独立した思想に対する容赦のない弾圧。すべては完全に記録され、確証されました。
 
 しかし、わたしが言いたいのは、同じ時期、米国が行った数々の犯罪は、表面的に記録されているだけだということです。文書化もされなければ、認められもせず、そもそも犯罪を犯したことさえ気づかれずにいる。これはきちんと決着をつけるべきことであり、そこで明かされるべき真実は、わたしたちの世界がよって立つものに相当な影響を及ぼすものと、わたしは信じています。ソ連という存在によって、一定程度、抑制されていましたが、世界各地での米国の行いは、好き勝手なことができる白紙委任状を自分たちは得ているのだと自ら結論づけていることを、はっきり示しています。

 主権国家を直接的に侵略することは、たしかにこれまで、アメリカ好みのやり方ではありませんでした。アメリカはこれまで、主として「低強度紛争」といわれるやり方を好んで来た。低強度紛争とは、爆撃で一撃のもと死ぬのではなく、より緩慢(かんまん)に数千人の人びとが死んでいくことです。それはある国の中心を侵し、悪を増殖させ、壊疽(えそ)が広がるのを見ていることです。人びとが制圧され――殴り殺され――それは同じことですが――たあと、権力の座に快適に座る、あなた方の友人たち、軍や大企業のみなさんが、カメラの前に出て来て、デモクラシーが勝利したと言う……。これはわたしが言及した戦後期の米外交に共通するものです。

 ニカラグアの悲劇は、高度に重要な事例です。わたしはこれを、世界における自分の役割をアメリカが当時も今もどう見ているかを示す、有効な例として提示したいと思います。
 
 1980年代の終わりごろのことでした。わたしはロンドンの米国大使館での会議に参加していました。
 
 米国の連邦議会・上院は、ニカラグア政府に対するコントラの攻撃への資金援助を増額すべきかどうか、まさに決定しようとしていたときでした。わたしはニカラグア政府のために発言する代表団の一員でした。そのなかで、もっとも重要なメンバーは、ジョン・メトカルフ神父でした。対する米国代表団のリーダーは、レイモンド・ゼイツ(当時は大使に次ぐポストにあり、その後、大使に昇格しました)でした。メトカルフ神父は言いました。「議長。わたしは、ニカラグアの北部の教区を預かっている者です。わたしの教区の信者たちは、学校を建て、健康センターを開き、文化センターを開設しました。わたしたちはこれまで平和のうちに暮らして来たのです。数ヵ月前、わたしたちの教区を、コントラの部隊が攻撃しました。彼らは全てを破壊しました。学校を、健康センターを、文化センターを。看護婦や女教師を凌辱し、最も残酷な方法で医者を殺した。野蛮人のようなふるまいでした。こうした恐るべきテロリストの行為への支援をやめるよう、米国政府に要求していただきたい」

 レイモンド・ゼイツは分別があり、責任感があり、高い教養を備えた人物として、評判がとてもよかった人です。外交サークルでは非常に尊敬されていました。彼はじっと聞き入り、息をついだあと、重々しく、こう言ったのです。「神父さま。わたしにも言わせてください。戦争では、罪もない人びとが常に苦しむものです」。凍りついた沈黙があとに続きました。わたしたちは、まじまじと彼の顔を見ました。しかし、彼はたじろぎませんでした。

 その通り。罪もない者が常に苦しんでる……。

 誰かが最後、こう言いました。「しかし、この場合、その『罪もない人びと』とは、あなたがたの政府によって支援された、恐るべき残虐行為の犠牲の一部です。上院がもし、コントラにもっと資金援助することを許せば、同じような残虐行為がもっと起きる。これは重大なことではないのですか? あなたがたの政府が、主権国家の市民の殺害と破壊行為の支援に、責任がないとでもいうのですか?」

 ゼイツは動じませんでした。「提示された事実があなたの主張を支持していることに、わたしは同意しません」と言いのけました。

 米国大使館を退去するとき、ひとりの大使館員がわたしに近寄って来て、わたしの劇を楽しんでいる、と言いました。わたしは返事をしませんでした。

 わたしはみなさんに、当時のレーガン大統領の以下の言明を思い起こしていただきたいと思います。「コントラは、われわれの建国の父たちと道徳的に等価である」

 米国は40年にもわたって、凶暴なソモザ独裁政権を支え続けました。サンディニスタに率いられたニカラグアの民衆は1979年に体制を転覆させました。息をのむほどの民衆革命でした。

 サンディニスタも完全ではありませんでした。傲慢さを世間並みに持ち、その政治哲学には矛盾点が数多く含まれていました。しかし、彼(女)らは知識を持ち、理にかなっていて文明化されていました。彼(女)らは、安定的で上質な多元的な社会の建設に乗り出していたのです。死刑も廃止されました。数十万の貧困にうちひしがれた農民が、死者の国から呼び戻されました。10万を超える家族に、土地の所有権が与えられました。2000の学校が建設されました。まさに特記にあたいする識字キャンペーンが展開され、この国の文盲を7人に1人まで減らしたのです。無償の教育も確立しました。無料の医療サービスも受けられるようになった。幼児死亡率は3分の1、下がりました。小児麻痺は根絶されました。

 米国はこうした成果を、マルクス・レーニン主義による体制転覆だと非難しました。米国政府にとって、危険な前例が生まれてしまったわけです。もし、ニカラグアに社会的・経済的な正義の基本的な規範の樹立を許したならば、医療ケアと教育水準の向上と社会的な団結と国民的な自尊の確立を許したならば、近隣諸国も同じ問いを問い始め、同じことを始めかねない……。実際のところ、当時、隣国のエルサルバドルでは、支配の現状に激しく抗議する抵抗運動が起きていたのです。

 わたしは先ほど、わたしたちを包み込む「嘘の織物」についてお話しました。レーガン大統領はニカラグアのことを、「全体主義の穴倉」だと言い続けました。これをメディア一般は――英国政府は、正しく、公正なコメントとして――取り上げていたのです。しかし、事実は、サンディニスタ政権の下、暗殺団というものは存在しませんでした。拷問の記録もありません。組織的、あるいは軍隊による公的な残虐行為の記録もありません。ニカラグアでは(サンディニスタ政権下)ひとりの神父も殺されませんでした。それどころか、政府部内にジェスィットが2人、マリークロールの宣教師1人の計3人の神父が参加していたほどです。全体主義の穴倉は、隣のエルサルバドルやグァテマラにあった。米国は1954年、グァテマラで、デモクラティックに選出された政府を崩壊させ、その後の軍事政権の支配下、20万人を超える人びとが独裁の犠牲になったと推定されています。

 サンサルバドルのセントラル・アメリカン大学では、最も著名な6人のジェスィットが、米国のジョージア州フォート・ベニングで訓練されたアラカルト連隊の大隊によって、1989年に無残に殺害されています。とても勇敢なロメロ大司教は、ミサで説教していたところを暗殺されました。7万5千人が殺されたと推定されています。彼(女)らはなぜ、殺されなければならなかったか? よりよい生活は可能であり、達成されるべきだと信じたから、殺されたのです。そう信じた者は、すぐさま、共産主義者とみなされました。彼(女)らはなぜ、死んだのか? それは現状に対し――際限のない、貧困と病気、腐敗と弾圧の高みに対し、問いを投げかけたからです。それが彼(女)らの生まれつきのものだと言われていたものに。

 米国はそのサンディニスタの政権を最終的に崩壊させました。何年もかかりました。かなりの抵抗もありました。しかし、容赦のない経済的な迫害と3万人もの死が、遂にニカラグアの民衆の意気を殺(そ)いだのです。彼(女)らはふたたび、疲れきり、貧しさにあえぎ出したのです。カジノが舞い戻って来ました。無償の医療と教育は終わりを告げました。巨大企業が復讐心をみなぎらせて帰って来た。「デモクラシー」はかくして広がったのです。

 しかし、この「政策」は中央アメリカに限ったことでは決してありません。全世界で実施されて来たものです。終わりのないものですが、まるで、なかったかのようなものでもあります。

 米国は第2次大戦後、多くの場合、世界の右翼軍事独裁政権をつくって来ました。わたしが言っているのは、インドネシア、ギリシャ、ウルグァイ、ブラジル、パラグァイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グァテマラ、エルサルバドルのことです。そして、もちろん、チリのことも。1973年、米国がチリにもたらした恐怖は、忘れることができないものであり、決して許されないことです。

 こうした国々では数十万の人びとが死亡しました。ほんとうに起きたの? 全部が全部、米国の外交政策のせいなの? 答えはイエス。それは実際に起き、アメリカの外交のせいなのです。しかし、みなさんは知らずにいた。

 だからそれは起きなかった。なにひとつ、起きなかった。それが起きつつある時でさえ、それは起きなかった。どうでもよかった。なんの関心もなかった。
 これらの米国の犯罪は、組織的であり持続的であり、悪意に満ちて情け容赦のないものでした。にもかかわらず、それについて発言する人はほとんどいなかった。すべてをアメリカの手に委ねてしまわなければならなかった。アメリカは一方で普遍的な善のための力を偽装しつつ、世界中で権力の臨床操作を行って来たのです。それは、頭のいい、機知にさえ富んだ、すばらしい成功を積み上げて来た催眠術でした。

 わたしは米国こそ、疑いなく、巡業中の最も偉大なるショーであると言いたい。残虐で冷淡で、嘲りに満ち、容赦のないところがあるにせよ、非常に賢い。セールスマンとして旅に出ており、その最も売れ筋の商品が自己愛なのです。米国は勝利者です。アメリカの大統領がテレビでいう言葉を聞いてごらんなさい。「アメリカのみなさん(The American people)」という言葉が、次のような文章のなかで出て来ます。「アメリカのみなさんに向かって、わたしはいまこそ祈りのときであり、アメリカのみなさんの権利を守るときであると言いたい。そしてわたしはアメリカのみなさんに、いまアメリカのみなさんのために行動を起こそうとする、あなたがたの大統領を信じてほしいとお願いしたい」

 眩いばかりの戦術です。実際問題として、思考を窮地に追い込むべく、言葉が使われています。「アメリカのみなさん」という言葉は、なんども安心させる、ほんとうに官能的なクッションです。考える必要などありません。クッションに身をゆだねるようしていればいい。そのクッションは知性と批判精神を窒息させるかも知れませんが、とても気持ちのいいものなのです。もちろん、この言葉は、貧困線下にあえぐ4000万人のアメリカ人や、米国各地に広がる牢獄につながれた200万人の男女に当てはまるものではありませんが……。

 米国は最早、低強度紛争のことで頭を使うこともありません。口を噤んだり、遠まわしの言い方で逃げることに意味を見出さなくなりました。恐れることなく、あるいは親切心もなく、テーブルの上にカードを曝(さら)け出すようになっている。米国が無力で無関係とみなす、国連や国際法、批判的異見など、どうでもいいものと、ただただ思っているのです。そしてそれは、弱々しい子羊を背後に引き連れている。病人のように無気力な英国という羊を。

 わたしたちの道徳感覚に、いったい何が起きたのでしょうか? そもそも道徳感覚を持ったためしがあったでしょうか? いまやこの言葉にどんな意味が残されているのでしょう。最近はきわめて稀(まれ)にしか使われなくなった良心という言葉を指しているのでしょうか? 自分の行動だけでなく、他者の行動の責任を分かち合う、良心? すべては最早、死に絶えた? グアンタナモ・ベイを見なさい。数百人にも人びとが3年以上も、自分の罪状さえわからず、弁護士もつかず、正当な法の手続きをなく、機械的に永遠の囚われ人になっています。この完全に不法な機構は、ジュネーブ条約を無視して維持されている。それは容認してはならないものであるばかりか、いわゆる「国際社会」にとって、考えられないことです。この犯罪的な非道は、自分自身を「自由世界のリーダー」と称する国によって行われていることです。グアンタナモ・ベイの住人を、わたしたちは考えてみることがあるでしょうか? 彼らについて、メディアは何と言っているか? 新聞の6ページあたりに、小さな記事がたまに顔をのぞかすくらいです。彼らはそこからの生還がかなわないかもしれない無人の地に放り込まれているのです。彼らの多くが、いまこの瞬間もハンガーストライキを行っています。強制的に栄養を投与されています。英国人も含まれています。この強制投与にはなんの気配りもありません。鎮静剤ももらえなければ、部分麻酔もかけてんもらえません。チューブを鼻から喉へ通すだけです。血を吐いてしまいます。これは拷問です。これについて、英国の外務大臣は何と言っているか? 何も言っていません。英国の首相は何と言っているか? 何も言っていません。米国がこう言っているからです。グアンタナモ・ベイのわれわれの行為を批判することは、非友好的な行為に他ならない。お前たちは味方なのか、敵なのか? そう迫られてブレアは口を閉ざすのです。
 
 イラク侵略は、無法者の行為です。国際法の概念を絶対的に侮蔑する、あからさまな国家テロリズムです。イラク侵略は、嘘の上に嘘を重ね、メディアを――ということは公衆を――操作したことで喚起(かんき)された、恣意(しい)的な軍事行動です。ほかの口実がみな失敗したので、最後の手段として引っ張り出して来た、解放という仮装を纏(まと)いながら、中東におけるアメリカの軍事・経済支配の強化を狙った行動なのです。
 数千人もの罪もない人びとの死と人体損傷に責任を負う、軍事力の圧倒的な行使。

 わたしたちは拷問を、集束爆弾を、劣化ウラン弾を、手当たりしだいの無数の殺戮(さつりく)を、悲惨を、生活破壊を、死を、イラクの人びとにもたらしました。そしてそれを「自由と民主主義を中東にもたらす」ものだと言った。

 大量殺戮者、そして戦争犯罪人と彼らが呼ばれるようになるまで、いったいどれくらいの人間を殺さなければならないのか? 10万人? わたしが思いつく限度を超えた数です。だからこそ、ブッシュとブレアを国際刑事裁判所の法廷に立たせることは、正義にかなっていることです。しかし、ブッシュは賢かった。国際刑事裁判所条約を批准しなかったから。それゆえ、もしアメリカの兵士や政治家が法廷に立たされようものなら、海兵隊を送り込むと、ブッシュは警告することができたわけです。しかし、トニー・ブレアは条約を批准しています。だから、訴追(そつい)もあり得ます。わたしたちは、もし国際刑事裁判所が関心を持つなら、ブレアの所在を知らせることができます。ロンドンのダウニング街10番地にいますと。

 こうした文脈のなかで、死は無意味化されます。ブッシュもブレアも、誰が死のうとお構いなし。イラク人の武装抵抗が始まる前に、少なくとも10万人ものイラク人がアメリカの爆弾やミサイルで殺されました。死んだ人びとは、見向きもされなかった。彼(女)らの死は、存在していません。空白のままです。死んでいる、と記録もされない。「われわれは死者のボデー・カウントをしない」と、アメリカの将軍、トミー・フランクは言いました。

 イラク侵略が始まって間もないころ、イギリスの新聞の第1面に、トニー・ブレアがイラクの小さな男の子の頬にキスしている写真が載りました。写真説明はこうでした。「感謝する少年」。それから数日後、新聞の奥のページに、両腕を失った、別の4歳の男の子の話と記事に掲載されました。少年の家族は、一発のミサイルで吹き飛ばされていたのです。そして、この子だけが助かった。少年はこう言いました。「ぼくの腕をいつ返してくれるの?」。その記事はその後、削除されました。そうです、ブレアはその子を抱かなかった。腕や足をなくしたどんな子も、血まみれのどんな死体も、ブレアは抱きませんでした。血は汚れているのです。血は、テレビで誠実そうに演説する、シャツやネクタイを汚すのです。

 2000人のアメリカ人が死んで、慌てています。闇に紛れて、墓地へ運ばれて行きました。葬式は地味に、危険のない場所で。手足を失った者はベッドに朽ち、ある者は一生をかけて果ててゆく。つまり死者も非不具者も、ともに朽ちてゆく。墓の種類が違うだけです。

 〔チリの詩人〕パブロ・ネルーダの詩、『そのわけを話そう』の一節を引くことにしましょう。

   そしてある朝、すべてが燃え出した
   ある朝、大きな炎が
   大地から噴き出し
   人間をむさぼりつくした
   そしてそのときから 火が
   弾薬が
   血が

   飛行機に乗りムーア人を連れた悪党どもが
   指輪をはめて公爵夫人を連れた悪党どもが
   祝福する黒衣の修道士を連れた悪党どもが
   子どもを殺しに空から舞い降り
   子どもの血が通りを流れる
   静かに 子どもの血のように

   ジャッカルにさえ蔑まれるジャッカルどもよ
   乾いたアザミの花さえ棘を刺し、唾棄(だき)する石どもよ
   マムシにさえ毛嫌いされるマムシどもよ

   お前たちの面前に わたしは見たのだ 血が
   スペインの血が 波の塔になって逆巻き
   お前たちをひと呑みにする
   誇りと刃のうねりになって

   裏切り者ども
   将軍どもよ
   殺されたわが家を見よ
   破壊されたスペインを見よ
   燃え盛る家々から金属が溶け出る
   花たちに代わって
   抉(えぐ)り取られた、ひとつひとつのスペインから
   スペインが現れる
   そして死んだ子どものひとりひとりから、両目を持ったライフルが
   そしてひとつひとつの犯罪のあとから、弾丸が生まれ出て
   いつの日か必ず
   お前たちの心臓の的を狙うのだ

   諸君らは尋ねる スペインの詩はなぜに
   夢を葉を歌わないかと
   ふるさとの大地の偉大なる火山の歌を歌わないかと

   来て、見てくれ 通りに流れた血を
   来て、見てくれ
   通りに流れた血を
   来て、見てくれ 血を
   通りを!

 わたしがパブロ・ネルーダの詩を引用したのは、〔フランコのファシストに滅ぼされた〕スペイン人民共和国をサダム・フセインのイラクになぞらるためではないことを、はっきり言わせてください。わたしがネルーダを引いたのは、現代詩のなかに、これほどパワフルに、民衆への爆撃の悲惨を描き切ったものがほかにないからです。

 わたしは先ほど、米国がいまやまったくあからさまに、手持ちのカードをテーブルの上に曝し出したと言いました。問題はここにあります。米国の公式に宣言された政策は、「フル・スペクトル(全領域)支配(full spectrum dominance)」と定義されています。わたしの科白ではありません。彼らの用語です。「フル・スペクトル支配」とは、陸地や海、空、宇宙、その他、あらゆる利用可能な資源を意味する言葉です。

 米国は世界の132ヵ国に、合わせて702の軍事基地を設け、占拠しています。もちろん、みなさんのスウェーデンは、その名誉ある例外ではありますが……。米国がどうやって、そういうことをやってのけてたか、よくわかりませんが、彼らはたしかにそこにいるのです。

 米国は8000発もの、実戦配備または配備可能な核弾頭を保有しています。うち2000発は、一触即発の警戒態勢下にあり、警報発令後、15分以内に発射することができます。米国はまた、「バンカー・バスター」として知られる、新しい核戦力のシステムを開発中です。英国は協調姿勢を強め、国産の核ミサイル「トライデント」を更新しようとしています。いったい、誰を狙おうというのでしょう? オサマ・ビンラディン? それとも、あなた? わたし? ジョー・ドークスさん? 中国? パリ? 知る者はいません。しかし、わたしたちがたしかに知っていることがあります。この幼児的な狂気――それはつまり、核兵器の保有と使用の脅迫のことですが――が、現在のアメリカの政治哲学の中心にあるということです。わたしたちは思い起こす必要があります。米国は軍事に永久的に立脚しており、その態勢を緩める兆しはない、ということを。

 数百万といえなくとも、少なくとも数千人の米国人は、彼(女)らの政府の行動に不快感と恥と怒りを表明しています。しかし、実際のところ、それはまだ、ひとかたまりの政治的な力にはなっていません。しかし、わたしたちが目の当たりにしている、米国で日々、増大する不安、不確実、恐れは、消えるものではないようです。

 わたしはブッシュ大統領がきわめて優秀なスピーチライターを数多く、抱えていることを知っています。しかし、わたしとしても、ボンランティアでその仕事をしてみたい気がします。そこでわたしは、全米テレビ演説で使える、以下の短い演説文を提案したいと思います。

 わたしはいま、彼の姿を目に浮かべています。威厳があって、丁寧に髪の毛をとかしていて、真剣で、勝利の確信に満ちている。しばしば人を魅了し、ときどき苦笑を浮かる、変に魅力的な、男の中の男を。

 「神は善であります。神は偉大であります。わたしの神は善であります。ビンラディンの神は悪であります。彼の神は悪の神です。サダムの神は悪です。その神もサダムの神にはなれなかった。サダムは野蛮人です。われわれは野蛮人ではありません。われわれは首をはねたりしません。われわれはデモクラシーを信じています。われわれは、情け深い社会です。われわれは、情け深い電気椅子と情け深い毒液注射で処刑しています。われわれは偉大な国民です。わたしは独裁者ではありません。わたしは野蛮人でもありません。彼が、そうです。そして、別の彼も。全員がそうです。わたしには道徳的な権威があります。この拳を、ご覧なさい。これがわたしの道徳的権威です。忘れちゃ困るぜ!」

 作家の人生は、か弱いものです。裸同然の活動であります。しかし、だからといって、泣くことはありません。作家は自分自身で選択し、選んだものに固執します。しかし、あらゆる風にさらされ、ときとして凍(い)てついた風に吹き付けられるのだというのも、真実です。でも、自分自身の足だけで立っていなければなりません。避難所もなければ、保護するものもない。それも、嘘をつくなら、話は別です。その場合、あなたはもちろん、自分で自分の守りを固めていく。そうして――議論の余地はありますが――、政治家になっていく……。

 今宵、わたしは何度も死者について語って来ました。ここでわたしの詩、『死(Death)』を引くことにしましょう。

   死体が出たのはどこだ?
   死体を見つけたのはだれだ?
   死体は出てきたとき死んでいたか?
   死体はどうやって出て来たか?  

   死体はだれだ?

   死体は父か、娘か、弟か?
   叔父か、妹か、母か、息子か?
   死んで捨てられたものの

   死体は裸か旅装をしてたか?

   死体が死んだというのは、どうして?
   死体が死んだとあなたが言ったの?
   死体が死体だとどうして知ったの?
   死体が死んでいるとどうしてわかるの?

   死体をあなたは洗いましたか?
   死体の両の目を閉じたのですか?
   死体をあなたは埋めましたか?
   死体をあなたは捨てましたか?
   死体にあなたはキスしましたか?

 わたしたちが鏡を見るとき、目の前に現れた映像を寸分の狂いもない正しいものと考えます。でも、わたしたちが1ミリ、動いても、映像は変化します。わたしたちは実は、無限の反射の射程(しゃてい)に向き合っているのです。作家はしかし、ときにその鏡を破壊しなければなりません。鏡の向こう側から、真実がわたしたちを見ているからです。

 途方もない困難が現に存在します。しかし、ひるまず、ゆるがず、市民として、わたしたちの生の現実における真実を言葉にする、強固な知的決意をすることは、わたしたちがみな、譲り受けるべき、きわめて重大な責務であります。それは、わたしたちに与えられた使命です。

 もしかりにそうした決意がわたしたちの政治のヴィジョンに体現されなければ、わたしたちはすでにほとんど失いかけているものを復興する希望をなくしてしまうことでしょう。失いかけているもの――それは、人間の尊厳です。  
       
   
   

http://books.guardian.co.uk/news/articles/0,,1661516,00.html

Posted by 大沼安史 at 12:49 午後 |

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