〔NEWS イラクから ④〕ファルージャ、忘れまじ
米国人BLOGジャーナリスト、ダール・ジャマル氏の「ファルージャの瓦礫のなか、生活は続く」という記事を、インター・プレス・サービス(IPS)のHPで読んだ。
11月23日、サンフランシスコ発だから、いったんイラクを出国しての報道らしい。
9日前、14日にはブログ「イラク・ディスパッチ」に「ファルージャ再訪」という記事を載せているので、そのあと帰国したようだ。
わたし(大沼)は、ジャマル氏の、米軍に同行しない、イラク民衆の側からの草の根報道を高く評価するひとりだ。だからときどき、ネットの上で「追っかけ」る。
そのジャマル氏のIPSでの記事を読んで、またも、イラク西部の都市、ファルージャの悲劇の現場へと引き戻された。
昨年4月と11月、米軍の侵攻により破壊された、「イラクのゲルニカ」とも呼ばれる戦災都市である。
ジャマル氏の報告によると、米軍のファルージャ侵攻、「オバケの激怒作戦(Operation Phantom Fury)」によって、36000の家が、60の学校が、65のモスクが破壊された。
現地の「人権デモクラシー研究センター」によると、4000人から6000人の人びと(その大半は一般住民)が殺され、急ごしらえの墓地に埋葬された。
ファルージャ市役所のスポークスマンの話では、生き残った人びとのうち、15万人から35万人が戦争難民となっている。
米軍による都市の破壊は、同市のシュハダ地区でとくに徹底し、家屋の95%が瓦礫を化した。
イラク政府が約束した補償も、2割出ただけで、支払いは停止されている……。
これが米軍が「白燐(リン)弾」まで使って制圧した、30万都市の現在の窮状である。
ファルージャ戦からすでに1年――。
ひどい話だ。
ジャマル氏が自分のブログに載せた「ファルージャ再訪」には、「白燐弾」に関する記述に加え、住民の、米軍による残虐行為についての証言も紹介されている。
「通りに横たわる、負傷した人々を(米軍の)戦車は轢いた。なんども、そういうことはあった」
「アメリカ人は通訳なしで家に入り、人々を射殺した。英語がわからないので、命令に従えなかっただけなのに。わたしがいた家では26人が射殺された」
「白旗をかかげて避難する非武装の人びとを撃ち殺した」
ピカソが生きていたら、どんな地獄絵を描くか?……
ファルージャの悲劇、忘れまじ、である。
IPSの記事は ⇒
Posted by 大沼安史 at 11:08 午前 | Permalink

















