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2005-11-12

〔国際問題コラム いんさいど世界〕 アンマンの夜 ヨルダンの「9・11」

 中東の小さな王国、ヨルダンの首都、アンマンで、9日(水曜日)の夜、同時多発テロが起きた。

 11月9日……9th day of the 11th month。
 ヨルダンの「9・11」。

 アンマンの3つの高級ホテルが自爆テロの標的とされた。
 最高級の「グランド・ハイアット」でも、爆発が起きた。

 そこに一度だけ、泊まったことがある。
 1990年の秋。ヨルダン経由でイラクに入ろうとしたときのことだ。
 ホテルには、いまは亡き、朝日新聞の伊藤正孝さん(朝日ジャーナルの編集長)もいて、同じイラク航空の便で、アンマンからバグダッドに向かったことを覚えている。

 巨大なホテルで、客もまばら。屋外プールには人影もなく、寒々としていた。
 そんなホテルに閉じこもっているのがいやで、アンマンの下町にひとりで出かけた。

 ホテルのあるのは郊外の山の手で、坂道を降りた谷あいにアンマンの下町はあった。
 そこには、山の手のホテルにはない、アラブのまちの臭いがあって、入り組んだ小路は治安が保たれ、行き交う人びとで賑わっていた。

 丘の上の権力と閑散。谷底の民衆の活気。
 その際立った対比が、いまも記憶に残っている。

 そのアンマンの山の手、丘の上で起きた、ヨルダンの「9・11」。

 ザラクァイ一派とされる「イラクのアルカイダ」がインターネットで流した「犯行声明」によれば、山の手のホテルはNATOの出先となっており、「うすよごれたイスラエル人」の宿泊先にもなっているので、爆破したという。

 いつもの「ザラクァイ」らしい、実に単細胞的、犯行の動機だ。
 

 今回の同時爆破事件がもしほんとうに、ザラクァイという、テロ世界なりあがりの、スーパースターの仕業だとすれば、このヨルダン人は、故郷にテロルの錦を飾ったことになる。

 ヨルダン第二の都市、ザルカの貧しい下町に育った、チンピラ・ヤクザのザラクァイが、もしもほんとうに、ビンラディンと盟約を結び、イラクを拠点に神出鬼没のテロ活動を続ける、あの「ザラクァイ容疑者」と同一人物であるなら、よくもまぁ、ここまで、立身出世をしたもの。 

 「もう、あいつは、どこかできっと死んでいる」と、親族によって葬式まで出されている、身内の恥さらしが、あろうことか、首都アンマンのホテルに自爆の刺客を送り、アブドラ国王に盾を突くとは。

 「ジハードの池の小魚」(イタリアのテロ専門家、ロレッタ・ナポレオーニさんの表現)に過ぎなかった、オーラもくそもないない男が、アンマンの「丘の上」を、ヨルダン王国の支配の中枢で同時多発テロを引き起こした?

 にわかには信じがたい話ではある。

 
 腑に落ちないわけには理由がある。

 ヨルダンという国には、「GID」という情報組織があって、ことアラブ世界の過激派に関する情報収集活動においては、イスラエルのモサドもかなわない実力を持つといわれる。
 4年前、国内過激派によって、在アンマン米国大使館に対する爆破テロが企てられたときも、事前にキャッチして、未然に防いでいる。
 ヨルダンの情報部、GIDは、いつテロが起きても不思議ではないこの国を、テロの少ない、治安のとれた国にして来た。

 そうしたGIDの鉄壁の守りがなぜ、やすやすと破られたのか?
 それが第一の疑問である。

 ヨルダンはとりわけ「ザラクァイ」の動向に警戒の目を光らせていたといわれる。その目をかいくぐり、アンマンの丘の上に、自爆テロリストを送り込んだ。そんな組織力を、5年間、ヨルダンで刑務所暮らしをしたあと、国を飛び出した与太者あがりのこの男が、わずか数年で身につけるとは、考えにくい。
 今回の「9・11」の背後にも、2001年のあのときと同様、より大きな力が働いていたと見るべきであろう。
 
 この点に関して注目すべきは、英紙ガーディアン(電子版、11月11日付け)の「社説(Leader)」である。

 社説は、ヨルダン王国が一定の議会制民主主義を導入し、イスラム宗教勢力に対し、一定の活動の余地を与えていたが、テロ事件が起きた以上、当局の弾圧は必至である。「しかし、こうした悪しき犯罪の背後にいる勢力に勝利を手渡すないことこそ、賢いことである」――と指摘している。

 イスラム勢力を弾圧して、憎悪の火に油を注ぐことは、相手の手の内にはまることである。そういう愚かなことはやめなさい、と忠告しているわけだ。

 わが意を得たり、まったくもって同感の、ガーディアン紙の社説ではあるが、今回の「9・11」 がヨルダンに「テロ-弾圧-テロ」の連鎖反応が起きることを期待してのものだったとしたら……そして、それが、より大きな力によって企てられたものだとしたら、それはいったい、いかなる構図で仕組まれたものなのか?

 それがおそらく、今回の事件の核心に迫る、われわれが発すべき、第二の疑問である。

 この疑問に答えるには、中東をめぐる最近の情勢の変化に目を向ける必要があるだろう。
 
 ・ 米国とイランとの関係調整の動き
 ・ シリアをにらんだ、イラク西部における米軍の攻勢
 ・ イスラエル国内における政局の緊迫化

 この3つの動きを地図に落として見てみると、その中心にあるのは、やはりイスラエルである。

 イスラエルにとって「東方の脅威」であった「サダム・フセインのイラク」は地図上から消え、メソポタミアの地では、「イラク戦争」の戦乱が続いている(イラクで戦乱が続く限り、イスラエルの東部正面は安泰だ)。

 泥沼化した事態の収拾に、イラン(シーア派)が協力する姿勢を見せ始め、米軍にシリア侵攻するだけの余力が生まれようとしている。

 そうなると、パレスチナ和平を急がなくてはならないイスラエルのシャロン政権にとって、今回、中東に生まれた新情勢は、シリアなど「西方の脅威」を取り除く絶好の機会となる。

 シリアは、米軍がたたいてくれる。

 ついでにヨルダンも不安定化して、なんらかの口実をもうけて、イスラム過激派の一掃を図る。

 イラクでシーア派を攻撃し続ける「ザラクァイ」一派を、ヨルダンに「転進」させれば、シーアのイランの反発もやわらぎ、イラク情勢にも、すこしは落ち着きが出るだろう……。

 米ロサンゼルス・タイムズ紙によれば、ヨルダンの情報機関、GIDは米国から資金援助を受け、CIAと密接に協力している。CIAのエージェントがGIDに自由に出入りするほど、一体化した関係にある。そして、そのCIAがイスラエルの情報部、「モサド」と協力する、中東の諜報地図。
 
 もはや、「解」は明らかである。

 モサド、CIAの関与、そしておそらくはGIDの黙認による、アンマンの「9・11」の「演出」。
 自爆テロ犯を、そうとは気づかせずに操り、丘の上のホテルに向かわせたのは、彼らなのだ。
 

 爆破当日、アンマンのホテルにいたイスラエル人らに、何者かが事前の警告を入れ、全員無事に避難させていた、という、本紙既報のイスラエル紙、「ハーレツ」の報道が、その有力な傍証である。
 
 
 

Posted by 大沼安史 at 01:46 午前 1.いんさいど世界 |

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