〔NEWS イラクから ⑤〕 イラクの感謝祭
11月第4木曜日は、「感謝祭」の休日。アメリカ人にとって、最も大事な休みの日だ。
英国から米東海岸にたどりついた清教徒たちが、実りの秋の恵みを祝って始めた感謝の一日。
Thanksgiving。
彼(女)らが感謝をささげたのは、窮地を救ってくれた先住民(インディアン)なのか、先住民を彼(女)らのコロニー(入植地)につかわした神なのか。
キリスト暦、2005年の「感謝祭」は、11月24日。
イラクで戦う14万人の米兵も、アメリカという国の生誕につながる、米国民の祝日を過ごした。
でも、彼(女)らにとっての感謝祭は、祝日であっても休日ではなかった。
戦争しに、メソポタミアまで来ているのだから。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、この日、バグダッドの中心部で、またも悲劇は起きた。
病院の近くでイラクの子どもたちにオモチャを配っていた米兵のグループに、爆薬を積んだ車が突っ込んだ。少なくとも31人が死亡した。大半がイラク人、それも婦女子だった。
VOA(アメリカの声)の電子版に、「ユシフィヤ前進基地」のルポが出ていた。
ユシフィアは、流血の激戦地、「死の三角形」のなかにある、スンニ派イラク人、2万人の町。米軍の前進基地は、鉄条網で囲まれ、砦のように孤立している。
「感謝祭」のこの日、ひとりの負傷者も出てほしくないという願いはむなしく破られた。
道路の先にある民家が被弾し、死傷者が出た。
ひとりの米兵がVOAの記者に言った。「ハッピー・サンクスギビング!(なんてすてきな感謝祭!)」
そして、こう付け加えた。「これがノーマル。毎日がこうさ」
シリア国境に近くで戦闘に従事する米海兵隊にも、「感謝祭」の一日が過ぎた。
AP通信の記者に対して、ミシガン州出身の20歳のマリーン(海兵)は言った。
「国に貢献するのは大事だけれど、友だちがここにいなくてさびしい。でも、そのことがぼくを感謝させてくれる。ぼくがいま、何を持っていて、何を当たり前のように持っていたかを知ることで」
カリフォルニア出身の、21歳になる別のマリーンも、ホームシックを隠さなかった。
「家のカウチに寝転んで、オヤジと一緒にテレビのフットボール試合を見ていられたのに。それなのに、ぼくはいま、イラクで装甲車を運転中さ」
感謝祭の食卓に必ずのぼるターキー(七面鳥)などの食材は、ジャンボ機でイラクに空輸された。
14万人の米兵の「大半」は、ターキーを口にすることができたという。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、この日、イラクで、2人の米兵が戦死した。バグダッドの近くで道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発した。
ほかに、イラク人が少なくとも51人、死亡した。
「先住民」(イラク人)の生活圏に侵入し、破壊活動を続けながら、神に感謝をささげる、コロニー(軍事基地)にたてこもった「入植者」(米兵)たち。
メソポタミアの地での、3回目の感謝祭は、やはり、硝煙と流血の一日だった。
「ハッピー・サンクスギビング!(なんてすてきな感謝祭!)」
Posted by 大沼安史 at 10:47 午前 | Permalink

















