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2005-11-03

〔コラム 机の上の空〕 ローザ・パークス 頌

 人種差別のバスに座り続け、黒人公民権運動の口火をきったローザ・パークスさんの葬儀が11月2日、米ミシガン州デトロイト市で行われた。

 4000人もの人びとが参列したキリスト教会での葬儀のもようを、地元紙(デトロイト・ニューズ、デトロイト・フリープレス)などの電子版で読んで、考えさせられた。

 バスに乗ったひとりの黒人女性の、たったひとりの、50年前の抵抗が生んだ、希望と救い。

 徹夜で並んだ開場を待った黒人参列者たちに、クリントン前大統領夫妻ら白人らも加わって、「新しいアメリカの母」(ジェシー・ジャクソン師の言葉)に最後のお別れをした葬儀は、あらためてアメリカという白人優位社会の原罪を償い、民主主義の未来に架橋する、新たな通過儀礼でもあった。

 パークスさんが南部アラバマ州モンゴメリーで、白人専用のバスの前部座席から、立ち上がるのを拒否したのは、1955年12月1日。

 その日のことを、クリントン前大統領は弔辞のなかで振り返った。

 南部アカンソー州に住む、当時9歳のクリントン少年は、パークスさんが白人に席を譲らなかったことをニュースで知った。未来の合衆国大統領は2人の友だちと語らって、パークスさんに連帯することを決意し、バスの前部座席に座ることを止めたという。

 「それは、3人のふつうのこどもの、ささやかなジェスチャーでした。しかし、その小さな行動は、こどもたちの心のなかで、親たち、祖父母たちの心のなかで、何百万回となく繰り返されて来たのです。そして、それはついに、彼女がわたしたちすべてを自由にしてくれたことを証明した………(中略)彼女は、わたしたちの目を開き、合意させてくれたのです。人はみな、自由であるべきだと」

 7時間に及ぶ葬儀の最後に、弔辞を読んだのは、黒人指導者のジェシー・ジャクソン師だった。

 「グッドバイを言う、それだけのことに、これだけ長い時間のかかる人がいる」と。

 92年のパークスさんの人生は、アメリカの朝に向かってひた走る、大陸横断バスのような旅路だった。

 パークスさんが南部を逃れ、デトロイトにやってきたのは、1957年のこと。以来、ミシガンのこの都会は、彼女の第二の故郷となった。

 自動車の町、フリントの博物館には、彼女が座り続けたバスが永久保存されている。

 彼女はデトロイトに来てからも、活動を止めなかった。

 財団をつくって、デトロイト市内に住む、黒人の子どもたちの教育を支援して来た。奨学金を出し、ワークショップを開いて、都市部の貧困な子どもたちに救いの手をのばした。

 その教育支援は、彼女にとって、南部での黒人公民権運動の延長であったろう。

 ミネソタ州にすむわたしの友人の話では、彼女の最後の夢は、デトロイトに彼女自身のチャータースクールをつくることだったという。

 老衰が夢の実現を阻んだ。

 いまから20年ほど前、わたしはミシガン州に住んでいて、デトロイトからきた長距離バスに乗り込み、シカゴ経由でミネソタに向かったことがある。

 隣り合わせた席に、黒人の夫婦がいて、会話を交わした。

 聞けば、シカゴでニューオルリーズ行きのバスに乗り換え、南部に向かうのだという。

 身内が死んだので、このバスに乗っているのだと。

 シカゴはまるで別方向。自分の車もなく、デトロイト空港からの飛行機代も持たない、この貧しい黒人夫婦にとって、グレイハウンドのバスを乗り継ぐしか、ほかに方法はなかった。

 それが1980年代半ばのアメリカの現実の、少なくとも一部だった。

 デトロイトでのパークスさんの葬儀の記事を読みながら、この黒人夫婦はいまごろどうしているのだろう、葬儀には参列したのだろうか、と思った。

 ワシントン・ポスト紙の記事は、会場のグレーター・グレース・テンプル教会の近くで、サキソフォンの男が「ウィー・シャル・オーヴァーカム」を演奏していたと書いていた。

 会場のなかでも、「ウィー・シャル・オーヴァーカム」の大合唱。
 

 わたしたちは、必ずや、打ち勝つだろう
 いつの日か。
 オー、わたしの胸の奥ふかく
 わたしは、たしかに信じている
 わたしたちが必ず、打ち勝つことを

 アメリカの黒人をめぐる状況は、半世紀前と比べ、法的な面では改善されたが、実生活の面ではなお足踏みを続けている。最近は逆に悪化さえしているとの指摘もある。

 アメリカの民主主義はなお、理想の地に向かって、バスを走らせなければならない。

 それは、わたしたち、日本の社会にとっての課題でもあり、目標でもあろう。
 

 バスの道筋を定めた、ローザ・パークスさんの死を悼む。
 
  

Posted by 大沼安史 at 09:08 午後 3.コラム机の上の空 |

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