南米アルゼンチンの沿岸リゾート、マルデルプラタで開かれた米州首脳会議が、話し合いの果実を何も生み出さないまま、11月5日、2日間の日程を終えた。
米州自由貿易地域(FTAA)構想を携え、2000人の側近と4機のAWACS(早期警戒管制機)を引き連れて現地に乗り込んだブッシュ大統領は、手土産を持つことなく、そそくさと引き揚げざるを得なかった。
南米を自らの「内庭」とみなして、したい放題を続けて来た「北の帝国」の、無様な近隣外交の失敗。
ブッシュに代わって脚光を浴びたのは、「反ブッシュ」を掲げて、現地での抗議運動をリードした、あの「神の手」のサッカー・プレーヤー、地元アルゼンチンのマラドーナであり、米国にとってもっとも煙たい存在の、ベネズエラのチャベス大統領だった。
〔神の手のマジック〕
「反ブッシュ」の抗議行動の先頭に立ったのは、ディエゴ・マラドーナだった。
1986年のワールドカップ・メキシコ大会決勝戦。西ドイツのゴールネット揺らしたマラドーナの2得点は、いまや伝説だ。「神の手」をつかった、あの1点目。敵のディフェンダーを次々にドリブルで抜き去り、ゴールの隅に、ピンポイントでシュートを決めた2点目。アステカ・スタジアムのあのゴール・シーンは、サッカーファンならずとも、記憶に残っていることだろう。
マラドーナは、その栄光の頂点から、その後、地獄に堕ちる。
コカイン中毒。ぶよぶよに太ったその体からは、「神の手」を持つ者のオーラは消えていた。
そのマラドーナが復活した。
キューバに4年間、通って、リハビリを続け、ことし8月、テレビのインタビューアーになって、「背番号10番の夜」という、レギュラー番組を持つまでになった。
甦ったマラドーナは、ブエノスアイレス発の特別列車に乗り、400キロの道のりを、抗議の民衆らとともにマルデルプラタ入りした。
途中、歓迎の人びとが待つ駅で臨時停車し、交流を重ねて、1日から「民衆サミット」が開催されている現地を目指した。
現役時代を思わせる輝き。贅肉を削ぎ落とし、筋肉が盛り上がった分厚い胸。
そのマラドーナの上半身が、「反ブッシュ」のメッセージ・ボードとなった。
Tシャツを着替えるたびに、新しい「スローガン」が胸元を飾った。
全世界を意識した英語のキャッチワード。
“STOP BUSH(ブッシュを止めろ)”
“ASSASSIN(暗殺者)”
“WAR CRIMINAL(戦争犯罪人)”
そのすべてが、ブッシュ大統領の顔写真のキャプション(説明文)として、映像になって世界に流れた。
4日の米州首脳会議開催に合わせ、マルデルプラタのサッカースタジアムで開かれた、「民衆サミット」主催の抗議集会で、マラドーナは40000人の聴衆を前に、こう言った。
「わたしはみなさんを愛しています。偉大なるアルゼンチンよ。ブッシュを追い出そうではありませんか」(AFP=時事電)
「アルゼンチンは守られるべきだ。さぁ、一緒にブッシュを蹴り出そう」(米誌「ネーション」)
ブッシュ大統領を「人間の屑」と言い切った、ブエノスアイレス郊外のスラム出身のスーパースターは、「神の手」のこぶしをふたつ、空に突き上げた。
〔反米の根にあるもの〕
マラドーナをしてブッシュ大統領を「人間の屑」とまで言わせたもの。それはアルゼンチンの人びとの、怨念にも似た反米感情である。それが底流にあって、今回、マルデルプラタで一気に噴き出した。
首脳会議の開会を宣言したホスト国、アルゼンチンのキルチネル大統領の演説もまた、そうした国民感情に裏打ちされたものだった。
仏ルモンド紙によれば、キルチネル大統領に演説は、米国のネオリベラルな政策で引き起こされた「過去の政治経済に対するアルゼンチン人の怒りのこだまさせる」ものだった。
「われわれは、2001年にアルゼンチンを襲った危機の結果と、南米地域の多様なデモクラシー政府の崩壊を当たりにしたがゆえに、その政策を批判しているいるのです」
キルチネル大統領は、ブッシュ大統領が見守るその演壇から、こう言い切ったそうだ。
2001年、経済危機に陥ったアルゼンチンは、米国(IMF)の「市場経済」化の処方箋で、どん底へと突き落とされた。12月には銀行の預金が封鎖され、通貨の価値も3分の1まで減価してしまった。人びとは街頭に繰り出し、女性はフライパンを叩いて抗議したが、後の祭りだった。
こうした4年前の恨みが、マラドーナの口を借りて、弾丸シュートのように、ブッシュ大統領に向かったわけだ。
それだけではない。
これはブッシュ大統領個人には直接、責任のないことだが、アルゼンチンは1977年から83年前の軍事独裁政権時代、悲劇を経験しているのだ。
クーデターのあと、軍による「汚い戦争」で、3万人もの国民が殺され、行方不明になった。
その軍事政権を、米国が支えた。
そのことにアルゼンチン人はいまでも怒っている。
マルデルプラタでの反ブッシュ「民衆サミット」には、軍事政権によって息子の命を奪われた母親たちでつくる平和団体、「マヨ広場の母たち」のメンバー200人も参加した。
マヨ広場とは、ブエノスアイレスの政府庁舎前の広場のことで、いまなお母親たちは白いスカーフをかぶって、毎週水曜日に集まり、抗議行動を続けている。
アルゼンチンの人びとの心の根っこには、こうした反米感情が、デモクラシーを希求する灯となって、燃え続けているのである。
だからこそ、アルゼンチンが誇る、ノーベル平和賞の受賞者、建築家でもあり彫刻家でもある平和運動家、アドルフォ・ペレス・エスキヴェル氏のルモンド紙へのインタビュー発言も、以下のように激烈なものにならざるを得なかった。
「ブッシュは全世界にとっての危険であります。人権宣言を尊重せず、国際条約を無視し、国連安保理にも従わない」
「ブッシュはイラクやアフガニスタン、そしてグアンタナモの人権侵害に責任があります。彼は、テロリズムについて語りますが、アメリカによるテロリズムを自ら非難しない」
「マルデルプラタの反ブッシュのデモは、ラテン・アメリカに対する略奪を非難するものなのです」
〔英雄チャベス〕
マラドーナとともに、マルデルプラタのヒーローとなったのは、ベネズエラ左翼政権のチャベス大統領だった。
チャベス大統領は4日、首脳会議の席を抜け出して、サッカースタジアムでの反ブッシュ集会に参加し、延々2時間半にわたって、熱弁をふるった。
英紙、フィナンシャル・タイムズ紙の特派員によれば、チャベス大統領は以下のような発言をしたという。
「われわれ(ラテン・アメリカ)は、北アメリカの植民地にはならない」
「人びとが求める新しき、歴史的な、社会主義のプロジェクト、21世紀社会主義を誕生させるために、資本主義を葬り去ろう」
これまた激烈かつ挑戦的な演説内容である。
2ヵ月前、ブッシュ大統領の盟友であるテレヴァンジェリスト(テレビ説教者)のパット・ローバトソンから、「殺されたらいい」という暴言までもらった、南米の暴れん坊、チャベス大統領にふさわしい(?)、ストレートな物言いだ。
そんなチャベス大統領を、英紙インディペンデント紙は、南米の「ビリー・ザ・キッド(西部の無法者のひとり)」と呼び、ブッシュ大統領をキッドを倒した保安官のワイアット・アープにたとえていたが、なにか「含み」でもあるのだろうか。
〔米国の巻き返しは〕
南米の関税障壁を一層し、南米を米国製品の輸出のはけ口にするFTAA協定は、「半球の支配的経済パワーである米国にとって、利益は明らかである」(米ニューヨーク・タイムズ紙)という性質のものだ。
チャベズやマラドーナが「反対」を叫ぶのも当然のことだろう。
しかし、いくら反対の大合唱があがっても、南北両アメリカにEUを上回る経済ブロックをつくりたい米国としては、FTAAを捨てるわけにはいくまい。
そこで今後のブッシュ政権の出方が気になるところだが、米国の政策シンクタンク、「ワールド・ポリシー研究所」の報告によると、米国はラテン・アメリカに対する軍事的な関与を強め、同盟国に対する軍事援助を増大させている。その規模は2006年時点で、2000年実績の実に34倍、1億2200万ドルの達する見通しだ。
ブッシュ政権としてはこうした軍事援助をテコに拠点を防衛する一方、チャベズ大統領のベネズエラに何らかの形で介入するものとみられる。
資源確保戦略でイラクの石油の確保に動くブッシュ政権の次なる軍事行動のターゲットに、果たしてベネズエラは挙げられているのか。
先のエスケヴェル氏の、ルモンド紙での発言にある、「最近、米国はパラグアイに米軍を展開させた。アメリカにとっての関心は、パラグアイの膨大な水資源である」との指摘と合わせ、気になるところである。
ブエノスアイレス大学の社会学者、マルセロ・ランジーリ教授は、今回のマルデルプラタ・サミットについて、「ラテン・アメリカ史のひとつの転換点だった」と総括しているが、問題は今後の展開の方向である。
ブエノス・アイレス、すなわち「聖母の順風」に乗って、ラテン・アメリカが平和の時代に向かうことを祈るほかない。