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2005-10-31

〔コラム いんさいど世界〕 「靖国」、または日本の「不思議」について

 来日した韓国の外交通商相が朝日新聞と会見し、歴史認識問題などについて、韓国側の考えを示した。

 その会見記事(10月30日付け)を読んで、日本のこれからを心配する隣人の、親身な発言のようにも聞こえた。

 ややぎこちのない、いくぶん時代がかった、同紙掲載の(日本語の)「発言要旨」から、外相が植民地時代に覚えた日本語で発言したのではないかと想像した。

 外相の発言内容で、はっとさせられたことがあった。
 「日本に国立の追悼施設がないことを私は不思議に思う」というくだりである。

 「外国の国家元首らが多くの戦没者を出した国を訪問した際、国立墓地のような場所に参拝するのが儀典上の慣例だが、日本ではそれがない」と。

 日本には国立の戦没者追悼施設がない!

 そう言われて気がついた。たしかにそうだ、先の大戦で200万人以上の戦死者を出していながら、この国には戦死者を悼む、公的なモニュメントひとつ、ない。

 なぜ、ないのか?
 それはつくろうとしなかったからだ。

 なぜ、つくらなかったか?

 それは韓国の政治家でなくとも、不思議に思うことだろう。
 しかし、日本人であるわれわれは、それをすこしも不思議に思ってこなかった。

 そこがさらに不思議なところである。

 世にも不思議な物語は、なぜ起きえたか?

 それは恐らく、この国の戦後の支配者たちの周到に仕組んだ仕掛けのせいである。意図的に建設することを避け続けてきた、政府の不作為によるものだ。

 なぜ、そういうことが言えるのか?

 もしも国立の追悼施設をつくろうとしたら、まず第一に、追悼するべき対象者を限定することが必要になるだろう。

 「先の大戦」の定義が問われることになる。

 昭和16年12月8日以降の「大東亜戦争(太平洋戦争)」勃発時以降に限定するのか、その前から続けていた「日中戦争」を含むのか、まずもって問題になる。

 日本軍による真珠湾攻撃の日に、中国戦線で死亡した日本兵は「先の大戦」の戦死者ではないのか?

 その1日前、あるいは1週間前、さらには、1年、10年前、中国で戦死した人は追悼されなくていいのか、という問題が直ちに出て来る。

 つまり日本の政府として、追悼施設の建設を思い立ったとたん、昭和20年の8月15日に至る、日本の戦争の歴史の総括に迫られるわけだ。

 つまり、過去を直視する必要が出て来る。

 その場合、「真珠湾」以前、それも中国戦線は除きます、とも言えないから、戦没者の対象は少なくとも、日中戦争勃発時に遡ることになるだろう。

 それは「大東亜戦争」と「日中戦争」を切り離して考えたがる、日本の支配層の歴史観ともろに衝突するものだ。

 だから、追悼施設の建設に手をつけなかった(あるいは、手をつけられなかった)。

 これがたぶん、理由の第一である。

 この問題は、今後、国立追悼施設の建設問題が具体的になればなるほど、政府にとっては頭痛の種になるはずだ。
 

 国立追悼施設の建設を戦後一貫してサボり続けた第二の理由は、上記、第一の理由と密接に絡む問題である。
 すなわち、「戦争責任」と「戦後補償」。

 戦後の日本政府は戦争責任と補償の問題を「太平洋戦争」に限定し、サンフランシスコ条約で片がついたという立場を採ろうとして来た。

 中国や朝鮮半島などにおける「歴史の負債」を踏み倒し続けて来た。

 追悼施設をつくる以上、物の道理として、追悼する戦死者の定義のもととなる「戦争」の範囲を、時間的に「真珠湾以前」に遡り、空間的に中国、朝鮮半島などに拡大せざるを得ないから、ここでまたも、歴史の真実に直面せざるを得ない。

 それを直視し、戦争責任を引き受け、侵略による戦争被害の補償する事態をなんとしても回避したかった。

 それが、第二の理由である。

 このような動機を抱えた政府にとって、実に好都合な存在があった。それが第三の理由である。

 言うまでもなく「靖国」。
 

 靖国神社には、戊辰戦争以来の全戦死者(賊軍を除く)がまつられており、そこを追悼施設の代理物にして、「先の大戦」の戦死者の追悼を「丸投げ」しておけば、「戦争」の定義をしなおすこともなく、「戦死者」に枠を設けることもなく(「英霊」と一括すればいい)、戦死者を悼もうとしないと謗られることもなく、政府として安穏としていられる。

 それになんといっても、政府にとって安上がり。

 東京・九段の「靖国」の境内という一点で、アジア全域で散った英霊たちを祀ってしまえば、追悼施設の建設費も出さずに済む上、遺骨収集とかDNA鑑定とか、戦没者名の刻印といった、わずらわしい仕事をしなくていい。

 戦後の歴代政府は、「靖国」をエコノミカルに使っていたのだ。

 なにしろ、年に一度の公式参拝や私的参拝をすれば、それで事足りる。こんな好都合なことは、ほかにあまり例はない。

 「靖国」の英霊たちにも、南洋の島々などでいまなお帰国の日を待つ、白骨と化した戦死者たちに対しても、失礼すぎることではないか。

 韓国の外相が言った「不思議」とは、明治の御世に出来た「靖国」があることをいいことに、政府として戦後になすべき慰霊を丸投げし、これまで戦死者の追悼を怠っていた、この国の指導者たちの「ご都合主義」に対するものだ。

 「靖国」を利用して、戦没者への「追悼責任」を逃れ続けてきた、戦犯あがり、あるいは戦犯もどきの指導者らによる、言い逃れのための「参拝」。

 韓国外相の言う「不思議」とは、作為的な「不作為」のことである。
 
 
 

Posted by 大沼安史 at 05:23 午後 1.いんさいど世界 |

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