米連邦大陪審は10月28日、チェイニー副大統領の首席補佐官を務めていたルイス・リビーを司法妨害や偽証などの罪で起訴した。
ブッシュ政権の中枢が、イラク戦争開戦へ向け、世論操作を行っていた疑惑の一端がようやく刑事訴追のかたちで表面化し、司法の場で裁かれることになった。
捜査の指揮にあたっていたフィッツジェラルド特別検察官は、捜査はなお継続中であるとしており、ブッシュ政権高官によるCIAエージェントの身分漏洩に端を発した「プレイム・ゲート」事件は、さらに拡大の可能性を秘めている。
リビー補佐官とともに捜査の焦点になっていた、ブッシュ大統領の振り付け役として知られるローブ次席大統領補佐官については、今回、訴追は見送られたが、来週中にも起訴されるのではないか、との観測も出ている。
〔核心に届かず〕
フィッツジェラルド特別検察官の捜査は、今回の起訴時点では核心に届かなかった。このため、連邦大陪審の決定も、リビー補佐官がFBI捜査官や大陪審に対して、事実と違う嘘の証言を行い、司法を妨害した、という周辺的な罪に関する起訴にとどまった。
この点に関して、ニューヨーク・タイムズ紙のダグラス・ジェル記者は10月29日付け電子版の記事、「起訴は基礎的な問題に光を当てていない」のなかで、①誰が政治コラムニストのノヴァク氏に最初に、「ニジェール疑惑」を現地調査したジョセフ(ジョー)・ウイルソン氏の妻、バレリー・プレイムさんが、CIAのエージェントであると漏らしたか②その身分漏洩こそ、(裁判にかけられるべき)犯罪ではないのか――の2つの重要問題が解明されていない、と指摘した。
ジェル記者の言うとおりである。フィッツジェラルド特別検察官の捜査は現段階において、なお不十分であるといわざるを得ない。
特別補佐官は28日の記者会見で、リビー被告がさんざん嘘をついたことを挙げ、「野球のアンパイヤが砂つぶての目くらましを浴びたようなもの」と弁明したが、捜査の踏み込みが足りなかったのは、否定できない事実だ。
大陪審が起訴した28日は、大陪審が結論を出さなければならない、ぎりぎりのタイムリミットの日だった。そうした時間的な制約もあって、周辺的な罪による起訴となったとみられるが、「ホイワイトハウスを包む黒い霧」が依然として色濃く立ち込めたままであることを、誰よりも知っているのは、ほかならぬフィッツジェラルド特別検察官であるだろう。
「ハーバードの学位を持ったエリオット・ネス」(ニューヨーク・タイムズ紙の表現。エリオット・ネスとは、マフィアに買収されず、奮戦したEBI捜査官らの物語、「アンタッチャブル」の主人公の名)が、リビー被告に対する追起訴を含め、今後、どこまで事件の核心に迫るかが、新たな焦点になっている。
〔ローブ氏も来週、起訴へ?〕
フィッツジェラルド特別検察官は今回、ブッシュ大統領の次席補佐官、カール・ローブ氏の訴追を見送った。
これについてロサンゼルス・タイムズ紙(電子版、29日付け)は、「ローブは助かった――いまのところ」との記事で、訴追見送りは特別検察官のぎりぎりの判断だったことを明らかにした。
本来ならリビー被告を一緒に起訴する予定だったが、ローブ補佐官が2003年にホワイトハウスの同僚と交わしたEメールの存在が急浮上し、特別検察官を踏みとどまらせた。
そのメールは、意図的にFBI捜査員をミスリードする意志はなかったとするローブ補佐官の主張を裏付けるようにも読み取れるものだった。
ローブ補佐官に対する今後の見通しについて、深層報道で注目されるインターネット新聞、「ロウ・ストーリー」は28日、事件に直接関与する複数の弁護士の証言として、特別検察官は、早ければ来週にもローブ補佐官を起訴できるだけの材料を持っていると確信している、と報じた。
ローブ氏はブッシュ知事がテキサス州知事時代から、政治指南をしてきた、政権の大黒柱。
捜査の手がそこまで及べば、文字通り、ブッシュ政権は内部崩壊の危機に瀕する。
〔チェイニー副大統領は逃げ切れるか?〕
世界銀行総裁に転出したポール・ウォロフォウィッツ国防副長官なきあと、ブッシュ政権内ネオコン・グループの中心にあったリビー補佐官は、チェイニー副大統領の下にあって、「チェイニー以上にチェイニー」であるといわれるほど、忠誠を尽くした人物だった。
リビー被告に対する起訴状は、CIA身分漏洩の「張本人」を特定するまでには至らなかったが、チェイニー副大統領のオフィスが、疑惑隠しの「連係努力のハブ(要)」(ニューヨーク・タイムズ紙)であった姿を強く印象づける内容になっている。
この点に関し、起訴状で最も注目されるのは、英紙ガーディアン(電子版、29日付け)によれば、以下の部分だ。
すなわち、リビー補佐官は、大陪審で宣誓証言でも、CIAエージェントの身元がバレリー・プレイムさんであることを、「ジャーナリストたちから聞いた」と繰り返し主張していたが、起訴状では、彼女(プレイムさん)について、2003年6月に、(副大統領の)デイック・チェイニーから聞いた、と、まったく違った事実が記載されている点だ。
チェイニー副大統領とリビー補佐官は、イラク戦争開戦前、なんどもラングレーのCIA本部に足を運び、イラクのWMD保有疑惑に対して懐疑的なCIAアナリストらの取り込みを図っており、CIAの主流との間に意見の隔たりを生んでいた。
チェイニー副大統領とリビー補佐官は、いわば一心同体の関係にあり、対CIAとの関係も含め、チェイニー副大統領が裁判の証人として出廷を求められ、反対尋問にさらされるであろうと、ガーディアン紙は予測している。
〔イラク戦争裁判に〕
また、同紙によれば、レーガン、クリントン両大統領の補佐官をつとめたデイビッド・ジャーゲン氏はCNNとのインタビューで、「(リビー被告の裁判で)われわれはたぶん、イラク戦争を裁く裁判をすることになるだろう。いかにして、われわれはあの戦争を始めてしまったのか、という……」と語った。
CIA身分漏洩ではなく、イラク戦争を問う裁判。チェイニー副大統領が証人として尋問の十字砲火を受ける、イラク戦争裁判。
審理の過程でなにが飛び出すか、レジー・ウォルトン判事による連邦地区裁判所の公判の行方に対しても、すでに注目が集まっている。
〔ニジェール偽造文書に謀略の影〕
リビー補佐官が起訴されたことで、「プレイム・ゲート」事件の母体となった「ニジェール疑惑」そのものに対する関心が再び高まっている。
チェイニー副大統領らがCIAに対して調査を求め、プレイムさんの夫の元外交官、ウイルソン氏がアフリカの現地に飛ぶことになった、「ニジェール疑惑」の、そもそもの発端は、ニジェール・イラク間のウラン取引に関する証拠の偽造文書(いわゆる「ニジェール文書」)が、なぜかイタリアのローマで「出現」したことである。
この偽造文書にもとづく「ニジェール疑惑」をひとつの根拠として、ブッシュ政権は「イラクのWMD保有疑惑」をフレームアップし、米国民をイラク戦争に引きずり込んだわけだが、その偽造文書が出現する過程にあらためて注目が集まっている。
ニューヨーク・タイムズ紙(電子版、28日付け)によれば、米政府部内の反諜報担当者は、文書を偽造した犯人について、①イラク国民会議を率いていたチャラビの側近②金めあてに、ローマのニジェール大使館関係者――の2つの可能性を挙げ、②についてよりあり得るとの見方を示している。
一方、ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版、28日付け)のローマ特派員電によれば、現地の左派系新聞、「レパブリカ」紙は調査報道でこの問題を追及し、イタリアの揺るがす大問題に発展している。
レパブリカ紙によれば、ブッシュ大統領を後押しするベルルスコーニ首相の命令で、イタリア軍情報部(SISMI)のトップであるニコロ・ポラーリが(偽造文書という)偽情報をブッシュ政権に提供したという。
ニコロ・ポラーリは2002年9月9日、ワシントンで、ハドレー次席大統領補佐官(当時、国家安全保障担当)と会談したことも確認されている。
上記のニューヨーク・タイムズ紙の記事によれば、偽装文書は2002年10月――つまり、ポラーリとハドレーが会談した翌月に、SISMIから米政府に手渡されたあと、ベルルスコーニ首相が経営するイタリアの雑誌、「パノラマ」誌の女性記者によっても、コピーが米政府側に引き渡されるが、チェイニー副大統領らがCIAに偽造文書をもとにした「ニジェール疑惑」の調査を求め、ウイルソン氏が現地に派遣されたのは、その8ヵ月以上前の同年2月のこと。
つまり、チェイニー副大統領らは、2002年秋、「偽造文書」が「表面化」する、はるか以前に、「偽造文書」の存在を知っていたことになる。
これはいったいどういうことか?
この謎に一応の解答をしているのが、「ナイト・リッダー新聞連合(KR)」電子版(28日付け)の調査報道である。
KRによれば、「ある外国の情報機関」(情報機関関係者によると、イタリア軍情報部のSISMI)から、最高機密のレポート3通が米国のCIAに寄せられたのは、その実はその前年の2001年10月15日のこと。あの「9・11」同時多発テロの直後のことだった。
情報を提供されたCIAはしかし、現地のローマ支局からして、最初から「ニジェール文書」なるものに懐疑的で、そのままお蔵入りになっていたのが、1年後、チェイニー副大統領らによって急に「復活」し、2003年1月28日のブッシュ大統領の一般教書演説に盛り込まれることなる。
この謎めいた「復活劇」を仕組んだ者たちの正体に、CIA身元漏洩以上の関心が集まっているわけだ。
本紙(「机の上の空」)既報の通り、フィッツジェラルド特別検察官は、この偽造文書に関する調査報告書の全文をイタリア国会より入手しているといわれおり、捜査が飛び火する可能性も否定しきれない。
〔ブッシュ大統領にも捜査の手?〕
ニューヨーク・タイムズ紙(電子版、29日付け)によれば、フィッツジェラルド特別検察官は28日朝、ワシントン市内の法律事務所で、ブッシュ大統領の個人弁護士、ジェームズ・シャープ氏と会談した模様だ。
同紙の取材に対し、シャープ弁護士は返答せず、何が話し合われたか不明だが、ブッシュ大統領自身、「プレイム・ゲート」事件がらみで、フィッツジェラルド特別検察官から尋問を受けている。
同紙の記述はそれだけにとどまっているが、ブッシュ大統領に対する再尋問もありえないことではないだろう。
そうなると、「大統領は知らなかった」の言い訳がますますつきにくくなる。
当のブッシュ大統領は、この日(28日)午前、ワシントンをあとにし、バージニア州ノフォークのクライスラー・センターで演説した。
ホワイトハウスのサイトに載ったトランスクリプトによると、ブッシュ大統領は「温かい歓迎をありがとう。ワシントンを脱出するチャンスを与えてくれてありがとう」と、会場の笑いをとって演説を開始した。
「われわれの国土に到達した悪は、またも出現している……」と、テロ行為を非難しはじめたときだった。
トランスクリプトによると、聴衆のひとりが「大統領、戦争こそテロです」と叫んだ。
ロイター電は違っていて、「大統領、テロリズムって何? テロリズムって何? いますぐ辞任しなさい」と叫んだところで男性は取り押さえられ、退場されられた。男性に対して聴衆からブーイングが浴びせられたという。(ブーイングについてはホワイトハウスのトランスクリプトも明記)
こうしたハプニングのあとも、ブッシュ大統領は予定通り、演説を進め、イランを名指ししながら、「われわれは狂信者どもの手から、大量殺害兵器を取り上げ続けるべく、緊急に活動している」と語った。
WMD(大量破壊兵器)ではなく、こんどはWMM(Weapons of Mass Murder、大量殺害兵器)。
イラク戦争に使った口実を、さすがにそのまま使用できなかったようだが、イランの核開発サイトに対する先制攻撃をしかねないような口ぶりだ。
ノフォークから戻ったブッシュ大統領は、ホワイトハウスでリビー補佐官起訴に対する短いコメントを発表したあと、記者団の質問に答えず、そのままヘリでキャンプ・デービッド山荘に向かった。
「きょう、わたしはスクーター・リビーの辞任を受け入れた。スクーターはアメリカ国民のために疲れを知らずに働き続け、この国のために多大な犠牲を払って来た……」
スクーター(片足スケート)とはリビー補佐官のニックネーム。ヨチヨチ歩きの幼児のころ、父親がつけた愛称だそうだ。
副大統領首席補佐官が起訴されたときに、公式の声明でことさらニックネームで語る、ブッシュ大統領の、なんとも度し難き、この幼児性!
英紙ガーディアン(上記電子版)は、リビー補佐官起訴の記事の最後を、以下のようなブッシュ大統領に対する評価で締め括っている。
最初の大統領選に討って出たとき、ブッシュ氏は、クリントン氏のセックス・ライフの暴露のあとに吹き込む、新鮮な空気として自分自身を売り込んだ。
「わたしはオーバル・オフィス(大統領執務室)に、名誉と威厳を再びもららすだろう」と、アメリカに向かって語りかけた。
その誓い自体がいま、問われている。
ブッシュ氏はこれまでの3年間を、消えない伝説をつくるのに使おうと希望し続けて来た。彼はそれだけの時間を、イラク侵略を命令したとき掘った穴から、ただ這い出ることだけに使わなければならなかったようだ。
イラン攻撃で2つ目の穴を掘らないことを祈るのみである。