イラク帰り、28歳の米兵が良心的兵役拒否を決意するまで
英紙インディペンデントの電子版(9月24日付け)に、イラク帰りの28歳の米兵の発言記録が出ていた。
首都ワシントンのアメリカン大学でこのほど開かれた集会で、良心的兵役拒否を決意するまでの、自らの体験を語った。
日本の自衛隊がいるサマワに対する攻撃のことも出ている。
紹介しよう。
ハート・ヴィージェス(Hart Viges)さん。「9・11」の翌日、米軍のリクルート・オフィスに行って、兵士になった。第82空挺団に所属し、2003年2月にクウェート入りし、翌3月、イラクに侵攻した。
ヴィージェスさんの部隊は、サマワを攻撃した。
「わたしたちの迫撃砲小隊は、その町(サマワ)に無数の砲弾を撃ち込みました。カイオワ攻撃ヘリがヘルファイア・ミサイルを次から次に撃ち込むところをわたしは見ました」
「わたしが撃った迫撃砲弾で、どんなに多くの罪もない人々が知れません。想像してみるしかない。しかし、わたしには、ひとつ、はっきり覚えていることがあります……」
ヴィージェスさんが覚えていることとは、無線による攻撃指令だった。
「すべてのタクシーに対して青信号」――「青信号(グリーン・ライト)」とは、「撃ってよし」。タクシーを見つけたら、誰が乗っていようと、とにかくすべて撃破せよ、という命令だった。
タクシーには急ぎの用のふつうの市民が乗っている可能性がある。
狙撃兵のひとりが耳を疑って聞き返した。「よく聞こえなかったんだけど、すべてのタクシーに対して青信号、って言った?」
武装勢力がタクシーで武器を運んでいる可能性がある。たったそれだけの理由による攻撃指令だった。
いわば、タクシーと乗客に対する無差別テロ。
あのサマワで、そういうことさえあったのだ。米軍に協力する日本の自衛隊の復興支援に対し「感謝」しているとされる、サマワの住民感情の底に、こういう事実があることを、われわれ日本人は忘れてはならない。
ヴィージェスさんはその後、ファルージャ、バグダッドと激戦地を転戦した。
バグダッドでのことだった。給水プラントの設置作業の護衛で、世にも美しい郊外の村に出かけた。
と、そのとき、ラーンチャーから撃ちだされた手榴弾が飛んで来た。そして二人のイラク人男性が現れ、女子どもを盾にヴィージェスさんらと睨み合った。
そのとき、ヴィージェスさんもライフルを構えた。銃口の先にいたのは、「ソフト・ターゲット」ではなく、ひとりの人間だった。同じ人間がそこにいる………結局、引き鉄を引くことができなかった。少なくとも、ヴィージェスさんだけは。
その村を出たあと、攻撃ヘリなどの支援を受けながら、ある民家を捜索した。カラシニコフや爆薬などを探したが、出てきたのは護身用の小さなピストル一丁だった。そのピストルを理由に、イラク人の若者二人の身柄を拘束した。
そのとき、だった。母親が出て来て、ヴィージェスさんの足にキスをした。「まるでその足がキスに価するかのうように」キスをした。アラビア語で叫んで、懇願した。「愛、不安、恐怖」がそこにあることは、アラビア語を知らなくてもわかることだった。
攻撃ヘリ、ブラッドレー戦闘車両、レーザー・サイトつきのM4セミ・オート小銃……
「わたしは第82空挺団の殺人者のひとり。そしてわたしは、このひとりの女性の苦悩を癒す力を持たない」
イラクから復員してヴィージェスさんは、良心的兵役拒否を決意し、申請した。
「ひとりのクリスチャンとして。汝の隣人を愛せよ。汝を迫害するもののために祈れ。汝、撃つなかれ」
ヴィージェスさんは24日からワシントンで始まる反戦プロテストに参加するため、テキサス州のオースティンから出て来た。
ワシントン大学でのヴィージェスさんの発言を聞き、記事にまとめたインディペンデント紙の特派員は、こう書いた。
「イラク帰りのアメリカの若い元兵士はわたしたちに、なぜ、イギリス、アメリカの公衆がイラク占領に対して鋭く反対し始めたかを解き明かす、ひとつの洞察を与えてくれた」と。
その洞察は、それだけで、イラク戦争をやめる、十分な根拠となりうる――記事を読み終えて、ほんとうにそうだと思った。

















